49マス目 ロネット・マークスの脅威
「あった、あそこだ」
できるだけ目立たない場所を選び、俺は静かに馬車を止めた。
眼前に捉えているのは、ヴァーデ公爵の屋敷。
「結局のところ、シランの件を片付けるには公爵と直接話すのが最短だろ」
俺は公爵家から死角になる場所でタバコに火をつける。
「問題は青い男だ。
たしか銃も炎も効かなかったよな……」
だがどんな相手にも弱点はある。
そう考える根拠は、今俺の左手に握られていた。
「こんなしょーもないのが……、効いてたんだよな」
俺は携帯灰皿に灰を落としながら、肺に溜めた煙を吐き出す。
思い起こす確かな記憶。
あの男に灰皿の灰をかけたとき、間違いなく怯んでいた。
目に灰が入って痛がっていた。
銃も炎も効かない男が。
つまり、攻撃が効かないのには何か仕組みがある。
「……試してみるか」
俺は馬車の中から鞄を取り出し、準備に取り掛かった。
「来ねぇなぁ……」
準備を終え、俺はヴァーデ公爵家の塀に寄りかかって小説を読んでいた。
この状態ならば、向こうから接触してくると踏んでいたのだが、こうしてもう三十分以上経つ。
こうなるとさすがに緊張感が切れてくる、……その時だった。
「そこで何をしている」
突然の声に驚き、俺の手から本が滑り落ちる。
慌てて拾い上げ視線を上げた。
「……出やがったな、青野郎」
忘れもしない。
俺の右目を切り裂き、シランを攫い、フラウトを惨殺した。
子供を容赦なく殺害する狂った男に、俺はどうも敵意を隠しきれなかった。
敵意むき出しの俺に、青服の男は眉をヒクつかせ声を荒らげる。
「貴様……、このヴァーデ公爵様の懐刀。
ロネット・マークスを侮辱するか!?
今すぐ発言を撤回しろ、さもなくば今すぐ引き裂いてくれる!!」
この男、ロネットの迫力に思わず身を引いてしまう。
これだけの確かな殺意と凶暴性は、直接この目で見てなくてもフラウトを殺したのがこの男ということを決定づける。
本当はここで言い返したいが、そんなことをしても殺されるだけだ。
まずは距離を取る、焦るな、感情を抑えろ。
「悪かったよ、マークスさんね。
謝るよこの通り、発言も撤回する。
あんたとやり合う気はない」
たったそれだけの言葉だったが、
それだけでロネットは、鬼の形相から無表情へ変化する。
「ふん、それでいい。
ところでもう一度だけ聞く。
そこで何をしている?」
そう聞かれると思って、すでにそれらしい言い訳は考えてある。
「ああ、友達に金を借りに来たんだよ。
よくこのあたりを馬車で通るんだ。
だからここで待っていた、それだけだよ」
「……そうか」
次の瞬間、ロネットは俺のネクタイを掴み上げ、そのまま右手一本で自分の頭より高く持ち上げる。
「んぐぅ!?」
「だったら今すぐに消えろ。
お前のようなクズは不愉快だ」
その目は便所の虫を見るような、冷めきった視線。
俺は首にかかる体重に苦しみながら、小さく頷く。
ロネットはゴミを捨てるように、俺を乱雑に地面に落とすと、何も言わず背を向けて去ろうとした。
……だが、当然これで終わらせるわけがない。
「……おい、なんか落としたぞ?」
「なに? ……ぐぅぉ!」
振り向きざまに瞳を狙った一撃。
前と同じ、灰の目潰し。
「…………貴様」
「キレてるよな、俺もだぜ。
来いよ青ナメクジ、来れるもんならな!」
俺は叫びつつ、銃を構え引き金を引く。
眉間を狙った弾丸は狙いを外れ右肩に命中する。
しかし、効いてはいない。
弾丸はロネットの体表面で静止し、そのまま落下して金属音を響かせる。
しかしそんな事は想定済みの結果、俺はとっくに背を向け走り出していた。
「……殺す」
背中に痛みを感じるほどの殺意。
恐怖で震えそうになる足を、なんとか押さえ込み走る。
直線では、きっとすぐに追いつかれる。
出来るだけ曲がり角を利用し、視線を切るように走った。
灰で視力を奪われたあいつなら、すぐに追いついてこないはずだ。
「灰は効いたけど、やっぱり攻撃は効かない。
となると、あいつの魔法は……」
俺の言葉が大きな音でかき消された。
石が崩れる音から考えると、壁を破壊して進んでいるのだろう。
「っくそ! 何でこの世界の奴らは、
どいつもこいつも化物なんだよ!?」
弱音を言っている暇はない。
とにかく走る。
準備をしたあの場所まで。
ロネットの足音が近づく。
上手く逃げ回り目的地に到着した俺は、息を殺して身を隠していた。
あいつはもう近くまでいるのだろう。
見つからぬことを……、そして早くタイマーが作動するように祈った。
『動くな』
静まり返ったこの場所で響くのは俺の声。
だがもちろん肉声ではない。
スマホから流れる、録音した音声だ。
「なぜ指図している?
ミンチになりたいか?」
『動くなと言っている。
お前の敗因は俺を追ったことだ』
「なに?」
会話に少しズレがあるが、概ね上手く会話できている。
俺は隠れながら慎重に隙を伺う。
『今頃、俺の仲間がヴァーデを拘束している頃だ。
立場はわかったか?』
「……」
ロネットは言葉を発していない。
焦ってくれてるならいいが……。
「ひとつ聞いておくが…」
『一応言っておくが、お前からの質問は受付けない。
こちらの指示に従ってもらおう』
自分でも驚くようなタイミングに、思わず頬が緩む。
『まず、両手を頭の上で組んで、膝をついて目をとじろ』
「……ああ」
ロネットは指示に従い、膝をつく。
その位置はちょうどこちらに背中を向ける形になっている。
これは推測だが、ロネットの使う魔法はバリアだろう。
奴は体の周りに攻撃を防ぐバリアを張る魔法の使い手。
バリアといっても、物質全てを防げば窒息してしまう。
酸素などの必要なものは通して、衝撃や熱などを防ぐバリア、そう予測した。
それならば炎や銃が効かないのも納得がいくし、灰の目潰しが有効だったのも理解できる。
ネクタイを掴まれた時に、やつの手に触れたのも納得できる。
そして、バリアの欠点といえば足の裏だろう。
ここにバリアを張ると、歩くたびに衝撃を消してしまい、歩くのが困難になるはずだ。
俺はロネットに膝をつかせることによって、足の裏を外側に向けるように仕向けていた。
『いいか、今から指示を出す。
それを実行しろ。
さもなければ、ヴァーデ公爵の命はないと思え』
「わかった」
ここからは約五分、ぶっ通しで意味のない指示が流れ続ける。
ロネットが指令を聞くのに集中している、この五分間が勝負だ。
俺の隠れ場所は、スマホの場所から道路を挟んだ反対側。
ロネットは人通りの少ない道路の真ん中で座っている格好だ。
俺は頭に乗せたマンホールの蓋を、首の力でゆっくり押し上げる。
幸いにも録音した指定通りの姿勢で、ロネットは座っていた。
スマホの位置と反対方向に陣取ることで、ロネットの座る位置の調整も完璧にうまくいった。
あとは弾丸を当てるだけ。
落ち着け。
当たるはずだ。
動かない的なんだ。
きっと当てられる……!
唾の飲み込む音さえも、爆音のように大きく聞こえる。
緊張で視界が眩む。
早く撃たなきゃという不安が、失敗の光景とともに頭をよぎる。
すると、俺の手が僅かに引っ張られる感覚がした。
そのおかげで一瞬だけ照準が安定する。
今しかない!!
そう思ったとき、もう指は動いていた。
乾いた音に包まれて、白煙とともに直進する鉛の塊。
それは排水口に向かう水流のように、僅かな狂いもなくロネットに直撃した。
…………そう、直撃したんだ。
「……なんでだよ」
止まっている。
ロネットの足に当たった弾丸は、少し靴にめり込んでいる。
……それだけだ。
「……やはりそこか」
確かに緻密に練った作戦ではなかった。
だが全力で考えて、考え抜いて、思った通りに事が進んだ。
それが、……失敗に終わった。
俺の脳裏に浮かぶ、ふりだしの文字。
「っくそ! 戻ってたまるか!!」
俺はマンホールの奥へ逃げた。
この奥は下水道へと繋がっている。
「テンダーに協力してもらえそうなんだ……」
梯子を落下するように降りる。
「エリザベートと、約束を取り付けたんだ……」
水路脇の道を必死で走る。
「シランとフラウトを、安全な場所へ連れて行ったんだ……」
真っ暗でまともに見えない道を走る。
この暗さでは、お互いに姿は見えないはずだ。
しかしロネットの足音は遠ざかる気配がない。
確実にこっちに向かって来ている。
「もう少しなんだよ! ここまで来て戻れるか!!」
俺は振り返り、暗闇に銃口を向けて引き金を引く。
だが、暗闇で上がったのは、僅かな火花と金属音。
外したことは一目瞭然だった。
「……ここまで、やって来たのに」
銃の衝撃でバランスを崩した体は、水に喰いつかれるように横の汚水に飲み込まれた。
「うわぁぁぁぁぁ! ……ごぶぼっ!」
何も見えない。
息ができない。
考えられない。
死ぬほど怖い。
「んぶ、……っぶはあぁ! んがっ、うえっほ!」
何かに引き上げられた。
目にゴミが入って上手く開けられない。
しかし、痛みを我慢して無理にまぶたを上げた。
「……不愉快だ。 お前のような奴は本当に」
その時見たロネットの表情は、笑っているように見えた。
瞬間激痛が走り、意識は遠く消えていった。




