11マス目 三対三
「あなた! 今のうちに!」
「ああ、逃げるぞ!」
少女の家族は、急いで馬車が壊した壁の穴から逃げていく。
太った男が追いかけるか心配だったが、ほっときなさいと言われたからだろうか。
人差し指の爪をかじり、ただボーッと眺めているだけで動かない。
「さて……とっ」
俺は馬車から降りて、状況を確認する。
咄嗟に突撃してしまって心配だったが、今のところ怪我人は無し。
壁と壁をぶち抜き、部屋同士が繋がって広間のようになった室内は、戦うのに適していると考えていい。
「エリザベート、時間稼ぎでいい。
あの家族が逃げれるだけの時間を稼げば……」
「何を言っておりますの。
わたくしが華々しくぶっ倒してやりますわよ」
「聞いちゃいねーな」
しかし俺も威勢よく啖呵を切ってしまったものの、戦闘力なんかは毛ほども無い。
って事はだ、戦いはこの金ピカお嬢様に任せるほかない。
「エリザベート、今更だけど勝てるのか?」
「むっ、何ですの、わたくしが頼りないとでも言いたげですわね」
そりゃもう、あんな動きづらそうな格好で威張られても信頼感ゼロですよ。
だがこれだけの自信。
もしかしたら強力な魔法でも忍ばせてるのかもしれない。
「うふふっ、仲が良いわねぇ。
そういうの見ると、引き裂きたくなって来ちゃうのよぉ」
「ふん、余裕を見せるのも今だけですわよ。
ブルーローズ大幹部の一人、ネスト・ダーリッヒ!」
「あらぁ、完全にバレちゃってるわねぇ」
ネストはローブのフードを外し、陰に隠れていた顔があらわになる。
美しい銀髪に黒い肌、尖った耳のダークエルフ。
その顔は、タブレットの映像で見た時より格段に美しかった。
「あーあ、街に入って一時間足らずで見つかるなんてねぇ。
私もビックリしちゃったわぁ~」
クスクスと笑うネストを尻目に、エリザベートは小声で指示を送る。
「あなたは、そこの雑魚をお願いしますわ」
彼女の刺し示した方向には、今だボーッとして何考えてんだかわからない巨漢男。
「え!? お、おう、任せとけ!」
思わず胸を張ってしまったが、いやそうじゃない!
フルム兄弟は、一緒に来た執事さんが戦ってくれるもんだと思ってた。
まぁよく考えたら、俺は暗殺者の格好をしている……、と誤解されている。
そりゃ戦力にも数えられちまうだろうよ。
だが見てみろ、あんなスプラッター映画でしかお目にかかれないような馬鹿デカい大鉈。
刃先が掠っただけで、俺の半身千切れて飛んでくぞ。
「アニキィ!、そろそろ入ってきてよぉ。
アニキだけ外でダラダラして、ずるいよぉ!」
ああ、そういやもう一人いたっけ。
巨漢の兄らしき、細身の男が室内のどこにもいない。
そう思って外を見ると、あの執事さんが見えた。
「うるせぇんだよ!! 今取り込み中だ、見えねぇのかクソッたれ!!」
ナイフを巧みに操りながら、執事さんを攻撃する細身の男が視界に入る。
「ちょこまかと、うざってぇんだよ!!! ああ!?」
「ふふん、そんな攻撃では、何度やっても当たりませんよ」
なんと、あの執事さんと細身の男が交戦中。
いないと思ったら真っ先に戦ってくれてたのか。
三対三のこの戦況。
俺が弱いからと逃げ腰になれば、数の有利で結局は殺される。
「あぁー、わかったよぉー。 一人でやってみるよぉー」
太った巨漢の男は大鉈を振り上げた。
そのまま一歩、こちらへ歩を進める巨体。
あまりのデカさに一歩で完全射程範囲内。
いくらデブだからと言っても、素の身体能力では勝てないだろう。
だから俺は、反射神経に頼らずデコイを放る。
「そらっ!」
男の眼前へと飛んでいくのは、俺の名刺入れだ。
「え? なにぃー?」
巨漢が、名刺入れに気を取られている隙に全力で後ろへ飛び退く。
目の前の異物を排除するため、狙いが俺から逸れたまま大鉈が振り下ろされた。
ほぼ空振りの一撃のくせして、大型台風の様な風切り音。
痛いくらいの風圧に押し出され、俺はバランスを崩す。
「まあー、なんでもいいやぁ」
その破壊力は、床に開いている穴が物語っている。
まるでハンマーでも振り下ろしたような破壊痕に身の毛がよだつ。
「うわぁ、くそっ、場所変えるぞ!」
「だめだよぉ!」
逃がさないとばかりに、今度は鉈が横に振りかぶられた。
だが俺の反射神経で避けられる一撃じゃない。
「ほぉらっ、おぉ!?」
横なぎの一撃が、外壁に引っかかり大きく減速した。
「うっぐぅ!!」
俺は野球のスライディングのように、床スレスレを通り抜ける。
力任せに振り払われた一撃が、俺の髪に少し触れた。
「あっぶな!」
もし今のが普通に振られたらと思うと、胃が痛む。
しかしこのまま逃げればエリザベートは二体一。
そんな状況になれば、万が一にも勝機は無くなっちまう。
「あーもう、来いよデブ!
こっちで相手してやる!」
俺は走り出し玄関から室内を脱出すると、エリザベートに標的が向かぬように引きつけた。
まともに相手をしても百パーセント勝てはしない。
でもやるしかない、俺がここでやるしかないんだ。
「今デブって言った? 今デブって言ったよねぇ!!!」
デブというのは禁句らしい。
怒りに我を忘れ、何も考えずに俺の方を追ってくる。
「意外に速ぇ……」
俺も別に運動が得意なわけじゃない。
しかしあれだけだるんだるんに脂肪がついた肉塊なら、簡単に撒けるくらいに思っていたのに。
「ちっくしょっ、距離が開かねぇ!」
巨漢は何も考えずに追ってきている。
このまま走っても、下手すりゃ俺の方がスタミナ切れだ。
どうする、何か考えろ、でなきゃ死ぬ!!
「いや、待てよ、そこだ!」
一か八かの賭け。
俺は横目で見えた路地へと飛び込んだ。
もしもこの先が行き止まりなら、ジエンド!
「どうだ! っと……うっわ」
圧倒的な不運。
悪魔の道と言っても過言ではない。
俺が神に祈りを捧げて飛び込んだ一本道。
絶望の行き止まりには、おあつらえ向きに死神の落書き。
「ふー、ふー、あーあ。
もう許さないよぉ、ぐちゃぐちゃにしたって許さないよぉ?」
「まったく、呪われてるぜ、ほんとに」
俺は静かにタバコに火を点けた。
まだ終わってたまるか。
追い詰められたなら、こっから逆転してやる。
「ちょこまかと、うざってぇんだよ!!! ああ!?」
「ふふん、そんな攻撃では何度やっても当たりませんよ」
細身の男のナイフ捌きはかなりのものだが、テンダーの体にかすりもしない。
「……その動きまさか、肉体強化系か?」
「おっと、案外博識。
チンピラ風情に見抜かれるとは」
テンダーは大げさに頭を掻く。
「そりゃ俺様が攻撃を当てらんねぇんだったら、
なんか仕掛けがあるに決まってらぁ」
「随分な自信ですね」
「そらそうだろうよ、だって……」
男の体が一瞬緑色の光を帯びる。
その瞬間、高速の斬撃がテンダーの肩を斬り裂いた。
「っうぐぁ!!」
肩口から噴き出る真っ赤な鮮血。
「俺も肉体強化魔法の使い手だからよぉ」
男は勝ち誇った顔で逆手にナイフを構え直す。
「くっ……見えなかった!?」
「お前みてぇな遊びで鍛えたモンとは、魔法のキレが違うんだよ!」
細身の男は上下左右にフェイントを織り交ぜ、避けづらい攻撃を何度も当てていく。
急所を守るテンダーだったが、肩、足、脇腹を次々に切り裂かれて、執事服が赤く滲む。
「さーてとぉ、そろそろぶっ殺すぜ。 死ねや!!」
肉が裂ける音。
じわりと滲む血だまりに、生気の無くなる瞳。
「へっ、お前弱いなぁ」
「そう見えます?」
パチンッ、飛び散る赤をかき散らすように音が響く。
目の前で息を引き取ったはずのテンダーは、瞬く間に煙へ溶けた。
「はっ、ど……どうなって」
「お留守でーすよ」
「っぐがぁ!」
知らぬうちに背後に立つテンダーは、大振りの回し蹴りで後頭部を蹴り飛ばす。
男は衝撃で地に顔面を叩き付け、大粒の鼻血をボダボダ流し悶絶する。
「おごがぁ……、何で!?」
「さすが指名手配の凶悪犯罪者。
綺麗に決まったと思ったんですが」
「んぐっ!」
細身の男が隠し持ったもう一本のナイフをテンダーへ投げつけた。
テンダーの顔へ飛んでくるナイフは、そのまま顔を通り抜け近くの外壁へ突き刺さる。
「残念、もうちょい右でしたね」
幾人にも姿がぶれるテンダーは、そのまま地に伏せる男の顔面を蹴り飛ばす。
「がぅっ、チクショウ……」
「ああ、そうだ」
テンダーが勝ち誇った笑みで、男を強く見下ろした。
「私、幻覚魔法使うんです。 色々騙してすみませんね」
「まっ、待てやめ……やめろぉぉ!!」
テンダーは倒れた男の腕を踏みつけ、鼻血まみれの顔面を仰向けに晒す。
「ほい、おやすみなさい」
脳天かち割り、体重全乗せの振り下ろしパンチは石畳の地面を割る程。
それを鼻骨でしっかり受け止めた男の顔は、情けなく白目をむき泡を吹く。
はたから見ても、しばらく目を覚ますことはないだろうし、変形した顔も元に戻ることは無いだろう。
「さて、役目は果たしましたし、これ以上いても邪魔になるでしょう。
帰り用の馬車を手配しなくては。
後は任せましたよ、エリザベート」
テンダーはパサリと地図を広げると、懐中時計を手に大通りへと向かった。
「何だお前変なの吸いやがってぇ! むかつくぞぉぉぉ!!!」
「たんまって言っても駄目だろうな」
落ち着く為の一服。
もしくは死ぬ前の今生の一服。
だがこの状況では何の意味がない、だって恐怖で味がしないんだから。
「うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」
耳がキンとなる怒号が響く。
手に持つライターと鞄だけでどうにかする?
いやこんなのもう無理だろ!
「ひ、火を怖がらねぇかな?」
俺の脳みそが思考を放棄し始めてる。
「むぅぅ、行きづらい、ムカつくぅ!!」
路地の入口は狭まってるため、贅肉がつっかえて入りにくそうだ。
でもそんなのは所詮一時しのぎ。
メキメキと壁が割れて来てるところを見るに、あと少しで壁ぶっ壊して俺を殺しに来るだろう。
「ああもう、なんかないのかよ!」
無駄と知りつつ鞄を漁る。
こんなの死刑執行をチラつかされてる死刑囚だ。
「ぶっ殺す、ぶっ殺す、ぶっ殺す、ぶっ殺す、ぶっ殺すぅぅぅぅぅ!!!」
砕けていく音がどんどんと俺を追い詰める。
そんな時だった、適当に鞄を掻きまわす俺の手が、不快な感触でヌメった。
「うえっ、油!?」
油なんて鞄に入れた覚えはない。
俺が自分の置かれた状況を一瞬だけ忘れ、鞄の中に視線を落とす。
「……あ、これ」
「うぉぉ!! 取れたぁーーーーー!!!!」
なだれ込むように巨漢が路地へと入り込む。
距離にして15メートルも無い。
「死んじゃえばいいんだぁ!!」
「お前がなぁ!!」
俺は先ほどの名刺入れと同じように、巨漢に向かって物を投げる。
「だからぁー、こんなの斬っちゃえば、だいじょーぶだってばぁ!!」
巨漢の振り下ろした鉈で勢いよく切断された物、……それは。
「んぬぉわぁ! べとべとするっ苦ああぁ!」
「まぁ、ライターオイルって言ってもわかんないよな」
鞄の中を激しく引っ掻き回したせいで、オイルの蓋が取れていた。
だがそのおかげで、運よく起死回生の一手に気付けたぜ。
「しっかり焼けてくれよ」
勢いよく切断された缶からは、大量のオイルがまき散らされた。
そのオイルをこの肥満男は全身に浴びたのだ。
俺は手に持ったジッポライターに火を灯すと、勝利を確信しほくそ笑む。
「あがりだ。 俺の勝ちだなデブ野郎」
俺の人生史上最高にカッコつけて、今だ困惑する巨漢へとライターを放る。
一瞬だった。
男の服に燃え広がった炎は、オイルを伝って全身を包み込む。
それはまるで狂気の踊り。
雄叫びをあげながら走り出し、即座に転ぶ。
それでも炎は収まらず、痛みと熱さに巨体は地面を転がる。
「がぁぁぁああああ!!! あづいぃいいいい!!!!!」
焦げ臭さで目が染みる。
汚く黒い煙は、薪でも焼いているかのように激しく昇る。
「ぎいいいぃぃぃいっぃ!!! ……あがっ、……あがっ、……あっぐっ!」
地面をのたうち回る手足にジッポライターがぶつかり、俺の足元へ飛んできた。
「……あ」
ライターを手に取った瞬間、もだえ苦しむ巨漢と目が合った。
水分が蒸発したグロテスクな眼球に、猛烈な吐き気が襲う。
「うっ……、う゛ぇええぇぇえええええ」
ひどい音を立てながら嘔吐した。
人間の焼ける匂いを直で嗅ぎ、断末魔を聞いた。
誰かを殺したことへの罪悪感、恐怖、不安。
そんな感情が一度に襲ってくる。
今まで人を助けているという正義感や高揚感で、感覚がマヒしていたのだろう。
「くそっ、……殺した。
俺が、俺が今殺したんだ」
だが後悔はしていない。
間違いなく殺らなきゃ殺られていた。
「……殺されそうになったけど、まぁ一応な」
俺は息絶えた死体にそっと両手を合わせると、出口を塞いでしまった巨体を乗り越え、少女の家へと戻った。
エリザベートとネストは、あれから一歩も動いてはいない。
「ひとついいかしらぁ?」
数分間続いた沈黙を、ネストが破る。
「何ですの?
くだらない話なら、耳に入れたくはないのだけれど」
口に手を当てクスクスと笑いながら、ネストは続けた。
「あなた人竜って聞いたことある?」
「……有名なおとぎ話ですわね。
悪い子には人狩の竜がやってくる。
この国では誰でも知ってますわ」
「そうよねぇ。
でもそれが本当にいるとしたら、……どうするかしらぁ?」
ネストの話に、今度はエリザベートが笑みをこぼす。
「何を言いだすかと思えば、随分とメルヘンチックですのね」
「そうよぉ。
女は誰でも乙女心を忘れないのぉ、うふふふっ」
お互いの笑いが、少しずつ大きくなり始める。
「それだったらわたくしにもわかりますわ。
オーホッホッホッホ」
「うふふふふっ、あははははははははははははっ」
「オーーーホッホッホッホッホッホッホッホッホ」
二人の笑い声が室内に響き渡る。
その時だ。
壊れた壁から、一枚の板が床に落ちてカタンッと音を立てた。
瞬間、風より早くお互いの得物が振りぬかれた。
空気が割れる。
二人の武器を振るう衝撃がぶつかり合い、部屋に吹きすさぶ突風が瓦礫を落ち葉のように舞わせる。
一瞬にして間合いを詰めた二人には、一切の笑みが消えた。
その殺し合いはもう、止まらない。




