13マス目 四角い傷口
俺はこの状況を前に、必死で考えを巡らせる。
あの執事さんは、エリザベートはレベル5だから大丈夫と言っていた。
だが結果はどうだ?
確かにとんでもない戦いをしているが、素人目から見てもネストの方が一枚上手だ。
嫌な予感がする。
ネストのレベルは5だと、そう思っていたが……。
俺は前に病院で衛兵とした会話を思い出す。
(……ここの賞金額の下に書いてある、推定レベル5って?)
(推定レベルとは、人が持つ強さを、
街の実力者たちが統計を取り、
破壊力、危険度、戦闘力、影響力、などを推測した物で……)
……そう、つまりただの推測だ。
そして今見た限りでは、レベル5のエリザベートよりも、あの女は強い。
そこから考えられるのは、推測以上のネストの力。
「……レベル6。
たった一人で大部隊を相手にできる人物」
例えるならば、三国志の呂布みたいなもんだ。
それはもう人間が勝てる相手じゃない。
だが俺が頼れるのは、もうエリザベートしかいないのだ。
「まだ手は残ってますのよ。 さぁ、かかっておいでなさい!!」
エリザベートがネストを挑発する。
彼女はまだ勝ちを捨ててない。
「……エリザベート、その残った手ってのに賭けるぞ」
エリザベートが本当に策を考えていることを信じて、俺はスマホを取り出し画面を操作し始める。
「うふふっ、じゃあお言葉に甘えるわねぇ。 行くわよぉ……」
ネストはエリザベートに止めを刺す気だろう。
隙ができれば……、一瞬でいい。
あと一撃だけ耐えてくれ、エリザベート!!
ネストは体勢を低くし、クラウチングスタートに似た構え方をしている。
これで決める気だろう。
わずかな静寂。
いつ動いてもおかしくない。
体を圧迫するような緊張感が、場を包み込む。
攻撃は一瞬だった。
真正面から突っ込む、あまりに単純な攻撃。
しかし先ほどの攻撃のせいで、後方を含めた多方向を警戒していたエリザベートは、一瞬反応が遅れる。
最短距離を直線で向かってくる攻撃は、見た目以上に避けにくい。
エリザベートが反応した時には、すでに避けられる距離ではなかった。
部屋に瞬く火花の光と、大きな金属音。
確実に止めとなり得る刃は、何のことは無く受け止められ振動が走る。
ネストは信じられないといった表情で、目を見開いた。
「残念でしたわね。
わたくしの刃は一本だけではありませんのよ?」
エリザベートの手に握られていたのは、瓦礫ではなく傘。
壊れたはずの傘が何故か二本になり、ネストの攻撃を防いでいる。
「なっ……、瓦礫から傘に!?」
「オーホッホッホッホ、驚くのは早くってよ!」
「なっ?」
エリザベートは偶然見ていた。
傘と曲剣がぶつかり合う金属音に紛れて、窓からスマホを投げ入れるところを。
投げたものの正体はエリザベートにはわからなかったが、何かあると信じていた。
床を滑るスマホの画面に表示されていたのは、アラーム画面。
その数字が今、ゼロになる!
「「「ラジオ体操第一!!!」」」
大音量で鳴り響く男性の声に、ネストは音の方向へ、大きくふり向いてしまった。
千載一遇のチャンスに、俺はスマホの場所とは反対方向の窓から侵入。
それを見たエリザベートは、曲剣を放さないように二本の傘で強く挟み込む。
「「「テーテレ テッテッテッテッ テーテレ テッテッテッテッ」」」
「な、なんなの? これはあなたの仕業なの!?」
緊迫した状況、突然鳴り響く爆音、エリザベートの謎の魔法。
ネストはこれ以上ないほど混乱していた。
そんな状況で、背後を移動する俺の存在に気づけるわけがない。
俺は慎重に、しかし足早にネストへ背後へ近づく。
ガラスを踏む音も、もはやラジオ体操の音にかき消されている。
音を掻き消し、気配を惑わし、ネストの後頭部へ手を近づける。
「ふふっ、何も起こらないのねぇ。
結局音だけ、イタズラの域を出ない小細工、うふふっ……」
元から考えていたのだ。
手のひらに出現するサイコロ。
もしも両手を壁にでも付けて、サイコロを出したらどうなるのだろう?
出現しないのか、手の甲に出てくるのか、それとも……。
俺はこれ以上ないタイミングで、疑問の答えを導き出す。
「ダイス!!」
叫ぶ瞬間、いや頭に手を触れた瞬間に、ネストは曲剣から手を放していた。
首を捻り、俺を標的に見据えたその眼は、どす黒く悪魔のような瞳だった。
腕を振りかぶり、俺の眼球を抉るためにその指先を突き出しかけたところで、ネストから鮮血が舞った。
「っがはぁっ」
まるで狙撃されたような倒れ方だった。
頭部に空く丸い穴から、壊れた消火栓のように血が噴き出す。
傷口には、四角い物体がわずかに見えている。
間違いなくサイコロだ。
ネストは何度もビクンッと跳ねて、そのたびに声を漏らす。
出血の勢いでサイコロは押し出され、床を転がった。
サイコロという蓋が無くなった頭部の穴からは、より一層激しい血飛沫が吹き上がる。
もう、ネストは息絶えた。
俺もエリザベートも、疑いなくそう思ったのだが……。
「勘弁してくれよ……、本当に……」
「……化け物ですわね」
数秒おきに撥ねる体を、無理に起こして、充血した眼を見開くネスト。
まるで生ける屍のように足を引きずりながら歩き出す。
よく見ると口元がわずかに動いているが、鳴り響くラジオ体操のせいで声は聞こえない。
間違いなく弱っているが、少しでも隙を見せたら殺されそうな威圧感がある。
何よりも彼女の眼だ。
生気は無いが、死人の眼でもなく、言わば殺人機械のような感情のない恐怖を感じる。
ネストは少し腰を落とし、動きを止めた。
「……来ますわよ」
二人に緊張が走る。
手負いの虎は、攻撃の予測がつけられない。
まばたきも出来ない状況で、俺は生唾を飲み込む。
ピクリとネストの膝が動く。
……と思いきや、そのままずるずると姿勢は低くなる。
そして膝を床につけて倒れこんだ体からは、もう威圧感は感じなかった。
徐々に血の勢いが収まり、呼吸も消えていった。
今この瞬間、悪魔のような強さを誇ったネスト・ダーリッヒは、その生を終えた。




