207マス目 もぬけの殻のショータイム
頭に血が昇ったロネットの一撃は、テンダーの真上で空気を消し飛ばす。
しかしテンダーは一切の怯みを見せず、その喉元へ手刀を打ち込む。
だがその指先は、硬い表皮によって弾かれた。
「痛っつぅ、なんて硬さですか!」
全力の突きも、硬化した喉に攻撃は通らない。
その隙にロネットは再び拳を振り上げた。
「消し飛べ!!」
「嫌ですよっと」
再び振るわれる拳は、テンダーの姿写す霧を飛散させる。
すでにロネットと距離を取っているテンダーは、パチンと指を鳴らした。
再び霧へ紛れてゆくテンダーへ、ロネットの歯ぎしりが響く。
「こそこそ隠れおって、ネズミの分際で!!」
「おー、怖いですねぇ。
でもこれは戦い、卑怯とは言わせませんよ」
「……そこか!!」
声のした方向へ、ロネットは己が剛拳を打ち込んだ。
だが、当たらない。
「そんなに単純じゃありません、私の魔法はね」
ロネットの前方からテンダーのほくそ笑むような笑い。
次の瞬間、ロネットの背骨へ強い衝撃が加わる。
けれども、その体は直立不動で微動だにしない。
「あー、もう。
どうやれば効くんですか、まったく」
テンダーは弾き返されるようにロネットの後方へ姿を現すと、
顔をしかめて踵をさする。
どう攻撃してもこちらがダメージを負う事実に、少しばかり焦るテンダー。
その時ふと、上の方へ視線が行った。
「……試す価値はありそうですね」
「何をブツブツと。
早く潰れて無くなってしまえ!」
「お断りです!」
テンダーは振り下ろされる拳を横っ飛びでかわし、
もう一度霧に紛れる。
「今度はどこへ消えた!」
ロネットの声が会場全体に響くも、テンダーは答えない。
その時、ロネットの前方に人影が揺らめいた。
「そこか!」
硬化した鉄拳が人影を貫くが、手応えはない。
「さぁ、どれが本物か、
あなたにはわかりますか?」
パチンとテンダーは指を鳴らす。
その音がロネットに届いた時、すでに彼は囲まれていた。
無数のテンダーに。
「おのれ……、こんなまやかしがなんになる!」
ロネットは素早くテンダーの幻影を打ち倒してゆくが、
それよりも早く新たな幻影が生まれてゆく。
「ぐっ、調子に……乗るな!!」
軋むほどに握りこむ拳を、ロネットは高々と振り上げる。
そのまま会場の床に向かって、容赦なく振り下ろす。
床が砕け、粉塵が舞い上がり、
吹きすさぶ突風と衝撃波が、すべての幻影を漂う霧ごと消し飛ばす。
あとに残るは、抉れた床だけ。
「……奴はどこへ?」
辺りを見渡すロネットだが、その視界にテンダーの姿は映らない。
全方向へくまなく眼を走らせるロネット。
その耳に、小さな拍手が聞こえ始めた。
「……なんだ。
他に誰かいるのか?」
だが誰もいない。
虚空から響く拍手が、ロネットの鼓膜を鬱陶しく揺らしてゆく。
「この戦いを見世物と思っているのならとんだ勘違いだ。
さっさと出てゆけ!
さもなくば貴様も探し出して潰してくれよう!」
ロネットの威嚇を無視するように、以前と拍手は続く。
いや、続くだけではなかった。
一つ、二つ、それでもまだ増えてゆく。
気が付けば会場を埋め尽くすほどの拍手が、全体へ音を奏でている。
けれども、このショーに観客はいない。
「人をピエロにして、自分は見世物になりたくない。
ああ、身勝手。
とっても身勝手ですよ、あなた」
拍手喝采に交じる足音。
そこには軽蔑の目でロネットを見据えるテンダーがいた。
「貴様の仕業か?
音すらも化かすとは、とんだ詐欺師だ」
「ええ、この私も嘘だと思いますか?」
首をかしげるテンダーへ、無言の拳が放たれる。
その鉄拳はテンダーの顔面をするりと通過して、空気を凪いだ。
「随分とイラついてますね。
カルシウムが足りないなら、魚は骨まで食べたほうがいいですよ」
「黙れ、姿を見せろ」
「見せてるじゃないですか、ほら」
テンダーは両手を広げてみせるが、流石にもうこの程度の挑発には乗ってくれない。
「つれないですね。
まあ、いいですよ。
そこでじっとしててもらえれば、こちらも動きやすいんですから」
「……貴様は臆病者だ。
戦う気もなく口だけは達者。
隠れて何も出来ぬ不愉快な男に、これ以上構っている余裕はない」
ロネットはつまらなそうにするテンダーへ背を向け、
エリザベートたちが走っていった方へ歩き始めた。
「あーあ、行っちゃうんですか」
「何を言っても無駄だ」
「ええ、もう何をしようともヴァーデはおしまいですよ。
即座に極刑にして差し上げましょうか」
テンダーの言葉に振り返るロネット。
その目は見開かれ、犬歯のむき出しになった顔は、
まるで鬼神の如き険相。
一瞬にして構えられた右腕から、まっすぐ打ち込まれる硬化した鉄拳。
その拳は、テンダーの眼前でピタリと止まる。
「……ひ、卑怯者が」
「言ったはずです。
卑怯は無しですよ。
戦いなんですから」
ロネットの拳は完全に静止している。
振り抜けるはずはないのだ。
ロネットが拳を向けているのは、ヴァーデ公爵。
テンダーが目の前で姿を変えたのを見ていたのに、
それでも拳を刺すことができない。
「さぁ、拳を下ろしてください」
「……その口を閉じろ。
その姿で喋るな、動くな、立ちはだかるな!」
「そうして欲しいのなら、両手を床につけて投降してください。
悪いようにはしませんので」
「ぐっ、おのれ弱者の分際でっ!
まだ残っているヴァーデ公爵を見捨てて、おめおめと投降するならば……」
ロネットは目一杯に歯を食いしばり、どっしり腰を下ろす。
そのまま打ち放たれた鉄拳は、ヴァーデの幻影かき消し、
後方の壁へ拳圧で穴を開けた。
「この拳を神にすら向けてみせる!」
「その心意気、尊敬に値します。
それではさよならごきげんよう」
テンダーがパチンと指を鳴らした瞬間、
拳を打ち放った直後のロネットに、巨大な影が包む。
煌く巨大なそれは、天井近くに備え付けていた巨大通信結晶。
ほぼゼロ距離に達するまで霧で隠されていた落下物に、
避けるという選択肢は存在しない。
それどころか、硬化する時間さえ与えない。
「がああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
野獣の咆哮とともに、輝く落石は粉々に砕け散り、
ステージを鮮やかに彩ってゆく。
だが先程までの拍手喝采は儚い夢と消え、そこに立つのはただ一人。
「退屈なショーでしたね。
今度はもっと面白いものを見てみたいものです、健全なね」
それだけ言い残し、テンダーは先に行った二人を追い、
その場を後にした。
砕けた結晶の下で、虫の息の男へ背を向けて。




