253マス目 捨てて来た約束
空も城も街中も、戦いの戦火は終わりを告げる。
しかし、街のシンボルである時計塔からは、今だ音が止むことはない。
「うふふっ、だいぶ疲れちゃったみたいねぇ」
「何を言ってるの。
あなただって、肩で息をしてるわよ」
その言葉にネストは一呼吸付くと、薄く笑いながら肩をすくめる。
「あぁ、やっぱり慣れないわぁ。
あなたの事は時々街中で見かけてたけれど、
あの言葉遣いが面白かったのに」
馬鹿にするような笑い方をするネスト。
しかし、エリザベートは心を乱さず剣を構え直す。
「好きに笑えばいい。
ただ、……勝つのは私だ!」
エリザベートの力強いダッシュは、一瞬で距離を潰す。
懐に入った瞬間、即座に後ろ脚を横へ軽く蹴る。
軸足で体を支え、外側を大回りする防ぎにくい角度からの一撃。
ネストはこれを曲剣で受け止めると、そのままエリザベートの胸部に前蹴りを打ち込んだ。
「げふっ!」
後方に吹き飛ばされるエリザベート。
だが、剣を足元へ突き立て、背中を石柱に叩き付けれらるのは回避できた。
「ほらねぇ。
こういうところよぉ」
ネストはエリザベートが抉った地面を、爪先で軽くつつく。
「あのルガニスの娘なら、もっと面白く戦えてたんじゃない?
ただ防いで避けて、それから突撃ばっかり。
確かに、私に食らいつく剣の腕は認めるわぁ。
……でも、それだけ」
ネストは剣を構えもせず、鋭い睨みを利かせるエリザベートへ一歩一歩、歩みを寄せてゆく。
「期待していた繊細な動きも、アクロバティックな戦法も、
一体どうしたのかしら、あまりに想像以下」
エリザベートの視線が泳ぐ。
固めてきたはずの決意が揺らぐ。
「もしかして、変な言葉遣いと一緒に、
大事な物も置いて来たんじゃないかしらぁ?」
「うっ、うるさい!
そんなことありませ……」
少し、戻りかけた。
エリザベートは自らの口を覆う。
「……間違えちゃったのねぇ」
顔を上げるエリザベート。
その視界に、ネストの影が映らない。
「こっちよぉ」
うなじを蹴り上げるように、ネストの足刀が首元に打ち込まれる。
死角からの攻撃に、エリザベートは大きくバランスを崩した。
「もう一発……ね」
倒れかけたエリザベートをボールのように蹴り上げる。
その体は簡単に撃ち上がり、天井を抉るように砕いた。
脱力した体は、受け身もとらずに石造りの床へと叩き付けられる。
「自らに枷が付けられてるって。
それを外せば、自分はずっと強くなれるって、ずーっと思ってたんでしょう?
でも、誇りだとか約束だとか格好つけて、いつまでも猫をかぶり続けた」
エリザベートは起き上がらない。
ネストの言葉を、正面から受け止めたくなかった。
「ハイヒールをやめれば安定感。
ドレスをやめれば身のこなし。
剣を変えれば攻撃力。
そして、言葉遣いをやめれば身の入り方。
わからなくも無いわぁ」
ネストは首元のスカーフを外す。
ひらひらと風に舞うスカーフを、剣の柄へ巻き付けていく。
「でもあなた、どれくらい猫を被って生きて来た?」
エリザベートは頬を地面に擦り付けながら、歯を食いしばる。
戦いながら、薄々感じてはいたのだ。
今の状況、……自分の勘違いに。
「人って不思議よねぇ。
力をセーブし続けて、自分の限界を偽り続けると、
身体が偽りの力に合わせて成長しちゃう。
……という事はよ」
「…………やめて」
エリザベートの声は届かない。
いや、あるいは届いてたかもしれない。
そんな言葉を、ネストが聞くわけはないのだが。
「あなたは、どんな成長をしてここに立っているのかしらぁ?
ねぇ、お嬢様育ちのエリザベートちゃん?」
「……やめろ」
歯を食いしばったまま、エリザベートは立ち上がる。
そこに浮かんだ表情は、怒りよりも、悲しみに打ちのめされた顔。
「やめろ!! やめろやめろっ、やめてよ!
わたくしは強くあらなくちゃならない!
お母様との約束をっ、でも私は……、勝たなきゃ…………」
「それを捨ててきたのはあなたでしょう?」
……それは言葉の斬撃。
震えていた心を一気に切り刻む、確かなネストの一撃だった。
「あーぁ、ルガニス・ベヨネッタのお嬢さんなら、
もう少し面白くなると思ってたのに……、期待外れねぇ」
涙を零しながらうつむくエリザベートへ、ネストは切っ先を向けた。
「まぁ、せっかくの上物だからねぇ。
一番綺麗に散らせてあげる」
ネストはそっと巻き付けているスカーフに触れた。
すると、剣を覆うように青白い電流が放電を始める。
「一瞬でトべるから、きっと痛くないわぁ。
うふふっ、これで斬れば切断面もいい感じに焼けて血が出ないの。
……ただ魔力消費も激しいけどね」
ネストは一歩、前へ出た。
後方へ大きく振りかぶる刃。
その剣先は、エリザベートの首へ狙いを付けた。
「さよなら」
たった一言。
口が動くのと同時に、ネストの刃が風を斬る。
エリザベートのやわらかな首筋を、ぬるりと刃が通過して、いともたやすく通過した。
それは一呼吸よりも早い、雷速の斬撃。
決着のついた戦場で、ネストはため息とともに電流を止めた。
「……なんで、斬った感触が無いのかしらぁ?」
エリザベートはそこに立ったまま動かない。
膝をつくどころか、首筋に線も入っていない。
あたりを見渡すネストの耳に届いたのは、荒い呼吸。
それも、動きのないエリザべートの後方から。
「やってくれたな」
退屈そうなネストの口元が、これ以上ないくらいにゆるむ。
指先で暇そうにぶらつかせていた剣の持ち手を、力強く握る。
「いいわぁ。
そういう顔、だぁい好き」
ネストが見下ろす小柄な男。
だが明らかに、ネストは彼を敵と認識している。
「よくも、……やってくれたな」
小さな体で、敗れた少女を抱きしめる。
大粒の涙を流す少女を、慰めるように。
優しく、そして力強く、エリザベートを抱きしめていた。
「遅い……ですわよ。
でも、来てくれてありがとう、……テンダー」
「いいんだ、もう大丈夫だから」
その言葉に安心しきったエリザベートは、
最後の気力を使い果たし、目を閉じた。
穏やかな表情の眠り姫を、テンダーは優しく壁際に寝かせる。
そうして立ち上がった男の背中には、目に見えるような殺気が浮かぶ。
「……なぁネスト、もう好き勝手させねぇ。
俺の女を、よくも泣かせてくれたな!!!」
敗北 エリザベート・ベヨネッタ
時計塔
ブルーローズ最高幹部 ネスト・ダーリッヒ
VS
騎士団第0部隊隊員 テンダー・アルコベーリッシュ
開戦




