4 翼と雨の騎士
4 翼と雨の騎士
クルスに休んでいる暇はなかった。先の決戦で勝利したとは言え、やるべきことはいくらでもあった。
味方の傷病兵は二割近くにまで達し、手当ての人手や場所を必要とした。また、戦場を離脱したサイ・アデルの部隊を警戒しつつ、逃げたグラウス一行の追跡も急がれた。
何より手を煩わされたのが降兵の扱いで、ベルゲルミル公国やファーロイ湖王国の騎士の武装解除と解放には細心の注意が払われた。それは数の拮抗から、ともすれば反乱を起こされてカナル軍の側が制圧されかねないという警戒からで、クルスやアムネリアなど自ら陣頭指揮をとって処置が為された。
ネメシスは敵兵をぞんざいに扱うを良しとせず、セイクリッド・アーチャーなどが処刑による一定の数減らしや食糧の断絶を提案するも、いずれも叱責とともに却下とされた。長く戦地に身を置いてきたクルスにとってネメシスのやりようは行き過ぎた寛容にも思えたが、そこは彼女の美徳であろうと口を出さなかった。
一部、ベルゲルミルの降兵の内で<リーグ>に雇われた傭兵がそのまま黄竜隊へと合流した。彼等はベルゲルミル公国で受けたぞんざいな扱いや、上司に当たる<鉄の傭兵>とその取り巻きの不遜な態度に辟易していた口で、カナル新帝や<疫病神>の側に付くことで待遇の改善を望んでいた。
ルカ亡き後の黄竜隊はクルスが大将を拝命し、アムネリア代理指揮の下でレイバートンへ向けて出発した。ノエルは水の精霊の力を借りて各隊に水を供給する仕事を終えると、小走りにクルスの下へと駆け寄った。
「ねえ、クルス。武器や携行食は補充出来たんでしょ?」
「ああ。敵兵から接収した分で最低限はな。だが、もってあと一戦というところだろう」
「レイバートンで<翼将>を討ち取れば良いのよね?」
徒歩行軍中ということもあり、ノエルは周囲の視線を気にして過度にクルスへと寄り添うことを控えた。エルフであり、体力面に不安を抱える彼女は、強行軍に際してやはり疲労の極致にあったのだが、周囲にそれと感じさせぬよう空元気を装っていた。
「ああ。と言っても、相手は十天君最強の看板を掲げる御仁だ。正直なところ、多勢で騙し討ちにするくらいしか倒せる方法が思い付かない」
「クルスとアムネリアが同時に攻めても?」
「相性からしてどうだろうな。前陣速攻型で、おれもアムも剣を主攻とする。間合いを消せれば行ける気もするが、間違えば秒単位の差で討ち取られかねん。補助役のマジックマスターと組んだ方が、まだしも効率は良いのかも知れない」
ここでノエルが胸を張り、笑みを溢した。
「それならやっぱり、私とクルスの組が一番じゃない?」
「ノエルには怪鳥の相手を頼もうと思っていた。あれのように力がある魔獣と対するに、並のマジックマスターでは荷が勝ち過ぎる」
頬を膨らませ、眉も逆立ててあからさまに不機嫌を表明するノエルに対し、クルスは優しく宥めた。そこに側仕えのレイが加わってきた。
「銀翼騎士団の編成については学校で習いました。総大将であるラファエル・ラグナロックの下に有能な副将のライカーン将軍が付いて、二正面作戦を難なくこなすと」
「らしいな。アムが言うには、ライカーンは攻撃にやや偏りが見られるものの、バランス感覚に優れた将帥だそうだ。つまり、<翼将>を抑えただけでは銀翼騎士団の翼をもいだことにはならないと言うわけさ」
クルスの応答にレイは大きな瞳を好奇心で満たし、こくこくと頷いた。女性的な顔立ちをしたこの弱卒が先日の大戦において奮戦したことを、クルスは傍目に見ていたのでよく知っていた。
レイの剣は小柄ななりをしていながらに豪快で、思い切りの良い真っ直ぐな軌道で敵兵を次々と薙ぎ払う型式であった。クルスの目にはその技が、並々ならぬ才幹と血の滲むような反復練習の賜物と映ったが、同時に補助魔法を効果的に活用している点も見抜いていた。
(こいつは……案外掘り出し物かもしれない。アルテ・ミーメはレイを押し付けてきたのではなく、欠けたダイノン分の戦力を補填しようと采配してくれたのだろうな)
「ライカーンって、黒い刀でクルスと斬り合ったあの優男かしら?」
「いや。奴は<翼将>からウィグラフと呼ばれていた。副官か護衛といったところだろう。……腕は相当に立つ」
「やんなっちゃうわね……」
「それだけではありませんよね?ラファエル・ラグナロックとアルケミア伯爵国の公女は許嫁であると聞いています。となれば、雨騎士団も合流する筈です。それに、あのソフィア女王国のマジックマスター部隊も……」
レイの指摘に、クルスとノエルは当然とばかりに首肯した。クルスは彼の知り得たイシュタルとウィルヘルミナに関する少ない情報を二人に伝えた。
神弓の名は伊達でなく、放たれる光の矢は魔法力で精製されているが為に、距離を問わずして高い威力が発揮された。ソフィアを統べるウィルヘルミナについては、クルスは言うほど面識があったわけでもなかったが、師であるサラスヴァティは彼女のことをマジックマスターとして完成された存在であると評していた。
ソフィアのもう一人の十天君であるアンフィスバエナとは、ミスティンの王都で交戦済みであった。二つの魔法を同時に展開するという離れ技をやってのけたマジックマスターに対し、クルスは敵ながらに一目を置いていた。
レイは考えるだに不安が増すばかりの敵の陣容をさておいて、ネメシスが情報を解禁した味方の増援へと話題を転じた。
「ロクリュウ将軍は白騎士団の残騎を全て率いて来られるのですよね?都合千に近い騎士が駆け付けてくれたら、形勢は一層こちらに傾きます」
「クルスはあの男爵閣下とは馬が合わないみたいだけれど?」
ノエルは悪戯っぽい笑みを浮かべ、クルスの顔を下から覗いた。
「陛下にも茶化されたが、向こうがそう思っているだけだ。伝え聞くに、かの大将の実力や見識はさるもの。側近にも優れた者が多いそうだし、少しは期待しても良さそうだ」
「養成学校の先輩がロクリュウ将軍の側仕えをしています。私より六歳上になりますが、既に騎士として高い評価を得ていて、将来を嘱望されていると専らの噂です」
「男か?」
「女性です。エマーソン・イシャスと言います。綺麗な方ですよ」
「ふむ。ロクリュウ卿とは今後の方針を話し合わねばならんしな。レイ、その際にはエマーソン嬢とやらを紹介してくれ」
レイは敢えて即答せず、隣のエルフの顔色を窺った。若年であってもそれくらいには男女の機微に通じており、レイはノエルの瞳を見て自分の判断が正しいものと悟った。
ノエルに小突かれつつも行軍進めるクルスらの下に、偵察隊から危急の報がもたらされた。ネメシスは一も二もなく側近を集めて内容を協議した。
レイバートンの部隊が二手に分かれ、あろうことか一隊が南下を始めたという内容であった。
***
アムネリアとセイクリッドの主張が通り、ネメシスは旗下の全騎による急戦を選択した。前衛にクルスら黄竜隊の精鋭を配置し、数の半減したレイバートン・アルケミア勢を一気呵成に潰しに掛かった。
勝勢を維持したままのカナル軍であったが、レイバートンの混成部隊はそれに対するに堅守を徹底した。魔法では遠距離爆撃を、物理では弓や槍の投擲による射撃戦を選択し、第一にカナル軍を近付けないことを旨とした。
直ぐ様敵の意図を承知したアルテ・ミーメが、白騎士団を動かして戦場を迂回し、黄竜隊との挟撃を目論んだ。
「閣下、お待ちを。部隊の分散は下策です。ここは敵地です。下手に単独で走れば、何の罠にかかるとも知れません。アルテ・ミーメ将軍閣下におかれましては、どうか御再考を」
「セイクリッド・アーチャー。短期決戦を訴えたのは卿であったな?ならばなぜ止める?膠着状態を打開せねば、決着はつかないぞ」
「敢えて奇策を打たずとも、矢も魔法力も何れ尽きましょう。総合的な火力でこちらが優りますれば、目先の動揺は無用です」
この時、アルテ・ミーメは素直に<偏屈王>セイクリッドの意見に従った。相手方、レイバートン軍を率いるイシュタル・アヴェンシスはほぞを噛んだもので、セイクリッドの見立てた通りに陸上に幾つかの魔法罠が仕掛けられていた。
そうしている間に、アムネリアが魅せた。敵の射撃の間隙を縫い黄竜隊の先陣を前へと押し出した。間合いが消えるや同士討ちを警戒して間接攻撃は弛み、そこを起点にカナル軍全体がゆっくりと前進を開始した。
開戦初日にして早くも自軍に流れが来たものと、ネメシスをはじめとする幹部連中は歓喜した。
「ゼロ!あたしは斬り込むから、援護お願い」
マルチナの要請に、ゼロは小さく頷いた。二人やアイザックは最前線で剣を振るっており、クルスやアムネリアに負けじと健闘していた。
雨騎士団はビヘイビア将軍とその直属部隊がよく守り、だからこそマルチナはここが切り崩しの要点になると見切っていた。無言で敵と渡り合うアイザックもそれを承知していたので、彼は目の前の騎士を打倒でき次第マルチナの後を追う腹積もりであった。
「ん?」
黄竜隊の正面に、アルケミアの雨騎士団とは異なる毛色の騎馬隊が現れた。数は三十かそこらと小勢であったが、彼等から放たれる武の香りには洗練されたものがあると、マルチナは慌てて身構えた。
少し離れた位置から遠見の魔法で注意を向けたクルスは、黄竜隊の前に現れた隊列にウィグラフの姿を認めた。近くにいる筈のノエルに牽制を依頼しようとしたが、彼はそれが間に合わないと知った。
ウィグラフ率いる銀鱗小隊はラファエルが鍛えた精鋭集団で、個々の戦力はベルゲルミル連合王国全軍でも際立って高かった。それをラファエルやウィグラフが統率した時、まさに獰猛な戦闘部隊が誕生するのであった。
前に進み出た銀鱗小隊と接触した黄竜隊の面々は皆、単純に蹴散らされこそしなかったものの対処に忙殺された。一時的に足を止めざるを得ず、ウィグラフはその機を見計らって合図を送った。それに反応したイシュタルが雨騎士団を後ろに下げ、再び弓戦の準備を整えさせた。
銀鱗小隊は黄竜隊との小競り合いに拘らず、雨騎士団の下がるに合わせて素早く引いた。面喰らったままの黄竜隊はこれを柔軟に追撃することが叶わず、距離が空いたことで再び矢の雨を浴びる羽目に陥った。
「盾を天に掲げよ!矢には限りがあるのだ。耐えていれば反撃の機会は訪れよう」
アムネリアはそう味方を鼓舞しつつも、防御側の物資の消耗は当分先の話であろうと踏んでいた。この日、彼女もクルスも敢えて無理な攻勢に出ることはせず、雨騎士団と一進一退の戦いを繰り広げた。
勝負の決しないまま、夜間は両軍共に休息に充て、翌朝改めて激突した。この日はフィニスやノエルといった熟練のマジックマスターたちが一大攻勢をかけて魔法戦闘での優勢を手繰り寄せかけたが、またも銀鱗小隊が割って入り雨騎士団を助けた。銀鱗小隊の騎士たちは大半が剣だけでなく魔法にも精通していて、ラファエル仕込みの召喚魔法までが飛び出したものだから、カナル軍は大いに慌てさせられた。
三日目は白騎士団が本領を発揮した。セイクリッドが局地戦で苦心の末に数の優位を作り出すと、アルテ・ミーメは損害を度外視した突撃を命じた。
雨騎士団はビヘイビア将軍自ら殿を務めて剣を振るい、ウィグラフらが助勢に駆け付けるまでどうにか持ちこたえた。その間にも黄竜隊は雨騎士団をよく削り、拮抗した戦線に綻びが見え隠れした。
そして四日目にしていよいよ、クルスとアムネリアが強襲策を採った。ノエル、フィニス、ゼロの三大マジックマスターを先頭に置き、それでいて射撃防御に専念させた。狙いは勿論縦陣による突撃で、クルス以下の剣達者は全て前方に集結していた。
「クルスよ、分かっているな?」
「ああ。今日で決める。ウィグラフが出たらおれが行く」
クルスはアムネリアへと断言し、この三日間戦場を支配していた敵将の名を口にした。アムネリアは黄竜隊の指揮をとりながら突撃に加わるもので、俄然自由度は低かった。
アムネリアにはもう一つの懸念事項かあり、それはかつて十天君として同じ釜の飯を食った<雨弓>の存在であった。
(明らかに公女は本腰を入れていない。強力無比な弓を前面に出して攻撃的布陣で臨む……それが<雨弓>の戦い方だ。<翼将>を待っているは確実であろうが、解せぬ)
アムネリアはそれでも特別にイシュタル対策を講じたりはしなかった。否、出来なかった。
現実としてフェイルノートの剛射をさばく手立てなど限られており、それに加えて敢えて勇者を専属と当てるには相手の位置が後ろに過ぎた。アムネリアはイシュタルが弓以外の武芸百般も修めていると承知していたので、古城でルガード一味の女戦士と対決した際も何ら案じはしなかった。そのこともあり、イシュタルと雌雄を決するは自分かクルスであるべきと決め込んでいた。
朝露の乾ききらぬ時分は肌寒く、少しの風も騎士たちを凍えさせた。曇天ではあったが雨を落とす程に空の機嫌は悪くないようだと、ノエルがクルスに耳打ちした。クルスはアムネリアへと合図を送り、黄竜隊は一本の紐のような細長い陣形で前進を始めた。
弓矢や魔法で迎え撃った雨騎士団は、程無くして異変に気が付いた。カナル軍の先頭付近が強力な魔法で護られており、その足を止めることは難しいように思われた。
ビヘイビア将軍はカナル軍の弱点を陣形の中央や後方、並びに側面にあると見抜き、イシュタルに別動隊の編成を呼び掛けた。
「殿下!五十ばかりを率いて、敵の横っ面を叩いてはくださいませんか?本隊の守りは某が引き受けます故」
「将軍……敵の意図は決死隊にあります。おそらく、クルス・クライストやアムネリア・ファラウェイを突入させてくるでしょう。縦陣の堅固な防御からして、取り巻きのエルフや<紅蓮の魔女>が噛んでいることも間違いありません」
「それが何か?まさか、敵の主力を相手に某が守りきれないことを御心配なされているのではありますまいな?三十余年に及ぶ軍歴を、かように軽く見られては敵いませんぞ!」
間も無く交戦しようという慌ただしさの中で、ビヘイビアの闘気が迫力を増してイシュタルにのしかかった。イシュタルは自身も命を懸けて防戦に加われば、クルスとアムネリアの猛攻をも防ぎ切れると計算していたが、ビヘイビアの剣幕はそれ以上の抗弁を許さなかった。
イシュタルはビヘイビアが剛胆なだけの考えなしとは思っておらず、彼の主張を尊重した。その選択を彼女が後悔するのに、時間は然程かからなかった。
クルスの鬼神の如き活躍を前に雨騎士団の防陣は長くはもたず、銀鱗小隊がようやくそれを受け止めた横でビヘイビアはレイによって斬り倒された。




