101 虹樹海 3
私が呟いた声は小さかったため、幸い東星まで届いていないようだった。
そのことにほっと胸を撫でおろしたものの、そもそもの話として。
私は自分が魔法使いだとは思っていない。
百歩譲って魔法使いだったとしても、魔法の行使方法が分からない。
つまり、どちらにしても魔法は使えないということで、目の前にそびえる枯れ果てた巨樹の救済方法は分からなかった。
けれど、東星の表情は怖いくらい真剣で、「できない」と言えるような雰囲気ではない。
そもそも東星とは今現在も戦闘状態にあるはずで、この空間に引き込まれたのは、東星のフィールドで彼女の都合がいいように戦うためではなかったのだろうか。
にもかかわらず、東星は攻撃することなく、私に頼みごとをしている。
ということは、私の行動次第では、戦いを回避できる可能性があるのだろうか。
例えば東星の望み通りにこの巨樹を元気にしたら、私たちを見逃してくれる……?
そんな期待が浮かんだけれど、この樹を元気にする方法がさっぱり分からないため、「この樹を元気にしたら、元の場所に帰してくれますか」と聞くこともできない。
はいと答えられても、私には何もできないからだ。
けれど、できないと正直に言うと、怒った東星から攻撃される可能性が大きいわけで、結果、無表情でだんまりを決め込むことになってしまう。
私は事なかれ主義の日本人精神を、前世から色濃く引き継いでいるのだ。
そのまま暫く黙っていたけれど、誰もが私の発言を待っている様子だったため雰囲気に負け、分かり切っていることをもう1度口にする。
「この樹を……元気に、ですよね?」
すると、東星は大きく頷いた。
「そう、わたくしはこの樹を守護するためにいるのだから、この樹を救ってちょうだい☆」
「ああ……!」
墓穴をほったわ。この樹の種類を聞かないようにしていたのに、東星が核心的なことを言ってしまった。
やっぱりこの樹が……。
「この樹が『世界樹』なのか」
私の心の声を、ラカーシュが言葉にする。
すると、東星は馬鹿にしたような表情でラカーシュを見た。
「何を今さら当たり前のことを言っているのかしら。世界樹以外にこれほど大きくて、これほど立派で、これほど神聖な樹があるはずないじゃない★★」
いや、初めての場所で初めての樹を見て、それが何の樹か当てられるはずがありませんから!
思わず心の中で言い返した私とは異なり、ラカーシュは東星に言い返すことなく、「そうか」と呟きながら畏敬の眼差しで巨樹を見つめただけだった。
代わりに兄が、呆れたように口を開く。
「やあ、カドレア。君は世界樹の守護者ではなかったか。それなのにこの状態とは、世界樹の世話をしなさ過ぎではないか?」
兄の言葉に、東星が頬を染めて言い返す。
「失礼なことを言わないで! わたくしはずっと、この樹を見守って来たのよ!! 世界樹は永遠と言えるほど長い間、青々とした葉を茂らせてきたし、世界で最も元気な樹だったわ。だけど、120年ほど前に突然、この樹は力を失い始めたの。そうして、20年ほど前からこの状態。葉も茂らなければ、枝も伸びないの☆」
「ほう?」
兄はそう言うと、堂々とそびえ立つ世界樹の形を確かめるかのようにゆっくりと巨樹を見回した。
一方、東星は懇願するような声を出してくる。
「だから、魔法使いちゃん、この樹を救ってちょうだい! この木がなくなったら、わたくしは………いえ、何でもないわ★★★」
けれど、東星は話の途中でしゃべり過ぎたとばかりに両手で口を押さえる。
それから、まるで話を誤魔化すかのように両手を振ると、今までよりも1段高いトーンで話し始めた。
「つまり、この樹は凄く大きいから、葉が茂るととっても見事なのよ! 魔法使いちゃんも見とれると思うわ☆」
東星のわざとらしい笑顔を見て、演技が下手だなーと思う。
明らかに今、言ってはいけない一言を口にしようとしたわよ。
一体何を話そうとしたのかしらと考えていると、兄が答えを口にした。
「なるほど、カドレアは世界樹の守護者だからな。守護する者がなくなれば、その存在意義がなくなるということか」
「へっ?」
驚いて兄を見ると、兄は東星に視線を合わせたまま、さらに言葉を重ねてきた。
「世界樹が消滅すれば、カドレアも併せて消える―――そうだろう?」
対する東星は、驚愕したように目を見開いた後、恐ろしい表情でぎりりと兄を睨みつけた。
「サフィア、お前は一体どこでそのことを聞きつけたの!?」
「えっ!?」
東星の反応に驚いて声が零れる。
いやいや、お兄様は絶対に何も知らなかったわよ。
間違いなくかまをかけたのであって、見事に東星が引っ掛かったのだわ。
それにしても、世界樹とともに東星が消えるなんて、にわかには信じられない話だけれど……。
けれど、東星の心底腹立たしそうな反応を見ると、兄の言葉は真実かもしれないと思う。
そういえば、東星は人間と異なる存在だったはずで……。
もう1度東星の表情を確認すると、青ざめた顔で悔し気に兄を睨みつけていた。
その射るような視線を見て、ああ、本当に言い当てられて悔しいのだなと思われる。
……ということは本当に、東星は世界樹を守護するために存在していて、その役割を失えば消滅してしまうのだろうか?
だとしたら、世界樹の役割は何なのだろう?
世界樹を失ったら、世界は何らかの―――甚大な損失を被るのだろうか。
ぐるぐると答えが出ない問題を考え続ける私に向かって、兄が何でもないことのように口を開いた。
「カドレアにこのまま消滅されても問題はないが、恩を売っておけば、20倍くらいの貸しとして回収できるだろう。だから、ルチアーナ、魔法を披露してあげなさい」
「へ?」
私はあんぐりと口を開けて兄を見つめた。