288マス目 弱気な者、強く在ろうとする者
「結局、話し合いでも何でもなかったな」
「そうですわね」
俺とエリザベートは、屋敷の二階にあるバルコニーで紅茶を嗜んでいた。
優雅なティータイムという気分でもなかったが、落ち込んでいても仕方がない。
だから俺は、こうしてエリザベートを誘って慣れない紅茶を入れてみたのだ。
「それにしても、初めてにしては中々な味ですわね」
「お、そりゃ嬉しいな。
金持ちに言われたのなら間違いねぇや」
俺は自分で入れた紅茶の味に満足しながら、その香りを楽しんだ。
「んで?
あのウォルトっての、知ってるか?」
エリザベートは目を瞑ったまま首を横に振る。
あの後簡単に調べてみたものの、やはりカナリアの情報は少なかった。
当然アルニア達は一切語ろうとはしない。
まあ、そこでひょいひょい教えてもらえたら、何の苦労も無い。
それにあいつらの立場を考えると、これでいいのだろうと思えて来る。
「ま、正直言ってあれもまだ最強クラスじゃないだろうな」
「本気で言ってますの?
あの男、多分わたくしでさえ歯が立ちませんわ。
あの太刀筋、ほとんど見えませんでしたもの」
だろうな。
正直、あいつが動いたのと同時にエリザベートは最高速度で動いたはず。
しかしそれでも、剣を抜くだけで精一杯だったんだ。
常に気を張っていたはずの、あのエリザベートが。
「はっきり言うと、あいつでルガニスさんと互角くらいってとこじゃないか?
それに、今は敵対してないとはいえ、アルニアだって奴らの仲間だったろ。
あいつなんてルガニスさんより強いぞ」
「そっ、……そんなのやって見ないと分かりませんわよ」
俺にとっちゃ、やってみたからこそ言える意見なのだが。
少なくとも戦いの音や声だけを聴いた限り、
アルニアを一回瀕死にするのが精一杯だった。
それにルガニスさんには、蝶を防ぐ手立てもないし。
想像ではあるが、100回戦っても勝てないだろう。
「序列としてみれば、ウォルトって剣士よりアルニアの方が上。
ただなぁ、俺はもう一人名前を知ってる奴がいるんだよ」
「……誰ですの?」
以前、フィズの奴にこれだけは覚えていた方がいいと、釘を刺されている名前がある。
俺はエリザベートが何か知ってるかもしれないという期待を込めて、
恐る恐るその名を口にした。
「晩餐会のドルトゥレート。
……お前は知ってるか?」
知っているのならどんな顔をする?
俺はエリザベートの反応をうかがう。
しかし、俺の想像とは違う答えが返って来た。
「ん、ええまぁ?
一応は知ってますけれど。
むしろ、わたくしもお呼ばれしたことがありましてよ、晩餐会」
「はい?」
エリザベートが言うには、貴族間でもなかなか出回らない特殊な魔物の肉など、
金だけでは食べられない珍味の食事会を開催するだけの団体らしい。
構成員と呼べるものはなく、胃袋の肥えた美食家たちが集まっている。
そんな戦いとは無縁の存在らしい。
「随分前、その晩餐会がパロットの珍味を食べに来たことがあったんですのよ。
確かに、会長の方は随分体格が良かったような。
まぁ、あの会に関しては危ない事なんて無いと思いますわよ」
「へぇ。
……ちなみにこの街の珍味ってなんだ?」
「あら、知りませんの?
噴水獣の砂肝ステーキですわよ」
噴水獣。
以前俺たちが黒龍退治に出かけた時に会ったっけ。
あんなヘンテコなの食べるんかい。
「ま、何にせよ戦争となったら相当な準備が必要だ。
確か、文書に書かれてたのは、一月後って話だったよな」
「……ええ」
エリザベートからの返事に随分と覇気がない。
いつもなら、こっちが心配になるくらい気丈に振る舞っている事が多いのに。
「まさか、怖気づいてるって訳じゃないよな?」
当然否定されると思い、俺は冗談交じりに聞いてみた。
けれども、エリザベートは俯いたまま顔を上げない。
「……どうする気なんだ?」
エリザベートは沈黙を続ける。
静まり返った空間は、とても居心地が悪い。
その時、草木が揺れる小さな風が吹いた。
緩やかに吹く風に紛れるように、エリザベートの唇が小さく動く。
「わたくしは、…………逃げたい」
その言葉を聞いた俺は、自分の耳が腐ったんじゃないかと錯覚した。
それほどまでに、エリザベートの口から出た言葉が信じられなかったんだ。
「っ! わ、わたくしはその。
違う、違う違う…………、忘れて」
エリザベートの瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
「なぁ、エリザベート」
俺は椅子から立ち上がり、エリザベートの手を握る。
だが、それの手は力強く振り払われてしまった。
「なっ、何を言ってますのよ。
わたくしはこの国を背負って、お父様の代わりにしっかりしないといけなくて。
でもっ、でもちょっと頭が回らなくて。
どうしたらいいかなんにも思いつかなくて!」
まるで怯えるように、俺を退けるように後ずさる。
「騎士としてっ、わたくしは騎士として適切で完璧で完全で……」
「それでも、ただの女の子だろ?」
エリザベートが一瞬目をこちらに向けた。
虚を突かれた、そんな表情で俺を見る。
……ほらやっぱり、そんな顔のできる普通の女の子だ。
「ちょっ、なに…を……」
俺は、煌びやかな金に身を包んだ、弱々しい少女を抱き寄せる。
「いいから、暴れんな」
「でっ、でも……」
優しく抱きしめているだけ。
こいつの力なら、簡単に抜け出せる。
でも、逃げ出そうという力は、身体の震えと共に彼女から消えていく。
「背負い過ぎなんだよ。
なに潰れそうになるまで頑張ってんだ」
「だって、お父様も大怪我して。
わたくしだって、この前大事なとこで負けて。
今度は、……今度は本当に誰か死んじゃって。
また、……またお母様みたいにいなくなっちゃったら!」
俺の胸に、彼女の悔しみが詰まった涙が当たる。
その雫を拭ってやっても、溢れてくる。
「ああ、だから頼れ。
お前の前に誰がいる?
お前の周りには、どんな奴がいる?」
呼吸を乱し、エリザベートはゆっくりと顔を上げた。
「助けて、……くれますの?」
綺麗な顔が台無しだ。
涙でぐしゃぐしゃ、鼻も真っ赤になって。
だから、……だから俺は、より一層強く抱きしめ笑ってやる。
「いいさ、お前が立ち上がれないなら支えてやる。
お前が振るえないなら、剣を俺がとる。
お前が怖がる相手を、俺が倒してやる。
だから、……今は泣いておけ」
その後、すっとずっと泣き続けていたエリザベート。
俺には、本当に普通の女の子にしか見えない。
強いとか、弱いとか、権力とか、お嬢様とか。
俺にとっては心底どうでもいい。
ただ、女の子がこんな思いで涙を流さず、楽しく笑ってられる。
そんな日々を、俺は掴み取ってやりたい。
……ただ、そんな風に思ったんだ。




