霧の部隊-3
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カナル軍とベルゲルミル軍とが再びぶつかったのは、日の暮れ掛かけた茜空の下であった。見渡す限り赤土の広がる平野であり、山岳地帯を示す稜線や深き森林は視界の遥か彼方に連なっていた。
カナル軍の追跡を逃れるようにして東進していたベルゲルミル軍が突如軍列を返し、凹型の鶴翼に陣形を組んだ。対するカナル軍は、アムネリアの提言により三角形の頂点を敵陣へと向ける錐行に構えることで、衝突の火蓋が切って落とされた。
「我等黄竜隊から敵陣中央へと斬り込む!敵の右翼と左翼の動きは気にしなくて良い!中央の本陣を食い破るぞ!」
ルカの号令に、前衛を務める黄竜隊の面々は気勢を上げた。空かさずアムネリアがクルスの側へと駆け寄って、素早く耳打ちした。
「こちらには馬がない。足が止まればそこが墓場となろう。すなわち、一番強力な布陣で風穴を空け続ける他にない」
「わかっている。黄竜隊の、おれと直属が先陣を買って出る。抗魔法の使い手にも事欠かないわけだし」
「無論私も前に出る。三倍の敵に、武を極めし十天君がいる。そなた一人に全軍の命運を預けるというのでは重過ぎるというもの」
「陛下は御預けになられたが……」
アムネリアはぐっとクルスに顔を近付け、長い睫毛が触れそうな程に二人の距離は縮まった。数々の浮き名を流してきたクルスとて、アムネリアのこの突然の行動には虚を突かれた。
アムネリアは僅かに鼻を動かすと、至近から睨み付けて言い放った。
「匂う。まさかとは思うが、何事か陛下をたぶらかすような真似はしておらぬであろうな?」
「あるわけがない」
「ふむ。ベルゲルミルを平らげた後でゆっくり弁明を聞こうか」
アムネリアは居直ると、何事もなかったかのように平然とした表情で剣を抜いた。クルスの動機は早まったが、アムネリアの言葉に戦後の生存保障を得た気がして、戦意が一段と高まった。
クルスは背後を見回し、頼りにする仲間たちが集結していることを認めるや、進軍の檄を飛ばした。アムネリアの他にノエルやゼロ、アイザックにマルチナ、フィニス、レイといった面々が揃っていた。
(ダイノンがいれば大助かりだったんだがな。……くれぐれも恨めしくは思わんでくれよ。戦場に身を置くからには、おれだって遠からずそっちへ行くことになるんだ)
駆け出したクルスは、弓矢や魔法による迎撃へは注意を払わずに直進を選んだ。エルフの二人が風を操り、魔法抵抗をフィニスへ託してもいたので、己はただ剣に集中した。
視界の左右奥には鶴翼陣の左翼と右翼が控えるも、それを一顧だにせず眼前の敵陣へと斬り入った。クルスは手始めに正面へと立ちはだかる騎士をただの二振りで斬り倒すと、腰を落とした低い姿勢から群がってきた騎士たちの下半身を斬りつけていった。
足下を気にして防御の疎かになった敵を返す剛剣で次々に沈めていくと、そこにアムネリアやアイザックが合流して来た。クルスに負けじとアムネリアの剣も縦横無尽に走り、刻一刻と騎士の絶命していく様は見る者へ死神が到来したかのような幻想を抱かせた。
大方の予想通りにベルゲルミルの中央軍は本陣で、右翼がファーロイ騎士団、左翼にサイ・アデル騎士団という具合で配されていた。奇しくもクルスらの武威が発揮されているそこがベルゲルミル公国騎士団の担当であった。
クルスの剣の冴えは公国騎士たちの意気を挫き、黄竜隊の勢いを倍加させた。
「どけ!」
「ひぃッ?」
クルスの覇気に気圧された一騎が剣も交えずに尻餅をつくと、そこへ嘆息を露にした偉丈夫が徒歩で登場した。片手で槍を構え、もう片方の手でゆっくりと己の顎髭を撫で回していた。
槍騎士へと向かいかけた黄竜隊の騎士を、クルスが鋭い声音で制止した。そして自らが一歩前へと踏み出した。乱戦下にあって、向き合う二人の周囲だけが明らかに浮いて静けさをすら感じさせた。
「<疫病神>のクルス・クライスト。どんな術を使ったか知らんが、あれから腕を上げたようだな。だが、調子に乗っていられるのもここまでだ!」
「<飛槍>のディロン・ガフロン。忌々しい因縁に決着を付けてやる。かかって来い」
「相変わらず……生意気ィ!」
ディロンは重く、そして速い突きを繰り出し、クルスを近付けまいとした。クルスは槍と撃ち合うことはせずに、上半身の動きだけで攻撃を避けて距離を詰めに掛かった。
意図を察したディロンが槍を水平に払うと、クルスはそれを待っていたかの如き超絶の身のこなしを見せた。背を反らすようにして上半身を後ろへ倒して槍撃をやり過ごすや、そのまま背筋だけで上体を起こして地面を蹴った。
クルスが踏み込んだ瞬間、ディロンは地割れでも起きるのではないかという衝撃を足下に感じた。
(魔法力を、乗せている?)
果たしてクルスはディロンの懐へと飛び込み、全力の斬撃を叩き込んだ。
「ぬおおおおおッ?」
甲冑の正面から撃たれたディロンはその威力に意識を持っていかれそうになったが、どうにか踏み止まって槍を返した。しかし、槍は不可視の障壁に強く弾かれた。
邪魔するもののないクルスの追撃はディロンの胸甲を破砕し、連続した斬り払いが槍を握るディロンの右腕を半ばから断ち切った。無情にも地に落ちる槍と腕とを見詰め、胸元に異常な熱さを覚えたディロンはすぐさま自らの敗北と死を悟った。
ディロンの口をついて出たのは、敗戦の弁や命乞いといった類いの内容ではなかった。
「……人体強化に不可視の盾。あのタイミングで、あれだけの精度を実現するとは。……前回は魔法を温存していたというわけか?見誤ったわ……」
「いいや。違う」
クルスはディロンの指摘に反論した。握られた剣は再度返され、クルスが止めを模索していることは明らかであった。
「……というと?」
「確かに使えなかったんだ、あの時は。かつておれの魔法力を根刮ぎ持っていった術式が失われた。それと引き換えに、こうして魔法力が返ってきたのさ。……望んだわけじゃない」
クルスの表情には寂寥が過ったものだが、既に出血の過多なディロンの薄れ行く視界には映し出されなかった。「そうか」とだけ答えたディロンへとクルスが剣を振り下ろし、遂に十天君の一角は崩された。
「クルス・クライストが<飛槍>を討ち取った!ベルゲルミルの敗北はすぐそこにあるぞ!」
このクルスの勝利宣言は直ぐ様ベルゲルミル公国騎士団に伝播した。公国、引いては連合王国最強騎士の一人であるディロンが倒されたことは、王が討たれるに次いで重い事態と言えた。
動揺の隠せない敵中央軍をクルスと黄竜隊の精鋭たちは散々に攻め立てた。中でもこの時点でクルスに次ぐ殊勲を挙げたのはマルチナで、彼女はベルゲルミル公王グラウスの側近・近衛隊長オーリンを単独で討ち取って見せた。
総大将の側仕えが討たれるという事実はそれだけベルゲルミル軍が押し込まれていることを如実に物語っていた。とは言え数で勝るベルゲルミル軍が座して敗北を受け入れよう筈もなく、危機の拡大する本陣を救うべく両翼の部隊は急行した。
そこにカナルの後軍である白騎士団も突入したので、戦いは一気に苛烈さを増した。日暮れも近付く中で、定石に照らせば双方撤退の機会を模索する頃合いと言えたが、続けてもう一幕が上がった。
新旧の十天君が接触したのである。
***
軽装甲に白絹の戦闘衣という身軽な格好で黒髪をなびかせて剣を振るうアムネリアの姿は、王の所望で剣舞を披露する絶世の美姫としか見えなかった。実際はその緻密で俊敏な体さばきと、強烈で技巧の粋を凝らされた剣術とが数多の生命を奪っているのであり、敵の立場から考えれば悪鬼に例えられて不思議はなかった。
最前線でクルスに劣らぬ戦果を叩き出していたアムネリアは、同胞が<飛槍>を打倒した報に全くと言って良いほど驚いていなかった。彼の経歴を知る仲間の内でアムネリアが一番に付き合いの長いこともあり、ラクシュミ・レインを喪ったクルスの纏う空気がそれまでとは違った次元にあると感じていた。
かつてニナ・ヴィーキナに集った義士たちのただ一人の生還者。それと聞いたアムネリアがクルスの真の実力に思いを馳せたは事実で、それが故に制約から解き放たれた彼の活躍を確信してもいた。
「アムネリア・ファラウェイ!ここで貴女と再会した運命が惜しまれる。だが、手加減はしてやれない」
左翼のサイ・アデル騎士団が乱入してきた時分から、アムネリアはかつて共に研鑽を重ねた騎士の登場を予見していた。その通りに、緋色の長髪を後頭部で束ね、赤銅色の甲冑に身を包んだレベッカ・スワンチカが長剣を携えて怒り肩に歩み寄ってきた。
レベッカは馬を放しており、抜かれた長剣の身は赤く光って熱を帯びていた。彼女の特技が剣に炎の魔法を宿す流儀と知っていたので、アムネリアは努めて冷静に振る舞った。
「レベッカ。もはや何も言うまい。今の私はカナルの新帝に従う身。クーオウル神とネメシス様の御名に懸けて、魔境撲滅の勅命に立ち塞がる輩を滅するのみ」
「その潔さや落ち着き払った態度が昔から気に入らなかった。十天君を拝命したからには、最強の称号は私に帰するべきだ!かつての遊戯はもう忘れた……堕ちろ!」
<烈女>は真っ直ぐにアムネリアへと向かって駆けた。俊敏な足運びからの魔法剣の撃ち込みは、外野からしてアムネリアもやっとのことで追随しているように映った。
剣を撃ち合わせる度に火の粉が散り、燃え盛る剣閃は高い圧力でもってアムネリアを後退させた。それでも互いの剣が傷を負わせることはなく、激しい応酬は続いた。
レベッカの実力は何も魔法と剣技の融合という離れ技だけに裏打ちのされたものではなく、寧ろ攻防に隙のない堅実な技量にこそ真価があった。アムネリアの剣速は規格外であったし、体術も力学の観点から最高の能率を叩き出していたが、それでもレベッカを容易に崩し得なかった。
「……成る程。そなたもあれから精進を重ねたというわけか」
「無駄口を!」
黒髪と赤髪は剣を交えるごとに位置を替え、周囲の目にも止まらぬ剣の撃ち合いは数十合に及んだ。炎の剣を受け続けるアムネリアがだんだんと守勢に回り、それとは対照的にレベッカの調子は上がる一方と見えた。
アムネリアのすぐ近くで剣を振るっていたアイザックの目には、レベッカの体力がアムネリアのそれを凌駕したものと映った。彼はこの大勝負に割って入れるだけの技量を有していたが、数倍する敵に囲まれてそれを簡単に降り切ることは叶わなかった。
その時、サイ・アデル騎士団を束ねるモンデ・サイ・アデル皇子が戦場を突っ切り、すぐ側にまで接近し
いた。そしてアムネリアとレベッカの斬り合いを目の当たりにし、血相を変えた。
(いけない!アムネリア・ファラウェイの狙いは転調に違いない。実戦経験で劣るレベッカがまんまと誘い込まれている)
出掛かった声を呑み込んだのはモンデが一騎打ちの機微を弁えていたからで、実力の伯仲した勝負に横合いから口を出せば、レベッカ優位の流れに水を差しかねないと知っていた。そこでモンデは咄嗟に攻撃魔法を構築して、アムネリアへの直接狙撃を敢行した。
集団戦闘における大魔法の撃ち合いは、既に両陣営のマジックマスターが施した魔法抵抗により意味を失っていたものの、局地における魔法の使用が個々の力量次第で強力な武器と化す点に相違はなかった。モンデは本来剣武に寄った騎士ではあったが、ウィルヘルミナやアンフィスバエナへ及ばないにせよマジックマスターとしての技も充分に修めていた。
モンデの撃ち出した光弾はしかし、アムネリアに到達することなく中空で弾けて消えた。それはノエルの技有りの技術で、萌木色の短衣に鳶色をした植物性の軽装甲を身に付けたエルフが、軽快なステップを踏んで駆け寄ってきた。ノエルの手には細剣が握られていて、彼女を仕留めんとしたベルゲルミルの騎士は額を一突きにされて果てた。
モンデの援護が失われたことで、彼の推測した通りに一騎打ちは展開した。ある時期よりアムネリアが急激に手数を増やし、さらには前後左右に倍して動いた。
不意を突かれた形のレベッカは対処が後手へと回り、ついに右肩を深く斬りつけられて剣を取り落とした。アムネリアの二の剣がレベッカの後頭部を強かに撃ち、即座に昏倒させた。
二人の闘いを見守っていた騎士たちは、<烈女>の敗北に大きな声を挙げた。勝ち鬨と悲痛な叫びとが混ざり合った歓声の渦は、しばし周囲を巻き込んで収まりを見せなかった。




