巨頭会議-2
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クルス・クライストは、目の前の巨人たちに対して辛抱強く語りかけた。同行する妖精族の口利きで堅い城門を突破出来たまでは良かったが、<フォルトリウ>の幹部会合が開かれている宮殿入り口で押し問答になったことは誤算でしかなかった。
背後に控えるゼロにはこちらから手出しをしないよう伝えてあり、クルスは自分たちがアルヴヘイムの代表であるとの主張を続けた。
「聖タイタニアの言伝てを申し渡しに来た。何とか取り次いで貰いたい。おれはカナルの傭兵クルス・クライストだ」
「何を言われようと、部外者を通す訳には行かぬ。散れ」
「部外者かどうかは中の奴等に聞いて貰えれば分かる。話だけでも入れてみてくれ。アルヴヘイムの現状さえ伝えられれば、直ぐにここから出て行く」
「そういう命令を受けていない。今すぐに出て行け」
騒ぎを聞き付けて巨人の衛士が複数人集まってきており、クルスらを高みから見下ろす目は順当に増えていた。こうなっては如何にクルスと言えども、個人戦闘力の高い巨人を相手に派手な立ち回りを演じる訳にはいかなかった。
ゼロはいつでも逃げ出せるようにと抜け目なく宮殿の四方を確認していた。水色の髪をした妖精の女は人間の姿を維持していたが、いざとなれば変態して空から脱出する手筈となっていた。
さらに幾度か噛み合わない応酬がなされ、巨人たちに腕力を用いる気配が漂い始めたその時、予告なしに宮殿の扉が開かれた。現れたのは、凛とした佇まいのダークエルフ・エストであった。
彼女と二度相対しているクルスの緊張が最高潮に高まった。巨人たちはエストの登場にしかめ面を露にし、それでも大人しく道を開けた。
「クルス・クライスト。アルヴヘイムの使者として、ここまで来たそうね」
「……そうだ。聖タイタニアからの遺言を伝えにきた。それが済めば、直ぐに引き上げる」
「イオニウムの獣王を斬り、ベルゲルミル連合王国に致命傷を与えた身でよくぞ顔を出せたものだな」
「頼まれたから来たと言った。闘う気なら、こちらも騎士団を伴った」
エストとクルスの視線は交錯し、巨人たちはそこに一触即発の空気を感じ取った。ゼロは意識下で精霊への干渉を試み、いつでも開戦出来る態勢を作り上げた。
ややしてエストが一息つき、表情から敵意を放逐させた。
「入れ……と言いたいところだがな。生憎こちらも散らかっている。聖タイタニアの遺した言葉、ここで承る」
「承知した。アルヴヘイムの存続をどうか宜しく。そう伝えてくれとのことだ」
「黒の森のエストが確かに聞き届けた」
「それから。妖精王を殺ったウェリントンだが、次は万悪殿の封印を破るつもりのようだ。鍵となる鏡を狙うらしいから、そこにも人を向かわせている。……おれの言えた義理じゃないが、黒の森は大丈夫なんだろうな?」
「貴様に心配される筋合いではない。……かの半人半魔程度の輩は手出しすらできん。そういうものだ。用件が済んだのなら、さっさと失せるがいい」
エストの物言いに抵抗する素振りを見せず、クルスは颯爽と背を向けた。心配そうな顔で見守るゼロと妖精に頷いて見せ、この場からの離脱を仄めかせた。
クルスとてミスティンとアンナを玩具にされた仕返しを試みたい気分はあったが、敵の本拠地とも言える場所での軽挙は慎む他になかった。
クルスと事を構えなかったが故に、次の事態はエストも予期し得ぬものであった。
「……何のつもりだ?」
エストは、囲みを解こうとしない巨人の衛士らに向けて侮蔑の視線を送った。それに反応してか、巨人たちは一斉に剣や槍を構えエストらを逃がすまいと隊列を固めた。
「王より、エルフと人間を捕縛するよう命令が出ている。大人しくしろ」
「なんだと?私は<フォルトリウ>のエストだぞ」
エストの言葉は無視された。巨人は続々と集結し、あっという間に二十を数えた。事の推移を目にしていたクルスとゼロも剣を抜き、妖精の女を背後に庇うようにして巨人たちと向き合った。
エストは激情を表に出しつつも、先程までの会議のやり取りを冷静に思い返していた。ユミル王は<フォルトリウ>への通告無しにサンク・キャストルを攻めており、また正体不明の戦力を増強したイオニウムに肩入れをするあたり、エストに疑念を生じさせるに足りていた。
(この状況。恐らく中も同じであろうな。戻ろうとも、状況は好転するまい)
短時間の内に意を決したエストは、傍らのクルスに小声で語りかけた。
「兆しはあった。やはり巨人族と獣人族は魔神に通じていたのだ。どう?この場に限って、共闘しない?」
「……魔神については<北将>から情報提供があった。イオニウムで決起したらしいな」
「猶予がない。返答は?」
「諾だ。ゼロ!」
クルスの号令に、ゼロは伏せていた精霊の行使を実行した。一気に強風が吹き荒れ、巨人たちへと襲い掛かった。
巨人たちが暴風に晒されている隙を見て、妖精は全身を手のひら大へと収縮させ、背から透明な羽を生やすが早いか上空へと飛び去った。彼女の脱出を見届けたクルスはエストの手を取り、倒れた巨人の横を一目散に駆け抜けた。
「このまま突っ走って城門を目指すぞ!」
「……馬鹿ね。城門こそ最も防備が厚いわ」
エストは立ち上がりかけた後方の巨人たちへと闇の精霊<ダークソウル>を放った。風と闇の精霊に苦労をさせられながらも、身体能力に優れる巨人たちは徐々に自由を取り戻しつつあった。
「いいから付いて来い!」
クルスとエスト、そしてゼロを加えた三人組は、ハーケン・スレイプニル城内の街中をひた走った。道行く巨人たちに事情は知らされていないようで、追跡の戦士だけを相手にすることで済んでいた。
接近を許す度にエストとゼロが魔法攻撃で足止めを図り、時にはクルスが斬り込んで巨人兵の足を払った。そうしてたどり着いた城門には、エストの予想した通りに十人以上の戦士が重武装で待機していた。
城門を守っているだけのことはあり、エストの見たところ付近の魔法抵抗は高い精度が維持されていた。だがクルスは躊躇を見せずに眼前の巨人兵へと突撃した。
(こいつ……!考え無しに突っ込んでいるのではあるまいな?)
ゼロもクルスに追随して小剣を振るい始めた為、エストは仕方無しに二人に加勢した。細剣を駆使して巨人たちの猛攻をいなし、クルスやゼロが袋叩きに遭わぬよう立ち回った。
やがて追跡の戦士たちが姿を見せ、いよいよ戦力差は最大化されようとしていた。それと時を同じくして、城門守備隊の戦士が幾人か騒ぎ始めた。
「外から攻撃を受けているぞ!縄が掛けられている!」
外に気を取られた敵が二分したことで、クルスは攻め手を強めた。背後に迫る巨人兵への妨害をと、再びゼロが風の精霊をけしかけた。
エストは状況の変化によく順応し、クルスとゼロの援護を器用にこなして見せた。背後には闇の精霊を、正面には剣でもって乱戦に挑んだ。
「扉が……!」
扉がゆっくりと開いていき、巨人兵たちは一斉に扉の開閉装置へと視線を転じた。そこには細腕で必死に操作盤を動かす一人の妖精の姿があった。彼女は城門の内外で騒ぎが起こっている機に乗じ、独り開閉装置へ取り付いていた。
妖精を排除しようと、憤怒の形相をした巨人兵が大股に駆け寄った。巨人の手にする金棒がか細い妖精を叩き潰すかと思われた瞬間、横一閃の赤い斬撃がそれを阻み、撃たれた巨人が背から地面へと倒れ込んだ。
「クルス・クライスト、こっちだ!」
門の外より侵入して妖精を救助したはレベッカ・スワンチカで、彼女に導かれるままクルスたちは門を潜り抜けた。それを追う巨人兵には、外で待ち構えていたシエラの撃つ光の矢がぶつかった。
「クライスト様、急いで馬へ!」
城壁に縄付きの矢を打ち込み注意を引き付けていたレイが、合流するなり甲高い声で促した。二人ずつが三頭の馬へと跨がり、小人型に変身した妖精を肩に置いたクルスの掛け声で、一目散にその場から逃走した。
クルスの腰に手を回し騎乗していたエストは、一瞬だけこのまま背を刺してやろうかという考えを巡らせた。しかし自分から休戦を申し出た手前、自尊心の高い彼女からしてそのような悪辣な行為に手を染めることは躊躇われた。
「……仲間を潜ませてあったのか?」
「合流したのはハーケン・スレイプニルのほんの手前だったがね。非常時に彼女を通じて連絡することだけを決めておいた」
クルスは肩上の妖精に顔を向け、背中からの問いに答えた。そして先を走るレベッカ・シエラ組に目線を送った。
(レベッカ・スワンチカ。こいつがここにいるというのは、全くもって予想外の話だ。何れ捕虜返還で国に返すものとばかり思っていたんだが……)
一行は無事に巨人国の追っ手から逃れて北上し、セントハイム伯国入りを果たした。エストはいつの間にか姿を消していたが、道中で必要最低限の情報は交換していたので、クルスはそれを甘受した。
***
エストの開示した重大事項は二点であった。混沌の君がビフレスト経由でのクラナド入りを提案したこと。そして、どうやら巨人国とイオニウムが魔神の尖兵に成り果てたこと。
セントハイムの首都・シスカバリで事を謀るクルス一行ではあったが、<フォルトリウ>の動向を探るにせよ巨人国を相手するにせよ、戦力の心許なさは否めなかった。<リーグ>シスカバリ支部の一室を間借りして議論を尽くした結果、古城を監視して両勢力の出方を見るあたりが精々であると落ち着いた。
窓の外はすっかり日が落ちて、会議室の情景は薄い闇に染まりつつあった。木製の四角いテーブルを囲むようにして着席した面々は、自分達の前途を占うかのような暗がりに表情を溶け込ませていた。
魔神を敵と認定した場合、<フォルトリウ>はアケナスの秩序を守るという観点からはクルスらと立場を同じくした。しかし、彼らが種族補完を命題とする以上巨人や獣人を表立って叩くとは考えられず、カナル帝国との即時共闘は実現不可能な話と見られた。
言い様のない靄に包まれた感情を胸に押し込めたクルスは、改めてテーブル向かいの騎士に目を向けた。緋色の髪を肩下まで垂らした女はクルスの視線に気付くと、疑問符を浮かべて頭を軽く傾げて見せた。
レベッカ・スワンチカ。ネメシスの寄越した手駒の内に彼女が含まれていたことは、クルスにとって充分驚嘆に値した。レイは言わずと知れ、シエラは貴重なマジックマスターであるが故に人選に異論などなかった。だが、ベルゲルミル十天君の参加は戦力の増強以上に大きな意味を持った。
(十天君がネメシス様に膝を折ったと見られれば、対外的にカナルの信用は向上を見るだろう。サイ・アデルが、政治的にカナルの軍門に下ったと判断されてしかるべき事案でもある)
「イオニウム方面は大丈夫なんですかね……」
レイがぼそりと口にした不安は、誰もが抱えるものであった。
「フィニスたちがネメシス様と謀って上手くやるさ。……ここセントハイムの騎士団にも動いて貰いたいところではあるが、正直難しいだろうな」
クルスはそう応じ、別れた同志たちへの信頼を言の葉にのせた。フィニス、アイザック、マルチナはカナルへと返し、ノエルとワルド、そしてフラニルをミスティンに向かわせていた。彼女らにはイオニウムへの対処を託しており、暗躍する<白虎>の迎撃にはアムネリアとイシュタルを充てていた。
「具体的に、どうやってビフレストに張り付きますか?」
ゼロが直接的な疑問を口にした。ビフレストへの接続拠点たる古城は巨人国の領内にあり、近隣に人間種族の休める設備や友軍は存在しなかった。
「サルマン・ジーノと雇用契約を結んだ。ネメシス様のお蔭で軍資金にだけは事欠かないからな。シスカバリ支部の傭兵たちを同行させて、城の側でキャンプと洒落こもうか」
それにレイが手を挙げて対案を述べた。
「傭兵隊を迎え入れるのであれば、城の中で待ち伏せる方が良いのではありませんか」
「レイ。ビフレストを目指して来るのは<フォルトリウ>の幹部連中だ。混沌の君やアンフィスバエナと真正面から闘り合うのに、アムもノエルも無しというのでは心許ない」
クルスは答えて、道中の隠密行動についてゼロへと話を振った。
「手練れの傭兵を十人程度見繕う。総勢十六人として、巨人兵の目を誤魔化せるだろうか?勿論、おれやシエラも手伝わせてもらう」
「目的地へ到着出来たなら大丈夫です。……ですが、ダークエルフの目を誤魔化し続けるのは困難でしょう」
「ふむ。エストは……<フォルトリウ>は、こちらに前がかりにはならない気がする。寧ろ離反した巨人族をこそ警戒すると見たが」
「目隠しに関して、ハーフエルフは目的地に到着したら、という条件を付けたようだが。国境の突破に何か策はあるのか?少人数なら兎も角、二十に近い一団が通過するのでは人目につこう」
レベッカが初めて口を開いた。一同の視線は彼女へと集まった。
巨人の戦闘部隊と遭遇すれば、いくら傭兵を加えたと言えどクルスらの苦戦は免れないはずで、レベッカの指摘は此度の作戦行動における重点を捉えていた。小人形態でクルスの肩に収まる妖精は、心配そうに宿主の横顔を覗き込んだ。
「知っての通り、巨人国の北西部は険しい山岳地帯だ。セントハイムや近隣諸国と巨人国が戦争状態にあった時代に、隠密行軍の為切り開いた山道があるという。手入れはなされておらず、朽ち果てるがままだというそこを押し通るつもりだ」
「……巨人国の山地はすべからく岩石の集積体だと聞いているが?」
「そうらしい。皆に登山装備を強いることになるな」
それを聞いて重労働を予感せぬ者はなく、力自慢の少ない面々に心理的負担がのしかかった。やはり体力に不安を抱えるシエラは、クルスの肩に留まる妖精へと羨望の眼差しを向けた。
「妖精さんは良いですね。飛べますし、小さくなれば肩にも乗れます」
「オルトリープ」
「え?」
「名前。妖精さんじゃない」
「ああ……ごめんなさい。オルトリープ」
「はい!」
シエラの謝罪を受け入れたオルトリープは、未成熟な少女の面立ちを笑みで埋め尽くした。純粋な水色の瞳に湛えられた無邪気な表情はオルトリープの爛漫さをよく表しており、シエラは自身も未熟ながらに保護欲をそそられた。
アルヴヘイムから使者として随行してきたオルトリープの役目は既に終わっていたのだが、彼女はクルスから離れる素振りを見せなかった。ゼロが質したところによると、故郷を救うために駆け付け、ドワーフの援軍をも呼び込んだクルスは妖精族から英雄視されているとのことであった。
レベッカはそもそも妖精族のことをよく知らないため、オルトリープの同行に関心を払わなかった。むしろ巨人族の支配地域を中途半端な所帯で縦断することへ嫌悪の意識を持たずにはいられなかった。
彼女は文武を修めている身で、隠密行動の難しさを深く理解していた。越境に伴いわざわざ少数精鋭を解消する意図をクルスに訊ねたかったものだが、仏頂面を見せこそすれ主張は差し控えた。
レベッカとて納得の上で東部くんだりまで遠征してきたわけで、クルスの方針に逆らう気もなければ助勢に際して手を抜くつもりもなかった。卓上の杯を手に取ると、もやもやした気分と一緒に冷めきった茶を一気に喉元へと流し込んだ。
レイだけがその挙動を目の端に捉えていたが、その場で論評は為されなかった。




