14マス目 語られないはずの国
俺は歓喜の声をあげるどころか、腰を抜かしていた。
緊張の糸が切れたのか、足に力が入らずにへたり込んでしまう。
最後に見せたネストの眼。
それが脳裏にこびりついて離れない。
「随分と情けない姿ですこと」
「……これでも戦闘は初心者でね」
俺はエリザベートの差し出す手を掴んで立ち上がる。
「それよりも、この音何とかなりませんの? うるさくてかないませんわ」
「あー、そうだな、今止める」
今の今までずっと鳴り響いてたラジオ体操第一。
ループさせているから、このままだともうしばらくは鳴り止まないだろう。
俺はスマホを拾い上げ、すぐにアラームを止めた。
「さてと、あなたテンダーがどこへ行ったのか知りませんこと?」
「それなら確か、馬車を取りに行ってたと思う」
「あら、そうでしたの? 行ってきてもらおうと思ってましたから、
ちょうど良かったですわ」
あれだけの戦いの後なのに、もう落ち着いてる。
見た目と裏腹に、相当戦い慣れしているのだろう。
「一つ聞いていいか?」
「何ですの?」
「これは貸しってことでいいよな?」
一応部外者が治安維持に貢献して、命がけで手まで貸したんだから、見返りをねだったところでバチは当たらないはずだ。
「ああ、その事ですの?」
エリザベートは口元に手を当て、いつもより大きな声で偉そうに話し出す。
「よろしくってよ。
ネストの情報提供に先ほどのアシスト。
このわたくしに貸しを作る程の大戦果と認めてあげますわ。
オーッホッホッホッホッホ」
この人は本当にぶれない。
たとえ世界が滅んでも、エリザベートだけはちゃっかり生き残りそうだ。
「ふうっ」
俺は勝利の余韻を噛み締めるように、思いっきり体を伸ばす。
……ここまで本当に長かった。
この世界に来てから、まだ実時間で二日も過ごしてない。
だがそれでも、もう一生分の苦労をした気がする。
「ああ、そうですわ!!」
突然エリザベートが声を張り上げた。
驚いた俺はバランスを崩して転びかける。
「あなた、わたくしの扇子を知りませんの?」
「え、扇子?」
そういえば、いつも口元でヒラヒラさせていた扇子が見当たらない。
というか、あの激戦でずっと扇子を持っていられたらそれこそ化け物だ。
「私がさっきまで持っていたアレですわよ!」
「まさか……、ここを探すの?」
「当り前ですわ!」
部屋の中は、戦いの激しさを物語るようにぐちゃぐちゃに荒れている。
そして何より、ネストの死体が盛大に横たわっている。
本音を言うと、こんな場所さっさと逃げ出したくて堪らない。
そんな俺の思いもつゆ知らず、部屋を漁り始めるエリザベート。
「まさか血で汚れていませんわよねぇ……」
そう言いながら、ネストの死体の下を調べ始めた。
相手が相手な分、不謹慎とは思わないが。
大丈夫と分かってても、突然生き返りそうで怖い。
「ん、何をしていますの! 早く探しなさいな!」
エリザベートの叱咤が飛ぶ。
心の中で色々と文句を言いながら、瓦礫の中を探す。
けれども扇子はなかなか見つからなかった。
「えーっと、ん? これって……」
瓦礫から出てきたのは、扇子ではなくサイコロ。
血まみれで、出目が見えづらいけれど、2の目が出ている。
だが、このサイコロを振ったら死ぬはずだ。
「とっさの事とはいえ、今思い出しても肝が冷えるな」
床を転がり出目まで出ている。
それなのに、なぜ俺はこうして無事なのだろう。
「……振られたって判定じゃなかったのかな?」
このサイコロには、やはり謎が多すぎる。
俺はひょいと小さな六面体を拾い上げた。
すると、まるで体温で溶けだすようにふわりと虚空に消えてしまった。
「見つかりましたの?」
「まだだよ」
俺は手に着いた血をティッシュで拭い、ため息交じりに捜索を再開する。
そうこうしている内に、遠くから馬の鳴き声が聞こえてきた。
「エリザベート様、お待たせいたしました!」
どうやら無事に馬車を調達できたらしい。
だが残念ながら、このまま血生臭い現場とおさらばってわけにはいかなそうだ。
「あれ? お二人共どうなされましたか?」
「わたくしの扇子がどこかに行ってしまったのですわ!
あなたも探しなさい」
それを聞いたテンダーは、ポカンとした顔で上の方を指さした。
「………あのぉ、そこに刺さっているのは違いますか?」
「「え?」」
俺とエリザベートは、テンダーの指した方へ同時に視線を移す。
そこには見事に天井に突き刺さった扇子があった。
「何で扇子が刺さるんだよ……」
そう言いながら、天井から引き抜いて、エリザベートに手渡す。
「良く見つけましたわテンダー。 これで帰れますわね」
”帰る”その言葉を聞いて、俺は今頃になって思い出した。
……家が無い。
この世界で俺の住む場所が無い。
それどころか、今の俺には衣食住の全てが無い!
ついでに言うと、金も仕事もない住所不定無職のホームレス!!
「なに青い顔をしていますの? さっさと乗りなさいな」
「いや、俺は今それどころじゃ……、え?」
エリザベートは馬車の前で手招きをしている。
「……俺もついて来いってことか?」
俺の発言に、エリザベートは大きくため息をつく。
「わたくしが手を貸した理由が、完全に頭から抜けてらっしゃいますわね。
一度その頭掻っ捌いて、中身を見てしまおうかしら」
あ、そういえば……。
(情報が報酬ということで?)
そんな風に口走ったことをじんわりと思い返してきた。
「待ってくれ。 冗談だ冗談」
「……それならよろしいですわ」
顔にはよろしくないですわ、と書いてあるが。
まぁ少しおだてて機嫌を良くしてもらおう。
「……情報か」
思い返せば俺って、この子に暗殺者と勘違いされているんだっけ。
どうにか誤魔化すしかないだろうな。
「なんか、一難去ってまた一難って感じ……」
「何か言いまして?」
「いいや何にも」
俺は浅くため息をつくと、俺は馬車の乗り口に足をかける。
その時俺は、背後からの声に呼び止められた。
「おじさん!」
声の方へ振り向くと、逃げたはずの少女がこちらに向かって走ってくる。
思えばこの笑顔を守りたいから戦ったんだ。
そう思うと、心の底から湧き上がる達成感に思わず頬が緩む。
「おじさん! 助けてくれてありがとう!」
「俺は何もしてないさ。 お礼ならエリザベートに言いな」
小さな頭を優しくなでてやると、少女は馬車の方を向き深々とお辞儀した。
「エリザベートさん、ありがとうございました! 執事さんも!」
「オーホッホッホッホ! お礼を言われるほどのことは、ありますけど!!」
「ええ、どういたしましてです」
エリザベートの高笑いに交じり聞こえる足音に、俺はもう一度振り返る。
そこにはこの子の家族が涙目で立っていた。
どうやら全員、思ったより近くに隠れていたようだ。
「エリザベートさん、先ほどはありがとうございました」
「あなたは命の恩人です」
「ありがとう、エリザベートさん」
「ありがとっ、おねーちゃん!」
深々と頭を下げる家族たちに、エリザベートは首を横に振る。
「いいえ。 本当のことを言うと、わたくしはただ駆け付けただけですの。
お礼ならば彼に言うといいですわ。
この男が、わたくしをここへ連れてきたんですもの」
エリザベートが俺を扇子で指し示す。
確かにそうだが、改めて言われると何だか照れる。
「そうなんですか、どうもありがとうございます」
「いえいえ、とんでもないです」
「あの……、どうかお礼を差し上げたいのですけれど……」
少女の父親は、心配そうな表情で家に目を向ける。
「今、家は入れますかね?」
「あー……」
家にいれてあげたいのは山々だが、今の家の中は子供に見せるわけにはいかない。
俺は子供に聞こえないように耳打ちで、家の中に死体があることを伝える。
「なので、家に入らず衛兵を呼んだ方が……」
「そ、そうなんですか、えっと、ちょっと待っててください」
少女の父親は全身のポケットを確認し始める。
そして、懐から古い小説を取り出した。
「すみません、お礼と言えるかわかりませんが、
今持っているのがこれくらいでして……」
「あなたまだ持ってたの、それ?」
「ああ、もう数え切れないほど読み返したけれど、命の恩人に渡せるなら喜ばしいよ」
そう言って差し出してくるが、文字通り肌身離さず持っている貴重品を、そう簡単に受け取れるわけがない。
「そんな大事な物、貰えませんよ!」
だが、この人の決意は固かった。
「私の、妻の、何より娘達の恩人に、
手ぶらで帰らせるなんて、私は絶対後悔します。
後悔したくない私のわがままを、どうか聞いていただけませんか?」
その言葉に、俺は気持ちの奥底に抱いていた疑問の答えが出た。
喧嘩もしたことのない俺が、何でここまで必死になってたのか。
その理由が、……今何となくわかった。
「俺も同じ、……後悔したくなかったんだ」
「え?」
「……いえ、何でも」
幸せな家族が死ぬような、そんな世界が嫌だったから戦ったんだ。
それが分かって、この気持ちを裏切ることはできない。
少し悪い気もするが、ここはありがたく貰っておくとしよう。
「わかりました、大事にさせていただきます」
俺は小説を大切に鞄にしまうと、待ちかねたエリザベートが声を上げた。
「そろそろいいですかしら? 行きますわよ」
「ああ、わかった。
それじゃ俺行きますんで」
「本当にありがとう、おじさん!」
少女の声に、1つ大事なことを思い出す。
俺は馬車へ向かう足を止めて、その場で振り返る。
「……お嬢ちゃんの名前、教えてもらってもいいか?」
小さな少女は、無邪気な笑顔で答える。
「え? ……私ユキです! おじさんは?」
「俺は…」
「何をやってますの! わたくしを待たせるなんて良い度胸ですわね!」
「っとごめん、もう行くな。
本、ありがとうございました、それでは!」
俺は駆け足で馬車に乗りこんだ。
すぐに馬車は出発し、大通りの方へと消えてゆく。
「あなた! 衛兵に連絡!」
「ああ、そうだった。
ここは危ないから全員で行こうか」
「おねーちゃん、手ー繋いで行こ!」
「うん!」
手を握り合った四人の家族。
普通で平凡な日常の風景。
どこにでもある普通の幸せ。
一人の男が命を懸けて守ったものは、何よりも平凡で、何よりも温かく、何よりも大切なものだった。
馬車の車内で、俺の絶叫にも近い大声が響き渡る。
「何ですのいきなり! イタズラで言ったのだとしたら、引っぱたきますわよ!?」
「ど、どうしたんですか? 馬も驚いちゃってますよ」
そんな二人の声も、今の俺には届いていなかった。
震える手で見ているのは、さっき貰った小説。
俺は何気なく開いてみた小説で、ネストとの戦い以上の驚きに震えていた。
こんな事が書いてあるなんて、夢にも思っていなかったのだ。
「嘘だろ……、何で……!?」
「どうしましたの? 確かにその本は面白いですけれど、
そんなに驚くほどの内容では……」
「この小説って有名なのか!?」
「え? ええ、確か10年前に大流行したんですのよ」
「エリザベート様、10年ではなくて、12年前ですよ」
手綱を引くテンダーが、冷静に間違いを正す。
「……ど、どっちもそんなに変わりませんわよ!」
エリザベートは、扇子を口に当てて取り繕う。
「いつの物かはいい。 これって誰でも知ってるような話なのか!?」
「まあ、誰でもって程ではないと思いますけれど。
多くの人が知っていると思いますわよ。
この本、発売当初からすごい人気で、今でも話のネタに上がるくらいには有名ですわ」
なんでだ?
なんでこんな本が、ここにある!?
だってこれは………。
その小説は、アメリカと言う国が舞台だった。




