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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第六章 霧と幻の輪舞曲
99/132

  悠久の万魔殿-2

***



 戦場に飛来した一頭の竜は、どう見分けているものかミスティンの騎士だけに襲いかかった。上空からのブレス攻撃や、圧倒的な破壊力を有する突撃は個人にどうこう出来るものでもなく、程無くしてミスティン軍は恐慌状態に陥った。


 なんとか闘志を維持していたワルドとて惰性で手近な敵と斬り結んでいるような状態で、竜を抑える余裕など皆目なかった。


 地上を蹂躙した竜が再び中空へと飛び上がったそこに、巨大な竜巻が立ちはだかった。


「……好き勝手には、やらせないわよ!」


 竜巻はノエルの魔法攻撃で、竜の強力な魔法抵抗を突破こそ出来なかったものの、千千に乱れた気流は滞空を充分に妨げた。姿勢の制御に失敗した竜がぐらつき、そのまま地上すれすれまで降下した。


「今だ!一斉に竜を射よ!」


 発された号令はエレノア・ヴァンシュテルンのもので、戦場の広範囲に散っていた部隊を糾合し丁度帰参したところであった。彼女に統率された騎士たちの即応性は高く、弓の剛射は下りてきた竜の顔面に集中した。


 矢の雨を嫌った竜がまたも飛び上がろうとすると、ノエルのみならず<北将>に同行していたフラニルも風の魔法を放ち制止に掛かった。


 止まれず竜がブレス攻撃で蹴散らしに出ると、エレノアの対抗魔法が猛威を振るった。神剣クラウ・ソラスによって増幅されたエレノアの魔法力は規格外であり、最強生物である竜の攻撃とも渡り合えた。


 エレノアの帰還にミスティン軍は短時間で士気を回復した。自身も気合を入れ直したワルドは、改めて混戦の中に敵戦力の中枢を探した。


 指揮官らしき騎士を含む隊列を視認するや、絶妙な足運びで直ちに距離を縮めた。


(これこそが俺の本領さ。将軍が戻ったのなら、あとは一発逆転の目を狙うまでだ)


 特殊な調合のなされた目潰しを手にするや、ワルドは姿勢を低くして全速で走った。サイ・アデルの騎士たちは虚を突かれ、気付いた時にはワルドとモンデの間に僅か三騎が控えるのみであった。


「このっ……!」


 迎撃の構えを見せた騎士たちへと、ワルドは勢いよく革袋を放り投げた。調子よく空中で封の外れた袋より粉末が飛び散って、騎士たちの目や鼻に深刻な被害をもたらせた。


 流石にモンデは馬を下がらせて目潰しから逃れ、接近してくるワルドへの警戒を強めた。


「ベルゲルミルじゃ、うちのクルスが世話になったな!俺様が残飯の処理役ってわけさ。大人しくやられちまいな!」


 そう挑発しておいて、ワルドは地面を蹴って馬上のモンデへと飛び掛かった。その際に短剣を投じているあたりが彼の非凡さを表していた。


 短剣を弾く動作と続く小剣への対処が両立出来ないと瞬時に悟ったモンデは、馬を諦め転げるようにして地面へと着地した。入れ替わるようにして馬上の人となったワルドは器用に手綱を操り、馬をモンデにぶつけんとした。


 モンデは冷静に動きを見切り、ぎりぎりのところで馬の脚をかわすと鋭い突きを上方へ放った。今度はワルドが馬の背から飛び下り、モンデの追撃に目を白黒させる番となった。


 モンデの剣による猛攻はワルドの想定を大きく超えており、防戦どころか背を向けて逃げる以外に選択肢を持たなかった。一度ならずとも回り込まれて斬りつけられ、浅くない手傷を負わされた。


 ワルドは目を剥き歯を食い縛って、全身全霊での逃亡を試みた。


「大口を叩いておいて、それか?」


 全身剣傷まみれの襲撃者をわざわざ追う必要もないと、ただワルドを見送るモンデであったが、足下に見慣れぬ竹筒を認めるなり血相を変えた。


 視界がぐらつき、足腰が踏ん張れないと気付いた時には全てが遅かった。辺りには紫煙が充満していた。モンデは自重を支えきれず、倒れ込むようにして片方の膝を地についた。


(……毒の煙、だと?姑息な真似をッ!)


 絶対的優位を獲得しながらも、ワルドは更に慎重に事を運んだ。最後の短剣を投じてモンデの利き腕を射抜いておき、剣を無効化してから近寄った。そうして周りの敵兵が援護に入るより先にモンデの首筋に小剣を突き付けた。


 サイ・アデルの騎士たちは歯軋りをして足を止め、モンデの首根っこを掴んで後ずさるワルドをただ見送る他になかった。


 竜がエレノアらに足止めされている間、ミスティン騎士団は懸命に戦っていた。モンデが囚われの身となって以降のサイ・アデル騎士団は振るわず、他方傭兵部隊は緒戦で戦力が半減したことがそもそも躓きの元であった。


 アイオーンただ一人が奮戦して十以上の首級を挙げていたが、戦況に影響を及ぼすことは叶わなかった。味方が殆ど失われたことに気付くと、アイオーンは冷静な頭で継戦の無謀を悟った。


(<不死>などと大層な異名に似合わぬ無様な結果ではないか。何が十天君だ。所詮はラファエルただ一人の威勢に過ぎん。……ここで尻尾を巻いて逃げざるを得ん俺も、結局は同じようなものか)


 アイオーンが単騎で離脱を成し遂げると、ミスティン騎士団の攻撃の的は竜一頭に集約された。百騎単位の部隊に次から次に攻められてはさしもの竜も鬱陶しいようで、散々にブレスを吐き捨ててから大空の彼方へと飛び去った。


 獣人軍団、サイ・アデル騎士団、傭兵部隊、竜といった強敵を退けたミスティン軍は、エレノアの勝利宣言を前にして大歓声を上げた。イオニウムから遠ざかって野営の陣を敷くと指示を下し、エレノアは全軍を南下させた。


 近くに川の通る台地が選定され、ミスティン軍は陣地を築き始めた。各員が役目を担って働く中で、ワルドの姿は指揮天幕の内にあった。


「モンデ・サイ・アデル皇子ですね?私はミスティン王国のエレノア・ヴァンシュテルンです」


 縄で手足を戒められたモンデは、簡易の椅子に腰を下ろしたエレノアの前に引っ立てられていた。周囲を見回すに屈強そうな騎士が一人と、自分を虜にした傭兵らしきみすぼらしい身なりの男、それにエルフやマジックマスターが起立していた。


 黙ったままのモンデの顎を、バイ・ラバイがそこそこの勢いで蹴り上げた。


「ヴァンシュテルン将軍の問い掛けに御答えせんか!貴様はサイ・アデルの皇子か?」


「……一国の皇子に対する待遇ではないな。この仕打ち、覚えておくぞ」


 呻き声半分といった体でモンデが応えた。今度は背中に蹴りが入るも、エレノアが熱意もなさそうにバイ・ラバイの行為を抑止した。


「モンデ皇子。ベルゲルミル連合王国は力を失いました。貴方の母国もカナル帝国に対する敵対意思を捨てたと聞き及んでいます」


「……私と騎士団が不在なのだから、妥当な選択であろうな」


「貴方さえ遺恨を残さないと約束してくれたなら、ここで解放して差し上げます。我等にベルゲルミル連合王国と敵対する余裕はありませんから」


 エレノアのこの発言には、モンデ以外の面々も驚かされた。中でもモンデを捕虜としたワルドの動揺が第一であった。


「……将軍閣下、どういうおつもりです?こいつはカナル軍と剣を交えた敵ですぜ?ついさっきまで、あんたの部下を何人も死地へ追いやっていたんだ」


「魔神に洗脳されての行為を罪に問う気はありません。そして、カナルとベルゲルミルの戦は既に戦後交渉が進んでいる段階。ミスティン王国が率先して関わる筋の話でもないでしょう」


「だからって……こいつは十天君の一人だ。みすみす放しちゃあ、後顧の憂いになるだけじゃないですか?」


 ワルドの意見は尤もで、エレノアに絶対の忠誠を誓うバイ・ラバイ以外の三者はモンデの助命に否定的な見解を有していた。エレノアは時間が惜しいとばかりに再び解放の条件を告げた。


「帰国の後も、軍事・政治を問わずミスティンに報復しないと誓約してください」


 モンデはエレノアの腹の内を量りかね、別の角度から返答した。


「……魔神のやり口を訊かなくて良いのかな?どのような手段で味方を増やし、如何なる戦略を描いているのか」


「それは捕らえた獣人への調べで解明済みですよ。特定の霧に長く触れなば心身を魔法力で侵食される。ただし、拘束力は弱く自我もそのまま残る。判断能力は正常でありながら、何故か魔神の指示に抗うことはしない」


「ふむ……戦略の方は?」


「目的は四柱にあるのでしょうから。魔神がイオニウムより動かない現状を見るに、万魔殿や凍結湖、黒の森といった封印の地に別の駒を進めている可能性は高い。裏を返せば、我々がここで足止めを出来ているのは、敵に本気で攻めるつもりがないことの証左に他なりません」


「成る程。<北将>は謙虚なものだ。そして勘所も悪くない。宜しい。敗北を認めよう。そしてサイ・アデルはミスティンに敵対しないと約束する」


 モンデの申し出にエレノアは一も二もなく謝意を示し、彼と捕虜になっている騎士の釈放を決めた。霧の及ばぬミスティン領内での実行が段取りされている中で、モンデは機を見計らって自らを捕らえたワルドに接触した。


 騎士らに混じって陣地の工作に従事していたワルドは、あからさまな嫌悪の視線でモンデを迎えた。


「そう邪険にしないでくれ。間違いなく敗北は受け入れた。今更貴殿らに復讐をしようとも思わない」


「そうかい。……ま、俺の手柄が消えてなくなるわけじゃなし。さっさと消えてくれ」


「貴殿程の腕前、埋もれさせておくには惜しいと思ってな。見たところミスティンの正騎士ではないようだが、もし傭兵であるならば我が国に来ないか?」


「なんだと?」


「奇策を用いたとは言えこの私を破ったのだ。その才覚は十天君にも匹敵しよう。望みとあらば、上等の騎士として迎え入れようと思う」


 モンデの勧誘は、正道の生き方を経験したことのないワルドに困惑をもたらせた。ワルドは歴戦の実績から自身の腕に自負を持っていたし、今回モンデを倒したことで諸国の筆頭級の騎士にも通用することが証明された。それが図らずともワルドに表舞台への招待を呼び込んだわけで、彼にしては珍しく考え込んだ。


 クルスやアムネリアといった仲間たちの顔が思い起こされ、最後にノエルのつっけんどんな表情がワルドの心情の過半を占めた。


「……考えさせてくれ」


「いいだろう。では脈があると見て忠告だ。ここから西へは進むな」


「あん?」


 間の抜けた声を出したワルドに対して、モンデは真面目な顔付きで警告を続けた。


「魔神はカナル帝国からの増援部隊と対するに、万魔殿を召喚した上で万の悪魔をぶつけると言っていた。方法は分からないが、ここより西方の戦場が地獄と化す可能性は高い」


「おい!その話、<北将>にも入れたんだろうな?」


「聞かれていない。それにお前たちはカナルと縁が深かろう?放っておくと頭に血が上って、自殺紛いの選択をしかねないからな」


 言って、モンデは「この情報の使い途は好きにしたらいい」と付け加えた。彼は最後までカナル軍と合流しないよう忠言を重ね、少なくなった配下の騎士を伴い陣を後にした。


 その夜、ワルドはあれこれと思考を巡らせた。十天君を制した己の功績と、今後の身の振り方。モンデの言う万魔殿の行方。ミスティン軍を助けにイオニウム方面へ向かってくるカナル軍の陣容。


 全てがクルス・クライスト一派との付き合いをどう考えるかということに収斂し、ワルドの心は彼らしい価値観により自己保身を優先する向きに傾いていた。


(<北将>とクルスの友誼は見た目以上に深い。そのくらいは俺にも分かる。いま万魔殿の情報を耳にすれば、必ず阻止へと動くだろう。モンデ・サイ・アデルが言うところの地獄に飛び込む寸法だ。それはいけねえ……)


 ワルドはクルスやネメシスの掲げる理想を理解こそすれ否定的な思想は持ち合わせていなかった。それでも彼個人の命や栄達と比べて重いものではなく、ましてや戦闘能力において格段の差がないのであれば、何もクルスの下風に立ち続けるいわれはないと思い始めていた。


 それでも彼の暴走に歯止めを掛けていたのは、果たしてモンデ以外の誰が自分に賛同してくれようかという一抹の不安であった。あの森の娘が自分に付いてくるという未来は、ワルドが何れ程物事を楽観的に考えようとも想像だに出来なかった。


 明朝、思案の末にワルドが決定したのは折衷の案であった。ノエルやフラニルを伴いミスティンの王都アグスティへの連絡任務を志願し、折を見てカナル軍の動きを伝えること。それが絵図で、どちらにせよカナル軍からも使者は来るものと予想され、軍営より遠ざかることはワルドの中で必要最低条件と言えた。


 エレノアは特に怪訝に思うこともなくワルドらをアグスティへと送り出した。戦況をアンナへと伝える必要があり、加えてディアネ神殿に神官の追加派遣を要請したくもあったのでワルドの申し出は渡りに船であった。


 南進の道中、ワルドは己の選択を振り返っては自己承認を繰り返した。


(俺は何も間違っちゃいない!例えアケナスが平和だろうと、俺が死んじまったら意味なんてねえんだ。個人が幸福を追求することに善も悪もあるか?いや……そんなもんは関係ねえ。ノエルだって、いつかわかってくれる。俺だって、見栄えのする騎士になればクルス以上にやれるはずだ……)



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