第八話
東肥前と北肥前を制した我らが龍造寺。
これに危機感を煽られたらしい、有馬や大村を中心とした南肥前の
豪族たちが連合して侵攻してきた。
俺たちはこれに対し、中肥前の藤津あたりを戦地と定め出陣。
鍋島豊前を先鋒として連合軍を迎え撃った。
両軍とも多少の被害を出しつつ、南肥前連合軍を撃退。
今回のことはうちが攻め込まれた側であるので、報復の大義名分がある。
これにより南肥前にも影響力を行使することが出来るようになった。
鍋島豊前を前線の藤津に置いて、郡境の指揮を取らせることにした。
領土が広がると大変だな、色々と。
いずれは肥前統一、そして更に羽ばたきたいと思う。
夢は大きく九州統一。
上手くいけば天下統一も、は無理だな流石に。
うん。
さて、突然だが俺たちは今、本拠地佐賀にて大友の大軍に包囲されている。
出る杭は打たれると言うように、急激な膨張が危機感を煽ってしまったらしい。
まあ南肥前連合軍の時と同じだな。
規模は全く違うけど。
今回の大友出征は実は二度目で、一度目は豊前に毛利が出張ってきたから
一旦引いたのだけど、毛利を打ち破って今回二度目が催されたというわけ。
いや、参ったね。
蟻の這い出る隙間もないと言う程の軍勢に囲まれているのだ。
これあれだ、今山の戦い。
何となく記憶にある。
時期を待ち、機会を窺えば、きっとうまく抜け出せる。
だからまあ、絶望なんてしないでゆったりしていよう。
因みに、うちと親戚関係を結んでいる隣の小田家は、
大友に付いてこの包囲網に加わっている。
いやいや裏切りと言うなかれ。これにはちゃんと理由があるのだ。
俺たちが大友に目を付けられ、大軍を催し攻めて来そうだと分かった時点で、
小田家には一旦大友に与するも苦しからずと申し送った。
於安は泣きそうにしてたらしいし、婿殿はこちらに加勢すると言い張ったが、
未だ当主である小田駿河に言い含め、謝絶した。
婿殿には於安を守ってやって欲しいと重ねて頼んだら渋々引いてくれた。
俺は負けるつもりは一切ないし、一点集中の反転攻勢をかけるには
ある程度小勢の方が良いだろうとの判断だ。
小田駿河は大友に降るにあたり、嫡子に偏諱を願い出、その証とした。
なお、婿殿は己が加勢することは諦めたが、実弟ほか家臣数名を寄越してきた。
本来であれば、物理的包囲網で外は本気で敵だらけだったはずだが。
婿殿たちの心意気を感じるに、ある程度の成果は出てきていると考えて
良いのかもしれない。
慢心はすまいとは思うが、非常に嬉しく思う。
小田家中の誠意に感謝の念が堪えぬ。
本人たちの前で思わず落涙してしまった。
貝のように立て籠もること数週間。
小競り合いは数度あったが、基本囲まれたまま時間だけが過ぎていく。
水と兵糧は大丈夫だし、士気もまだまだ持ちそうなのだが、
このままじっとしているのも余り宜しくないよなと思い、家臣を集めて
吶喊してみないかと提案してみた。
家老たちが微妙な表情をするのを敢えて無視し、若手たちにどうよと
持ちかけると、よっしゃやってやんよ!となった。
若いって良いね。
鍋島豊前の弟で左衛門てのが俺の馬廻りをしているのだが。
若手を率いて、なんと大友の本陣を奇襲し、剰え大将の大友八郎を
討ち取ってしまった。
すごい!流石!やってくれると思ってた!
などと手放しで喜び激賞し、当座の褒美として飛騨守に任じてみたら、
なんか感激された。
確かこいつが後に鍋島直茂となるはず。
こんな勇猛果敢で血気に逸るような奴だったのか。
智将だと思ってたわ。
左衛門改め鍋島飛騨が特に目立っていたが、その他の頑張った家臣たちにも
声をかけていく。
小田駿河次男の中務君もさり気無く吶喊していってた。
いや、君は良かったのに。でもありがとう。
直接見ることが出来なかった奴らも、他から聞いたうえで労ってやった。
とりあえず宴じゃ!
家老たちが胡乱な目で見てくるけど、気にするな。
忠は賞せよ、だぜ。
この出来事の後の、家臣たちが俺を見る目が少し変わった気がする。
囲まれる前の対応策を明確に指揮し、囲まれてからも慌てずどっしりと
していたのが頼もしく、機を捉え吶喊を提案し、彼らが帰ってきた時、
手放しで喜び身分の上下なく直接声をかけ、労わる姿に感銘を受けたらしい。
ちょっと大げさでないかい。
嬉しいけど。
さて、大友の大将を討ち取って引かせたは良いが、未だ彼我の実力差は歴然だ。
何とか良い感じで終わらせたいなと考えていると、小田の婿殿が和睦の仲介を
斡旋してくれた。
そして、何かと心を砕き、こちらに大分有利な条件で和睦することができた。
俺たちも大友の傘下に入ることになってしまったが、まあ問題はない。
諸々の有利な条件まで持ち込めたのは、優秀な家臣たちと、何よりも婿殿のお蔭。
感謝の念を伝える俺に対し、婿殿は心は当初より義父上と龍造寺にある、と言い、
思わず感涙に咽んでしまった。
ありがとう、みんな。
今回大友の傘下に入るに当たり、俺の嫡男・長法師丸改め太郎四郎に
当主・大友義鎮から「鎮」の字を偏諱で賜り、息子は鎮賢と名乗ることとなった。
ああ、大友傘下と言えば、俺たちの大恩人である蒲池さん。
彼には、情勢に関わらず歳暮の付け届けを欠かしていない。
そして今回、何かと複雑な状況ながら、共に大友の旗下となったことを
とても喜んでくれた。
相変わらず良い人過ぎる。
大友による当家攻めにおいては、東肥前ほかで当家に降っていた多くの豪族が
大友の下に馳せ参じた。
小田家は特別だが、江上や神代にも小田家と同様のことを依頼していた。
意外にも神代は、当初俺たち側に立つ心積もりだったらしい。
失礼ながら繰り返す。
凄く意外だ。
どうやら俺たちは、神代のことを少し見くびっていたのかも知れないな。
それはさて置き、こちらの依頼以外で大友に参じた諸将を、
再度うちに降らせるべく奔走した。
俺たちが大友の傘下に入っている以上、建前上は彼らも同輩なのだが、
所詮建前は建前だ。
彼らも本気で抗い大友に忠誠を尽くそうという者は一人もいなかった。
小身代としては、そういうものなんだよね。
ある程度落ち着いてから、中務君を伴い小田家に挨拶に伺った。
小田駿河は今回、婿殿に家督を継がせ、自身は隠居することでケジメを
つけると言った。
大友に参じ偏諱を賜ったことに対するケジメだという。
そんなことは、と俺が慌てていると、嘆息しつつ婿殿が教えてくれた。
普通に家督相続するのを、敢えて恩着せがましく言っているだけだ、と。
駿河殿を見ると、ツイっと視線を逸らされた。
おいこら。
ともかく、小田家は婿殿が家督を継ぎ、駿河殿は楽隠居すると言っていた。
俺の目標に限りなく近いところにいるな、羨ましい。
そう言えば、婿殿の斜め後ろに座り、朗らかに笑っている於安だが、
実は先日嫡子を挙げている。
安産だったらしい。よかった。
そして夜の宴席において、初孫を先に抱き上げた駿河殿にドヤ顔で
自慢されたので、祝い酒で潰してやった。
それらの様子を見ていた小田家中、婿殿と於安にも揃って苦笑された。
やはり釈然としない。
和やかな時もあるが、そこはやはり戦国時代。
隙があれば食いつき、版図を広げていくのが戦国大名だ。
次は西肥前が舞台となりそうだ。
<大まかな地理>
中肥前:武雄市、鹿島市、藤津郡など
西肥前:伊万里市、唐津市、長崎県北部など
南肥前:長崎県南部