117マス目 きっとあの人なら
ワイゼムの拳がエリザベートのスカートの端をかすめる。
千切れたりだとか破けたりだとか、そんな生易しいものではない。
そのあまりの威力に、当たった部分の布が燃え尽きて炭になっている。
さらには見上げる巨体から繰り出される速度が、人間の姿の時と遜色ない。
現在のワイゼムの体長は15メートルほど。
これだけの巨体でその速度は、驚異以外の何者でもない。
……並みの戦士であれば。
「揺り足」
たとえ熟練の冒険者であっても、この動きを追える者は数える程度だろう。
それほどの超高速移動。
一瞬という言葉通りの速度でワイゼムの背後に回るエリザベート。
ワイゼムの足の筋を狙い、剣を真横に振るう。
しかしエリザベートの剣は鐘のような音を立てて、いとも簡単に弾かれる。
「……硬いですわ」
先ほどの皮膚が岩だとしたら、これはまるで鉄。
金属のような硬い皮膚。
精神安定の効果か、ワイゼムの体は防御力さえも強化されていた。
「無駄ですよ、お嬢さん」
振り返りながらの、ワイゼムの裏拳。
エリザベートはバク宙で回避するも、暴風で足元をすくわれる。
わずかに足が浮いたエリザベートの身体に影が差す。
エリザベートが咄嗟に真上を向くと。
「終わりです」
大空に向かって大きく広げられた手のひら。
それを蠅でも叩き潰すかのように、エリザベートへ向かって振り下ろす!
「ぐっ!!」
エリザベートは咄嗟に剣を傘に変える。
叩き付けるために振り下ろされた爆風で、足の浮いているエリザベートは風に乗り、上手くワイゼムの攻撃範囲から逃れた。
その瞬間大地に叩き付けられた張り手が、草原の草花を大きく抉り取る。
「……避けられましたか」
ワイゼムは仕方がないと言った顔で、真下を見つめて拳を振り上げる。
もちろんこの位置からでは、エリザベートに攻撃が届くことは無い。
だが、エリザベートは何だか嫌な予感がしていた。
「ふん!」
圧倒的破壊力で地面をたたき割る巨人の一撃。
まるでクッキーのように地面に亀裂を走らせると、ワイゼムはその亀裂に両手を差し込んだ。
「私は脳筋でね。
大技と言えばこんなものくらいなんですよ」
そう言ってワイゼムは亀裂に指を喰い込ませ、力任せに引き抜き始めた。
「……大地を、……持ち上げるつもりですの!?」
「それに近い事です」
直後、エリザベートの足元が地響きを起こし始める。
めきめきと大地が不自然な音を鳴らし、足元がせりあがってくる。
今のワイゼムは両手を亀裂に差し入れていて、無防備と言えなくもない。
だが今攻撃に移れば、きっとこれから来る攻撃を避けることは出来ないだろう。
「悔しいですけれど、ここは一旦引きますわ」
地面を深く蹴り上げ、大きく距離を取るエリザベート。
その距離、約三百メートル。
しかしこれだけ離れていても、地鳴りはエリザベートの足元を揺らしている。
そしてとうとう、ワイゼムの腕が持ち上がり始めた。
「ぬうううううぅぅぅぅぅぅぅんんんんんん!!!!」
パラパラと飛礫をまき散らしながら持ち上げられた、あまりに大きな大地の塊。
その大きさは、巨石と呼ぶのすら生ぬるい。
”島”そう例えても不自然ではない。
「……嘘でしょう?」
エリザベートがワイゼムの持ち上げる岩に目を奪われていた時、はるか後方から爆発に似た音が届いてきた。
「あの方向は確か、……お父様!?」
作戦会議で、ルガニスの相手がどれだけ危険かはエリザベートも聞いていた。
リックさえも凌駕する強敵。
しかも性別しかわかっていない。
種族、容姿、魔法、戦闘方法。
唯一何の情報も無しに、ルガニスは戦っている。
……だからこそ、この状況はあまりにもまずかった。
「覚悟してください、お嬢さん」
ワイゼムは手に持つ超大岩を振りかぶる。
この岩を山なりに飛ばすのならば、まだいい。
だがもし、ワイゼムがあの岩を弾丸のように直線的に飛ばせたら?
戦場をメチャクチャにしてしまうのは容易に想像できてしまう。
「こうなったら、一か八かですわね」
エリザベートは大きく右に走り出した。
方向さえ変わればいいのだ。
しかし、状況はエリザベートにとって最悪だった。
「……お嬢さん。
あなたの考えはわかっています」
ワイゼムは嫌な笑みを浮かべる。
そして、……エリザベートの方を見ていない。
攻撃の方向が変わっていない。
「お仲間が心配でしょうねぇ!
さぁこれをどうします、お嬢さん!!」
豪快に投げつけられた、あまりにも大きな岩。
それはあろうことか回転を銜えたまま、大地を砕き、木々を薙ぎ払い、魔物を磨り潰しながらルガニスが戦っているであろう場所へ一直線に向かっている。
「お父様ぁぁぁぁぁぁ!!!」
手を伸ばし叫ぶエリザベート。
だが岩の速度はあまりに早く、その破壊力は止めるという行動を躊躇させる。
「……わたくしは」
思わず視線を落としたエリザベート。
その先には、すっかり裸足だった事を忘れていた自らの足。
血が滲み、とても淑女と言えたものではない。
「……お母様は、この足を見てどう思いますかしら」
頭の中にいくつもの言葉が流れてくる。
『まだまだ修行が足んないわよ』
ちがう。
『エリザベートは女の子なんだから、
もう少し体を大切に!
わかった?』
これもちがう。
『ねぇ、エリザベート』
きっと、お母様ならこう言いますわ。
「『あんたのやりたいようにやんなさい!
行ってこいエリザベート!』」
声を張り上げ、顔を上げたエリザベートにもう迷いは無かった。
「揺り足!」
瞬く間に消え去るエリザベートの姿。
そして姿を現したのは、迫りくる島サイズの岩の前。
「お母様、わたくしに力を……」
エリザベートは傘から剣を引き抜き、眼前の巨石を睨み付けた。
「打ち砕いて見せますわ!!
五大奥義が一つ、月下千輪・金薔薇の棘!!」




