第十五話
次に、俺が家督を譲ろうと思っている件。
この発言をした後、広間がシーンとなる。そして家臣たち驚天動地の大事件に
接したような表情。一時の間をおいて、大友の大軍に囲まれた時でもここまで
はなかったと思えるような喧噪に包まれた。
こんなんでも俺は既に四十を超えている。日々の鍛錬の成果なのかは知らない
が、心身ともに健常である。馬にも乗れるし早駆けだって出来る。武将として
は、脂の乗り切った働き盛りの時期と言えなくもないかも知れない。
既に長男は二十歳そこらであり、初陣も当に済まし嫁もとっている。だから、
まだ早いということはあるまい。俺が家督を継いだのは十七の時なのだが。
いやまあ、あれは非常事態だったからな。一緒にしたらいかんか。脇に置いて
おこう。あと早く孫を見せろ。
そして混乱から戻ってきた家臣たちからの問い詰めフィーバーとなった。福地
長門や納富但馬からは納得できる理由を聞かせろと血走った眼でにじり寄られ、
あと五年、いやせめて十年は頑張って頂きたい!と喚くのは鍋島飛騨か。
言い直してるのに延びてるとか…。
冷静沈着な智将という俺の勝手なイメージだったが、もう跡形もないな。
そして小河武蔵を筆頭にほぼ全員からダメだと言われた。いやダメってお前ら。
まあ頼られていると思えば嬉しいような、でも頼られ過ぎてて悲しいような、
なんとも不思議な感覚に包まれた。
肝心の長男は放心状態だし、次男はニヤニヤしながらこの喧噪を眺めている。
図太いな。神代継いだせいか?側近の筆頭格である鴨打陸奥は難しい顔をして
黙っているし、小田の婿殿は腕組みして瞑目している。
正史では肥前統一を機に家督を譲ったみたいなんだけどなあ?
さておき、家臣たちの説得のような何かを受け入れ、家督相続の議は延期する
ことと相成った。まあ皆の言い分もわかるし、俺自身これからもっと飛躍して
いけるという想いもあり、また欲求だってあるのから。と、いうわけで。
差し当たり五年後を目途に家督を譲ることとし、そこから五年間は大御所とし
て後見していくことに決定した。後年の何某が思い起こされてイメージ悪いが
仕方ないか。
さて、気を取り直して次は筑後の件と今後の展望についてだ。
今俺たちと筑後との関係は悪くないし、肥後を先に着手する手筈となっている。
現在筑後は大友の影響力が大きく浸透しており、蒲池さんも健在なので武力制
圧は以ての外だ。蒲池さんは変わらず大友の旗下にあり、その他の諸将も大半
は同じで、蒲池さんと協調してる感が強い。
その蒲池さんだが、実は過年隠居して嫡子に家督を譲り隠居して宗雪と号した。
俺は変わらず蒲池さんと呼ぶが、ともかくその嫡子には俺の次女を嫁がせた。
筑後に隠然たる力を持つ蒲池家とは是非とも縁を結びたいとずっと考えていた。
龍造寺家の当主としては、筑後を非武力で切り取ることで筑前などへの橋頭堡
とするために。そして俺個人としては大恩人の家と縁戚になって縁を強固にし
たいとの思いからだ。
そこで、大友の許可を取ったうえで娘を嫁がせることにしたのだ。大友の許可
が必要だったのは、こんな状況でまだ一応、龍造寺は大友の旗下にあることに
なっているためだった。
恩人の家と縁続きになれたことは、なんとも感慨深いものがあり婚儀の場では
目頭が熱くなった。ちなみに、以前とは違い俺も大人になっていたので寂しい
とは思いつつも笑顔で送り出すことが出来た筈だ。それでも直接出向いて二人
を祝福する俺を見て蒲池さんは家臣たちと揃って苦笑していた。釈然としない。
蒲池の婿殿は娘を大切にすると誓ってくれた。俺も、大友の出方次第という不
安はあるが、婿殿と蒲池家を大切にしたていきたいと思う。そして、蒲池さん
は隠居したとは言えまだまだ元気だ。楽隠居という俺の最大の目標のためにも、
色々な点を見習わなければならないなと決意を新たにした。
あと蒲池家と縁戚になった影響で、他の筑後諸将とも誼を通じることが出来た。
形式上は大友の旗下にいる俺たちたが、いずれ抜け出す気満々であり、情報は
常に収集している。基本方針として、大友が島津とぶつかりその勢力を減退さ
せる時がいずれ来るはず。その時こそ我らの飛躍の時であり、肥後と筑前に総
力を以って進出。そこから薩摩と豊前へ。更に大隅と日向。豊後にまで到達で
きると良いな。夢は大きく九州統一であり、場合によっては毛利領である中国
地方にも打って出てみても良いかもしれないねと夢想している。
そして、中央政局には基本的に関わらないとする。福地長門や鍋島飛騨などは、
状況によっては使者を出すべき場面もあると思うと言っていたので、その提案
には素直に従うことにする。その代り、ちゃんと時節を見るんだぜ。
今後の展望が概ね纏まり、準備を始めた俺たちの下にとある一報が届いた。
これこそ俺たちが待ち望んだ情報であり、今後の局面が大幅に変わるであろう
ものだった。即ち、大友が大軍を以って日向に攻め込む準備をしているという
情報であった。
九州における戦国時代が、一つの区切りを迎えようとしていた。
中休み、後半。そして…




