82マス目 死神の赤い糸
ルガニス・ベヨネッタは、馬車の中で焦りを隠せずにいた。
「エリザベート! エリザベート! 聞こえないのか!?」
『何で繋がりませんの!?
壊れてはいないはずですけれど』
何故かこちらの声が届いていない。
だが会話を聞く限り、向こうに敵がいるのは間違い無い。
「落ち着け、ルガニス」
床下から押し殺した声が馬車に響く。
「お、王!
いけませんお声を出しては……」
「良いから聞け」
姿は見えずともはっきり感じる存在感。
思わずルガニスも威圧されてしまう。
「お前の娘だ、心配もするだろう。
だがお前が焦ってどうする。
お前の娘はそんなに幼稚で脆弱か?」
「断じて違います!」
ルガニスは即答した。
なんだかんだで、この男も父親なのだ。
娘の事を何よりも信頼している。
「ならばどっしりと構えていろ。
作戦の要がそんな調子では、娘に笑われるぞ」
「ふっ、それもそうですな」
国王とルガニスに笑みがこぼれる。
そんななか、手綱を握るポールライトは、謎の違和感を覚えていた。
「あの……、ルガニス様。
あれって何だと思いますか?」
「ん、なんだ?
私はあまり馬車から顔を出せんのだぞ。
敵にばれたらどうする」
「いえ、でも……」
ポールの指が指し示す先にいたのは、一匹のリス。
だが、異様なほど赤い。
模様もない、血のように真っ赤なリス。
「……魔物か何かだろう。
いいから警戒を続けろ」
「ですが!!」
「しつこいぞ! リスがなんだ…と……。
何だこれは?」
一瞬夕日の光で、何かが光った。
よーく目を凝らすと、リスのしっぽから糸が伸びている。
蜘蛛の糸のようにか細い糸は、どうもこの馬車に続いているように見える。
「上? ……上か!?」
ルガニスは車内の大剣を掴み、馬車の屋根ごと真上を貫いた。
「おっと、危ない」
馬車から飛び降りた人影。
赤い髪に黒いスーツ姿の、何とも冴えない男。
だが、こんな男に構っている暇はない。
「速度を上げて引き離せ!」
ルガニスの指示でポールは力強く手綱を振る。
「待ってくれよ、話がしたいだけなんだ」
男の耳たぶから赤い糸が伸びて、馬車の車輪に巻き付く。
「何だと!!」
糸のせいで車輪が回らなくなり、馬車は大きくバランスを崩す。
「させん! 沈め!」
ルガニスは車内の壁を強く殴りつける。
その瞬間、傾き始めた車体が元に戻り停車した。
「王はここでお待ちください。
ポールライトは流れ弾を防げ」
ルガニスは赤髪の男に聞こえないよう小声で囁く。
「わかりました。
あと、これを持って行ってください」
ポールはルガニスに通信結晶を一つ手渡した。
「さっきので混ざってしまいまして、誰につながってる結晶かはわかりません。
ですが一応持って行ってください」
「ああ、助かる」
ルガニスは受け取った通信結晶をふところしまい込むと、
国王に被害が及ばないように、すぐさま馬車の外へ出る。
そして呑気に歩いている男の鼻先に、大剣の切っ先を向ける。
「その恰好、もしや亜人隊か。
何の用だ?」
「わかりきったこと聞くね。
俺は王様を狙ってる。
この馬車は当たりかい?」
ルガニスは一歩踏み込み、男の顔めがけて剣を突き出した。
男は上体を逸らしてやすやすと避ける。
「言うはずがないだろう。
だが狙いが王である限り、生かして帰すわけにはいかん!」
「まあまあ、ちょっと待ってくれ」
男は数回バク転を繰り返し距離を取る。
そしてにこやかに笑いながら頭を下げた。
「俺の名はアルニア。
亜人隊のリーダーやってるんで、
どうかよろしくお願いしますね。
パロット最強の騎士、ルガニスさん」
「……リーダー!?」
リーダーともなれば、それだけ実力のある者のはず。
そんな人物がこれだけ国王に近づいてしまっている事実に、
ルガニスは嫌な想像が頭をよぎる。
「場所を変えるぞ。
この道を通る一般人を巻き込むわけにはいかん」
「そう、俺はいいよ。
……ただし」
アルニアは爪の先から赤い糸を出すと、馬車に向かって振りぬいた。
刃のように硬質化した糸は、真綿を切り裂くがごとく簡単に馬を刺し殺した。
「逃げられたら面倒だから、悪いね」
「……もう勝った気でいるのか?
なめられたものだ」
ルガニスの言葉を無視して、アルニアは遠くの大きな木を指さす。
「あのあたりは廃村があってね。
そこなら戦いやすいと思うよ」
「わかった、……ポールライト!!」
馬車から顔を出したポールに、ルガニスは視線を送る。
王を頼む、声に出せない為アイコンタクトだが、無事に通じたようだ。
「さあ、こっちだ」
アルニアの先導の元、二人は森に入っていった。
見たところ、人がいなくなって随分立つように見える。
だが、この異臭。
さらには大型の魔物の骨が散乱している。
「ありゃ、先客がいたか」
アルニアの言葉に視線を移すと、そこにいたのは一匹の魔物。
背丈は小さいが、付近に転がる骨の大きさを見るに、ただの魔物ではなさそうだ。
「あれは、王国で討伐依頼が来ていた魔物だな。
ラウ・ゴーレム、肉食石像だ」
ラウゴーレムはこちらに気づくが、すぐに襲い掛かろうとはしない。
座り込みこちらの様子をうかがっている。
「どうする?
戦いの邪魔になるよ、あれ」
「……討伐依頼のある魔物を逃がすという選択肢は無い。
ついでだ、ここで消しておく」
二人の殺意に気が付いたのか、ラウゴーレムも戦闘態勢に入る。
だが、この魔物は大きな間違いを犯してしまった。
戦ってはいけなかった。
逃げなければいけなかった。
それを悟ったのは、上半身と下半身を分断された後だった。
「へぇ、なかなか」
「さっさと来い、夜になったら面倒だ」
アルニアは指先に着いた血を舐めとると、手首を軽く振る。
すると、爪の間から真っ赤な刃が5本、スルスルと伸びてくる。
「最強のお手並み拝見」
「10分で終わらせる」
夕日に照らされ赤みがかった森で今、火花が散る。




