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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第五章 ベルゲルミル動乱
94/132

エピローグ

***



「レイバートン。ファーロイ。そして、アルケミア。我が国と平和条約を締結してくれた国々です。実質、連合王国は解体したに等しいでしょう」


 新都バレンダウンの中枢・フルカウル城の応接室にて、ネメシスは一人の女騎士と向き合っていた。会見の部屋には革張りのソファセットと申し訳程度の書棚が設えられており、四隅に騎士と文官が二人ずつ神妙に待機していた。


 階層としては三階部分にあたり、換気の為に開放された窓からは微風が太陽の香りを運んできた。城のあちらこちらで増改築が進められていることから、大工仕事の喧騒もネメシスと客人の耳に届いていた。


「……貴女が壊したのでしょう?」


「そうですね。私の采配で多くの血が流されたことは否定しません。ですがやられた分はやり返しましたので、この先グラウス王を追い詰める気は毛頭ありません」


「ベルゲルミルを接収するつもりはないと?」


「はい。魔境勢力と対決するにあたり、元連合諸国には協力を要請していく所存です。イオニウムには正体不明の兵団が陣取り、ミスティンを竜が騒がせたと聞いています。一方でサンク・キャストルが巨人国の尖兵に破壊され、東へ遣った騎士からはアルヴヘイムの王が魔性に討たれたとの報告もありました。アケナスに災禍の芽が育ちつつあることは、もはや明白な事実なのです」


 緋色の髪をした女騎士は居心地が悪そうに座り位置をずらした。ネメシスの目線は変わらず女騎士の両眼を真っ直ぐに捉えており、言葉のみならず切々と心情を訴え続けた。


「カナルは畏れ多くも聖神カナンの名を冠させていただいた国家です。アケナスの危機に無関心ではいられません。しかしながら、あちらこちらの問題に対処するには人材が窮乏していると言わざるを得ません。そこで貴女にも力を貸していただきたいのです。レベッカ・スワンチカ」


「私はサイ・アデルの騎士です」


「承知しています。本来は捕虜交換の儀を執り行いたいところなのですが、サイ・アデルの外交筋がチャンネルを閉ざしてしまいました。実務を取り仕切っていたモンデ皇子の不在が響いているものかと思われます。貴女程の実力者を無罪放免とするわけにもいかず、こうして助力をお願いしてみました」


「……応分の働きが解放の条件というわけですか。皇国騎士たる私が、そのような懐柔策に乗るとでも?」


 レベッカの挑戦的な物言いに対し、部屋の隅から咳払いが発せられた。


「貴殿の起用は皇帝陛下直々の裁断であり、我々としては今すぐにでも処刑にしてやりたいところだ。戦場では散々に同胞を苦しめてくれたのだからな」


「アーチャー卿。控えなさい」


「陛下、御決断を。この者が陛下の御慈悲に唾するようであれば、我等臣下一同は怒気の鎮め方を知りませぬ。此度のベルゲルミルとの戦では、有能なる将軍を二名も失っているのですから」


 セイクリッド・アーチャーは静かな口振りながらに、ネメシスへと強く回答を迫った。


「……アムネリアより通信があったのです。勇者たる彼女の助けを借りなば、この難局は乗り切れまいと」


「ふむ。かの御仁も中々にお人好しですな。命の獲り合いをした敵の助命を嘆願するなどと」


「……アムネリア・ファラウェイだと」


 ネメシスとセイクリッドの問答に反応する形で、レベッカが掠れるような小声で呟いた。吊り気味の目に不可解な炎が揺らめいているのを、ネメシスとセイクリッドは見逃さなかった。


 ネメシスは姿勢を正し、敢えて穏やかな調子でレベッカへと尋ねた。


「貴女はアムネリアと深い縁がおありでしたね?あの者からは、レベッカ・スワンチカは十天君候補の中でも随一の使い手であったと聞かされていました」


「……馬鹿にしないでいただきたい。私にとってファラウェイは、決して超えることの叶わない壁であった。血の滲むような努力を重ねて会得した魔法剣をも、ファラウェイはたった一度の試合で見切って見せた。……路傍の石とダイヤの原石では、かくも明らかに差があったのだ。才能の違いは受け入れる他にない。ラファエル・ラグナロックのような超人の例もある。……だが、ファラウェイは余人が血へどを吐く程に鍛練を積み上げても得られぬ至強の証を、いともあっさり投げ捨てた。それも、短慮に走った男に引き摺られて王権に反逆するなどという、弁解のしようもない愚かな真似をしでかして」


 レベッカの独白は熱を帯び、抑圧されていた怒りの凄まじさを物語っていた。ネメシスはそれに水を差さぬよう静かに耳を傾けた。


「ファラウェイが私如きの力を頼るなどと、考え難い。……何より、私は彼女が嫌いだ」


 言い切るレベッカへとネメシスは頷いて見せた。


(きっと、アムネリアに反目しつつも彼女の強さに純粋な憧れを抱いていたのでしょうね。ただの恨み辛みではないのだから、和解の余地はあるはず)


「ファラウェイ卿が軟派であると?」


 ネメシスの意に反して、セイクリッドが口を挟んだ。


「……ある一面では、そうです」


 口調の変化から、レベッカが幾ばくかの冷静さを取り戻したと知れた。


「ルガードという人物についてはこちらも把握している。ファラウェイ卿は東部に赴いてその者との決別を果たした。今や私心無く、カナルの為に身を粉にして働いてくれている現実をどう見る?」


「失礼ながら、ファラウェイがそこまで貴国に忠義を尽くす理由が分かりません。ただ悪魔への憎悪を養分とし、今まで築き上げた地位と名声を捨て去ってまで貴国に仕えるというのは……」


「陛下の仁徳と志を認めたのであろう。そして、カナルの国家としての潜在力がベルゲルミルを遥かに超越していると理解したのだ」


「違います。それこそ、クルス・クライストの影響でしょうね」


 セイクリッドの弁舌へ割り込むようにしてネメシスが口にしたその名に、レベッカは記憶の隅をくすぐられた。


(<翼将>や<飛槍>がやたらと持ち上げていた傭兵の名か。此度は<流水>をも下したと聞くが……)


「大切な存在を悪魔に奪われた者同士。並外れた知勇を有する者同士ということで、二人の結び付きは見た目以上に強固なものとなりました。クルスは私の復讐を手伝い、それに止まらずアムネリアの遺恨をも断ち切ったのです。根っから優しい男なのですよ。あの者は……」


「ふむ。対象を女性に限ったならば、強ち嘘とは言えませんな」


 冗談を口にしてさえ、セイクリッドの表情に変化は乏しかった。徹頭徹尾無言を貫き三者の掛け合いを眺めていたレイは、中々結論を出さない展開に退屈極まっていた。十六という若輩の身に説法はまだ余り、ともすると<烈女>の首をはねればよいのにと過激な思考に支配された。


 セイクリッド含め、四方に配置された騎士はいざレベッカの暴れた際に制する役を仰せつかっており、レイも実力を高く評価された故の役目であった。しかし、レイはアルヴヘイムから巨人国へと駆けずり回るクルスの動向を気にし、一刻も早く合流したいとの思いを強くしていた。


 カナル国内の騎士に自分を鍛えられる程の使い手は無いと見ていたので、レイは自身を成長させる為にクルス一行と行動を共にする必要があるとの結論に至っていた。


(アルテ・ミーメ様は私をクルスさんの下に送り出して下さった。なのに、戦場でへまをしたばかりに……)


「レベッカ・スワンチカ。そこにいる我が国期待の若手と共に、クルス・クライストを助けては貰えませんか?レイ、あなたはシエラと共に巨人国に向かったクルスと合流するのです。任務は<フォルトリウ>への牽制。良いですね?」


 唐突にネメシスから指名のされたレイは戸惑いを表に出した。それとは対照的に、レベッカはじっと押し黙ってネメシスの提案を吟味しているようであった。


 セイクリッドがだめ押しとばかりに情報を提供し始めた。


「ファーロイ湖王国は陛下の要請に従って、既にミスティンへの騎士団派遣を決めている。アルケミアの王女からして手勢と共にクライストの指揮下にある。ここで卿が陛下の御慈悲にすがらぬも良し。ただしその場合、騎士団不在のサイ・アデルに我々が優しく接する理由は無くなるだろう」


「……連合王国が切り崩された今、何を言っても敗者の弁と言うわけですか」


「陛下の御前故に、これでも加減をして懐柔に努めているつもりだ。帝国貴族は元来、これ程に大人しい性分ではない。必要とあらば貴殿の親類縁者を盾に取ってもみせよう」


 たしなめようと身動ぎするネメシスを、レベッカが手で遮った。観念したと見え、長く息をついてから「皇帝陛下の命に従います」とだけ応じた。


 用件が済むと、多忙なネメシスらは早々にレベッカの下を辞した。後に残されたのはレイとマジックマスターの少女が一人で、室内の重々しい雰囲気は晴れなかった。


 急に監視が解けたことで手持ち無沙汰になったレベッカは、抑揚のない声音でレイへと声を掛けた。


「レイと言ったか。さて、私はどうすれば良い?」


「……こちらで巨人国入りの旅装を手当てします。必要な物を教えて下さい」


「<フォルトリウ>と事を構えるのだろう?まさか、そなたと二人旅ということはあるまいな」


 レベッカは女だてらにサイ・アデル皇国の重臣であり、皇子モンデから<フォルトリウ>の概要は講釈を受けていた。ベルゲルミル連合王国の代表として<鬼道>のアンフィスバエナが参加しているとも聞いており、組織の全容こそ知り得なかったが十分警戒に値する対象であると睨んでいた。


 レイは純朴な瞳に怒光を走らせて答えた。


「部隊など同行しませんよ?貴女に私。それとここにいるシエラで全員です」


 レイに紹介され、暗灰色のローブに小柄な身を包んだ愛らしい少女が頭を下げた。横に結った髪がぴょこんと跳ねた。


(こんなにも年若い騎士とマジックマスターだけを伴って、巨人国へと赴けというの?私の変心は考慮に入れていないということか……)


「サイ・アデル皇国のレベッカ・スワンチカだ。……道中宜しく頼む。レイ、シエラ」


 レベッカは深く考えることを止め、年長者として、そして上位技能者として二人に接すると決めた。シエラは緊張した面持ちで、「宜しくお願いします」と畏まった。


 レイのレベッカを見る目はいつになく冷やかで、シエラが頭を下げる度に表情は険しさを増した。


「……シエラの父親はロクリュウ男爵と言って、先の戦で<翼将>に殺されました。私の父も、フェイニール・マリスの乱時に受けた戦傷が元で亡くなっています。陛下の命令は絶対ですが、ベルゲルミルをおいそれと受け入れる気にはなりません。悪魔は憎い。ですが、ベルゲルミルも同じくらいに憎い……」


 レベッカは落ち着いた態度でレイの告白に耳を傾けた。シエラはおろおろと二人を見比べるきりで、レイの怒りは何かに着火することなくただ室内の空気を圧迫した。


 騎士として幾度も戦に参加しており、指揮官をも務めるレベッカの目に、レイの非難は見当違いも甚だしく映った。人間が人間を殺すという道徳的な批判であれば甘んじて受ける覚悟こそあれ、いざ戦争が起きてしまえば軍人など、敵も味方も互いの命を狙う一単位でしかないと理解していた。


 それでもレベッカとて人並みの感情は持ち合わせており、若いレイやシエラの哀しみに同情の余地ありと見なしていたので、反論は差し控えた。神官でない身の己に説法は似合わぬと考えていたし、カナル騎士の情操教育など自身の埒外であろうと思われ、レベッカは消去法的に口をつぐんだ。


(こんな時、ファラウェイであれば気の利いた言葉を返してやれるのかもしれない。だが女だてらに剣に半生を捧げてきた武門の私だ。今更そのような教養など、望むべくもないな……)


 レベッカが十天君に選出されたことは武門の誉れであると、スワンチカの一門は内外に拡声した。その為に果てることなく修練を重ねたレベッカであるが、欠員補充での就任は達成感を半減させた。


 そしていざ高みに上り詰めると、他のあらゆることを犠牲にしてまで強くあることを渇望してきた生き方に一抹の不安を覚えた。騎士として名を上げた後の展望を持たなかったレベッカにとり、アムネリアの生き方は殊更に眩しく感じられた。


 若く才気に溢れたクーオウルの女神官は駆け落ち同然でソフィアへと入り、あれよという間に十天君に登用された。その実力は同僚からも高く買われる程であったが、乱を巻き起こした恋人に連座して国を追われた。あてもなく流れた先で素性を隠す勇者の弟子と出逢った。その男に付いて、かつての恋人を拐かした悪魔たちへの復讐戦に身を投じ、一連の活躍からカナル帝国の新帝にも重用された。今ではアケナスの危機に奔走する日々を送り、カナルのみならず大陸のあちらこちらで剣を振るっていた。


 先程のネメシスやセイクリッドの反応を見るに、アムネリアがカナルにおいても如何に重要な立ち位置にあるかをレベッカは痛感させられていた。


(……紆余曲折こそあれ、あの者を味方として戦うのも久し振り。無心で剣を振るうのも悪くないかもしれない)


 考え込むレベッカの顔をシエラが心配そうに覗き込んだ。感情をぶつけた形のレイはばつが悪いといった表情で唇を噛んでいた。


 レベッカの瞳の焦点が徐々にシエラへと集束した。


「命を落とした貴国の騎士の分は剣で代えさせて貰う。私に出来ることは、それくらいしかない」


「……それで良いのだと思いますよ」


「……すまない」


 シエラはレベッカへとぎこちない笑みを返した。そして、レイへと旅装を調える旨提案した。


 目的地は巨人国であり、かの国の戦士がサンク・キャストルを襲ったとの情報が入った以上、気の抜けぬ旅路になることは明白であった。必要な物資をレイへと告げ、レベッカは一先ず葛藤にけりをつけた。



第五章 ベルゲルミル動乱 完

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