翼と雨の騎士-2
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「惜しかったがな。ここで雨騎士団をやらせるわけにはいかない」
ウィグラフは馬を捨て、黒刀を踊らせるようにして左右へと振りながら、ゆっくりクルスに接近した。クルスは敵の言動を無視し、銀鱗小隊とぶつかる黄竜隊主力の動向をつぶさに観察した。
銀翼騎士団が誇る最精鋭部隊だけのことはあった。アイザックやマルチナでどうにか優勢という有り様を見るに、クルスは眼前の障害を早期に排除する必要があると認めた。
クルスは両手持ちで剣撃を見舞い、ウィグラフは真っ向からそれを受け切った。二合、三合と撃ち合う過程で、クルスは秘技とも言える高速での魔法起動を実行した。
ディロン・ガフロンやボードレールをも圧倒したその技はしかし、ウィグラフの繰り出した同水準の魔法抵抗によりあっさりといなされた。続けて剣を振りながらも、クルスの内心に衝撃が走った。
(この男……魔法もここまでのレベルか!)
「ベルゲルミルやファーロイの筆頭騎士と同じ目線で測られては困る。勇者サラスヴァティの縁者だから最強というのでは、世界が余りに狭いと言うものだ」
言うだけのことはあり、ウィグラフの反撃は凄まじかった。電光と見紛う恐るべき速度と威力を有した剣の軌道はクルスをして合わせるのがやっとで、死角からは搦め手の魔法攻撃までもが飛んできた。
クルスは自分より三、四歳は若く見える黒ずくめの剣士に対し、素直に実力を評価すると共に感嘆を禁じ得なかった。魔法力を取り戻したことで往時の強さに返った今、自分に倒せぬ敵などそうはいないと確信していたところに、思わぬ好敵手が現れたものであった。
それでもクルスには一歩も引く気はなかった。戦力伯仲し、奇策を巡らす時の許されない条件下で、最後にこの大戦の行方を左右するものが個の武力であると、彼は経験則から分かっていた。
剣を弾き合うこと二十を数えたあたりで、今度はウィグラフの黒瞳に焦りの色が浮かんだ。彼は一騎打ちをやや優勢に進めつつあったのだが、クルスの抵抗は想像以上であった。それは、前回闘った際の評価が辛口に過ぎた点と、クルスに敗れたボードレールらをウィグラフが少なからず侮っていた点にも原因が認められた。
クルスは戦術を防御主体に移行させていた。そのため、ウィグラフが思い切った攻撃を重ねなければ短期での決着は望みようもなかった。その点、いくらウィグラフとてクルス程の巧者を相手に、一か八かの当たりをそうは選べないでいた。
黄竜隊の先頭集団こそ銀鱗小隊に阻まれはしたが、クルスは己がウィグラフとかち合い時間を稼ぐだけでも上々であると見ていた。それは対するウィグラフの表情から計らずとも正解であると証明された。
雨騎士団に残る十天君は<雨弓>ただ一人。カナル軍にアムネリアやノエル、ゼロといった実力者の控えている事実を思えば、駒の不足しているアルケミア勢において、ウィグラフと虎の子の銀鱗小隊が戦場を無尽に泳げぬ事態はまさしく不利であると言えた。
(なまじっか腕の立つことが不幸だったな。一騎打ちに拘り過ぎだ。お前や<翼将>は確かに強い。一騎打ちの競技会でもあれば、おそらく負けなしだろうさ。だが、おれはヴァティだけじゃなく大陸最強の男をも近くで見る機会に恵まれた。イーノ・ドルチェの圧倒的な技前を知っているからには、個人の優劣などに今更執心しない!)
クルスの全身から漲る鬼気に、ウィグラフは怯みこそせずとも警戒心を強くした。始終押し気味な剣勢は毛ほども緩めず、少しの動揺も闘いに持ち込ませないあたり、やはり彼はただ者でなかった。
クルスの予想した通りに、カナル軍の人材力がアルケミア勢を切り崩し始めた。ウィグラフと斬り合うクルスの側から離れたレイは、小柄な身形を活かして敵中をすいすいと掻い潜った。そうして敵の将軍格と思しき巨漢の騎士を視界に収めるや、低姿勢で音もなく近付いた。
「小僧?何奴……ッ!」
半身にしてレイの一撃目をやり過ごしたビヘイビアであったが、続く返しの刃は彼の想像を凌駕する鋭さで襲い掛かってきた。胸甲の上から強撃を浴びせられてよろけたビヘイビアへと、レイは容赦なく止めの剣を縦に放った。ビヘイビアは割られた頭頂部から血潮を迸らせ、鬼のような形相をして前のめりに倒れた。
「ビヘイビア将軍!」
「……将軍がお倒れになった!誰か、指揮を……一体どうすればいい?」
核を失った雨騎士団は恐慌に近い状態となり、イシュタルの率いる別動隊のみが統制を保ち続けていた。そのイシュタルはと言えば、ビヘイビアから遠ざけられたばかりに黄竜隊の傑物らと邂逅することなく、計画に沿ってカナル軍の側面を突いていた。
白騎士団は横からの射撃とそれに続く突進へ懸命に対処したが、イシュタルの攻めは苛烈であった。天弓フェイルノートの拡散射撃は広範囲に着弾する為、中軍を指揮するアルテ・ミーメは陣形の乱れを抑止するので手一杯となった。
後軍からネメシス自らが小隊を率いて援護に駆け付けると、小勢のイシュタルは流石に引き返さざるを得なかった。それでも戦果は十分で、黄竜隊と白騎士団は一時的に戦列を分断された。
(ビヘイビア将軍の本隊は大丈夫であろうか?……ウィグラフ卿に限っては心配いらないと思うが)
ラファエル・ラグナロックの婚約者であるイシュタルは、レイバートンの騎士を身内のように慈しんでいた。ウィグラフは彼女と同年代の若さながらにラファエルから全幅の信頼を寄せられている騎士であり、銀翼騎士団の支柱と見なされていた。
彼の出身は大陸東部の小国で、ラファエルがミスティンの故ワーズワース王太子や<鉄の傭兵>らと冒険に臨んだ折、偶然の出会いから登用されたのだとイシュタルは聞かされていた。幾度か連合王国の十天君が交替すると布告された際には、彼女はウィグラフこそがその地位に相応しいと考えたものだが、政治的な観点からレイバートン騎士の増員は端から検討すらなされなかった。
ラファエルと当人の前でそのことを非難するにつけ、ウィグラフは苦笑を浮かべて「ラファエル様やイシュタル様に評価いただいているだけで光栄です」と畏まった。自身の剣や魔法、学問を余すことなく彼に伝授すると言って憚らないラファエルも、「ウィグが注目されぬ方が私としては有り難い。<翼将>が二人いるのだと知られねば、何人たりともレイバートンを落とすことはできん」と冗談めかして己が片腕を褒めちぎった。
剛毅で癇癪持ちとして知られるアルケミアの王ですら、娘であるイシュタルへの遠慮などなしにウィグラフへは一目を置いた。王は片時も野心を窺わせないラファエルに対して快く思っていなかったが、此度カナルとの戦に際して出兵の催促に訪れたウィグラフと話し、彼の不動なる芯や明晰な頭脳と接していたく感銘を受けた。
ウィグラフが父王にすら認められたことをイシュタルは我が事のように喜び、彼が以後もラファエルをよく助けてくれるものと信じた。そして、ラファエル不在のこの戦場でウィグラフはイシュタルの期待通りに獅子奮迅の働きを見せていた。
イシュタルが狼煙によりビヘイビアの戦死を知るのは間も無くのことで、その頃ウィグラフは絶体絶命の窮地に立たされていた。
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アムネリアが剣を差し出す度に、アルケミアの騎士はまるで進んでその身を投じるかの如く吸い寄せられ、無慈悲に斬り捨てられた。例え銀鱗小隊の手練れであっても、彼女の前では無力に等しかった。
マルチナがどうにか敵一騎を退ける間に、後から駆けつけたアムネリアは既に三騎を討ち取っていた。
(この人だけは、やはりものが違う……!)
アムネリアは進路の邪魔になっている敵をあらかた片付けると、目的を達するべく迷わずクルスの加勢に入った。ウィグラフは当然にアムネリアのことを知っており、単騎なら兎も角クルスと二人、勇者を一度に相手とする愚は弁えていた。
一気に勝負を決めさせない点にこそ、ウィグラフの戦上手ぶりが光った。ウィグラフはアムネリアの影を捉えた瞬間に魔法で地面を凍結させた。凍った足場にクルスとアムネリアは敏捷性を損ない、その隙にとウィグラフは味方を招き寄せた。
クルスらが凍土の魔法を解除した段には数的優位がウィグラフの側に移っていた。アムネリアはクルスとウィグラフ双方の剣傷を見て即座に状況を理解し、己が敵の本命に当たると勇んだ。
アムネリアがウィグラフへと斬り込んだのを受け、クルスは魔法を全開にして銀鱗小隊の騎士たちへ仕掛けた。白熱した闘いはやがて一人、また一人と銀鱗小隊の騎士が脱落していき、いよいよ二対一の再来が近付いた。
別の戦場では、ノエルとゼロが大いに精霊を暴れさせ、フィニスも荒れ狂う焔で雨騎士団の掃討を試みていた。レイバートン・アルケミア勢で満足に機能しているはもはや、白騎士団から離れたイシュタル隊を置いて他に見当たらず、カナル軍の快勝は疑い無い有り様であった。
ネメシスは陣形に拘泥することなく後軍を前線へと侵入させ、毀損した黄竜隊の補充を実現させた。この手腕にはセイクリッド・アーチャーも脱帽で、珍しく笑声を上げて剣を振るった。
激闘を続けるウィグラフに戦場全体の戦況など把握のしようもなかったが、自軍の旗色が悪い空気だけは察せられ、覚悟を決めて最低限の仕事を果たすことにした。魔法で打ち上げられた発光球体は全騎撤退の合図であり、数を散々に減らされた雨騎士団は一も二もなく後退を始めた。
アムネリアはクルスと挟み撃ちにする形でウィグラフへにじり寄った。そして無理と知りつつ勧告を怠らなかった。
「まさか逃げられるとは思っておるまい。投降しろ。カナルの皇帝陛下は寛大なお心を御持ちだ。十天君の腹心とあらば、それに相応しい待遇が約束されよう」
「アムネリア・ファラウェイ。私は貴女とは違う。拾ってくれた主への恩を決して忘れない。娼婦さながら誰にでも股を開く武将の心得など、遥か理解の外よ」
「潔し。忠義の士として散るを選ぶもそなたの自由。無駄に翻意は促すまい」
アムネリアはウィグラフの挑発を流したものであったが、一方でクルスが反発した。
「<フォルトリウ>とかいう結社とつるんで悪魔に尻尾を振ってきた連合の犬が、大層な口をきいてくれたものだな。貴様も<翼将>も、自国の利益を貪るため思考停止に陥った、ただの傀儡に過ぎない」
「アンフィスバエナのやっていることなど、私やラファエル様の関知するところではない。ビフレストだろうが魔神だろうが話の根っこはただの生存競争だ。徒な覇権争いに興味などない。逆に問おう。一国一王に仕え滅私奉公することのどこに非があると?」
「実力に物を言わせ、特定の一派だけが我欲を貫き通す。その一方で、世界は緩慢に腐食が進んだ。貴様らがレイバートン一国の存続に拘りアケナスで拡がる病巣に対して見て見ぬふりをしている間に、破滅の足音は刻一刻と近付いていた。いいか。アムは私怨から始めたとは言え、人間に仇なす悪魔勢力を討ち滅ぼす為カナル軍に身を投じたんだ。開き直って政治から目を背けている貴様らに、非難などされるいわれはない!」
「勘違いをするな、クルス・クライスト。ラファエル様はベルゲルミルの国王のことなどとっくに見限っている。対魔防衛ラインが政治的に張りぼてだなどというのは既知で、陰ながらに戦力を融通されていた」
クルスは目を丸くした。連合諸国はそこそこの強度で連帯しており、対魔境の政策は全面不干渉を広言していた。それだけではなく、レイバートン王国自体が不戦を国是としているのだから、ウィグラフの口にする援助の話が本当であれば、ラファエルは二重に国を裏切っていると言えた。
ウィグラフは、己が罵られることであればまだしも、ラファエルへの言われなき中傷だけは捨て置けなかった。
「ソフィアの女王もそうだが、結局お前たちは何も知らないのだ。ラファエル様は、灰色から黒に染まりつつあるアケナスの現状を座視などしていない。ワーズワース様と誓った通りに凶星の暗躍を抑止し、数多の修羅の監視も続けてきた。あの方の献身をして、世に軽んじられることだけは我慢がならん」
「だからどうした?御託はもういい。貴様ら連合がネメシス様に喧嘩を売ったことが発端だ。きっちりお灸を据えて、ついでに悪魔退治もおれたちが担ってやる。ラファエル・ラグナロックや貴様に世直しをする意欲が残っているのなら、戦後手を取り合う余地もあるだろうさ。どうなんだ?」
ウィグラフは周囲を見回して、既に味方の打ち倒されたか撤退したことを確かめた。そうして懐から小さなロザリオを取り出すと、その銀身をクルスへと見せ付けた。
(……豊穣と大地の女神ディアネの意匠。ベルゲルミルには広くディアネ信仰が根付いていると聞くが)
クルスはただそのロザリオを見つめていたが、ウィグラフの態度に不審を抱いたアムネリアはそっと動き出した。
「ディアネよ!志半ばで逝くことを御許しください。ラファエル様、女神の抱擁の下旅立ちますが故、見送りは不要にございますれば。御免」
ウィグラフはアムネリアの接近を感知しており、余裕をもって後ろに跳躍し二人を正面に置いた。そして黒刀の刃で手元のロザリオを砕きに掛かった。
「さらばだ、クルス・クライスト!騎士は二君に仕えない。……サラスヴァティ・レインは四柱が一柱の転生せし姿ぞ!」
砕けたロザリオが強烈に発光し、常人には到底直視の出来ない眩さでもって辺りを包んだ。直後に大爆発が起こった。
ウィグラフの自爆によって黄竜隊に被害が出たことと、ジットリスの率いるベルゲルミル公国騎士団の残存部隊が救援に駆け付けたことで、ネメシスは雨騎士団への追撃を手仕舞とした。陣容の回復を命じて二日と経ずに、カナル本国より北上していた白騎士団の本隊が銀翼騎士団と一戦を交え、かくもあっさり粉砕されたとの報が伝わった。
ネメシスは酷く落胆し、フィニスに人払いを命じてからしばらくの間御座に篭った。戦の行方は混沌の様相を呈してきた。




