3 謁見:おまえの名はナーナー
農王はわたしを岩に座らせた。農王はそれ以上何も言わずに、ただわたしを凝視しているだけである。
なぜ何も言わずにただじっとしているのだろう、と疑問を抱いた。
子供の王だから、何もわからないのだろうか。
農王は、白痴ではないのか。
玉座の背からぬっと顔を出した侍従武官が、話を切り出した。
「今日、おまえは農王によってこの島に呼ばれた。それは、大変光栄なことだ」
「はい」
「農王はおまえの能力と経験を評価し、おまえを総合教育庁長官に任命することを決めた」
「それは何でしょうか」
「細かい説明は、後ほど別室でスライドを見てもらうことにしよう。わたしは侍従武官のバハードゥルだ。わたしが、農王の勅命を受けて、農王系全般の運営を行っている」
「わたしは……」
自分の名前が思い出せないことに気がついた。
一度だけ似たような経験がある。インドにおいて夏の行軍をしているときに、熱射病で倒れた。それから数日間、言葉が口から出てこないだけでなく、自分の名前もわからない状態が続いた。
いまは冷静な気分だった。
「わたしは自分の名前を忘れました」
侍従武官バハードゥルは、指をくるくると回した。
「大きな影響はない。ではおまえの名前はナーナーだ」
「わかりました」
わたしはナーナーという名前に満足していなかったが、そのときは我慢した。
侍従武官バハードゥルは言った。
「農王系は、いま大きな危機の時代にさしかかっている。それは変化の時代でもある。あらゆることが通用しない世界だ。戦争は近い。農王系は、われわれは、農王の下に団結し、敵の攻撃からわれわれの未来を防衛しなければならない」
「はい」
「総合教育庁はこれからの戦いの中核となる組織だ。農王の命に背くことのないよう、公に仕える身としての自覚を持て」
「はい。ところで給与や福利厚生については、後で質問の時間はありますか」
「これから説明スライドがある。また、今日から今週いっぱいは、導入教育がおこなわれる。あらゆる分野におけるおまえの疑問は、速やかに解決されるだろう」
「ありがとうございます」
侍従武官は玉座の背の裏に隠れ、包帯で巻きつけられた顔だけがのぞいた。
農王への謁見と、侍従武官の話は終わった。
農王は結局何も言わなかった。
この幼い君主は、ひょっとすると、侍従武官や周囲の大人たちに利用されているのではないか、という疑念がわいた。
しかし後日、推測が誤りであることを知った。
農王こそは真の奉仕者、公務員精神に満ちた、優れた人物だったのだ。
わたしは、登ったときの2倍、時間をかけて、鍾乳石の塔を下りた。
2人組の男は既にいなくなっており、代わりに、黒紫色の制服に、白い制帽をかぶった大柄な老人が立っていた。
袖には太い金銀の帯が巻き付けられており、高位の軍人に違いないと推測した。
老人は元気な声で言った。
「これから地下の「無意味の間」において、導入教育を行います」
「よろしくお願いします」
わたし、いまや総合教育庁長官となったナーナーは、老軍人の後を追って、鍾乳洞のさらに奥に降りていった。