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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第五章 ベルゲルミル動乱
93/132

  折れた翼-3

***



 湿原の奥、アルヴヘイムの街並みは魔獣や悪魔越しに無傷と映った。林立する白い円塔、天へと向けて花弁を開かんとする巨大な植物群は健在で、奥にはブラーニー城が確かに聳え立っていた。


 ノエルやフラニル、ワルドにとり二回目の光景で、前回の訪問時と比べて集落を取り巻く醜悪な環境を除けば特段変化は見られなかった。


「クルス、どこから行くの?」


 ノエルが気合十分とばかりに、細剣を鞘から走らせてクルスへと尋ねた。視界には途切れぬ魔性の陣列が広がっており、どこから突っ込んでもそれほどに差異は無いと思われた。


「このまま前進しよう。錐形に隊列を組んで、おれたちが先頭を行く」


「分かったわ」


 カナルとアルケミアの混成部隊は一気呵成に突撃し、悪魔たちと斬り結んだ。特に統制の存在しない敵は場当たり的に反撃に出たが、遠近を問わず強力な攻撃力を有するクルスらの足を止められはしなかった。


 イシュタル隊は弓矢による火線防御に徹し、それを掻い潜って隊列へと接近した輩にはノエルやゼロの魔法が炸裂した。クルスやアイザックらは先鋒として魔獣らに切り込み、強引に進路を抉じ開けた。


 百騎の列は崩れることなく塊のままで包囲の一角を突破した。ゼロが予想していた通りに、アルヴヘイムを護る障壁はクルスらを素通りさせた。後を追う魔性どもがみだらに近付かないことから、某かの魔法罠が展開されていると裏付けられた。


 クルスはマルチナとイシュタルをその場に残し、負傷者の面倒と内外への警戒を頼んだ。妖精族は鳴りを潜めており、円塔の窓から顔を覗かせる程度にしか活動は認められなかった。


 ノエルらを連れ立って、クルスは一路ブラーニー城を目指した。異数の複合建築はアケナス各地を旅したクルスにとっても壮観であり、融け合うようにして屹立する尖塔の集合体を見上げ、思わず感嘆の息が漏れた。


 案内の無い点に怪訝さを示したものの、ワルドが記憶を頼りに一行を玉座の間へと導いた。クルスとノエルの他に、ゼロ、フラニル、アイザックが後へ続いた。


 玉座の間に足を踏み入れたクルスが最初に感じた違和感は、靴下の妙な感触であった。霜柱を踏み壊した時と似た、淡い固形物の破壊が想像された。


 果たして皆が同様に足下を注視し、床一面に透明に近い薄い結晶状の膜が敷かれていると確認できた。よくよく見れば膜は細長い楕円の形状をしており、工芸品の一種とも受け取れた。


「玉座!」


 ノエルが悲鳴に近い声を上げた。クルスは剣を抜き、用心深く気配を探りながらに玉座へ近付いた。


 玉座に重なるようにして倒れていた者は、クルスの目には異形の存在と映った。昆虫類によく見られる複眼が二つ、頭部の上半分を占めていて、頭頂から突き出した四本の触角は何れも力無く折れ下がっていた。


 華奢で真っ白な肌をした上半身は傷と体液で汚れており、背には羽の毟られたと思しき痕が痛々しく残されていた。玉座の周りで白金のティアラを拾ったワルドが、頭を振ってクルスに差し出した。


「こいつは妖精の女王が身に付けていた冠だ。間違いねえ。……俺らが会った女王は人間の容貌をしていたが、これが本体なんじゃねえか?」


「踏んだのは妖精王の羽……ということか」


 クルスは厳しい顔付きで玉座に横たわる異種族を観察した。胴を横凪ぎに切断され、離れた下半身も側に転がっていた。


 ノエルは部屋に留まる精霊たちへと接触を試みるも、手応えの無さに愕然とした。


「変ね……精霊たちの姿がない。妖精族と精霊は種族の位相が近いの。アルヴヘイムでこれじゃ、あまりに不自然だわ」


 ゼロも釈然としない表情をして辺りを見回していた。フラニルとワルドが調べたところ、妖精王と思われる体の内、左腕と右足が半ばから断たれて不在であった。


 不審な震動が発生したのはその時で、クルスらはその場に留まり警戒を強めた。マジックマスターたちは異変の感知に全力を傾けていたが、最初にそれを察知したのはワルドであった。


「来たぞ!そこだッ!」


 投じられた短剣は、部屋の中央付近で目に見えぬ何かに弾かれた。その機を逃さず、フラニルが魔法解除の術式を完成させた。


 姿を現したのは、白い甲冑に身を包んだ威圧感のある騎士が一人。その手には禍々しい気を纏う大剣が握られていた。この場にソフィア女王国の面々が居合わせていたのであれば、驚愕の声を上げたに違いなかった。


 クルスは無言で一歩を踏み出した。


「クルス・クライストよ、問答無用といったところか。だがお前たちと争うつもりはない。万悪鏡こそ逃したが、資格は得た。ここに留まる理由はもうない」


 一方的に話すウェリントンに対し、クルスは距離を縮めて近接戦闘を挑んだ。ノエルらも多勢を活かして畳み掛けた。


 受け身となったウェリントンは、如何に達人と言えど直ちに追い込まれ、奥の手である破滅の黒翼を早々に生やして正体を露にした。ノエルとフラニルが果敢に魔法攻撃を仕掛け、黒翼と真っ向撃ち合った。ゼロは防御に、ワルドが牽制にとそれぞれ専念し、クルスとアイザックが正面から剣で斬り付けた。


 完璧な布陣で臨んだ闘いは始終クルスらの優勢で進められ、遂にはウェリントンの背が床に叩き付けられた。クルスは非情に徹して追撃し、その胸に剣を突き立てた。


「やったわ!クルス、賢者の石は?」


 駆け寄ったノエルと共に、朽ち行くウェリントンの亡骸から賢者の石を取り返そうとしたクルスは、得体の知れない不安を感じた。やがて、ウェリントンの手にしていた魔剣・ダーインスレイヴが見当たらない現実に疑惑をいっそう強くした。


(あの男がこうも迂闊な行動をとるか?アルヴヘイムに単身乗り込んで、妖精の王をも討ち果たした実力者だぞ……)


 クルスは改めて周囲に気を配るも、もはや手掛かりは何もなかった。その場には二つの遺骸だけが残された。


(クルス・クライストと仲間たち。よく来てくれました。私は聖タイタニア。ここアルヴヘイムはブラーニー城の主です)


「……妖精王か。どこにいる?」


(貴方の視界で横たわっている遺体。それが正真正銘この私です。今や残留する思念のみの存在として、こうしてあなた方の頭の中へ直接語りかけています)


 ノエルらは一度妖精王の体に目をやり、神妙にして思念体からの続報を待った。


(救援に感謝申し上げます。ドワーフの軍が駆け付けたなら、願わくはアルヴヘイムを囲う魔性の駆逐をお願いしたい)


「ドワーフが派兵するかは賭けになるが、ノエルを救って貰った借りは返そう。ところで……一体誰に殺られた?」


(そこの、白虎のウェリントンに。……貴方の疑われている通りです。かの者は偽体を操ります。私もそれに騙されて不覚をとりました)


 聖タイタニアの種明かしを受け、ノエルの瞳に憤怒の炎が灯った。風の刃を創り出すと、転がるウェリントンの偽体を粉々に切り刻んだ。その体は砂のようにバラバラとなるや、蒸発でもするかのように黒煙を残してかき消えた。


 それを見届けたフラニルが「あれで……偽体だって?」と、信じられぬといった面相で呟いた。ゼロは、「無から有を創出することなど出来ない。この近辺に精霊が不在なのは、その為?」と妖精王に向けて問いを発した。


(そうです、ハーフエルフの娘よ。精霊だけでなく、生身の他者をも取り込んであの偽体は形成されていたようです。賢者の石の魔法力を利用した秘術でしょうが、精度や汎用性が恐ろしく高い。私はあれを撃退した瞬間に、後ろからばっさりとやられました)


「それで、奴は何を狙って貴女を強殺したんだ?」


(アルヴヘイムの管理する、古の万魔殿。そこに眠る巨悪の解放が目的でしょう。幸い鍵たる万魔鏡はこの城に不在で難を逃れましたが、もう一つの鍵たる我が肉体の一部を持ち去られました)


「やはり、四柱か……」


 左手の平を右拳で打ち付け、クルスは下唇を噛んだ。後手に回ったことが悔やまれ、また一歩自分とアケナスが追い詰められていくという強迫観念に苛まれた。ノエルが心配そうにクルスの顔を覗き込んだ。


(私にはもう時間がない故、簡潔に申します。白虎は次にレイ・フェニックスにある万魔鏡を狙って動く筈です。それを阻止出来なければ、万魔殿の封印は解かれます。それと……)


「それと?」


(クルス・クライスト……このようなことを頼めた義理ではありませんが、<フォルトリウ>に連絡を付けてアルヴヘイムの存続を求めてください。近く、巨人国にて……首脳会合が……)


 聖タイタニアの声音は徐々にかすれて小さくなり、完全に途絶えた。ワルドは自分の頭を叩くなりして試していたが、聴こえてくるものなしと諦めて肩をすくめて見せた。


「待て!妖精王……」


 クルスの呼び掛けに応じることはなく、聖タイタニアの思念は消失した。ブラーニー城の玉座の間に沈鬱な空気が立ち込め、仲間たちを代表してフラニルが大きく溜め息をついた。



***



 聖タイタニアの死後も、アルヴヘイムを守る魔法結界や罠は起動し続けていた。ノエルによれば、そういう仕掛けで構築されていたとのことで、余程激しい攻勢に合わなければ当面は持続するとの見解であった。しかし、集結していた悪魔や魔獣の様子が突如がらりと変じた。


 長らく様子見を決め込んでいた大群は一転アルヴヘイムへと総攻撃を開始した。クルスは要所要所に部隊を繰り出して、結界が一気に破られぬよう敵を牽制した。


 七日が過ぎ、クルスは防衛線の後退を模索し始めた。ノエルとゼロが新たに魔法結界を敷設すると仮定すれば、その範囲はブラーニー城程度が限界と想定された。アルヴヘイムの妖精たちをどうやって城まで誘導したものかと考えていた矢先、聖タイタニアの結界の一部が突破されたという報告が入った。


 イシュタル隊がいち早くその付近へと駆け付け、弓矢と魔法の中距離射撃によって侵入しかけた魔性を押し返した。クルスは部隊の過半をそこに張り付けて結界の穴を埋めると共に、ノエルやゼロ、アイザックら少数の精鋭を散らして全包囲防御を維持させた。


 負傷者の続出により、あわやアルヴヘイム陥落かと思われた十三日目、遂に待ち人が来た。アムネリアとフィニスに先導されたドワーフの兵団は、アルヴヘイムを取り囲む悪魔の群へと突撃した。


 その威力は圧倒的で、半日と経たぬ内に勝敗は決し、日没を前にしてクルスらの戦術も掃討戦へと移行していた。その夜、援軍を率いるドワーフの将がブラーニー城にクルスを訪ねた。


「よくぞ持ちこたえたな、クルス・クライスト。流石は弟の見込んだ戦士よ。がはは」


 ドワーフの将はダイノンの兄を名乗った。成る程じっくり見れば面影がそっくりで、クルスは初見で目を瞬かせて彼の顔を凝視した。


 応接間のテーブルにはアムネリアとフィニス、それとノエルに加えて水色の髪をした若い女が同席していた。


「……アルヴヘイム防衛への御協力、感謝の念に堪えません。王に成り代わり、謝意を述べさせていただきます」


 水色の髪の女はアルヴヘイム唯一の官吏であり、聖タイタニアの思念より一切の後事を託されていた。ドワーフは黙って手を差し出し、二種族は幾世紀ぶりかの握手を交わした。


 質実剛健を旨とするドワーフが長話を嫌ったため、会談は短時間で終了した。ドワーフの兵団は半数が暫くの間アルヴヘイムに逗留して周辺を警戒することとし、残る半数は本国への帰還が決まった。


 ノエルが個人的に話をしたいとドワーフへ申し入れたので、クルスとアムネリアは先に城から出てアルヴヘイム市内の営地に向かった。道中、クルスと情報の共有を行ったアムネリアは、一も二もなくウェリントンの追跡を買って出た。


「ソフィアの女王を気遣っての立候補か?」


「そうだ。妖精王すら踊らされたのだ。ウィルヘルミナ陛下と言えど、生半可な構えでは勝てまい。鏡を押さえられたら終了なのだから、私自ら白虎に引導を渡してくれる」


「イオニウムには魔神が降臨して、巨人国では<フォルトリウ>の会合が開かれるという。……とてもじゃないが、人手が足りないな」


「心配せずとも、そなたが駆け付けたところでどちらも大勢に影響などなかろう。ここまで来たらただの気分の問題だ」


 アムネリアの真意は「気負うな」ということで、それを悟ったクルスは忠告に素直に耳を貸した。確かにクルスたちの関与がアケナスの運命を左右するなどというのは大それた考えであり、クルスは謙虚に努めるよう自らを戒めた。


「またアムとは別行動になるな。変な虫が寄り付かないか、そちらの方が心配の種だ」


「そなたに心配されるいわれはないが」


 酷薄な返事にも動じることなく、クルスは澄まし顔のアムネリアに視線を投げかけて続けた。


「おれに関しては心配ないぞ。甘い密には棘があると知っているからな。美女の誘惑にも、軽々しく乗ったりはしない」


「興味はない」


「アムはつれない……」


「どうせフィニスかゼロが監視して、そなたの行状を事細かに陛下へ報告するであろう。女癖の悪さが原因で解雇などされぬようにな」


「……肝に命じよう」


 クルスは無言で自分を見詰めるネメシスの姿を想像し、生唾を飲み込んだ。それを横目に見たアムネリアが微かに笑みを浮かべた。


 肩が触れるか触れないかという密接した状態で歩いていたが為に、クルスの鼻腔をアムネリアの芳しい体臭が優しくくすぐった。アムネリアが避ける素振りも見せなかったので、クルスは敢えてその距離感を維持した。


「それにしても。よくもドワーフを動かせたものだ。アムの美貌は石と酒にしか興味のない、かの頑固な種族をも籠絡せしめるか」


「ダイノンの誓いが全てだ。王は私とフィニスの言葉を全面的に信じて下さった。余計な詮索無しに、その場で戦士の派遣を決してくれたのだ」


「……かつてウェリントンと賢者の石を追って、ドワーフの国に入ったのはノエルだったな。いちエルフの加勢にダイノンを遣わせたくらいだ。王には色々と先が読めていたのかもしれん」


「うむ。豪快な御仁ではあったが、思慮に深い人格を有されると見た。そう、サラスヴァティ・レインとも旧知であると言っていたな」


 アムネリアの言に、クルスは足を止めずに空を見上げた。遠い目をして回想に耽るクルスを、アムネリアは黙って見守った。


 サラスヴァティの仲間には屈強なドワーフの兄弟がいて、クルスも彼等とは面識があった。闇の勢力が跳梁し始めた昨今のような情勢下、クルスはあの兄弟が味方をしてくれたなら心強かったろうにと惜しんだ。兄弟はウィルヘルミナやネピドゥスと共に悪魔の王アスタロテと闘い、鬼籍に入っていた。


(おれの仲間も何れヴァティのパーティーに劣らぬ実力派ばかりだ。だが、おれの力だけが彼女に遠く及ばない。ラクシの手助けもない今、どうやって魔神や四柱のような化け物と渡り合っていけば良いのか……)


 クルスは自分が勇者の後継たる器にないと自覚していた。先にウィグラフやラファエルといった個にも勝ちきれなかった事実を有りの侭受け止め、現実として如何に戦力の底上げを図るか思案していた。


 アムネリアはクルスの態度の端々から、彼が感じている限界や苦悩をそれとなく察していた。それでも忠言を与えることはせず、クルスの考えるままに任せていた。


 クルスがほうと息をついたのを機に、アムネリアはさらに顔を近付けて言った。


「妖精族の今後も託されたのだ。あれは女性しかいない種族故、そなたの責任は重いぞ」


「……まさか、アムがおれに一夫多妻を勧める日が来ようとは」


「それもまた一興よな」


 顔を見合わせ、二人は同時に笑声を上げた。危機の連続に見舞われた彼らの旅路における、束の間の安息がそこにはあった。



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