22マス目 10世紀を綴る歴史書
ついた……、やっと……。
エリザベートの屋敷を出たのが、12時過ぎ。
俺は腕時計に視線を落とすと、時刻は15時に差し掛かっていた。
あの後、危険そうな路地裏を迂回しているうちに、どんどん地図の道から逸れて。
気がついたときには3時間弱の徒歩移動。
もう足がパンパンだ。
「表札、……よし。 風車、……よし。 住所、……よし」
ヒゲ爺の家と特徴は合致する、ほかに似た建物もない。
これで留守だったら、俺はきっと涙を流し膝から崩れ落ちる。
「ふぅ、……ヒゲ爺、いますか」
俺は扉を強めにノックする。
数秒して、階段を下りる音が聞こえてきた。
「今開ける」と声がして、すぐにドアが開く。
「おお、君かね。 待っていたよ」
「……そちらも、元気そうで」
「どうした、随分疲れているみたいだが?」
「まぁ、ちょっとありまして……」
俺はヒゲ爺の家にいれてもらい、ようやく腰を下ろす。
カラカラの喉を水で潤し、汗をぬぐいながら説明した長き道のりの冒険譚。
語り終えて返ってきたのは、活発でハツラツな笑い声だった。
「はっはっはっ! ずっと歩いておったんか!?
いや~若いのぉ~、はっはっはっはっは!」
こっちとしちゃ笑い事じゃない。
そんなふうに思いながら、俺は苦笑いを返す。
「あ~、すまんすまん、笑いすぎたのぉ。
まだこの世界に来たばかりじゃ、馬車を借りる場所すら分からんか」
ヒゲ爺は机の中から書類のようなものを取り出した。
「これを持って行くといい」
ヒゲ爺の差し出した物は、高級そうな紙に書かれた紹介状。
「クロエフ商会紹介状?」
「それを見せると馬車が格安で乗れるんじゃよ。
正規会員になると、タダで乗れるようになるんじゃ。
ちと年会費はかかるがの」
それはまた随分とお得な……。
どうでもいいが、紹介者名の欄にヒゲ爺と書かれている。
こういう大事な書類に、本名以外はアリなのだろうか?
「この近くにも馬車の運行所がある。
帰りはそこを使うといい」
「ありがとうございます。
でも本当にいいんですか?」
「ああ、わしにはこういう物しか送れんでな
ま、タクシーの永続割引券みたいなものじゃ、気軽に使ってくれて構わんよ」
この言い回し、タクシーなどといった単語。
もはや確証といった生易しい言葉じゃ表せない。
俺はゆっくり呼吸を整え、静かに口を開く。
「あの時の問いを、もう一度聞きます。
あなたは、……この世界の人間ですか?」
俺の質問に、ヒゲ爺は柔らかく笑いながら首を横に振る。
「わしはこの世界に生まれ落ちてはいない。
地球という星の、アメリカという国に生まれ落ちた。
ただそれだけのしがない物書きじゃよ」
俺はその言葉に、こぼれ落ちそうになる涙を必死に押さえ込む。
「ようやく……、ようやく同じ境遇の人と会えた」
ようやく気持ちが落ち着いた俺に、ヒゲ爺は暖かいミルクティーを淹れてくれた。
「あぁ、ありがとうございます」
「大変じゃったろう。
時間はある、話はそれを飲み終わってから始めるとしよう」
そう言うとヒゲ爺は、書きかけの原稿のようなものにサラサラとペンを走らせていく。
俺がジッと見ていたのが気になったのだろう。
こちらが聞く前に向こうから答えてくれた。
「ほっほっ、どこの世界にも生きていくために金が必要になるもんじゃ。
わしにはこれしかなかった、だから民衆受けの良さそうな小説を売り出しとる。
わしは慣れとるからこうして手書きじゃけど、今の若者はこういうものをパソコンで書いとるんじゃろ?」
「ええ、それかスマホとか。
……ちょっと見てもいいですか?」
俺が興味本位で尋ねると、ヒゲ爺は「かまわんよ」と一言添えて椅子ごと体を後ろに引く。
空いた空間に俺が顔をのぞかせると、そこには動物の勇者の物語が綴られていた。
その力強い文字列に、思わず文を読む目が惹きつけられる。
「……めちゃくちゃ面白い。
子供にもわかりやすいし、かと言ってありきたりでもない。
大衆に勧めるお手本みたいな小説だ、それに…」
俺は単純に思ったことを口にしていく。
次に述べる言葉に、違和感など覚えずに。
「日本語も相当上手い。
よっぽど書き慣れてないと、海外の言葉でこんなに書けない」
自分で言い終わってハッとする。
そもそもなぜ日本語なのか。
「あの……、育ちが日本とか?」
「いいや、わしは日本に行ったこともないし、
日本語では挨拶すらままならん」
その言葉には矛盾しか存在しない。
だがヒゲ爺はさも当然のように、言葉を続ける。
「わしは英語を喋っておるよ。
もちろん、わしから見たらお前さんも、
流暢に英語を話すアジア人にしか見えておらん」
「は?」
間違いなく、今お互いに日本語で会話している。
ヒゲ爺の表情は嘘をついているようには見えない。
「そもそもがズレておる。
それも、恐ろしく都合が良いようにのぉ」
「……っ、訳分かんねぇ」
俺は感涙の涙も忘れ去り、思考を埋め尽くす怪奇に頭を抱える。
文章や言葉だけなら翻訳の魔法でもあるのだと、強引に説明付けることもできた。
だが俺はポケットから一つの硬貨を取り出した。
「日本円が使えるのも、俺の都合のいいようにってことだよな。
じゃあなんだ、認識から狂わされてんのか……。
誰に、何のために、……これはいつまで続く?」
思考の泥沼に落ちかける俺の問いに答えるように、ヒゲ爺は一冊の本を俺に差し出した。
「答えは、わしも探した。
じゃが見つからんかったよ。
だがヒントならやれるかもしれん」
ヒゲ爺は茶色く変色した薄汚い本を、テーブルの上に置いた。
本の表紙には「パロット史書」と書かれている。
この世界の歴史書。
俺が散々探して、諦めていた本。
「あれだけ探してもなかったのに……」
「この世界の人は、あまり昔のことを知りたがらないようでな。
だから、歴史書も異常に数が少ない。
これは骨董品にも近い、貴重な一冊じゃ」
俺は生唾を飲み込みながら、震える手でボロボロの本を開く。
小難しい注釈や前置きを飛ばし、無駄な拡大解釈だらけの本を読み進める。
そこに書かれていた歴史は、国ではない。
ましてや世界でもない。
…………人だ。
最古の歴史は1000年前。
一人の女性の伝説。
突然世界に現れた彼女は、数々の大魔法を次々に生み出した。
彼女の力で、僅かな間に世界は大きく変化する。
人を襲う魔物は姿を消し、どんな病気も癒し、国を造らせた。
だが、彼女は自ら生み出したとされる化け物に殺される。
800年前。
突然地に降り立った一人の男。
彼は全てを打ち壊す最強の戦士だった。
国を壊し、海を壊し、大地を壊し、全てを手に入れた。
しかし、その後不老病を発症。
その後、姿を見たものはいない。
400年前。
どこからともなく現れた、一人の女性。
彼女は、慈愛の女神のような女性であった。
どんな精霊をも顕現させる、超常的な召喚士。
国を滅ぼした巨竜にたった一人で立ち向かい、世界を救う。
しかし、竜討伐の翌月に姿を消す。
200年前。
知恵多き老人が、ある一国に姿を現す。
大きな魔法を使わず、知恵のみで魔物の軍勢に立ち向かった。
大戦争の直後、不老病を患う。
80年前。
若き青年が、冒険ギルドに加入した。
天才的な炎術魔法の使い手で、その強さは目を見張るものであった。
青年は瞬く間にギルドのトップに上り詰める。
しかし、勇敢なる青年は竜によって討ち滅ぼされる。
俺は静かに本を閉じた。
口から出たのは感想ではなく、素朴な疑問。
「……これは、何ですか?」
「歴史書じゃよ」
ヒゲ爺の表情に影が差す。
まるで言いたくないと拒否するかのように。
「……違う、これは」
俺は言うか迷った。
その言葉を肯定されるのが怖かったのだ。
だが言ってしまった。
ポツリと。
「ほかの転生者?」
俺はヒゲ爺の顔を見た。
その表情が物語っている。
つまりこの世界には、少なくとも俺を含めた六人の転生者がいる。




