95 カドレア城 14
驚いた表情から一転、一番初めに自分を取り戻したのは、多くの経験を持つジョシュア師団長だった。
「なるほど、ルチアーナ嬢は非常に価値がある上、非凡であるということか」
私の主張とは180度異なる発言をすると、片手を胸に当てて深く頭を下げる。
「ルチアーナ嬢、あなたに最上の感謝を伝える。私にもう一度、戦う機会を与えてくれてありがとう」
けれど、師団長からお礼を言われた私は、どうしてこのタイミングで? と、不安な気持ちになる。
表情から、私の心情を正確に理解した師団長は、安心させるかのように片手を上げた。
「ああ、このタイミングで礼を言ったからといって、私に死ぬつもりはないよ。ただ、戦場に出る身としては、心残りがないように機会がある度に思いを口にすることが習慣づいているだけだ」
「まあ……」
それはそれで凄い話だわ、と師団長の大変さを思いながらぺこりと頭を下げる。
「怪我を治癒されたばかりの師団長に頼って申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いします」
自分で戦えない分、ジョシュア師団長に思いを託す。
ああ、セリアを救えないかもしれないと思った時も感じたけれど、力がないことは辛いな。
師団長や兄、ラカーシュが戦うところを、後ろで見ていなければならないなんて。
そう思いながら、コンラートとルイスとともに師団長が前線に戻る姿を見守る。
その瞬間、ふらりと体が傾き、ああ、そうだった、私は今お兄様に魔力を分け与えて、力が抜けている状態だったわ、とぺたりと床に座り込んだ。
コンラートが心配そうに近付いてきたので、安心させるためににこりと笑う。
「大丈夫よ、コンちゃん。お姉様は座っていれば大丈夫だから」
お兄様に大人しく待っていろと言われていたはずなのに、ジョシュア師団長の傷を治す時は夢中で忘れていた。
今さらながら疲労感が押し寄せてきて、ぎゅっと抱き着いてきてくれたコンラートに寄り掛かる……と、支えきれなかったようで、弟の体がぐらりと傾いた。
その様子を見ていたルイスが、慌てて近寄ってくる。
咄嗟の反応なのか、ルイスは床に座り込むと、コンラートを後ろから抱きしめるような形で補助し、私はルイスの肩にこてりと頭を乗せる姿勢で静止した。
あれ、この態勢は淑女としてどうなのかしら、何か言わないと、と思ったけれど、先ほどの反動が押し寄せてきたのか、ものすごい疲労感に襲われ、口を開くのも億劫になる。
ルイスのさらりとした髪が頬にあたり、ふわりと良い香りがただよってきた。
……ああ、貴族家の多くは家紋となる花の香りから専用の香水を作るから、この香りもそうなのかしら。
そういえば、ルイスの家紋は藤だったわよね。
初めて出会ったのも、美しい藤棚の下だった……。
とそう、ぼんやりと思い出していると、視界の先でジョシュア師団長が立ち止まるのが見えた。
はっとして状況を確認すると、師団長の数歩先で、兄とラカーシュが東星と対峙している様子が見て取れた。
目を離したのは長い時間ではなかったはずだけれど、2人の服のあちこちが刃物で切りつけられたかのように切り裂かれている。
思わずぎゅっと手を握りしめたけれど、聞こえてきた兄の声が元気そうだったため、少しだけ安心する。
「やあ、このシャツはもう使えないな。そもそも私が着ている服はカドレア、君が用意してくれたものだと思ったが。好みの服を一旦着せておいて、その後にびりびりに切り裂くとは、面白い嗜好を持つものだな?」
……ああ、よかった。お兄様はいつも通りだわ。
緊迫感の欠片もない兄の台詞を聞きながら、私はほっと息を吐いた。
対する東星が、可笑しそうな笑い声を上げる。
「うふふふ、わたくしは絶対にわたくしのものを手放さないの。だから、どうしてもわたくしの手元に留めておけない時は、壊すことにしているのよ☆☆」
そう言うと、東星は風の刃を飛ばした。
兄もラカーシュも魔術の盾で防ごうとしたが、防ぎきれなかった刃が彼らの服を新たに切り裂く。
「うむ、実に迷惑な話だ」
兄は真顔で呟くと、切り裂かれてぼろぼろになった自分の服を見下ろした。
「……なるほど。裂けた服を着ている姿は、驚くほどみすぼらしいな。果たしてこれは、私にだけ起こる現象なのか?」
それから、兄はちらりとラカーシュを見やる。
「うむ、安心した。ラカーシュ殿の魅力をもってしても、切り裂かれた服を着用している姿はいただけないな」
さらに兄は、数歩後ろの師団長を振り返った。
「対するこちらはどうかと言えば、……残念ながら、同じようなものだな。うむ、普通は『真打ち登場』と現れる者は、抜きんでて秀でた格好をしているものだが……」
「酷い格好で悪かったな!」
「いや、構わない。要は行動で示してもらえばいいだけの話だからな。―――ということで、師団長、今から1分間、時間を稼いでくれ」
いかにも簡単なことであるかのような雰囲気を醸し出しながら、とんでもないことを要求する兄に対して、ジョシュア師団長は見て分かるほどに顔をしかめた。
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