第02章 Hello world④
「初めからって…どこから?」
イッQの言葉に壱人が警戒しながら尋ねると、まさかと思った答えが返ってきた。
「『ゲーム作りの書』の最初、つまり開発環境のダウンロードからだよ」
「何言ってんだよ、あれ3時間掛かるんだぞ!」
「分かってるよ」
慌てる壱人に、イッQは平然と答える。
「でも、ゲームが作りたいなら、なんとかしないといけないだろ?」
「うっ」
イッQの言う通りで、確かに何とかしなければならない。しかし最初からというのは意味があるのだろうか?と壱人は考えてしまう。例えるなら、同じ道を何度歩いても辿り着く場所は同じというように。
壱人が難しい顔のまま黙っているので、それを見たイッQは大きく息を吐いてから認めた。
「正直、これはあまり頭の良くないやり方だと思うよ」
そして苦笑いしながら続ける。
「だから他に良い案があるなら、そっちにするんだけど、俺は凡人だからこんなやり方しか思いつかないんだ」
それを聞いて壱人は、確かにこんな泥臭い方法しか思い付かないなら凡人かもしれないと思った。しかし自分で凡人と言ってしまう事に抵抗を覚える。凄い才能は無いかもしれないが、何も無い事はないだろう。少なくとも今回のゲームのアイディアはかなり自信が有るので、ゲームを作ってそれを早く証明したい。
そのためには今の状況をなんとかしなければならない。何か手がかりでもあれば、と思う。いや、多分、見る人が見れば分かる問題なのだろう。しかし今の自分には技術も知識も発想も何もない。だから分からない。
とはいえ、始めたばかりなんだから分からなくても当たり前ではないか?つまり、ゲーム作りは未知のジャンルのゲームに挑戦してるようなものだ。だから最初は何をして良いのか分からず、間違ったり、失敗したり、迂闊に突っ込んで全滅したりなど、要領が悪くても仕方がない。
しかも今の自分はレベル1。レベル1ならできない事の方が多いに決まっている。他の方法があってもレベルが高すぎて自分に不可能なら意味が無い。プロができるからって、一般人が真似してもできないのと同じである。
それにレベル上げは可能なはずだ。レベルを上げるには何か行動しなければならない。その何かは分からないが、今はレベル上げの為にもがく時間なのだ。そう壱人は結論を出した。
下を向いていた壱人が顔を上げる。
「それしかないなら、それをやる」
「決まりだな」
壱人の決断は考えていたより早く、もっと時間が掛かると思っていたイッQは驚いた。自分の時にはもう一度作業を再開するのに3日掛かったのだ。今日はこれで上出来だ。そう思ったイッQはこう提案した。
「夜も大分遅いし、疲れただろうから作業はまた明日にしよう」
イッQがそう言うと、壱人は間髪おかずに言い返した。
「いや、今からやる!」
さすがに急ぎ過ぎていると思い「やり直しても上手くいくとは限らないぞ」と言い掛けてイッQは止める。数年後には、長時間作業しても効率が悪いだけだと言って、さっさと作業を切り上げてしまうが、今は壱人から湧き出している、こういう得体のしれない力を大切にしようと思ったのだ。
それにしても、なんでこんなに張り切ってるんだ?自分はこんなに馬鹿だったっけ?そう思いながらもイッQは何故か嬉しくて心の中で笑ってしまった。
「よし、今からやろう」
イッQもとことん付き合う覚悟を決めた。早速、壱人はパソコンに向かう。だが休み無しで作業するのは厳しいと思ったイッQが気遣って言葉を掛ける。
「さすがに栄養ドリンクくらいは、飲んでおいたほうがいいんじゃないか?」
しかし壱人の反応は冷たかった。
「は?栄養ドリンク?何それ、おっさんっぽ…」
ミッQパーーーッンチ!!
「20代は元気でいいなー!くっそー羨ましいーー!」
イッQの中身は30代である。
それから壱人は開発環境をアンインストールし、ダウンロードしたファイルも削除して最初からやり直した。
その際にイッQが目標にしたのは「分からなくてもいいから、焦らず正確に作業をする事」だった。ひとつひとつ、確認しながら先に進める。英文で分からないものは翻訳サイトで翻訳し、分からない言葉は検索した。『ゲーム作りの書』には、どんどん書き込みが増えていく。同じ事の繰り返しではあったが、勘違いや、間違って処理していたもの、新しい発見が、いくつかあった。
夜が明け、陽は高くなり、また暮れた頃、気力と体力を使い果たした壱人が叫んだ。
「 “Hello World” やっと出たー!」
5回ほどやり直した後、なんとか動作確認は成功した。なお、どうして正常に動かなかったのかは、結局、良く分からないままである。
壱人は疲れてはいたが、挫折の時とは違って心地良かった。テキストの表示ができただけで、なんでこんなに嬉しいんだろう?体は怠くて動かないのに駆け出したい気持ちだ。やっとスタートラインに立てただけで、ゲーム作りはこれからだというのに、まるでゲームが完成したかのような達成感だった。
イッQも長時間の緊張から解放され、ホッとする。2人はお互いに「お疲れ」と言い合い、パソコンの電源を約24時間ぶりに落とした。
「お疲れさまデスデス」
ずっと据置型ゲーム機でRPGをしていた、もとい、見守っていたマイナマイナも2人を労ってくれた。しかし「ところで」と話を変えると、両手を差し出し、手の上のものを見せる。
「すっかり忘れていた壱人くんの記憶の卵デスデスが、先ほど変なものが生まれましたデスデス」
「……は???」
そこには、ヒヨコのような何かがピヤピヤ鳴いていた。壱人もイッQも、その生き物を見て時間が止まる。それで頭がオーバーフローしてしまった壱人は「とりあえず、寝かせて下さい…」と言い残して倒れるように眠りについた。