174マス目 笑い合って、またいつか
あの後すぐに、俺は牢へと戻された。
説明しきって満足したのか、とにかく俺はあの空間から解放された。
「……疲れた」
思わず言葉が口からこぼれる。
……疲れた、そんな言葉では言い表せない。
いや、そもそも最低最悪のこの状況。
完全に八方塞がり。
はっきり言って、詰みだ。
「はぁ、寒いなぁ」
もう考えることも嫌になって来た。
ただ、寒い。
何でこんなに寒いんだろう。
俺は左の手のひらに息を吐きかける。
「この腕のせいか?」
凍った右腕に手を近づけると、冷凍庫を開けた時のようなひんやりした感覚が伝わって来た。
まあ当然だ。
腕がガチガチに凍ってて、冷たくないわけがない。
……いや、それにしたって寒すぎる。
少なくともさっきまで俺はここに居なかったのに、
この檻全体がこうも寒くなってるのは不自然だ。
その時だ。
俺の視界の端で、今何かが動いたように見えた。
「……誰かいるのか?」
この檻は少し広々としている。
確かに、俺以外の人間が閉じ込められていても不思議じゃない。
「もしもーし」
……返事はない。
だが、もしかしたら話し相手になってくれるかもしれない。
とにかく、今俺は誰かにこの思いをぶちまけたかった。
話の通じる人と会話がしたかった。
「なぁ、あんた」
俺はボロボロの体を無理に起こし、壁を伝って歩いて行く。
「あんたも、ここに閉じ込められたのか?」
向こうから何か聞こえてくる。
返事をしてるんだ。
でも、声が小さくて聞こえない。
……もっと、近くへ。
「俺もう、心細くてさ。
何でもいい、話がしたいんだ」
手がかじかむ。
息が真っ白だ。
けれど、そんなのどうだっていい。
そこにいる人の声が、あと少しで聞こえる。
あと、……少しで。
「大丈夫だよ、ね。
…………お兄さん」
……やっと聞こえた。
もう、手の感覚が無い。
瞳の奥からこみ上げてくるものすら凍ってしまいそうだ。
それは再会による感動なんかじゃない。
悔しさと、怒りと、守れなかった事への……後悔。
「……探したんだぞ、ククル」
ククルの目には、何も映っていない。
目が開かれた状態で凍らされている。
両手足も凍らされ、俺の右腕と同じように根元から砕かれていた。
こんなの、ほとんど死体みたいなもんじゃねぇか。
「ねぇお兄さん。
そこにいるんでしょ。
手、握ってくんない?
寒くってさ」
そう言われたって、どこを握れってんだ。
もう、何も残ってない。
口が動いているのが不思議なくらいだ。
「……握ったぞ。
あったかいか?」
「うーん、わかんないや」
……嘘をついた。
本当は抱きしめてやりたい。
少しでも温めてやりたい。
でも今のククルに触れれば、その全てがガラスの様に砕けてしまいそうで。
……怖い、怖くて仕方がない。
「なぁ、お前何でここにいるんだ?」
「ん? 攫われちゃったんだ。
ルガニスさんが必死で守ってくれたんだけどね。
目が覚めて、あの青い髪の人に飛びかかって……。
えっと、……あとは覚えてない」
「……そっか」
ブルーローズのボス。
あいつか。
あいつが、ククルをこんな姿に。
……そうか。
「ねぇ、お兄さん」
「……どうした?」
ククルはもう、まともに動くことは出来ないはずだ。
それなのに、今にも砕けてしまいそうな首を動かし、
この子は俺の方を向いて、……笑った。
「助けに来てくれて、ありがとう」
俺の喉に言葉が詰まる。
答えなきゃいけない。
こんな健気な女の子に、俺は何か返さなきゃいけねぇだろうが。
なのに、出てくるのは言葉じゃなく、涙ばかり。
「お兄さん? 大丈夫?」
……何でだよ。
何でこうなった。
俺は……、俺は……。
「なぁ、ククル。
天国って、どんな場所なんだろうな」
「行ったことないからわかんないよ」
ククルは深く考えず、すぐに答えて来た。
「でもさ、お兄さんは行きたくても行けない。
そうなんでしょ?」
まさか、ボスにかけられた魔法の事を!?
……いや、知ってるならもっと具体的に聞いてくるはずだ。
という事は、ククルはあの事を言ってるのか?
「エリザベートから聞いたんだ。
……お兄さんは世界を何度もやり直してるんでしょ?」
やはり、知っていたのか。
でも、俺はもう死を封じられた。
もう詰みなんだ。
「ねぇお兄さん。
…………お願い」
ククルの頬を、何かが伝う。
たった一滴。
ククルの両目は完全に凍っていて、もう二度と動くことはない。
涙が出るはずないのだ。
でも、確かに今、ククルの頬を何かが濡らした。
「次の世界でも、……あたしを助けてね。
あたしを受け入れてね。
あたしを………………………………、殺して」
ククルは笑った。
俺に全てを託して、俺を信じて、……笑ったんだ。
「ああ、……わかった。
俺に、任せとけ」
俺は鞄に手を伸ばす。
そして拳銃を手に取ると、俺はゆっくりと構えた。
残っている弾は、あと一発。
まるでこの為に残っていたかのように、たった一発だけ。
「ねぇ、お兄さん。
あたしはさ、全部忘れちゃうんだよね」
「そうだな、何もかも全部忘れる。
エリザベートも、テンダーも、シランも、フラウトも、……ユキちゃんも。
皆そうだった」
手はかじかんでるはずなのに、体は震えてるはずなのに。
何故だろう。
銃口がブレない。
ほんのちょっと指先に力を入れるだけで……。
「それでもさ。
会えたんだよね」
「……ああ」
「うん、だったらこれはさよならじゃない」
ククルは笑みを絶やさない。
もう見えないはずの目を、いっぱいに輝かせて。
「またね、お兄さん」
「……おう。
絶対また、この時間まで来てやる。
今度こそお前を死なせたりなんてするもんか。
……だから」
ククルが笑ってんのに、俺が泣いてるわけにはいかない。
最後くらい、俺も笑って。
「また会おうな、ククル!」
乾いた発砲音が鉄格子を響かせる。
俺の全身にかかる赤いモノは、冷や水の様に冷たい。
濡れた体は、寒さを思い出したように震えだす。
感覚はないはずなのに、痛くて、熱くて、引き裂かれそうなほど……辛い。
「あぁ…」
零れる雫が、ククルに当たって弾けてゆく。
「ああぁぁぁ……」
けれども、もう彼女は動かない。
全てを失った少女の亡骸は、その血を凍らせて美しい朱色に染まってゆく。
その姿は、魅力的で、幻想的で、芸術的で、……悲劇的過ぎる。
「あ゛ぁあぁぁぁああぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあぁああぁぁぁぁぁぁぁぁ……」




