2017.8.3
あの人との出会いは高校2年の夏だった。俺がまだ陸上部として走っていて、恋をしてはいけないと思っていたマネージャーを好きになり、自意識と傲慢で息が詰まりそうな頃だった。同じ陸上部の渡から放たれた一言が、あの頃の俺にとって計り知れないダメージを負わせた。
「俺、童貞卒業したんだ」
「え?」
「だから、卒業したの」
「誰と?」
「田辺と」
「え?」
「だから、マネージャーの田辺と」
アブラゼミの声が遠ざかっていく。蜃気楼が揺らめいていく。そして、俺の心は「ドーン」とか「ブシャッ」とかの音を立てずに砂の城のように、静かに崩れ落ちた。
渡とは陸上部の中で唯一電車が同じで、よく一緒に帰っていた。彼は400mが専門で、記録もそれなりに良く、長身で塩顔イケメン。俺よりもハイスペックであるため、どうにかして引きずり落とそうとするが非が見当たらない。勉強は俺の方が出来るみたいだが、高校生にとってスペックとして見られず、パワプロの特殊能力の欄に「勉強◎」と書かれるくらいだった。
俺が先に電車から降りて、駅から自転車で家まで向かう。
前から熱風が吹いてきた。ペダルを押すと熱風も加速して俺に当たってきた。アブラゼミの鳴き声が気に触る。今年の夏は俺に対して当たりが厳しかった。
家に帰って冷蔵庫から昼食を取り出し、そのまま2階に上がって、バタンと音を立ててドアを閉めた。自分の部屋に入り、エアコンを18℃に設定して冷房をつけた。ほとんどの人がiPhoneだと知らず、買ってしまったAndroidのスマホを取り出した。LINEの未読は公式アカウントだけ。Twitterでは、朝にツイートした渾身のネタツイートにいいねは0、ゲームをやっても勝てず、ベッドに向かってスマホを投げ出した。「やってられっか!」
誰もいない家で1人、昼ごはんを目の前に置いて1人で叫んだ。本当に今日はついていない日だ。
俺は昼ごはんを貪った。イライラを通り越して、ぶつけようもない怒りを食べながら解消しようとしてい……った!
食べ物を飲み込んで洗面所へ行き、鏡の前で舌を突き出した。どうやら自分で噛んでしまって舌の先端が赤く染っていた。それを見て昼食を食べる気が失せて俺は下の階の生ゴミ入れに食べかけの豚肉とナスの炒め物とご飯を捨てた。
家にいてもあの怒りは収まらなかった。これは自分に対してなのか渡に対してなのか、それとも田辺に対してなのか分からなかったが、とりあえずムカついた。俺は炎天下の中、家を出た。
2時間経っても夏は手を抜いてくれなかった。いや、逆に俺に対しての当たりが強くなった。
気が飛んでいきそうな天候の中、俺は何故か公園まで歩いた。今の状況でこの街を歩いている人は誰もいない。もちろんクーラーの効いた部屋でゲームやら勉強やら昼寝をしているのだろう。普通に生活を送れているやつが少しだけ羨ましかった。
「君、ロックだね」
公園の木陰のベンチで横になっていたら知らないおっさんが話しかけてきた。
「え?」
「いや、君ロックだねって」
「ロックって?」
「ロックはロックだよ。ロックンロールのロックだよ」
とんでもないやつが俺に話しかけてきた。背の高さは平均ほど、丸い型のサングラスをかけて頭はパパイヤ鈴木のようなパーマをかけて、服装は白の長袖Tシャツを着て黒い細身でくるぶしぐらいの長さがあるパンツの中に白いTシャツを入れていた。もし俺がお巡りさんなら、こいつを職質するだろう。いかにも怪しすぎる。
「俺は、ボウズみたいな頃にXとプリプリに恋し、高校を卒業してゴイステを好きになり、B'zと共に人生のハイライトを迎え、離婚してマイヘアと共に生きている。巷ではロックンロールおじさんと呼んで欲しいね。ハハッ!」
ヤバい、逃げなきゃ。でも何故だか話を聞き入っている自分もいた。
「もしかしてお前、心が紅に染まって慰めるやつを待っていたのか?」
突拍子でもないことを言われて思考が停止した。だが、言っていることはあながち間違ってはなかった。
「色々あるよな。高校生って」
「はい。まあ」
「俺も色々あった。高校生の頃、付き合っていた彼女が俺の親友と浮気をしていた。恋と友情のどっちを優先させるか、迷ったときもあったよ」
「で、結局どっちを選んだんすか?」
「友情さ。まあ、殴り合ったりはしたけれど今でも付き合いのある親友さ」
おっさんが話したことと今の俺の状況を重ねてみた。本当に憎たらしくて仕方がない今であるが、少しだけ友情を優先させようと思った。
「これだけは言っておく。恋はいずれ桜のように散るが、友情は桜の木のようにいつまでもいる。だから毎年桜を見たければ友情を捨てるんじゃねえぞ、ボウズ」
一瞬ロックンロールおじさんがカッコ良く見えた。臭いセリフにダサいファッション、これがロックってやつなのか。
「すみません、あなたと少しだけお話がしたいのですが、よろしいでしょうか?」
ロックンロールおじさんに話しかけてきたのはお巡りさんだった。これも致し方がないことだ。あんな格好で高校生に話しかけるのだもの。職質されて当たり前だ。
「おいボウズ、思春期は自意識過剰で傲慢になってもいいんだぞ!自信持てよ!青春しろよ!あと性春も。青い春も、性の春もな!」
おじさんは制服姿のお巡りさんに連行されながら、俺に顔を見せて笑いながら右親指を立てた。バイバイおじさん、幸運を願うよおじさん。
この公園にたどり着いたあの怒りはなくなっていた。どうやらお巡りさんと一緒に連行されたみたいだ。いや、本当のことは分かっている。
それは自分の心の中に宝物のように閉まっていこうと思った。