62マス目 恐怖を超える怒り
ロネットの振り上げた拳が、俺の頭上でピタリと止まる。
「……遺言があるならば聞いておこう」
俺は血の滴る拳を抑えながら、刺すような視線を向ける。
「んなもんねぇよ。
あるとしたら、てめぇも地獄に来いクソッたれ、だ!」
俺は笑いながら血まみれの中指を突き立てる。
それを見たロネットは、ため息をついて拳を強く握る。
「なら潰れろ」
無慈悲に振り下ろされる鉄拳。
だが、その拳は俺の頬をわずかに切り、
轟音を響かせながら空を切る。
「何!?」
俺が避けたことに動揺するロネット。
だが、回避した直後の無防備な俺の腹部に、ロネットは膝を打ち込む。
深くめり込む膝は、鈍い金属音を響かせた。
「うぐふっ! ……っよっしゃ、耐えたぞ!」
俺のワイシャツから、べっこりとへこんだフライパンが落ちる。
顔の後に腹へ。
この攻撃は、今まで起きた後に残っていたアザで容易に想像がつく。
知っていれば避けられる、わかっていれば防ぐことだってできる。
だが俺は、防御だけで終わるつもりはない。
だんだんと近づく、草をかき分ける車輪の音。
大地を踏みしめる蹄の音。
そして何より、その生を感じさせる豪快な鳴き声!
「何だとぉぉぉ!!?」
ロネットの叫びと共に現れたのは一台の馬車。
とてつもないスピードで止まる気配がない。
ロネットはすぐさまガードするが、
いくら鉄になれるとはいえ、馬車の突進で踏みとどまれるはずもない。
ロネットはまるで人形のように轢き飛ばされ、近くの木に激突する。
「乗ってください!!」
「さぁ、早く!」
馬車を操るのは先ほどの若い二人組。
この二人には落とし穴製作のほかに、近くで馬車に乗って待機してもらっていたのだ。
「助かった!!」
俺はロネットとの衝突でスピードが弱まった馬車に、飛び込むように乗りこんだ。
若者達はそれを確認すると、全力で手綱を振るう。
馬が大きく鳴き、馬車は加速する。
そのまま林を抜け、街道沿いに走り続ける。
とりあえずこれでひとまずは安全。
ロネットを倒しきれなかったのが悔やまれるが、
そう全てが上手くいくとは思っていない。
上手くいかなかった分は、ここから取り返せばいい。
「商店街の近くまで真っ直ぐ行ってくれ。
頼んだぞ!」
「ええ、貰った金額分はしっかり働かせてもらいますよ!」
雇ったとはいえ、頼りになる仲間だ。
俺は二人に操縦を任せ、スマホについている泥を落とす。
「でも、さっきは最高のタイミングだったよ。
本当に助かった」
「そりゃ、ちゃんと合言葉を聞きましたからね」
「合言葉ってほどか? 全然直球だけどな」
彼らは事前に”来い”という単語を聞いたら、
前後の文脈に係わらず、声の方向に馬車を走らせる。
そういう風に取り決めていたのだ。
「いやぁ、さっきのあんたはカッコよかったぜ。
てめぇも地獄に来いクソッたれ、なんてよ!」
「何言ってんだよ、随分無理やりだったぞ?」
「謙遜しなくてもいいですって」
そんなやり取りをしながら、俺たちは街道を行く。
遠い視線の先にはパロット城が立派にそびえ立っていた。
水の流れる音。
小鳥の声。
この場所はいつ来ても景色が変わらない。
もう見飽きるほど見てきたいつものベンチ。
その近くで、俺は馬車を繋ぎ止めていた。
真横では、役目を終えた二人がその場を去ろうとしていた。
「それじゃあ、俺たちはここで失礼します」
「ああ、……でも大丈夫か?
馬車無しで帰ると、結構かかるだろ?」
「ん? それなら問題ないさ。 なぁ?」
「ええ、俺らのところの公爵は、この辺りの商店街まで買い物に行かせたりするんで。
歩くのは結構慣れてるんですよ」
若者は何かを思い出すように話しているが、その表情は苦笑いだ。
「……苦労してるんだな」
「まあ、それなりにな」
「それでは、お疲れ様です」
少し心配だが、50万あれば馬車も借りられるだろうし、問題は無いだろう。
とりあえず、今は自分のことに集中しておこう。
腕時計に視線を移すと、9時40分を指していた。
俺は一呼吸置いた後、ネクタイを結び直そうとして気が付く。
「そういえば、ネクタイも置いて来ちゃったな……」
今一しまらずに頭を掻くが、そんなことで立ち止まっている時間は無い。
拳を握りしめ、路地裏の酒場へ足を向ける。
酒場の近くまでくると、何やら店内が賑わっているのが分かる。
俺は何事かと思って中に入った。
「お! 金持ちの兄ちゃんの登場だ!
いやぁ~、あんたのおかげでいい酒が飲めてるぜ」
「金持ちなんて言った覚えはないぞ」
店内では何人もの人相の悪い男たちが、
浴びるように酒を飲んで騒いでいた。
「あまり、飲み過ぎるなよ」
「わぁ~ってるよ、仕事はするさ」
信用できない言葉に、取りあえず片手をあげて答える。
足は止めず、カウンターでドロネズミのカクテルを注文。
マスターはカクテルを作りもせず、裏の扉を開けた。
「さっさと入れ」
「悪いな」
扉をくぐった先にある、圧迫感を覚える鉄の扉。
俺は腹に力を入れると、力強く押し開いた。
ここから先、後戻りはできない。
いつ死んでもおかしくはない地獄の入口。
唾を飲み込み喉を鳴らすと、ゆっくりと階段を降りて行った。
生ごみの臭い、血の臭い、酒の臭い。
いつ来ても慣れそうにない臭いに顔をしかめながら、
俺は薄暗い地下の道を闊歩する。
ロネットがここに向かってることを考えると、どうしても足が早まってしまう。
もしもゴロツキと肩がぶつかりでもしたら、大変なことになるが、
俺は速度を緩めない。
と言うよりも、緊張感でそんなことに気を回している余裕がなかった。
そうしているうちに、あのサーカスのような建物が見えてきた。
気は引き締めてきたが、冷や汗が手元を濡らす。
「そこの男、顔を見せろ」
入口の男が声をかけてくる。
男は手元の紙を見ながら、俺の顔を確認した。
「こいつだ」
「早過ぎないか? 連絡は来ていないぞ?」
「知るか、連絡ミスだろ」
どうやら向こうは少し混乱しているようだ。
まあそれも当然の話。
シランもフラウトも攫われていないのに、俺はこの場所に来た。
こんな事態、向こうは想定すらしていないはず。
「ついて来い」
男は建物の奥へ向かって歩き出す。
俺もそのすぐ後ろをついて行く。
しばらく続く薄暗い通路を歩いていると、奥の方から歓声が聞こえた。
あの悪趣味なショーはもう始まっているらしい。
「ここだ、入れ」
男は通路の突き当りにある扉を指さす。
俺は何の躊躇もなく扉を開けた。
その瞬間、女性の悲痛な叫び声が俺の鼓膜を震わせた。
「もういやああぁぁぁあぁぁあぁ!!!!!!
お願いだから、もう許してぇぇえええぇ!!!!」
俺の目に飛び込んできたのは、ナイフを握る女性の姿。
そして、台の上で息絶えている二人の赤ん坊。
さらに、台の上には二つの物々しい箱がある。
どちらの箱からも、元気な赤ん坊の泣き声が聞こえている。
その泣き声を遮るように、会場には司会の声が反響する。
『さぁ、あなたの大事な娘さんはど~っちだ!?
大丈夫です! 今までセーフだったでしょ?
あなたの赤ちゃんの声なんですよ、聞き分けられるはずです!』
「いやよぉ! 絶対にいやあぁぁぁぁぁぁぁ!
お願いです! 私なら何でもします! どんなことでもします!!
だから、娘だけは許して! お願いよぉおぉぉぉおぉ!!!!」
女性は必死に許しを請いているが、それは観客を楽しませるだけ。
女性が叫べば叫ぶほど、ショーは盛り上がりを見せて行く。
『さぁ! ここでペナルティーです!
謝れば許してもらえると思っている哀れな出演者に、現実を教えてあげましょう!
レッツ、ビリリターイム!』
司会の声と同時に、赤ん坊の乗った台座が小刻みに振動する。
すると、箱の中から聞こえる赤ん坊の泣き声が、明らかに変化した。
その声はどうも痛がっているように聞こえる。
「いやあぁぁ、止めて止めて止めて!!!
カトレアが死んじゃう! お願いやめてぇぇぇぇぇ!!」
ビリリタイムってことは、電流を流しているのか。
まだ喋れもしない赤ん坊に?
……ふざけんなよ、こんなの見てられるか。
『さぁさぁさぁ! 選んで下さ~い!
あなたの子供は、右の箱? 左の箱?
ど~っち…wんr3q;、l』
会場に乾いた音が一つ。
その瞬間、司会者の声を響かせていたスピーカーのような結晶は、大きく砕け散る。
それと同時に、台の振動も止み、電流が収まる。
俺の手が発砲の衝撃でわずかに痺れている。
いままでの歓声が嘘のように、会場は静まり返っていた。
会場には、女性のすすり泣く声と、二人の赤ん坊の鳴き声だけが響く。
「大丈夫か?」
手を差し伸べると、女性は顔をぐしゃぐしゃにしながら俺の足に抱き着く。
そして、赤ん坊よりも大きな声で、声を枯らしながら泣いていた。
「……大丈夫、もう大丈夫だ」
俺は女性の背中を優しくさする。
その時、会場の観客席の扉が大きな音を立てて開かれた。
「貴様あぁぁぁぁぁ!!!!!!
この私だけでなく、公爵様のショーを妨害するとは!」
叫びながら入って来たロネット。
だが、俺はその脅威に見向きもしない。
女性に優しく手を差し伸べ、そっと立たせた。
「ショー……、ねぇ」
俺は女性に、逃げるよう視線で合図する。
それを受けた女性は、二つの箱を抱えて舞台裏方向に走り去っていった。
「絶対に許さん。
貴様の四肢をもいで中断したショーの代わりにしてくれる!!」
「俺は今、だいぶキレてんだ。
御託はいいからさっさとかかって来いよ。
不愉快な鉄くず野郎が!!」




