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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第五章 ベルゲルミル動乱
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3 裏切りの符丁

3 裏切りの符丁


 グラウスは思えば恵まれた国王であった。父たるベルゲルミル公王が若年で病没し、公王位の継承を争う兄と弟は相次いで外征で戦死した。


 兄弟の中でも放蕩で知られた彼が公王位に就いたことは、ベルゲルミル公国の誰にも祝われなかった。形だけの盛大な宴が催された後に、グラウスは王権の限りを尽くして軍部・政府を問わず国中に粛清の風を吹かせた。


 外交面で極端な強硬路線を採用したことで、周辺諸国との軋轢は危険水域にまで高まった。悪評は瞬く間に広まり、ベルゲルミル公国と公王グラウスの問題は連合王国全体の課題として討議された。折しも連合王国国王の任に当たっていたサイ・アデル皇国の老王が引退を表明し、その後継争いはベルゲルミルの屋台骨を揺るがし始めた。


 自国で強権を振るっていたグラウスが自我を肥大させ、連合王国国王位の掌握に名乗りを挙げたのは必然であった。しかし彼の就任を望む声など本国ですら上がっていなかったし、ましてや連合王国の国民からは総じて忌避されていた。


 潮目が変わったのは、最有力候補と目されていたソフィア女王国の王にして十天君に名を連ねるウィルヘルミナが、出馬断念を標榜した頃合いであった。実力・声望で勝る相手が自ら脱落したことで、グラウスの熱意は一段と高まった。


 賢人と謳われしレイバートン王は、高齢な上極端な平和主義の思想が連合の総意に則さないとされ、ファーロイ湖王国やアルケミア伯爵国は独立独歩の姿勢が災いした。サイ・アデルから二代続けての大国王選出は不文律で却下となり、意図せずしてグラウスの対抗馬が全て失われた形となった。


 あれよという間にグラウスは至尊の冠を手にし、連合王国総領の座に収まった。彼の功績に因らず当代の十天君は歴代最強と名高いもので、その威を借りてベルゲルミルの威風は止まるところを知らなかった。


 内乱や外憂に際し武力を用いて徹底的に対処し、恐怖の刃は騎士や民間人の区別なく振り下ろされた。グラウスはディアネ神以外の神殿勢力を蔑ろにする傾向があったので、ベルゲルミルは信仰面においても多くの火種を抱えた。


 対悪魔施策では、<フォルトリウ>の意向を持ち出すアンフィスバエナに全権を与えたことで、不思議と国境付近の安定を見た。強国であるにも関わらず、対魔境において指導力を発揮しないベルゲルミルにアケナス諸国は懐疑の心を抱いたが、<フォルトリウ>の根は大陸に広く深く根差していたが為、政治問題には発展しようもなかった。


 グラウスの傲慢が、共に西部に覇を唱えるカナルの排斥へと向かうに時間は必要とされなかった。大国王の要請により<天軍>主導で内政干渉は行われ、形の上ではグラウスの目論見通りに隣国に内乱を誘発させた。


 能力に反比例してこれほど巨大な権力を手にした君主は、アケナスの歴史を紐解いても稀であると思われた。そしてクルスやネメシスの反撃に遭い、側近を討ち取られるところまで追い込まれたグラウスの自己愛は、かつてない爆発寸前の有り様となっていた。


「この低脳どもが!戦え!少数の敵など、さっさと追い払わんか!」


「陛下、ここは危険です。オーリンも討たれますれば、護衛の戦力はもはや当てになりませぬ故!」


 公国魔法局長のディートハは、己の怖じ気もあって主に退却を勧めた。その腹の内では、盟友であり共に公王を後ろ楯とした公国将軍ゲオルグに対する不満がマグマのようにたぎっていた。


(陛下の言い草ではないが、ゲオルグにせよジットリスにせよ、どれだけ無能なものか。十分な戦力を抱えておきながら本隊に楔を打ち込まれるなど、素人采配もいいところではないか……)


 自身のマジックマスター部隊がフィニスらに完封されている状況は棚上げにし、ディートハは責を身内に求めた。しかしそれよりも身近に迫る敵の刃を大事と考え、いざとなれば一人で逃げ出すことも視野に入れていた。


 周囲の至るところで剣と剣がぶつかり合い、グラウスやディートハを護る騎士たちの表情からはすっかり余裕が失われていた。近衛の地位にあるものはほぼ例外なく故オーリンやゲオルグの子飼いであり、金で身分を買った貴族の師弟が大半を占めていた。当然に、カナル屈指の精鋭が集められた黄竜隊とでは技量や威勢に差が見られた。


 グラウスは怒声でもってカナル軍を打ち払うよう求めるが、成果は全くと言って良いほどに挙がらなかった。


 ディロン・ガフロンに続いてレベッカ・スワンチカまでも敗れたとの報が入って以降、ベルゲルミル軍の旗色は悪くなる一方であった。


「……どいつもこいつも!だいたい<翼将>は何をやっている?神の子……<福音>はどうした?」


 グラウスの詰問に、ディートハは困惑を露にして答えた。


「レイバートン勢は距離がありますれば、しばし時を要するかと……。<福音>は、陛下より特命を受けてシリウスを出立したと聞いておりますが」


「余は何も命令しておらん!この非常時に、十天君を勝手に動かした馬鹿者は誰だ?死罪を命じてやる!」


「はあ……しかし<福音>の出立に際して、係官は陛下とゲオルグ将軍の魔法署名入り命令書を確認した筈です。何せ、<リーグ>の一団を引き連れていたと言いますし……」


「なに?そんなことを許可した覚えはないぞ!道理で<鉄の傭兵>を見掛けないと思えば!ラーマ・フライマとアイオーンは一体どこで何をやっている?」


 グラウスが騒ぎ立てるそこに黄竜隊の一団が飛び込んできた。全身を返り血で染め、迸らせる鬼気は武人ならぬグラウスにすら暴力の深淵を感じさせた。その先頭にいたのは、赤茶色の髪をした優男であった。


 グラウスを護る騎士の一人が気合だけは一人前に斬り掛かるが、ただの一太刀で優男に撃ち倒された。さらに優男は目にも止まらぬ速さで魔法を放ち、グラウスやディートハを囲む騎士たちを相次いで吹き飛ばした。


「……誰だ!余をベルゲルミル連合王国の国王と知っての狼藉か?」


「知らないが、そうならいいと期待はしていた。黄竜隊のクルス・クライストだ。ベルゲルミルの愚王グラウス。その首を貰うぞ!」


 それだけ言うと、優男・クルスは剣を握り直した。敵軍の勇者の登場に、ディートハなどは呼吸を止めて固まった。グラウスも天性の客気が鳴りを潜め、目を見開きながら恐る恐る腰の剣に手を掛けた。


「クルス!来たわよ」


 クルスの背後で周囲を警戒していた金髪のエルフがそう忠告した。


「ああ。ノエル、マジックマスターを頼む」


「もちろんよ」


 クルスとノエルの会話に疑問符を浮かべて唖然としていたグラウスとディートハは、味方の陣を割いて近付いてくる騎影を認め納得した。


「あれは……<流水>!ファーロイの公爵公子が駆け付けましたぞ!」


 ディートハは歓喜に満ちた声で主へと伝達した。グラウスは表情を一変させ、取り戻した強気を前面に号令した。


「ボォードレェールッ!貴様が<疫病神>を討って見せろ!さすれば十天君筆頭は貴様に任す!」


 馬ごとクルスへ突っ込む姿勢のボードレールは国王の激励を無視し、後続のイグニソスへと合図した。それは一騎打ちに邪魔が入らぬよう後方より支援を促すもので、頷いたイグニソスは我先にと下馬して魔法を準備した。


 ボードレールは剣を水平に構えると、騎馬のままでクルス目掛けて直進した。


(言われなくても分かっているさ。足の遅い<翼将>の居ぬ間に、僕がこいつを斬って捨てる!アムネリア・ファラウェイとネメシス・バレンダウンも捩じ伏せて、<流水>こそが十天君最強と知らしめてやる)


 クルスはボードレールの突進を避ける素振りすら見せなかった。馬が衝突したと思われた瞬間、見えぬ壁に阻まれたかのように馬の方が弾き飛ばされた。ディートハには、どういった術式で展開されたかは目で追えなくとも魔法障壁の構築されたことだけは見てとれた。


 ボードレールはその結果を予知していたか、空中できりもみ状に回転して、直上からクルスへと斬り付けた。両者の剣は久方ぶりに激突し、互いに技を駆使しての剣闘が始まった。


 かつて剣を交えており、その時はボードレールがクルスを追い詰めていた。若かりし時分より剣の鬼才として名を馳せてきたボードレールにとり、クルスは<戦乙女>という侮れぬ切り札を持つ、しかし自分の剣の高みには達していない相手でしかなかった。


 ボードレールの剣にはしなやかさがあり、それでいて速度が重さを生成していた。並の騎士では幾度も撃ち合うことの出来ぬそれに、クルスは全て剣を合わせてきた。そればかりか、ここぞという機に魔法で小技を挟み、ボードレールの悪手を導かんとしてきた。


 剣を振るういつの間に魔法を繰り出しているものか、ボードレールの目にも判別はしかねた。上段から下段にかけて斬り結んでいたところ、またしても小さな竜巻が起こり、ボードレールの頬を小さく切り裂いた。


 青年期に突入したボードレールの心・技・体は充実を見、かつてイグニソスの預言した最強騎士への階段を確かに駆け上がっている最中と言えた。それが全霊で挑んでいるにも関わらず、三十路を過ぎたクルスに苦しめられていた。


 横に斬り払ったかと思えば見えぬ障壁によりボードレールの剣は軌道を逸らされ、代わってクルスの逆撃が喉元を過ぎた。


 レベッカとは違った形での、剣と魔法の融合。魔法が剣の為に活き、剣は魔法攻撃を一層引き立たせていた。ボードレールは戦闘熟練者であるが故に、クルスのこの絶妙な剣と魔法の制御に舌を巻いた。


(これが……ニナ・ヴィーキナの決戦を生き延びた男の本領だというのか?動きが、以前とはまるで違うじゃないか!)


 魔法力を失って以降のクルスは長いこと、武の片輪の喪失に引っ張られて剣の勘所をも微妙に狂わせていた。アムネリアやボードレールと出会った頃にはそれでも剣だけで闘う術が身に付けられてはいたが、元々サラスヴァティ・レイン仕込みの戦術は剣と魔法双方の圧倒的な混合力によるものであった。再び魔法を取り戻したクルスの技が冴えて映ったことは、当人からすれば当然の帰結であった。


 クルスの闘法を体感したボードレールの頭に、一人の同僚の顔が過った。剣と魔法を極めたと称えられ、大陸最強との呼び声も高い十天君のそれであった。


(僕が……この僕が、<翼将>を思い起こさせられるほどに気圧されているというのか!)


 ボードレールは認めざるを得なかった。あろうことか一騎打ちで攻め切れず、相手の潜在能力に危機を覚え始めていたことを。


 そこからクルスの手数が一気に増したように感じられた。ボードレールは気迫を絶やさぬよう必死で剣を繰り出すが、どうにも魔法による邪魔が気に障り、持ち味である大胆な剣さばきは鳴りを潜めた。


 遂に、クルスの剣に捕まる時が訪れた。クルスの剣の切っ先はボードレールの左脇腹を薙ぎ、周囲に鮮血が散った。追い討ちとばかりに、クルスの放つ雷撃がボードレールに浴びせられた。


 直撃を受け、焼かれた甲冑から黒煙が上がった。熱い吐息を漏らしたボードレールは背から地面に倒れ込んだ。クルスとボードレールの闘いを取り囲むようにして見ていたグラウスらは、あまりの衝撃に手出しが出来なかった。


「御曹司!」


 一騎打ちの場に騎馬で飛び込んできたイグニソスは、ありったけの魔法力をクルスへと叩き付けた。突然の乱入に、対処の遅れたクルスへと代わって障壁を展開したのはノエルであった。


 イグニソスは意外な腕力でボードレールを馬上まで引き上げると、そのまま馬を走らせて場を離脱した。残されたクルスに魔法による被害は少なく、それはノエルの機転に因るものであったが、気分を切り替えてグラウスらを標的と定めた。


「う……うわああああああああああああああああああ!」


 相次ぐ十天君の敗北と目の前にしたクルスへの恐怖に打ちのめされたグラウスは、側近であるディートハを突き飛ばして逃げ出した。意外にも俊敏な逃走劇と、依然数で勝るベルゲルミルの軍勢とを見比べたクルスは、倒れて呆然としているディートハに剣を突き付け、静かに降伏を迫った。


 黄竜隊はベルゲルミル公国騎士団の陣に突入して一人残らず剣を振るっていたし、ネメシスとアルテ・ミーメの率いる白騎士団は挟撃に出たファーロイとサイ・アデル騎士団を相手に激闘を繰り広げていた。今でこそクルスやアムネリアの活躍により何とか優勢を保っているカナル軍ではあったが、ベルゲルミル勢に<天軍>や<不死>が健在な以上、戦力比を軽視するわけにはいかなかった。


 ベルゲルミル勢が十天君の指揮の下息を吹き返す前に勝負を決すること。それがクルスの方針であり、<飛槍>や<流水>を破って見せた自分の脅しには相応の効果があるとの楽観もあった。


 ディートハは我が身の惜しさから即座に降伏勧告へと応じた。グラウスの逃亡した様子を目の当たりにしたベルゲルミル公国の騎士たちは、ディートハが折れるや素直に従って剣を捨てた。


 グラウスへの失望は元より心中にあったものだが、それが今や多大な怒りへと昇華し、そして十天君を退けたクルスに対する恐怖心は果てしなく向上した。そういった感情がない交ぜとなり、最後にディートハの言が騎士たちの背を押したのであった。


 公国騎士団が白旗を上げたことで、残る二つの騎士団は対応を迫られた。モンデ皇子のいるサイ・アデル騎士団は自領の方角へと引き上げ、大将が戦場を離脱したファーロイ騎士団は公国騎士団に倣って敗戦を受け入れる他なかった。


 ベルゲルミル公国騎士団の中でも指折りの実力者たるジットリスとエレンベルクの二人は、少数の部隊をまとめて東へと逃げ去った。何故かゲオルグまでもがその隊列に加わっていたが、その判断を敢えて咎める者はなかった。


 しかしながら、大勝利を収めたカナル帝国軍に犠牲がないという結果にはならなかった。黄竜隊を統率していたルカは奮戦を見せるも、乱戦の渦中で討ち死にした。戦後の処理に追われる中、ネメシスは少ないながらも時間を設け、ルカの追悼式典を催した。そして彼の功績を讃えて異国の地で送った。



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