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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第五章 ベルゲルミル動乱
89/132

  終末の風-2

***



 オズメイ北王国が群狼騎士団のアストレイは、決して臆病な騎士などではなかった。口が悪く融通の利かない堅物として煙たがられるも、隊長職を務めるに余りある統率技能を高く買われ、今は大隊を監督する位階に就いていた。隊に所属する騎士から見て厳しい隊長であったし、彼の課す訓練メニューは騎士団一苛酷であると揶揄されてもいた。


 その彼が、動揺を隠すこともなく手足をがくがくと震わせていた。クルスらと共にイオニウム付近で獣人の戦士や悪魔から攻め立てられた際にも臆することのなかったアストレイでさえ、状況分析すらままならぬ有り様であった。部下たちもすっかりと萎縮して、王都ビスコンシン上空を過ぎ去る竜の群れをただ見上げていた。


 目撃された成竜の数は五頭を数え、一頭でも騎士の大隊を滅する力を持つとされる超獣をこれだけの数目の当たりにすることは、街中にいて有り得ない話であった。アケナス南部、凍結湖の周囲に広がる竜の谷へ立ち入る者などおらず、名声を得ようと竜の討伐に繰り出した騎士団は歴史上何れも潰滅させられていた。


(谷を出、魔境の上空を突っ切って来たというのか?竜がそのような行動に出るなど……前例はない)


 アストレイらオズメイ勢にとり幸いであったことに、竜の群れは南から北へとビスコンシンを素通りした。アストレイの頭には、魔境や<フォルトリウ>の差し金で竜がミスティンを攻撃するのではないかという恐ろしい図式が浮かんだ。


(最強の超獣である竜を、そうまで制御はし得るまい。……そう、思いたいものだ)


 アストレイや、彼を重用したブルワーズ将軍の働きにより、オズメイの世論は反戦へと傾いた。潮流の変化をさしもの宰相ラムダ・ライヴとて座視出来ず、対ミスティンの幕は政治的に引かれる形と相成った。


 胡散臭い<フォルトリウ>の指令と距離を取った今だからこそ、アストレイなどはミスティンの先行きに憂慮の情を抱いていた。よもや竜の群れがアグスティを襲撃しやしないかと気を揉むばかりであった。


「アストレイ大隊長!」


「何だ?竜は去った。直ぐには我々の出番もなかろう」


 アストレイはそこまで言って、注進に訪れた部下がビスコンシンではなく南方の禁区監視部隊に所属する者だと思い起こした。


「……禁区に、魔境に変化があったとでも言うのではなかろうな?」


「その通りです!境界線を警戒する我等に挑み掛かってくる悪魔が急増しております。組織立った動きではない為どうにか持ちこたえてはいますが、このままではじり貧……。至急増援をお願いしたく参上した次第です」


 アストレイはその報せに眉をひそめた。魔境の蠢動が竜の移動と何か関連のあるものかと訝るが、情報が明らかに不足しているため思考を一旦棚上げにした。


 アストレイは速断で、自らの指揮下にある全ての騎士に動員をかけてビスコンシンから南下した。そしてブルワーズへは使者を遣わせる形で事後報告を入れた。


 これ以降、アストレイは魔境と接する防衛線に、長期にわたり留まることとなった。



***



 アケナス東部、妖精たちが暮らすアルヴヘイムにおいても、不気味な現象が観測されていた。オルトロス湿原に棲息する獣や大型昆虫の類いが大挙して押し寄せ、駆除された骸は外縁部にうず高く積もって悪臭を放っていた。


 はじめのうちは、守護者不在となった湿原の生態系に不安定さがもたらされた故の自然現象と考えられた。しかし、アルヴヘイムを目指す獣の目に狂気の光が宿っていると分かると、聖タイタニアは妖精たちに防衛の徹底を命じた。


 やがて獣の内に魔獣が混ざり出し、だがそれらはアルヴヘイムへの侵入を試みることなく、外縁周辺をまるで散策でもするかのようにのんびりと闊歩した。一度ならず聖タイタニアが出張ると、交戦意思を見せることなく魔獣どもは散っていった。そうして時が経つとまた辺りを彷徨くようになった。


 聖タイタニアが危惧したのは、この程度の怪奇事象であれば対処に難くないが、自分がアルヴヘイムを離れた隙に何やら起こるかもしれないという点であった。神具・万魔鏡を狙うウェリントンこそアンフィスバエナによって撃破されたとは言え、彼の者が単独犯であるかどうか、聖タイタニアにも知り得なかった。


 <フォルトリウ>の臨時会合の日取りが刻一刻と迫る中、遂には下級の悪魔までもがバラバラと集まって、魔獣と共にアルヴヘイムを取り囲む事態に発展した。


 ルガードの一味に守護獣や精鋭部隊を討ち果たされた今、聖タイタニアに残された主戦力はマジックマスターとして人智を超えた能力を有する己が自身と言えた。だがそれも、敵の目的が知れない以上は軽々しく出陣するわけにはいかなかった。


(包囲しているだけで攻め込んでくる気配がまるでない。むしろ突入してきたなら私の焔獄結界で虜と出来ようものですが、こうなるとアルヴヘイムだけで打開するのは難しい。外部に活路を求める他にない、か……)


 妖精王はブラーニー城の玉座から、遠見の魔法でアルヴヘイムの周囲を観察しながらに小さく息を吐いた。<フォルトリウ>とは<パス>を通じた連絡が可能であったが、彼女はそれを選択しなかった。


 <フォルトリウ>は決して一枚岩な組織でなく、構成国家や人員に様々な思惑があることは明白で、此度のアルヴヘイムの変はその内の誰が画策したものとも知れなかった。天獄の万魔殿の封印を管轄している手前、聖タイタニアは慎重にならざるを得なかった。


(ディスペンスト神よ。やはりこの世界に四柱は重荷だったのです。私がここで万魔境を守ろうとも、黒の森や凍結湖の封印が解かれたならば、遅かれ早かれアケナスの大地は灰塵に帰する。……ディアネ神に力が残されている内に何とかしなければならないとは分かっていたのですが…)


 聖タイタニアは遠見の魔法を継続し、加えて新たな魔法を励起させた。それは<フォルトリウ>とは異なる<パス>を辿った伝達手法で、思念により自らの声を直接相手へ送るものであった。


 通常では為し得ない距離の制限も、血継特性を最大限に活かすことで見事取り払って見せた。それはすなわち、妖精王の会話対象に微弱ながらも彼女と同じ血が流れていることを意味した。


「聞きなさい。私はアルヴヘイムを統べる聖タイタニアです。妖精の里が悪魔とその眷属によって危機に晒されています。直ぐ様、これを救援されんと望むものです」


(……頭の中に直接話し掛けられるのは御免被りたいものですね。この体に流れる妖精の血は私に何の責もない代物ですから。そして、こちらの事情が貴女の頼みを聞くを良しとしません)


「エレノア・ヴァンシュテルンよ。そちらに余力の少ないことは理解しています。イオニウムに降臨せしは四柱と同等以上に危険極まりない存在。それこそあなたが全霊を懸けて止めねば、恐らくはここアルヴヘイムか黒の森の封印を狙って動き始めることでしょう」


(あの混成軍団を束ねるのが何者だと言うのです?)


 エレノアの質問に、妖精王の曇りない水色の瞳が光った。そして、それを見ていないエレノアにも、相手の言葉の纏う空気が変じたと分かった。


「霧の魔神ベルゲルミルです。太古よりアケナスの神々と対立し、シュラク神の離反を企てた魔性。つまり、四柱誕生を導いた首魁と言えます」


(……そのような存在が。今までどこで、何をしていたと?)


「魔神の肉体はとうに滅びています。霧へと化身し、人や悪魔に憑依を繰り返すことで生き延びて来たようです。私も長らく追跡を諦めていたのですが、当代で延びしろのある器を得たと見えます。ソフィアのアンフィスバエナが言うところでは、<福音>のラーマ・フライマにこそ魔神が宿っているのだとか」


(十天君のラーマ・フライマ?聖タイタニアよ。クルス・クライストの仲間から、アルヴヘイムで貴女がルガード一味と交戦した件は聞いています。その際に魔神の正体を見抜けなかったと?)


「ビフレストで対戦したあなたとて同じことです。あの時、魔神の精神はラーマ・フライマの制御下にあったものと思われます。彼女の実力からすればそれも然りと言えましょうが。ともすれば、ルガードが倒された際のショックによって魔神の覚醒が速められた可能性はあります」


 聖タイタニアは、ウェリントンの打倒を目的として万魔境を貸し与えた折に、アンフィスバエナより魔神ベルゲルミルの動向を聞かされていた。そこに彼女の膨大な知識と論理的思考が一定の方向性を与え、魔神に関する仮説を導いた。


 魔神ベルゲルミルはラーマを素体として、四柱の解放やクラナドの掌握を試みた。魔境で高い地位にある悪魔の王アスタロテを煽り、ウェリントンの思想を闇へと誘った。そしてルガード兄弟をも尖兵に仕立て上げ、アケナスに動乱の大火を呼び込んだ。


 クルス・クライストや<フォルトリウ>の邪魔が入らなければ、四柱の封印は大半が破られていたかもしれないと、説明している聖タイタニアも自らの心胆が寒くなるのを止められなかった。


 ひとしきり話を聞いたエレノアは熟考のため沈黙したが、それでも無い袖は振れなかった。妖精王の告げた危機・魔神の部隊に挑むことはそれこそ上等と考えるが、アルヴヘイムを守る戦力までは派遣のしようもなかった。


「クルス・クライストに頼りなさい。彼は私に借りがあります。ドワーフとの約定により、かの王国へ援兵を募るよう働き掛けるのです」


(あの者の身は、ベルゲルミル連合王国との大戦の真っ直中にありますが。相手はアケナス最強と名高い<翼将>ラファエル・ラグナロック。……おいそれとは接触出来ないものと思われます)


「誰ぞ、戦の場に話を持ち込める胆の持ち主はいまいか?ダイノンというドワーフの遺言なれば、勇者の弟子は無下にしないでしょう。魔神の相手をすることと比べれば、大した用ではない筈です」


(……わかりました。心当たりがありますので、ベルゲルミルへ人を遣わせましょう)


「よしなに」


 エレノアとの魔法通話を終了した聖タイタニアは、全身を倦怠感に襲われていた。いくら絶大な魔法力を誇る妖精族の王と言えど、アルヴヘイムの守護に加えてこのような大魔法を行使しては、流石に消耗無しではいられなかった。


 かつて、四百年近くを遡る話であったが、妖精王はアルヴヘイムを離れアケナス各地を巡っていた。粗野ではあったが道理を弁えた時の獣人王に、クラナドを追放されたと嘯く天使の学徒。他に、<フォルトリウ>により魔境が不可触な存在となることへ危機感を募らせた人間のマジックマスターや、ドワーフの寡黙な老戦士らが旅の道連れであった。


 何かを成し遂げたわけではなかったが、同じ時間を過ごす内に聖タイタニアはマジックマスターと恋に落ちた。無限に近い時を生きる妖精王にとっては刹那の夢に過ぎなかったが、二人の間には子が生まれ、その血統は現在まで続いていた。


 聖タイタニアはそれほど感傷的な人物ではなかったが、数奇な縁もあるものだと苦笑いを浮かべた。


(ここブラーニー城でエルフの命を救いたいと願い出たドワーフがいて、その者が約束の代行者にクルス・クライストを選んだ。彼はあのイビナの知己で、そして我が一族の末たるエレノアとも気脈を通じていた。これが運命でなくてなんだと言うのか……)


 その時、城の一角で爆発が起きたらしく、轟音に遅れて玉座周辺も激しく揺れた。聖タイタニアは、アルヴヘイム外周の異形が動いていないことや、己が設置した魔法罠の健在を瞬時に確認した。


 城内の異常は直ぐに伝わり、万魔境を安置した宝物庫のあたりで騒ぎがあったと知れた。そこにも妖精王の罠は仕掛けられていたので、侵入者の狙いは明らかであった。


(誘蛾灯にかかったな。クルス・クライストの来訪までまだ時間もある。さて、ゆっくり処置するとしようか……)



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