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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第五章 ベルゲルミル動乱
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  折れた翼-2

***



 クルスとラファエルの闘いを、双方の勢力は静かに見守った。橋の上で剣を振るうは二人のみであり、竜に掻き回された両軍の戦意は、将同士の一騎打ちによる幕引きを是とするまでに低下していた。


 ノエルは歯を食い縛ってクルスの剣に祈りを捧げた。イシュタルは天弓を背に仕舞い、ただラファエルの闘う姿を目で追い続けた。


 そこへ息を切らしたライカーンが走り込んできた。


「イシュタル様!どうして援護をならさないのです!」


「ライカーン将軍。ラファエル様とクルス・クライストは竜を相手に共闘しました。お互いに、闇の勢力を共通の敵と認識しているからこそです」


「それはそれで宜しいですが……目の前のカナル軍を放っておく理由にはなりますまい?」


「カナルとベルゲルミルのどちらが大敗を喫しても、闇だけをただ利する結果になるとしたら?ラファエル様は最小の犠牲で最大の戦果を上げるおつもりです。すなわち、ここでカナルの支柱たるクルス・クライストを討てば戦が終わると」


 ライカーンは、ラファエルとクルスが繰り広げる剣と魔法の応酬を前に目を細めた。高速で放たれるクルスの魔法攻撃をアイギスの盾が弾き、ラファエルの下段斬りにクルスは剣を差し込んで対抗した。


 傍目にも互角の攻防と映り、ライカーンは怪訝な表情を浮かべた。最強と謳われしラファエルが、どうしてこうも苦戦せねばならないのかと疑問に感じられた。


 両者共に雄叫びを上げ、剣と剣の激突は最高潮に達した。一本の剣が剣身の根元から折れ、放物線を描いて落下した。


 イシュタルが小さな悲鳴を漏らした。


「幕だ、<翼将>。神器の力を開放して竜を止めたお前に、たいした力は残っていない。つまりはそういうことだ」


「……最後の一振り、刺し違える覚悟があってのものか?こちらが半歩前に踏み込んでいたら、貴公の首は飛んでいた」


「勝つのがお前でも、四柱や魔境とは決着をつけるのだと分かったからな。ここでおれが死んでも全てが無駄にはならんと吹っ切れての技だ」


「思い切りの差か……見事だ」


 ラファエルの降参ともとれる発言に、クルスは戦意を鎮めた。ノエルやライカーンですら、安堵の息を吐き出して身体を弛緩させた。そして、その虚を突いて動く影があった。


「まだです!竜が!」


 フィニスが声を上げた時には全てが遅く、死んだと思われていた竜が頭部より体液を撒き散らせて起き上がった。そのまま覆い被さるようにしてクルスらへと突っ込んだ。


 フィニスの機敏なる魔法攻撃はしかし、どこに力を残していたのか竜の魔法抵抗によって防がれた。唯一それに続けたのはラファエルで、アイギスを掲げて竜へと立ち向かった。


 アイギスの力に押された竜は、橋の際で体勢を崩しながらも前足でラファエルの身体を鷲掴みにした。そして巨体は横倒れになり、そのまま橋下へと落ちた。


「ラファエル様ッ!」


 咄嗟のことに動けずにいたイシュタルとライカーンは、悲痛な叫び声を上げた。橋上より竜とラファエルが水没する様子を目の当たりにし、イシュタルは腰砕けになった。ライカーンは手近な騎士たちを怒鳴りつけ、全力で河川をさらうよう命じた。


 クルスも唖然としていたが、いつまでも呆けたままというわけにはいかず、意気消沈しへたり込むイシュタルへと近付いた。その手には依然剣が握られたままであった。


「イシュタル・アヴェンシス。……奴に庇われたおれが通告するのも情けない限りだが、ここは敢えて言わせて貰う。まだ我等に抗うか?」


 実のところクルスとて満身創痍で、イシュタルや銀翼騎士団を相手に立ち回れる状態にはなかったのだが、それを見せまいと虚勢を張っていた。ラファエルや竜と戦い力を出しきった今、気を抜けば手足が痙攣を起こしかねない程に疲労していた。


 放心状態でクルスへと向き直ったイシュタルの氷青の瞳が、徐々に焦点を結んでいった。やがてフェイルノートを手に取ると、すっくと立ち上がりクルスに相対した。


「……クルス・クライスト。貴軍にレイバートン領からの退去を要求します。今や連合王国は瓦解したも同然なのですから、カナルは侵略の目的を果たしたと言えましょう?」


「武装解除には応じないと?ここで銀翼騎士団を抜けば、ベルゲルミルの大国王は虜となる。我々がみすみす大魚を逸すると思うか?」


「降伏せよと?レイバートンの領土でも所望されるか?」


「そうだ。喧嘩を売ってきたのは元々ベルゲルミルだ。落とし前はつけさせる」


 イシュタルは挑発を重ねるクルスを苛烈な眼差しで見返した。


「ならば、戦力尽き果てんとも戦うまで。例えラファエル様が無くとも、ライカーン将軍に率いられし銀翼騎士団の中軸は息災です。<天軍>と連合諸派の騎士団も参戦していますから、そちらの満足がいくまで付き合いましょう」


「逸るのは結構だがな。多くの兵を死地へ送ることになるぞ、<雨弓>よ?」


「覚悟の上です。そしてラファエル様の薫陶行き届いた騎士たちに、今更気後れなどあろう筈がありません」


「……成る程」


 クルスは逡巡した。ノエルやフィニスが健在なことから大駒に不足はなかったものの、ライカーンやジットリスといった熟練の指揮官と互するに、アムネリアの不在だけが心許なかった。その観点から、この土壇場においてルカの戦死がクルスの強気に水を差していた。


(それだけじゃない。兵たちの士気の問題もある。期待していた援軍・ロクリュウ隊の壊滅は、遠征疲れの色濃い騎士たちの心に暗い影を落とした。銀翼騎士団の制圧に手間取れば、遠からず疲労が精神力を凌駕する。……無傷であるソフィアの動向とて楽観は出来ん。これ以上の力押しは下策か……)


 ノエルやフィニスは意外に涼しい顔をしていて、クルスが戦闘の再開を命じるようであれば、真っ先にイシュタルを打倒してしまおうと意識を研ぎ澄ませていた。イシュタルも二人から発せられる冷たく鋭い殺気を察知しており、フェイルノートを握る手には力が込められていた。


 ラファエルの遺した騎士団や領土をみすみす敵に開放することなど、イシュタルの選択肢には端からなかった。<十天君>であるとかアルケミアの王女であるとかいった理由はもはや問題で無く、ただラファエルと関係の深い先を守るという信念だけがイシュタルの激情を支配していた。この時の<雨弓>は、一人の強き後家であるに過ぎなかった。


 クルスとイシュタルの間に漂う張り詰めた空気を一蹴したのは、橋向こうより歩み出てきたネメシスの一声であった。ゼロが止めるのも聞かずにクルスらの下へと近寄ったネメシスは、身構えるイシュタルに対して努めて穏やかに告げた。


「カナル帝国は皇帝ネメシスの名において、<雨弓>のイシュタル・アヴェンシス・アルケミア伯爵公女に対し和睦を提案致します。細かな政治はさておき、軍事的には双方とも即座に兵を引くことで如何か?無論互いに妨害することなく、速やかに撤退を履行するものとしたい」



***



 ベルゲルミル連合王国が敗戦に見舞われたことは、アケナス中に衝撃を与えた。ベルゲルミル公国やサイ・アデル皇国の騎士団は半壊し、ファーロイ湖王国の騎士団は降伏して武装を奪われた。アルケミア伯爵国の雨騎士団も瓦解し、参戦した戦力の中で銀翼騎士団のみが組織としての体裁を保っているという始末であった。


 大陸最強を謳われた十天君も半数が離れたわけで、ベルゲルミルのかつての武名は地に墜ちた。当事国のみならず、かの国に近しい諸国の空気も開戦前と比して暗く澱んで見えた。


 一方、勝者であるところのカナル帝国はと言うと国威の掲揚が凄まじく、ネメシス帝を賛美する向きは収まる気配を見せなかった。純軍事的には敗戦と呼ぶに近い被害を出していたものの、ベルゲルミルやミスティンの急激な国力低下により、カナルの相対的優位は揺るがないように思われた。


 二大軍事大国の衝突は、今後のアケナスがネメシスという新たな基軸を中心として回る流れを産み出したように思われたが、暗雲はそこかしこに立ち込めていた。その内の一件に対処するべくネメシスは早足でバレンダウンへと帰参したものだが、その傍らに栄えある側近たちの姿は少なかった。


 そう、主役と思しき彼らは帝国には戻らなかった。


「急ぎましょう、クルスさん!オルトロスまであと僅かです」


「フラン。このままじゃ馬が乗り捨てになるわよ?替えの当てがあるわけでもなし」


 焦るフラニル・フランへと、マルチナが冷や水を浴びせかけるように言った。馬を駆るクルスの一団は百騎を数え、ベルゲルミル領からミスティン王国を横断し、セントハイム伯国すらも通り越して東進の途にあった。


 ノエルやゼロをはじめ、どの顔にも何れ劣らぬ疲労の色が窺えたが、それは当然であった。彼らは皆ベルゲルミルとの戦から休む間も無くアルヴヘイムを目指していた。それを誘った片割れであるフラニルは、先行して偵察に出ているワルド・セルッティの戻りを待つつもりがないようで、一団にいっそうの加速を促した。


「……早くしないと、ヴァンシュテルン将軍の心配が現実のものとなってしまいます。古の万魔殿が悪魔たちの手に落ちてからでは、何もかもが遅いんです!」


「そこが分からないのよね……。四柱の封印を狙って悪魔の群がアルヴヘイムを襲撃したのなら、それこそ<フォルトリウ>が率先して防衛に向かうんじゃない?」


 ノエルの口にした疑問は単純であるが確信を突いていた。


「……だが、それをせずに妖精の王は面識すらないおれを呼んだ。<フォルトリウ>とて複雑な事情を抱えているのだろうな」


 クルスの返答に、ノエルは馬上で申し訳無さそうに俯いた。フラニルが<北将>から持ち寄った話では、アルヴヘイムで妖精王とダイノンが交わした約定により、クルスへと援兵が請われていた。


 それはダイノンがノエルを守るために今際の際に約したものである聞かされ、レイバートンからの撤退に従事していたクルスは一も二もなく要請を受諾した。報告を受けたネメシスは、アムネリアを呼び戻してフィニスと共にクルスへ付け、そればかりか五十程の騎士をも預けた。そして、「やるからには、しっかりと妖精を助けて来るのです」という激励をもってクルスを送り出した。


 また、<北将>がイオニウムに現れた魔神の尖兵と対していることを聞き、クルスは事を急いだ。ドワーフの王国はアケナスでも南寄りの東南部に位置し、アルヴヘイムの緊急性を考えればじっくり経由するという線は有り得なかった。


 クルスは機転の利くアムネリアとフィニスに、ドワーフの王国へと向かう使者の役目を任せた。そうして自分はネメシスに借り受けた騎士を率い、アルヴヘイムの隠れる東部湿原地帯へと足を進めた。


 予想外の事態が一件発生した。出発時点より五十程の戦力が加わって全容は倍増し、そればかりか徒歩行軍であったカナル騎士たちに馬が支給された。


「アルヴヘイムが悪魔や魔獣に包囲されているというのが事実であれば、囲いの一角を集中して攻め、そこを突破する。後は中から固めてドワーフの援軍を待つ一択だ。……それでいいな?」


 クルスが念を押した相手こそ、五十の騎士や馬具兵糧を持ち寄って強引に参加を果たした曰くの人物であった。


「敵の数が過大なのであれば異存はありません。逆に押し切れると見れば、臨機応変に展開すれば良いでしょう」


「その時は、精々天弓で露払いを頼む」


「分かりました」


 イシュタル・アヴェンシスは易々と応じ、堂々たる手綱さばきで馬足を速めた。撤退の途上にあったカナル軍からクルスの一隊が離脱した際に、それを監視していたイシュタルは直接の談判を試みた。アルヴヘイムを襲った凶事に対し、イシュタルは自らが同行して共に対処に当たると言って憚らず、最後にはクルスを説き伏せた。


 雨騎士団の残存五十騎を率いてクルスの一行に参加したイシュタルは、ビフレストを目指した時分と同様にクルスの指揮を全面的に受け入れた。イシュタルの真意を量りかねたクルスであったが、ワルドからの「頭数が多いに超したことはないだろ」という一言に背を押された形で、疑念を一先ず脇へと置いた。


 昼夜を問わず少しの休憩を挟んでの強行軍により、一行はメルビンの郊外に腰を落ち着けた。東に向かえばオルトロス湿原が窺える地点まで進出してきたわけで、最後の休養をとクルスはまとまった自由時間を提示した。


 大半は野営地で床についたが、行動意欲の旺盛な騎士はメルビンの街中へと繰り出した。気の逸るフラニルはワルド隊の帰還を待ちわび、アイザックやマルチナは武器の手入れに余念がなかった。


 クルスはセントハイムの通過時に<リーグ>シスカバリ支部へと声を掛けたものだが、アルヴヘイムの救援には難色を示された。敵が大量の悪魔ということでセントハイム騎士団にも出陣を打診したものだが、折悪く魔境との境界付近にたむろした悪魔征伐へ出払っており、戦力の補充は少数のディアネ神官を得たのみであった。


 実務をイシュタルへ任せ草原に寝そべっていたクルスは、かつてサラスヴァティと旅していた頃や、ラクシュミと切磋琢磨していた過去を漫然と思い起こしていた。何の因果か自分が妖精とドワーフの仲を取り持つに至ったことへは、彼も戸惑いを覚えずにはいられなかった。


 ふと、クルスの頭にダイノンの豪快な笑みが像を結んだ。


(ドワーフ王の側近が命を賭して、エルフ族長の娘を救うとはな。ダイノン……あんたは立派だったよ。だが逝くのが早過ぎた。夜の闇が深くなるのは、これからが本番なんだぞ)


 この時期、カナル軍がベルゲルミル軍を打ち負かした事実は伝播の中途にあったわけだが、クルスの名声も比較級数的に高まっていた。ニナ・ヴィーキナ時代の話こそ表には出なかったが、どこから知れたかカナル旧帝都の悪魔を撃退したことや、内戦終結への貢献、ミスティンと協力してイオニウム王を討った件までが噂として広まった。


 さらに悪魔教団の征討、ルガード一味撃滅の一件をも流布したことで、関係者による漏洩があったものと疑われた。クルスやアムネリアに心当たりはなかったが、何れクルスに旗色の近い勢力であると推測された。真相は<リーグ>のエックスが企図したもので、云わば彼は間接的にクルスの援護射撃を続ける姿勢を貫いていた。


 自身が英雄として崇拝されようとは夢にも思わず、クルスはもやもやとした感情をもて余した。彼にとっての英雄は言うまでもなくサラスヴァティ・レインであり、仁・智・勇を兼ね備えた彼女の如き完璧な存在こそが讃えられるべきと信じていた。


「ワルド・セルッティが戻ったそうです」


 微風にはためく外套のフードを手で押さえ、ゼロがクルスの頭上から言葉を落とした。クルスは組んだ両手を枕に仰向けの姿勢をとっていて、視界に入ったゼロへと焦点を合わせた。


「外套を脱いだら、スカートの中が見えるな」


「……脱ぎましょうか?」


「そうしてくれと言いたいが、ノエルに引っ叩かれたくはない。自重しよう」


 冗談の通じぬハーフエルフにはにかんだ笑顔を返し、クルスは腹筋を使って上半身を起こした。


「状況は?」


「アルヴヘイムを取り囲む悪魔の数は推定五百。ただし、手出ししている様子はないそうです」


「まあ、妖精王の構築した結界か何かのお蔭だろう」


 ゼロは黙って首肯した。


「それが物理結界だとして、救援に赴いたおれ達をも妨害する可能性についてはどう思う?悪魔の群のただ中で足を止めたら、間違いなく全滅だ」


「支援を要請したのは向こうですから。いくら何でも、妖精王の無事な限りは通過措置がとられるものと」


「……そうだな」


「貴方は妖精族すら助けるのですね。エルフやドワーフとも親しくして、偏見の一つも持たない。……本当に不思議な人」


 冷やかしなどではなく、ゼロは眩しそうに目を細めてクルスを見詰めた。クルスは頭を掻き、自虐的に呟いた。


「獣人の王は殺した。ただのご都合主義さ」


「それでも助けを求める獣人がいれば、貴方は手を差し伸べる気がします。そして、それはとても尊い考え方だと思います」


「おだてても何も出ないぞ。……よくよく考えてみたら、最近のおれはタダ働きの連続で銀貨の一枚も手元にない」


「お金なら私が工面出来ます。必要なら仰有ってください」


 ふとクルスの脳裏に、ゼロへ金を無心して放蕩生活を送る情景が浮かび上がったが、えも言われぬ罪悪感を覚えて早々に霧散させた。「ゼロはクルスに甘い」というのがアムネリアの口癖で、これには腹に一物のあるノエルやフィニスも同意していた。


 結局クルスは何をするでもなく営地で時間を潰し、騎士の集結を待って進路をさらに東へととった。


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