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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第六章 霧と幻の輪舞曲
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2 悠久の万魔殿

2 悠久の万魔殿


 イオニウムの王城・スペクトルの玉座には、獣王に代わり麗しい乙女が収まっていた。白い絹のローブに身を包んだラーマは茶色がかった黒瞳を虚空に向けたままで、かしずく臣下らへと神言を投げ掛けた。


 大陸北部を覆い尽くさんばかりに広がる霧から得た情報がそれで、苦戦の続くミスティン騎士団へとカナル帝国より援軍が送られたとのことであった。


 本来の城主は軍を率いてミスティンとの戦闘に明け暮れている為に、便宜上上位にあるモンデ・サイ・アデルが問いを発した。


「優勢とは言え、ミスティン一国を破るに至らぬ現行の戦力で、精強で鳴るカナル軍を相手に出来ましょうか?」


「城下の傭兵隊と、貴方の騎士団も動かして下さい。竜も投入します。総力を挙げてミスティン騎士団を抑えるのです」


「それではカナル軍に対して無防備となりますが?」


「ここに万の悪魔を引き込みます。それでカナル軍など滅ぼせましょう」


「万の悪魔……」


 目の前の、かつての同僚と同じ顔をした超越者の言葉に、モンデは戸惑わずにいられなかった。竜や悪魔を自在に使役する感性からして違和感を覚えたものだが、こと戦争行為を軽んずる言動にささやかな怒りすら込み上げてきた。


 魔神の傘下入りをして直ぐにモンデは軍政を洗ってみたが、イオニウムの糧食や武具の備蓄はとても必要量に達していなかった。おまけに獣人軍団が力押しの戦術しか採らないせいで、対ミスティンの戦況は無駄に停滞していた。


 彼にせよ<鉄の傭兵>にせよ、なまじ理性が残っているが故に、イオニウム陣営の非合理な運営手腕が目についた。


(魔境からそれだけの数の悪魔を呼び込めるというのか?もしそうなら、何故今更なんだ……)


「今の魔境にそれだけの戦力はありませんよ。万の悪魔を内包した城を召喚します。シュラク神が一枝、天獄の万魔殿と呼ばれる虚ろな柩を」


 ラーマ・フライマの声帯より発せられた万魔殿という名の響きは、モンデの耳にこれ以上ない不吉な音として残った。玉座の間に控えたイオニウムの兵士たちとて理解は覚束無いようで、モンデが続けて質問を発した。


「その万魔殿とかいう城を呼び出して、悪魔を解放するわけですか。では召喚にあたり猶予もいらないのですね?」


「いいえ。かの城に施されたディスペンストとアルヴヘイムの封印を解く必要があります。ですがそれは、近く第三者の手によって為されることでしょう。後は少しの間、私がディアネを抑え込めば済む話です」


「……つまり、その間ミスティン騎士団にここらを彷徨かれると困るという寸法ですね?」


 玉座に居座る女の表情から同意を読み取り、モンデは大人しく自らの騎士団を動かすと決めた。魔神ベルゲルミルの束縛は決して苦痛を伴うものではなかったが、抗う意思を持つことだけは許されなかった。


 モンデは単純な戦闘力だけを切り取ったならば十天君の内でも下位に位置すると見られていた。しかし、総合してあらゆる戦闘に負けない名手として知られ、付けられた異名が<不死>であった。


 ミスティンが誇る<北将>を相手に勝ちきることは難しくとも、時間を稼ぐ目的であればモンデにとりそれほど難題とは言えなかった。


「各々軍団の首領が指揮権を持つままで宜しいか?獣人の部隊は私の命令など聞かないでしょうし、傭兵には傭兵の戦い方がありそうなもの。竜の扱いに至っては皆目見当すらつきません」


「よしなに。この城は私の直営が守りますから、背後は気にせずミスティン騎士団との戦いに専念を」


「承知致しました。では」


 出陣へ向けて踵を返したモンデに対し、ラーマの肉体を借る異形は口に出しては何も言わなかった。ただその瞳が雄弁に物語るは寂寥で、その表情が魔神とラーマのどちらに由来するものかは当人のみぞ知るものであった。


 数日の内にイオニウムを進発したモンデのサイ・アデル騎士団とアイオーンの傭兵隊は、妨害に遭うこともなくイオニウム軍との合流を果たした。間も無く戦場に竜が飛来し、対ミスティンの戦局は混迷を極めた。



***



 空を見上げれば雲の流れる速度は早く、吹き荒れる突風が騎馬の行軍をかき乱した。おまけに不意に霧が立ち込めるものだから、展開する騎士たちはたまったものではなかった。


 獣人管理区域とミスティン王国の境界付近に陣取る騎士団の従軍期間は、エレノア・ヴァンシュテルン指揮の下数十日に達していた。騎士たちの<北将>への信頼は厚く、また王都に残ったアンナが自発的に軍事行動を支持・支援した為に、長期に及ぶ戦争状態は維持されていた。


 この日は明け方から激しい戦闘が続き、平原で始まった斬り合いは戦場を徐々に西へと移した。なだらかな丘陵地帯を二本の足で颯爽と横切る二者が、獣人兵と遭遇するなり鮮やかな連携攻撃を見舞った。


 まずは男が隙の無い身のこなしで接近し、小剣で大振りに仕掛けた。<獣化>を果たしていた獣人が力強い動作で盾をかざして防御すると、いつの間にかその背後に回っていた少女然としたエルフが細剣を突き出した。非力な一撃故に致命傷とはならなかったが、背に注意を向けざるを得なかった虎面の獣人へと男が止めの横斬りを叩き込んだ。


 喉を深く裂かれた獣人は滅茶苦茶に大剣を振るって冥土への道連れを所望したが、女エルフと男は既にその場を後にしており、剣は虚しく空を裂き続けた。


「敵も味方も、末端は戦陣の体を為していないわね。こうなると頑強な肉体を持つ獣人が有利よ」


 足を止めずにノエルがそう溢した。


「無理もねえ。朝っぱらから戦い尽くだぜ。大将の指揮についていけずはぐれた輩は多い。今日は潮時だ」


 ワルド・セルッティは答え、疲労の色濃い顔に苦笑いを追加させた。


 ノエルとワルド、それにフラニル・フランを加えた三人は、クルスの指示でミスティン騎士団の援護に入っていた。魔神が降臨したとされるイオニウムの軍勢を相手に日夜斬り合いを演じていたのだが、彼女らにも敵の全貌は掴めていなかった。


 それというのも、戦場であい見えるはいつでも変わらず獣人の兵士であった。聞いていた傭兵部隊やベルゲルミル連合王国の騎士部隊は影も形もなく、たまに発生する邪魔な濃霧以外に魔神の存在を意識させられるものはなかった。


 さらに二人組の獣人兵と遭遇し、ノエルが魔法を駆使して機先を制すると、ワルドは速やかに必殺の一撃を叩き込んで回った。遊撃の役割を見事にこなす二人であったが、本命である魔神ことラーマ・フライマの姿が見えぬ内は油断なく事を運んだ。


 後方の丘から合図の狼煙が上がり、それを視認したワルドは目付きをいっそう険しくさせた。魔法で着色のされた煙には意味が込められており、たった今上げられたそれは想定された状況の中で最悪の部類に属していた。


「ワルド!」


「……おうよ。敵さんに新手だと。<北将>も主力は温存してるだろうが、数によっちゃあ一波乱あるぞ」


「上等じゃないの。魔神が出てきたのならここで決着を付けてしまえばいいわ。直に陛下も駆け付けられるでしょうし、丁度いいというものよ」


 ノエルは涼しそうな表情を崩さず、碧眼に困惑よりも闘志の炎をより強く灯して言った。


「げっ……。クルスとファラウェイ不在で決戦ってのは無しにしようや。危険な匂いしかしねえ」


「やけに弱気じゃないの。あの二人無しでアケナスを救ったなら、あなたが英雄になれるのよ?」


「……嬢ちゃんよ。俺がそういう柄に見えるか?」


 ノエルはくすりと笑みを溢すと、本陣の位置を確かめるべく風の精霊と交信を始めた。相方の儀式をよく知るワルドは黙ってそれを眺めていた。


 ノエルの金髪は強風になびいて大きく波打っており、両の腕を真っ直ぐ前に伸ばして黙祷するその姿は、ワルドの目に神秘の美と映った。人間とエルフは種族こそ違えど互いの美的感覚に通ずる点があり、ゼロのようなハーフエルフの誕生例も稀に見られた。


(エルフってのは、ただ儚げで高慢ちきな生き物だとばかり思っていたんだがな。この嬢ちゃんに考えを改めさせられちまった)


 一匹狼を気取って裏稼業の仕事を続けてきたワルドであるが、気が付けばクルスのパーティーに長く身を置いており、それを自然に受け入れてもいた。ワルドはクルスの人間性を好ましいものと認めていたが、それ以上にノエルに魅せられた点が大きいのだと自己を分析していた。


(……盗賊崩れの俺が英雄ねえ。考えたこともなかったぜ)


 風の精霊から情報を得たノエルの先導で、二人は敵兵の散見される戦場を最短経路で駆けた。エレノアの本陣は臨戦態勢にあり、合流したノエルらを戦力として歓迎した。


 丘上から眺めると、地平の彼方より刻一刻と影を大きくする二つの集団が認められた。ワルドはいち早く敵の数を見極め、それがミスティン騎士団第三軍の本陣戦力を上回る物量だと告げた。


「大将はどこにいった?獣人を相手にしてる全軍を呼び戻さねえと、このままぶつかりゃあ大被害だ」


 ワルドは手近な騎士を捕まえたものだが、エレノアは本陣に堅守を命じて以降、散らばった部隊の結集を試みて馬を走らせているとの答えが返ってきた。ノエルと顔を見合わせ、ワルドは舌打ちした。


 ノエルに用兵の機微は分からなかったが、手を拱いて迫り来る敵の新手を待つというのは無策に過ぎると感じられた。ワルドの要請で偵察すると、一個の騎士団と、それとは趣を異とする別の傭兵部隊が敵の素性だと判明した。


「そいつはベルゲルミルから離脱したとかいう騎士団だろうよ。もう片割れは……<リーグ>の傭兵が魔神にでも取り込まれやがったか?」


「どうするの?ここで待ち構える?」


 俺に聞くなと口から出かかったが、ワルドはそれを強靭な意思の力で押さえ込んだ。そうして騎士の一人に頼み、将軍代行を務める上級騎士へと繋いで貰った。


 ノエルとフラニルを含めた三者はエレノアの賓客と見なされていたので、将軍代行の騎士はワルドの提言を拒みはしなかった。敵味方とも魔法抵抗を構築する戦闘距離が近付き、何か策を講じるとすれば今が最後の機会であった。


 ミスティン騎士団本陣の戦力は待機状態を解消し、全騎一斉に始動した。向かって右方、より少数の傭兵隊が標的であった。兵の少ないところを狙うは常道で、ワルドは奇をてらうことなく優位の創出を狙った。


 イオニウムの新手とミスティン騎士団本陣部隊はそのまま激突した。ミスティン軍は初撃で敵傭兵隊を半壊させ、直ぐ様左方を向いてサイ・アデル騎士団の残存部隊に備えた。


「ワルド!前に出過ぎないで!」


 ノエルは狂騒の最中で冷静にワルドを諫めた。彼女は身軽さを最大限に発揮した身のこなしで敵騎士の剣を回避し、細剣の反撃で一騎ずつ着実に葬っていた。


 一方のワルドは対サイ・アデル騎士団で突出し、最前線で剣を振るっていた。裏方や援護を得意とする彼からして異質な行動で、ノエルの心配は募った。


 序盤、ミスティン軍は押し気味に戦いを進めた。潮目に変化が生じたのは、サイ・アデルとの騎士同士の斬り合いが膠着を見せ始めた頃であった。


 まずは被害甚大で散り散りとなったはずの敵傭兵隊から、最高戦力が一気に牙を剥いた。<鉄の傭兵>アイオーンその人であった。


 アイオーンの剛剣は容赦なくミスティン騎士を討ち果たした。鎧兜をものともせずに叩き割り、剣筋は誰の目にも追えなかった。


 傭兵隊が息を吹き返したことを視認するや、モンデはサイ・アデル騎士団の攻勢を一気に強めた。彼は様子見も兼ねて部隊の中に休息地点を設けさせていたので、体力の温存された騎士がまだ残されていた。


 敵からの圧力が増したことを肌で実感したワルドは、目の前の騎士と必死に剣を交えながらも味方の状況を気にかけた。


(こいつはやべえ……!敵将の首を取るくらいしないと、じり貧が目に見えてやがる)


 ノエルを目で追うが、乱戦下ではぐれてしまい視界に収まらなかった。懐から抜いた短剣の投擲で敵騎士の隙を作り出すと、ワルドは小剣による速攻で腹と顎を突いて撃破した。


 単独でサイ・アデル軍中を突っ切るかと短慮を起こしかけたその時、ワルドの目に映る景色に大きな影が差した。夜でも訪れたかのような薄暗さを不審に感じたワルドであったが、直ぐに背筋の凍る恐怖を味わうこととなった。


(嘘だろ……!)


 近くで戦う味方の上げた声は絶叫と大差なく、ワルドは思わず固唾を飲み下した。


「竜が……竜が出た!」



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