94 『魅了』の能力 2
「……は?」
光に包まれた瞬間、ジョシュア師団長はぽかんと目を見開いて口を開けた。
誰がやっても間抜けにしか見えない表情のはずだけれど、どういうわけか師団長の端正さが全く損なわれなかったため、凄いわねと心の中で呟く。
けれど、ダメダメ、あまりに師団長が平気な表情をしているから忘れそうになるけれど、彼は恐ろしい怪我をしているのだったわと気を取り直す。
そして、師団長の怪我が綺麗に治りますようにと思いを込めて、コンラートの手に重ね合わせた部分に集中した。
すると、慈雨の名前の通り、優しい色をした光が雨粒のように小さな球状に分かれ、きらきらと輝きながら師団長に向かって降り注いだ。
発動させたのは初級魔術であったため、一気に怪我を治すタイプではなく、雨粒のような光が触れた部分から少しずつ治癒していくものだ。
そのため、治癒されていく感覚ではなく痛みが消えていく感覚が、まずはジョシュア師団長を襲ったようだった。
『慈雨とは、痛み止めの魔術だったかな?』といった様子で、塞がれない傷を見ながら師団長がぱちぱちと瞬きをする。
それ程もどかしいほどゆっくりとした魔術であったけれど、光の雨は次から次に師団長の体に降り注ぎ、少しずつ痛みを止めるとともに傷を治していった。
そして、実際に光の魔術が発動されているのだとジョシュア師団長が確信できた時には、彼の体にあった全ての傷は治っていた。
「……信じ、られないな」
初めての魔術を発動させたことで、体中の力が抜けてくたりと私にもたれかかったコンラートを抱きしめていると、師団長のかすれた声が聞こえた。
視線を上げると、切れ長の目を大きく見開いた師団長が、瞬きもせずにこちらを見つめている。
「本当に、信じ……られない。どこにも痛みがなく、そして、あれほどの傷が塞がっただなんて。魔術師団中を探してみても、初級魔術でこれほどのことが出来る者は存在しない」
コンちゃんを褒められたことで嬉しくなった私は、自然と口元が緩む。
「そうでしょう、そうでしょう! そのうえ、コンちゃんが回復魔術を発動したのは、生まれて初めてのはずですから。それでこの威力ですよ!? 弟が天才であることは、間違いないですね」
「天才……。もちろんコンラートが非凡なる者であることに、間違いはないのだろうけれど、……では、ルチアーナ嬢、あなたは?」
ジョシュア師団長はふふふんと反り返る私を不思議そうに見つめると、手をぎゅっと握ってきた。
……あら、そう言えば、コンちゃんの手の上に私の手が、そしてその上にジョシュア師団長の手が重ねられたままだったわね。
疲労したコンラートが私にもたれかかってきた際、弟の手は外れたようで、いつの間にか私の手は直接師団長に握りしめられている。
あらあら、婚約者でもない男女が手を握り合うだなんて、これは由々しき事態ですよ。
そもそも非常時だったので見逃していたけれど、もう非常時は終わりましたからね。
だから、紳士のジョシュア師団長におかれましては、手を放してください。
そんな気持ちを込め、えいっと引き抜こうとした私の手は、なぜかより強く握り込まれてしまう。
「え、あの、ジョシュア師団長……」
困惑して師団長を見つめると、なぜか重ねられていたはずの師団長の片手が両手になっており、私の手を握ったまま至近距離で見つめられる。
「あなたは至上だな。感謝しかない………」
「ええと、師団長、私に向かって言われたようですが、回復魔術を発動したのはコンラートですよ。私は何もしていませんから」
姉として弟の手柄を横取りするわけにはいかないと、正しく訂正を入れる。
けれど、ジョシュア師団長は納得した様子を見せず、否定するかのように軽く頭を振った。
「確かに回復魔術を発動させたのはコンラートで、その働きは十分称賛されるべきものだが、……真の功労者はあなただろう。彼が回復魔術の術者であることを見抜き、正しく魔術が行使されることを指導したのだから」
「うーん?」
師団長の言葉を聞いた私は、大きく首を傾けた。
術者であることを見抜いたのは、乙女ゲームの熱心なプレイヤーだったというだけの話だし。
正しく魔術が行使されることを指導したという話だって、『魅了』にかけられた者として、その術者に正しく報いたというだけだし。
「……いや、やっぱり私は特筆すべきほどの貢献はしていませんよ」
ジョシュア師団長は義理堅い人種だな、何もないところにまで感謝を見つけ出そうとするなんて、と思いながら小さく微笑むと、師団長は困ったように唇を歪めた。
それから、やっと握っていた手を放してくれる。
「その価値を理解しないのは、本人ばかりか……。あなたが何も貢献していないのならば、なぜ、コンラートは泣き出したのだろうね?」
え? と思って、腕の中の小さな塊に視線を落とすと、弟が顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
「え? ええ? コ、コンちゃん、どうしたの? もしかして、初めて魔術を使ったことで、どこか体を痛めたのかしら?」
おろおろとして心配の声をかける私に、コンラートはぎゅっとしがみ付いてくると、泣きながら声を上げた。
「おっ、おっ、おねいしゃま、ありがとう。おねいしゃまのおかげで、今度こそ僕は、兄上を助けることができた。全てを差し出してもいいくらいに嬉しい。だのに、……おねいしゃまは、僕に何も要求しないんだね」
お母様も、カドレアも、誰だって自分の望みのために、色々な要求を突き付けてきたり、弱っている時を見計らって交渉を持ちかけてきたりしたのに。
泣きながら言葉を発するコンラートを見て、私は顔を顰めた。
「そうじゃないわ。コンちゃんが出会った今までの人たちが、とても個性的だったのよ。お姉様は平凡令嬢ですからね。世間のみんなはお姉様のような人たちばかりよ」
笑顔でそう言った途端、「は? 平凡令嬢!?」とジョシュア師団長が弾かれたように顔を上げた。
それから、沈黙を守っていたルイスまでをも含めた3人から、一斉に否定される。
「「「それはルチアーナ嬢(お姉様)の勘違いだ!!」」」
ジョシュア師団長、ルイス、コンラートの3人が3人とも、驚いたように片手を突き出し、同じように大きく口を開けている。
表情が同じだったためか、3人はとてもよく似て見えた。
……まあ、兄弟仲がよろしいことで。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
おかげさまで、本作品の連載を始めてから1年が経過しました。
お付き合いいただきありがとうございます(๑•ᴗ•๑)