17マス目 外れないホック
…………酔った。
ワインに、ウォッカ、シャンパン、ブランデー、カクテルが勢ぞろい。
おかげでテンションがおかしくなって、酷い飲み方をしてしまった。
高級シャンパンを一気飲みって、それもうバブル時代のキャバクラだろ。
風呂を貸してくれるそうなので、ぱっぱとひとっぷろ浴びて寝てしまおう。
そんな訳で俺は風呂場に向かっている。
……実際には酒が入ってるときの風呂は良くないらしいが、酔っていると思考回路はバカになるものである。
「お、これか」
屋敷が広すぎるため、風呂場を見つけるのも一苦労だ。
俺は揺れる視界の中で大浴場のドアを開ける。
当然と言えば当然だが、風呂も豪華なものであった。
人魚の彫刻が持つ水瓶から温泉が溢れ出ているデザインは、思わず見とれてしまった。
「えーっと風呂桶どこだ?」
ああ、あったあった」
フワフワする脳みそで乱雑に体を洗う。
そしてお待ちかねの極上温泉。
「あ~~~」
念願の湯船に浸かると、つい声が出てしまった。
酔いのせいか頭がボーッとする。
でも、それが何だか心地いい。
水滴の音。
湯が流れ落ちる音。
女性の声。
その全てが心地よく感じ……、ん?
「何で女の声?」
…………え?
俺の酔いが風に吹かれるように冷めてゆく。
聞き間違いだと思い、もう一度耳を澄ませる。
「はーぁ、ちょっと酔っちゃいましたわぁ」
エリザベートだ。
あの喋り方と声は、間違いなくエリザベートだ。
脱衣所から確かに聞こえてくる。
でも何でだ!?
ここ男湯だぞ!?
何でエリザベートが男湯なんかに……、あっ。
いやいや、ないだろうそんな事、……ないと思うけど。
……もしかして、俺が間違えた?
俺は酔っていた。
視界は歪んでいた。
思考回路はまともに機能していなかった。
……こりゃ駄目だ。
確定だ。
俺が間違えたんだ。
女湯に入ったド変態になっちまった。
「あら? 誰もいないのかしら?」
もういっそのこと溺れ死んでふりだしに行こうかな?
そう思いながら俺は、人魚の彫刻の後ろに隠れていた。
「ふー、いいお湯ですわぁー」
どうする!?
考えろ……、この状況での脱出の手段を!
大丈夫だ、これ以上のピンチは、何度も潜り抜けただろう!
何度も死んだけど。
でも、俺なら考え出せるはずだ、ほら早く見つかる前に!
「はふぅ……」
……あれ?
なんか湯気が薄くなってきたような……。
俺はこっそりと彫刻の陰から様子を見た。
何と浴場の戸が開いているのだ。
これでは湯気がどんどん逃げて、見つかりやすくなってしまう。
……と言うかそんなことは、もうどうでも良くなった。
今現在、目が合っている。
それはもうバッチリと見つめあっている。
ストレートに言えば、見つかった。
「……小指だけで勘弁してもらえませんか?」
なぜ咄嗟に出た言葉が謝罪ではなく、極道の指詰めだったのか、それは自分でもわからない。
でもそれくらい、無言で近づくエリザベートが怖かったのだ。
「……エ、エリザベート?」
一応お互いにタオルで隠しているが、これで見てないなんて言い訳が通用するなんて、ちっとも思えない。
いや確かにエリザベートは湯船に入っているときも完全ガードだったし、天地天命に誓ってみてはいないのだが。
しかしエリザベートは、俺の手を引きシャワーまで連れてくる。
「座りなさい」
「……はい」
そう言って、なぜか俺を椅子に座らせる。
逆らうどころか、目を見る事すらできない。
今どんな顔をしているのか、想像するだけで胃が縮む。
「うおっ!!」
不意に温かいタオルが、背中に当たる。
モコモコとした感覚が、なんとも心地よい。
……背中を洗ってくれている?
いや、何で?
「気持ちいいですか?」
「え? ……はい」
もはやどんな反応が正解なのかわからない。
少なくとも、今の前かがみになっている反応は絶対に正解じゃない。
「このボディーソープ、結構良いやつなんですよ」
「へ、へー、そうなんですかー」
どうしよう。
会話が全然もたないぞ。
いやでも、この状況でどう会話を弾ませろって!?
「どうかしました?」
「い…いえ、だだだっ…大丈夫で…………す?」
俺はすぐ横にある鏡を見て、目が点になった。
映っていたのは椅子に座る俺と、俺の背中を流す……、テンダー?
「え?」
俺は勢いよく振り返る。
しかし、背中を流しているのは間違いなくエリザベートだ。
もう一度鏡を見ると、テンダーが映っている。
何だこれ?
「……ぶふっ」
……後ろから噴き出す声が聞こえた。
その声は、テンダーのものだ。
俺はもう一度振り返る。
すると、優しい表情をしていたエリザベートは、指パッチンの音と共に霧となって消えた。
そして霧が溶け出すように、ニヤニヤしたテンダーの姿が浮かび上がってきた。
「っははははは!!!! すみませんごめんなさい!
ちょっと脅かそうとしただけなんですけど、面白くって……ぷははははは!!」
俺は口を開けてポカーンとしている。
だがやっと頭の理解が追い付いて来た。
「今のって……魔法か?」
「ええ、そうです。
私は幻覚魔法が得意なんですよ」
テンダーは、笑い泣きで頬を伝う涙を拭いながら言った。
人の顔を本気でぶん殴ろうと思ったのは初めてだ。
でも思い返せば、途中からお嬢様言葉じゃなくなってた気がする。
もっと早くそこに気が付いていれば……、おのれ。
「あ、まだ背中流しましょうか?」
「張り倒すぞこの野郎……」
拳を握る俺に対して、テンダーは腹を抱えて爆笑している。
こいつも途中から酒盛りに参加してただけあって、相当酔っているな。
「ったく、本気でビビり散らしたぞ」
俺は洗面器にお湯をためて、頭からかぶり泡を流す。
血の気が引いたせいで、すっかり体が冷えてしまった。
俺はさっさと湯船に浸かる。
「いやぁ、すみません。
ちょっと悪ふざけが過ぎましたかね?」
「まあ、おかげで酔いも冷めたし、もういいや」
「あはは、ありがとうございます」
二人は湯船に浸かりながら、のんびり話した。
話を聞いていると、何とテンダーは執事長だという。
大食堂まで案内してくれた老執事さんは、テンダーの部下というから驚きだ。
俺は別の世界から来たと軽く話してみたが、ギャグだと思われて爆笑された。
信じろと言う方が無理な話だから、この反応は仕方がない。
「でも、この屋敷に執事もメイドも大勢いるだろ?
お前まだ若いのに、どうやって執事長までのし上がったんだ?」
「のし上がったなんてそんな……。
私より有能な人は、この屋敷にいくらでも居ます」
「じゃあ、何か理由があるのか?」
「ええ、そうです」
テンダーは昔を懐かしむような、そんな表情で話し始めた。
「私とエリザベート様……、いや、エリザベートは幼馴染なんですよ。
私がここで働きたいと言ったら、気兼ねなく命令できるから、
一番近くにいてくれと言われまして、それで即執事長に就任したってわけです」
「へぇ、そうだったのか……」
確かに、テンダーと接するエリザベートは、主従と言うより友達と接しているように見えた。
「三歳の頃からずっと一緒なんです。
私とエリザベートと、もう一人」
「へぇ、まだ幼馴染が?」
「ええ、リックという男なんですが、結構面白いやつなんです」
「そいつも執事を?」
「いえ、この屋敷にはいないですけど、
エリザベートに屋敷の出入りを許可されているんですよ。
近くには住んでますし、いつでも会えますけどね」
大金持ちのお屋敷に顔パスか。
随分と羨ましいものだ。
…………ん?
「なあ、なんか脱衣所の方から声がしないか?」
「そりゃ声くらいしますよ。この大浴場は、客も執事も共用ですからね。
他の執事が入って来たんじゃないですか?」
その説明はテンダーがいる時点で、十分に納得できる。
だが、俺が言いたいのはそんなことじゃない。
「違うんだ、……女の声がしないか?」
「え!?」
二人は耳を澄ませた。
すると確かに、一人の女の声が脱衣所から聞こえてくる。
「てめぇ……いい加減にしろよコラァ」
「違います違います! これは私じゃないですよ!」
テンダーの焦りようも相当なもの。
……テンダーじゃないとしたら、これは何だ?
俺たちは開きっぱなしの戸の方を、じっと見つめる。
すると、ふらふらとおぼつかない足取りの人影が姿を現す。
「ひっくっ、う~…、ブラが外れないですわ~」
そこにいたのは、下着姿のエリザベート。
顔を真っ赤にして、先ほどの俺たちより酔っぱらっている。
……もしかして、今の今までずっと飲んでたのか!?
「うわぁぁ!! 何やってるんだよエリザベート!?」
顔を真っ赤にしたテンダーが、湯船から飛び上がる。
「ふぇ? なんでテンダーがいるんれすのぉ~?」
「いいから服着て! 女湯はあっち!」
「いやれすわ~。 ここが女湯れすわよ~、……あっ外れまひたわ~」
「ぎゃああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
俺は二人の喧騒に耳を傾けながら、もう少し湯船の温かさに身を委ねるのだった。




