第10章 エクセルちゃんは手品が得意
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【本文】
その日、壱人とイッQは対立していた。
「エクセルなんか使ってる奴とは絶交だ!」
「便利だから、ちょっと使ってみろって」
原因はエクセルを使うか使わないかという、所謂「エクセル問題」である。
事の始まりは、イッQがゲームのシナリオをエクセルで管理し始めたことだった。
シナリオができたイッQは、章ごとに分離し、さらにシーン毎に分け、それから台詞やト書きに小分けにし、その小分けしたものをエクセルで「行」に入力し、隣の「列」に「micq_a_001」というようなアルファベットと数字を合わせた文字列を入力していた。
この一見よく分からない文字列は、ミッQ素材のイラストと対応していて、「micq」はミッQのこと、「a」はアリスバージョン、つまり「micq_a」でアリスバージョンのミッQのイラストを指している。そして「001」は表情の番号で、001=普通、002=笑う、003=怒る、004=驚く、005=泣く、006=困惑、007=赤面、008=ジト目などを表し、プログラムはこれを参照して画面にイラストを表示するのだ。
「とりあえず、こんなもんかな」
「何してるんだ?」
テレビを見ていた壱人が、そのタイミングで声を掛けてきた。
「ストーリーモードの画面を考えていたんだ。シナリオに合わせてキャラクターを表示するタイミングや表情の変化を決めて、どのキャラクターがどんな表情で出てくるか配置するんだよ。実際に画面へ出すわけじゃなくて、頭の中で合成させるだけだけどな」
そう言ってイッQはパソコンの前から体を避けて、壱人に見えるようにした。
どれどれと壱人がパソコンの画面を覗き込むと、一章の始め「ここはどこ?」という台詞があり、その隣には「micq_a_004」と書かれている。これは驚いたアリスバージョンのミッQが画面に登場するという意味だとイッQは説明した。次の台詞「ここはワンダーランドだよ」には「mause_w_001」と書いてあり、白ネズミが普通の表情で出てくるという具合だ。
ミッQや白ネズミは、台詞やト書き毎に表情を変化させているのだとイッQが喋っているのを、壱人はなるほどと聞いていたが、あることに気付き、眉をひそめ険しい顔になった。その変化を見逃して、イッQが次の説明をしようとした時、壱人は突然こう言って遮ったのである。
「お前、エクセルなんか使ってるのか?」
「え、そうだけど」
「エクセルなんか使ってる奴とは絶交だ!」
エクセルとは表計算ソフトの名前で、画面上に集計用紙のように並んだ格子状の マス目 = セル が表示され、このセルにデータを入れることで表を作成し、数値データの集計・分析に用いる。
イッQは、セルと呼ばれるマス目を使ってシナリオを管理していたのだが、それに突然のダメ出しをされた訳だ。イッQは驚いたが、なぜそこまでエクセルを拒絶するのか見当が付かなかったので、壱人に質問すると、思いもかけない回答が返ってきた。
「エクセルは人類をバカにしている!」
「してないぞ!どうしたら、そんな考えになるんだ?」
その答えに突っ込みつつ、自分が人類の代表みたいな顔をするなとイッQは思った。とはいえシナリオをエクセルで管理する以上は、プログラムにも関係がある為、何とかしなければいけない。しかし真っ向から説得しても聞かないのは分かっているので、エクセルのどこがダメなのか納得したら使わないからと壱人を宥めつつ、情報を聞き出すことにした。
「それで、具体的にはどういうところが問題なんだ?」
「まず一つ目は、改行しようとしてEnterを押したら下の四角いのに移動しちゃうんだよ!俺は最初の四角いのの中で改行したいだけなのに!」
(四角いの?ああ、セルのことか)
文章を書くのがメインのワープロ系のソフトでは、エンターで改行するのが普通だが、エクセルでエンターを押すと下のセルに移動してしまう。慣れていない人間には意味不明の操作なのだ。
「確かにな」
そう同意して「それから?」と壱人を促す。
「あと、文字を打とうとすると、打ってもいない余計な文字が出てきて、慌ててEnterを押したら勝手に入力されて、仕方がないから最初から入力し直そうとしたら、また同じように出てくるんだよ!消しても消しても!」
文字が勝手に出てくるのは「オートコンプリート」という機能である。入力した文字から類推して自動的に単語や文章が出てくる。違う場合は気にせずそのまま入力すればいいのだが、間違ってEnterを押すと不要な文字が入力されてしまうのだ。オートコンプリートは慣れると便利だが、それまでは邪魔でしかない。
(エクセルのオートコンプリートは、入力している文字のすぐ横に表示されるから、特に間違えやすいんだよな)
「それに!一度書いてから後で付け足そうとしたら、前に入力したものが全部消えるし!」
セルの中に入力した文字は、後で別の文字が入力されると、前の内容は全て消えてしまうのだ。これも特殊な操作である。
最後に壱人は断言した。
「はっきり言って、使いづらい!」
(それは分かり過ぎるほど分かるけど…)
エクセルは入力方歩が特殊なため、初めて使う人間には敷居が高いのだ。しかしそれも最初だけなのを知っているのでイッQは軽い気持ちで進めてみた。
「便利だから、ちょっと使ってみろって。そのうちに慣れるから」
「あんな訳の分からないソフトは使いたくない!ワードかメモ帳でいいだろ」
頑なな壱人の態度に、自分は昔エクセルで酷い目に遭ったのだろうかとイッQは思い出そうとしたが特に出てこなかった。とにかくこの状態からエクセルを好きになってもらうには、どうすれば良いのかイッQは考えなければいけない。
とりあえず、今は操作の説明をしたところで聞き耳を持たないだろうと判断したイッQは、少しでも興味を持ってもらう為に、雑学から始めることにした。
「ドラ〇ンボールに出てくるキャラクターにセルっているだろ?実はエクセルの四角いのも同じ“セル”って名前が付いてるんだぞ」
「そうなのか?」
「セルの元々の意味は小部屋って意味で、そこから小部屋状になっている生物の細胞にセルって名前が付けられて、ドラ〇ンボールのキャラクターの名前はその細胞に由来するんだ。エクセルの方も格子状のマス目が、たくさん並んだ小部屋みたいだろう?」
「へー」
雑学に関心を持った壱人に、イッQは先ほど問題になったエクセルの操作について解決法を教えた。
「お前がさっき言ってたセル内の改行なんたけど、Alt押しながらEnter押したら改行できるんだ」
「それから余計な文字が出た時はDelete押したら消えるし」
「セル内の文字に追記したい時はF2を押せばいい。うっかり上書きしても、途中で気付いた時はEscを押せば元に戻るぞ」
一連の説明で操作方法は分かっても、それだけでは壱人の不満は解消されなかった。エクセル特有の雰囲気が難解さを増幅させているのかもしれない。なんとかエクセルを触らせることができれば秘策があるのだがとイッQは頭を抱える。
「うーん」
少し考えて、イッQは例のあの手を使ってみることにした。
「まあまあ、美少女ゲームでも一人くらい何を考えてるか分からないキャラがいるだろう?挙動不審で、言ってる事が分からなくて、普通の選択肢は怒るのに、変なものは喜んで、最初はとっつきにくいけど、話してみたら誰よりも純粋だったりする。そんなキャラなんだよ、エクセルちゃんは」
そう語るイッQに、壱人は溜息をつきつつ反論した。
「あのな、なんでも美少女にすれば良いってもんじゃないぞ」
「だってお前、美少女好きだろ?」
「俺だけじゃない!ほとんどの人類が好きなんだ!」
イッQの問いかけに、壱人は力強く言い返す。
「分かった、分かった。別の例えにするよ」
良い考えだと思ったが、流石に何度も同じ手は使えないかとイッQが他の方法を探していると、壱人が徐に口を開いた。
「参考の為に聞くけど、エクセルちゃんってどんな美少女?」
イッQは唖然としたが、すぐに頭に浮かんだ印象を伝える。
「髪の色は緑で、アホ毛がエックスの形になってて、髪の先はランダムで段々、瞳の中に宇宙や星が入ってて、手の先まで隠れる大きいサイズの集計用紙模様のカーディガンを着て、言動が理解不能な不思議ちゃん」
「よし分かった」
そのイメージを聞いて、壱人の頭の中でキャラクターができたらしい。やっぱり美少女で良いんじゃないかとイッQが思った瞬間、これで秘策が使えると閃いた。
「そうだ!エクセルちゃんは手品が得意なんだぞ。面白い手品を見せてやる」
そう言ってパソコンの前に座り直し、新しいエクセルのシートを表示する。
「ほら、このセル…四角いのに1って入れて、次の四角いのに2を入れて、その二つを選択した状態で、四角いのの右下にカーソルを合わせて、十字になったら、そのままドラッグすると、連続して数字が出てくるんだ」
壱人は不審に思いながらも、イッQのやることをみていた。すると本当にドラッグすると勝手に数字が入力されていく。
1
2
3
4
5
6
…
「うわっ、なんだこれ!」
これはオートフィルといって連続データを自動入力する機能である。手品ではないのだが、初めてみた壱人は心底驚いた。そんな壱人を見て手応えを感じたイッQは、オートフィルを使ってもう一つビックリさせることにした。
「次は、月曜日、火曜日って入力して、さっきと同じ動作してみろ?」
壱人が言われた通りにやってみると、先ほどと同じようにドラッグした分の曜日が入力されていく。
月曜日
火曜日
水曜日
木曜日
…
「おーっ、月曜日から日曜日まで勝手に入力された!しかも日曜日の次はまた月曜日から入力されている!」
「な、面白いだろ?」
「エクセルちゃん、スゲー!」
(中二病だからこういうギミックを見せれば食い付くと思っていんだ)
自分の思った通りになり、イッQはほくそ笑んだ。
「次は、攻撃力8をA1のセルに、コンボした時の倍率2.0をB1のセルに入れて、更にC1のセルに計算式(=A1*B1)を入れると、ほら計算結果が自動的に出てくるんだ!」
8 (攻撃力)
2.0(倍率)
16 (計算式)
「エクセルちゃんは計算までできるのか!」
壱人はそう言って感心したが、エクセルは本来こういう使い方をするものである。
次にイッQは攻撃力や防御力などの文字列を入力した後、その横のセルに適当な数字を入力した。
攻撃力 | 8
防御力 | 5
魔法力 | 2
体力 | 9
素早さ | 6
そしてそれらを選択した後に、上の「挿入」タブをクリックしてグラフを選択すると、円の中に直線が繋がった図形が表示された。
「ほら、攻略本なんかで良く見る、能力を分り易く現したレーダーチャートが簡単にできるんだぞ!」
「エクセルちゃんって天才なのか!」
(エクセルの基本機能を使っただけなんだが、まあ、いいか)
こうして壱人のエクセルへの態度は変わり、他にはどんなことができるのかと、俄然、興味を示した。当然、シナリオやデータの管理もエクセルですることになり、イッQの説得は成功したのだった。
後日談。
壱人にある疑問が浮かんだ。
「エクセルって面白いけど、実生活で役に立つのか?」
うーんと唸って少し考えたイッQは、そのポーズのまま答える。
「以前、バイト先の店長に使い方を教えて喜ばれたことがあったけど、それ以外はほとんどないな 」
「なんだ。じゃあ使い方を覚えても仕方ないのか」
壱人はゲーム作り以外でもエクセルが使えると期待していたので、イッQの答えに気落ちした。しかし実際にはいろいろな場面で使われているのである。ただイッQの場合、ほぼ肉体労働でエクセルを使わない為、知る由がなかっただけなのだ。