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第七話

筑後に追放されていたはずの少弐冬尚が、肥前国内の少弐旧臣らと合流、

連絡を取り合い、勢力を固めつつあるという情報が入った。


俺はすぐさま家臣一同を招集し、対策を練ることにした。


少弐冬尚は、江上武種が居城としている勢福寺城に入り、神代らと語らい、

こちらを窺う気勢を示しているようだ。


旧主とは言え、仇でもある少弐はそろそろ潰しておく必要がありそうだ。

先の土橋の謀反にも一枚噛んでいたとの情報もある。

孫九郎や小田家の方々にも働いてもらおう。


俺たちは機先を制し、神代が合流してくる前に江上の居城を攻めた。

先鋒を小田駿河に、次鋒を孫九郎に。

そして納富、福地、鍋島などと続けて波状攻撃を仕掛け、攻め抜いた。

その結果、このままでは思うように戦陣を動かせず、埒が明かないと

考えたらしく、江上武種本人が一点突破を狙って突出してきた。

それを狙い、孫九郎の手の者がこれを討ち取った。

当主を失った兵たちは城へ撤退、残った江上の一族は降伏。

頼りの江上を失った少弐冬尚は、抗しきれず自害。

長らく龍造寺を祟ってきた少弐家はここに滅亡した。


旧主を滅ぼすのは少しアレな気もするが、よくよく考えれば下剋上って

そういうものなんだよな。

族滅させるとか、アレなことをしなければ冷酷と評されることもないだろう。

要はやり方と匙加減次第ということだろうか。


少弐を滅ぼし、江上の当主を自害せしめた俺たちは勢いに乗っていた。

そのまま少弐係累の横岳を降し、周辺を平らげた。

なお、降伏した江上の家督は、戦前から龍造寺派と表明していた

武種の弟、その嫡子に、うちの一族の娘を俺の養女として嫁がせ、

嗣子に充てることが決定された。


ん?江上は確か、隆信(俺)の二男が入っていたはずだが。

あれ、俺まだ二人目生まれてないぞ。

情勢の動きが早くなったのか、俺の頑張りが足らなかったのか?


あー。

まあ、良いか。どうしようもない。


なお、江上と少弐は自害してしまったが、基本的に死亡フラグを恐れる俺は、

敵将は可能な限り討つことをせず、降伏・従属させることを指針としている。

馬場、少弐、神代は全て討ちたかったが、馬場と少弐はそれぞれ当時の

当人たちを討ち取ったことで満足するとし、直接関係ない子、孫や傍流などは

見逃すことにした。

そして神代は相変わらずのリアルチートだったのでまだ何も成せていない。

だがいつか必ず、屈服させてみせる。

今は家老の小河筑後が頑張ってる。

頼むぞ、筑後。

でも無理はするなよ。


戦後、少弐旧臣のうちでそこそこ大身だった千葉も先だって従属してきた。

その他小身代の連中もこぞって従属を申し出てきた。


そして、東肥前の支配を確立した。



この頃、肥後の菊池家臣・隈部刑部から誼を通じたいとの申し出があり、

家臣たちと相談の結果、これを受けた。

隈部刑部は、同輩の赤星らと勢力を競い合っており、合戦にまで発展し、

敗北した赤星が大友と通じったため、対抗上こちらに接触してきたらしい。


このような話が来るのも俺たちが勢力を伸ばしたという結果の証明であり、

今後、各地に影響力を伸ばすことに繋がるだろう。

いずれは肥後にも、という思いがあるので喜ばしいことである。


反面、面倒事に巻き込まれることになりかねない、

というマイナス面もあることを忘れないようにしなければならないな。


蒲池さんのように、頼れる龍造寺を維持・向上させていきたいものだ。


まあ焦らないことだ。

まずは足元の肥前を第一に考えよう。


東肥前を制したから、次は北肥前、即ち神代だが。

どうにかすれば一旦は追い出すことは出来るだろう。

しかしながら、代官を置いたりしても上手く統治できるとは思えない。

あれだけ領地領民に慕われる殿さまだからな。

討ってみても、良いことなどほとんどないのは明らかだ。

どうにかして取り込む必要がある、のかな。

今はまだ、我慢だな。


そう、我慢は大事だ。

様々な不平不満を飲み込んでこそ、名君への道が開け、

そして楽隠居への道が続いている筈なのだ。



しばらく少弐残党の掃除に明け暮れていたが、

そろそろ神代との決戦をと望む声が出てきた。

時期が近いのかなーと思い、先だって検討をすべく、

神代をよく抑えている小河筑後を招集した。

筑後はそれに応え、城を弟の左近に任せてやってきた。


すると、神代がその留守を狙い進出、左近を討ってしまった。

これ激昂した筑後はすぐさま軍を催し、神代領へと侵攻。

簡単にどうにか出来るほど甘くはないことを熟知しているため、

俺たちも三々五々、出陣していった。


そして、領地境で両軍は激突、激戦となった。


筑後は果敢に突出し、神代の二男を討ち取るという功績を挙げるも、

それに激昂した神代本人と一騎打ちとなり、討ち取られてしまった。


一連の流れ遠望した俺はこれまた激昂。

旗本を率いて突入しようとしたが止められてしまった。

少し落ち着き、代わりに鍋島などを全力投入。


神代本人とその長男は逃したが、三男を討ち取り、当人にも怪我を負わせ、

家老らも数人討ち取ることが出来た。


代わりに、こちらも相応の被害が出ている。

筑後とその嫡子・豊前を失い、その他数名も失ってしまった。


大きな戦果は挙げたが、失ったものも大きく、俺の心は晴れなかった。


大将たる俺が冷静さを欠いた結果、小河一族を失ってしまったのだ。

自戒せねばならない。

小河筑後の跡職は、鍋島豊前・左衛門兄弟の弟を武蔵守に任じて継がせた。


この激戦は、うち以上に神代に大きな爪痕を残したようだ。

そこで、神代勝利はうちの家老、納富但馬を通じて和睦を打診。

神代の孫娘と、先年生まれた俺の二男とを婚約せしめ、両家の絆としたい

とのことだった。


俺たちは了承し、ここに長年争った神代との間に和平が成立。

北肥前を制することとなった。


リアルチートと俺が恐れた神代勝利は隠居し、三年後にこの世を去った。


<大まかな地理>

東肥前:佐賀市、神埼地方、鳥栖市など

北肥前:佐賀市旧富士町、唐津市北東部など

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