109マス目 血浴びの謝罪
「ウィデラの谷?」
「ああ、あの谷はそう呼ばれている」
走る馬車の中で、俺はルガニスさんから、あの谷が有名だという事を聞いた。
どうも人の手で作りだされたという伝説があるらしい。
「大昔、ライ王と呼ばれる武人が、大地を殴った際に出来た亀裂だそうだ。
あの谷には逸話は多いが、その説が最も有力と言われているな」
なんだかすごい谷らしい。
そんな谷に、俺は今からあんなことを……。
そう思ったら、一気に不安になって来た。
「あのー、その谷って神聖な場所だったりします?」
「いや、そういうわけではない。
むしろ凶暴な魔物が多く、嫌う者の方が多い」
「そ、そうですか」
俺はホッと胸をなでおろす。
ここまで来て、あの谷を汚すなんてと反対されれば、
計画全てが水の泡。
そんな失敗は勘弁してほしい。
「そろそろ到着です」
俺の乗る馬車の御者が声を上げた。
窓から外を見るが、見えるのは木ばかり。
このあたりは森で覆われているようだ。
そして、馬車がゆっくりと停車した。
「よし、ではここからは指揮を移す」
そう言ってルガニスさんは皆の前で俺の肩を叩く。
今から俺が、騎士の方々に指示を出していかねばならない。
責任は重大だ。
だが、俺の考えた作戦なのだから、このくらいは当然。
「それでは、先頭の荷馬車をもっと前へ」
俺の指示で、一台の荷馬車が崖近くまで来る。
さて、ここから先は間違いなく反対意見が出てくるだろう。
覚悟しないとな。
俺は呼吸を整えてから、言葉を切りだした。
「……では、牛を出して、
……その、切り殺してください」
途端に騎士の人達がざわついた。
当然だ。
国の大事な家畜を占領して、やる事は食べもせずに殺すだけ。
こんなの非難されて当たり前。
けれども、俺が勝つにはやってもらうほかない!
「どうか詮索せず、俺の指示に従ってください!!」
こんな場合、普段の俺ならば頭を下げる。
だが、この時ばかりは下げるわけにはいかない。
俺はルガニスさんの立場を借りて発言させてもらっているんだ。
俺が下げる頭はルガニスさんの頭。
だから俺は、意地でも胸を張る。
「まずは三頭!
崖の前に!」
「り、了解です!」
騎士たちは牛を誘導し、崖の前へ連れて行く。
そして……。
「その剣で、牛の首を切り落としてください。
死体はそのまま崖下へ」
「……本当にやるんですか?」
「お願いします」
目は逸らさない。
俺はネストやロネットに向けていた強い視線で騎士たちへ指示を飛ばす。
そして騎士たちの剣は高く振り上げられた。
「ごめんな」
謝ってどうしようというのだろうか。
わからなかったが、俺はつい謝ってしまった。
真っ赤な飛沫を上げる牛たちに向かって。
「では、続けてください」
こうして、無情な家畜の殺戮は続けられた。
死んでいく家畜たちの声が耳にこびりつく。
人のエゴで殺されていく牛たちの目。
恨んでいるのだろうか。
悲しんでいるのだろうか。
怒っているのだろうか。
牛の言葉の気持ちも、俺にはわからない。
たとえ食肉になる運命だったとしても、
もうすぐ死ぬかもしれない命だったとしても、
俺が今この場で、罪も無い動物の命を奪っているのは事実。
……だからせめて、目を逸らさない。
断末魔を聞き逃さない。
……ごめん
…………ごめんな。
「計300頭、処分終わりました」
「ああ、ありがとう」
俺に報告した騎士の全身は血まみれ。
もちろん近くにいた俺も、返り血でびちゃびちゃだ。
とりあえず、終わった。
「急いで帰還するぞ!
この臭いで魔物が寄ってくるはずだ!」
ルガニスさんが声を上げた。
だけど、この状況はもちろん想定済み。
「ちょっと待ってください。
おーーい!」
俺は最後尾を着かせていた馬車に手を振った。
荷馬車は前に進んできて、積み荷を一つ降ろす。
それは新しめのツボ。
上にかけてある布を取っ払った瞬間、皆が鼻をつまんだ。
「うぐっ!」
「うおっ!」
「これってまさか!?」
皆がしかめっ面をするツボの中身。
それは以前、俺が対エリザベート戦で使ったドロネズミの発酵汁。
まあ流石に原液は臭いがキツ過ぎるから、これは50倍に薄めた奴だけど。
でもツボになみなみ入っていると、さすがの臭いだ。
「よっしゃ、まず俺から!」
説明するより見せた方が早い!
俺は呼吸を止めて、一気にツボの中身を頭からかぶる!
「うわあああああぁぁぁぁぁあ!!!」
「なっ、なっ、なにしとんですかぁぁぁ!!!」
だがルガニスさんは理解したらしい。
「はっはっはっ!
そうか、そういう手があるか。
臭いには臭い、そいつをかぶれば魔物は寄らん。
皆、命令だ。 私に続け!」
「はっ、はいぃぃぃいい!!」
ルガニスさんを筆頭に、皆次々とツボの中身をかぶっていく。
ツボは一台の荷馬車にたっぷりと積んであるから、全員に行き渡る。
俺の発酵汁作戦のおかげで、帰り道にはゴブリン一匹出てこなかった。




