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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第五章 ベルゲルミル動乱
78/132

  君臨せし十天君-3

***



 クロスバイツェン城のバルコニーから空を見上げても、曇天のせいかそこにはただの暗黒が広がっていた。日中に猛威を奮った雨は威勢を弱め、霧雨となって衣服の表面を湿らせた。


 ジットリスは募る不安を拭えず、信の置ける者を主城に呼び出して、こうして一人寒空の下で待ち構えていた。


(冷静に考えれば、純軍事的に我々が負ける要素はない。寧ろ負ける算段を探す方が難しいくらいだ。圧倒的に勝利するか、普通に勝利するか。それしか未来はない筈であった。……それがよもや、奇襲により主導権を奪われる羽目になるとは)


 ディロンは寒くないのか、ほとんど上半身裸も同然の薄着で、鋼の肉体を誇示するかのように胸を張ってバルコニーへと出てきた。腰には護身用の小剣が一本だけ差してあった。


 ディロンに続くようにして、彼と同じく上級騎士のエレンベルクが姿を見せた。長身にして白髪が目立ち、一見周囲に威圧感を与える風貌も、丸眼鏡の奥に湛えられる光は知的で穏やかな色を灯していた。


「どうした、ジットリス。出陣前だ。話があるなら手短にしろ」


「まあまあ。機微の分からぬジットリスではないのだから。そう急くものじゃないぞ、ディロン」


 未だ齢四十に届いていなかったが、エレンベルクが落ち着き払った声で同輩をたしなめた。エレンベルクは柔軟な思考を所有する軍人で、粗野なゲオルグに代わり公国騎士団をよく支えていた。ジットリスの信頼も厚く、ディロンの武と併せて実質的にこの三人がベルゲルミル公国の軍部を取り仕切っていると言えた。


「二人とも、忙しい中ですまぬ。どうしても注意を喚起しておきたかったのだ。我が国には、敵への内通者がいる」


 ジットリスの告白に、ディロンの眉間の皺が深くなかった。エレンベルクは口を一文字に結んで続きの言葉を待った。


「考えてもみてくれ。カナルの急襲は、未だ実態が掴めない。規模も経路も、何もかもが不明ときている。だのに情報だけが先行し、結果招集された十天君は連携を模索するまでもなく所領へと散らばった。これでは往復の時間を無駄にしたに過ぎない」


「……待ってくれ。では何か。まさかカナル来襲は偽報だとでも?」


「エレンベルクよ。タイミングが良すぎるのだ。陛下に十天君を呼び寄せるよう吹き込んだ輩がいて、その者がカナルの宣戦布告をも持ち込んだと考えれば全て府に落ちる。各国騎士団の要である十天君が往復に費やした時間は、そのままカナルの優位へと移ろう」


「それは、そうだが……」


「それで、カナル軍は侵入しているのかいないのか。貴様の意見はどちらなんだ?」


 焦れたようにディロンがジットリスへと詰め寄った。ジットリスは軽く頷いて、自らの推論を述べた。


「カナルは来ている」


「何だと?嘘偽りがないのなら、内通者などいないも同然ではないか!」


「いや。先程言ったように、これ程絶妙なタイミングは有り得ない。内通者はいるのだ。カナルの進軍に合わせて我が方を揺さぶった者がな。ただし、これだけ見事な連動を為し得る策士がいるとは考えにくい。政治的且つ軍事的な視野と広範なネットワークを所有し、王に取り次げるだけの政治権力にも恵まれ、さらには私の目を盗んでカナルとやり取りの出来る人材。正直なところ、候補がまるで浮かばない」


 なまじジットリスの能力を知っているからこそ、二人は納得して口を閉ざした。それこそ勢力でカナルに優るベルゲルミルを裏切ること自体が危険な行為であり、内通者はどれだけの利得を秤に掛けたものかとエレンベルクは疑問に思った。


 ディロンは危険に光らせた瞳をジットリスに向けた。それは解答を催促する類いのもので、長い付き合いからジットリスにも意図は読めた。


「……荒唐無稽な意見で悪いのだが。ベルゲルミルを弱体化させようとする超常の、人ならぬ存在がいるのではないか。私はそう考えている」


「それは、ファーロイやレイバートンから報告のあった<白虎>のことではないのか?悪魔の化身となったと聞いたが」


「違うな。集約した情報によれば、かの悪魔は四柱の復活を目論んでカナルにちょっかいを出し続けていたそうだ。それがカナルに封じられし一柱を呼び覚まそうという意思の表れであるなら、寧ろこちらに助力して不思議はない。ラーマ・フライマも四柱の眠る位置をカナル、黒の森、天空の万魔殿、凍結湖であると明言した」


 エレンベルクは尚も質問をぶつけた。


「だが……我等はアンフィスバエナの主張に基づき、対魔防衛ラインへの参加も見合わせている。超常と言えばまず魔境の者共が思い起こされるが、恨みを買うとすればやはり魔境撲滅を掲げたカナルの方。それこそ敵の候補は見当たらないぞ?」


「……ウィルヘルミナ女王陛下がな。これを見越したわけではあるまいが、出兵に反対の意を表明しに来られた折に、不思議なことを仰有っていたのだ。古の魔神・ベルゲルミルを捜しているのだと」


「……魔神?」


 エレンベルクとディロンは同時に口にし、呆けた顔でジットリスの説明を待った。しかし、ジットリスとてウィルヘルミナの語る全容を理解していたわけでなく、彼はその真意を二人へ伝えることが出来なかった。


 それでもカナルと戦争を始めるにあたり、敵が身内に存在するかもしれないという警告を二人に与える目的は果たした。靄のような疑念が晴れることはなかったが、三者は共に気持ちを切り替えて即座の態勢構築に邁進した。


 翌朝、ベルゲルミル連合王国・国王たるグラウスは、全国民へと向けてカナル帝国との開戦を宣した。



***



 アンフィスバエナは利己主義と無縁であり、真にアケナスの存続を憂えて<フォルトリウ>における調整弁の役割を担ってきた。多少戦闘に享楽を求める悪癖はあれど、基本的にアケナスとベルゲルミルが併存して隆盛を誇る流れこそ良しと見做していた。


 政治家としては名より実をとる性質を持ち、出向先であるソフィアにおいては、どちらかというと清廉なウィルヘルミナと反目することが多かった。彼とウィルヘルミナの闘争はそれでも国政を良くしようとする背景から生まれていたし、互いの信条や能力を認め合った上での衝突と言えた。


 後世の歴史家は、アンフィスバエナの政治家としての采配やマジックアカデミーへの貢献を高く評価した。しかし、彼の振りかざした正論によりソフィアの政体に絶望したルガードとアムネリアの反逆や、マジックマスターとしての資質の高さが招いた禁忌の魔法研究に対しては、その責任が強く糾弾されることとなった。


 カナルとの開戦が布告されたその時、アンフィスバエナの姿はソフィア女王国のマジックアカデミーにあった。アケナス最大の魔法研究機関であるアカデミーの敷地は広大で、中でも修練講堂と呼ばれたそこは極大魔法の再現や召喚魔法の訓練に使用されるだけのことはあり、群を抜いて巨大かつ頑健な建造物と言えた。


 窓が遮光されているため、がらんとした講堂内部では発光球体による薄明かりのみが視界を担保していた。アンフィスバエナは講堂の中央付近に鎮座し、手元には樫の枝で出来た杖の他に、赤銅の額に縁取られた円鏡が置かれていた。


「やはり来ましたか。フフ……期待を裏切らない方ですね」


 瞼の閉じられたままで、アンフィスバエナが小さく哄笑を上げた。その対象は真っ白な甲冑をまといし大柄の騎士で、<白虎>と謳われしウェリントンその人であった。


 いつの間にか講堂に進入を果たしたウェリントンは、然程警戒した様子もなくアンフィスバエナの下へと歩み寄った。互いの攻撃射程にはとっくに入っているものと思われたが、両者は依然として構えすらとっていなかった。


「<鬼道>よ、久し振りだな。相変わらずあの埃被った組織に身を置いていると聞いた。貴様ほどの賢者が、他者の為にそこまで尽くす理由は何だ?」


「余計な問答は不要でしょう、<白虎>?黒の森を焼いてくれたからには、私も目を瞑ってはいられませんから。それ故に、無理を言ってこの神具を借りてきたわけです」


 アンフィスバエナはそっと万魔鏡を掲げて見せた。聖タイタニアの所有するそれは万魔殿を封印している重大な宝具であり、万魔殿の四柱を解放せんとするウェリントンが狙う最たる対象であった。


 アンフィスバエナの返答に合わせる形で、魔法陣により隠れていた二者がウェリントンを囲むようにしてその場に現れた。一人は混沌の君で、もう一人は混沌の君によって命を救われたエドメンドであった。


「……ほう。待ち伏せとはやる。この私が、全く知覚出来なかったぞ」


 ウェリントンはそれでも余裕を失うことなく、自然な動きで魔剣を抜いた。


「盟約に仇為す者と認定し、ここで処置させていただきます」


 アンフィスバエナが杖の先で床を叩くのと、ウェリントンが全身から魔法力を発散させるのは同時であった。アンフィスバエナとエドメンドの放った雷撃の魔法はウェリントンの体表で弾かれ、ウェリントンは悠々と間合いを詰めた。


 アンフィスバエナの頭上へと落とされた剣はしかし、アンフィスバエナの周囲を護る魔法障壁によって見事に阻まれた。


(なるほど。同時に二つの魔法を展開したわけか。……面白い!)


 連続した剣撃を浴びせようとしたウェリントンに、強力な横撃が浴びせられた。左半身を見えぬ攻撃に打たれたウェリントンは右方へ飛ばされ、そこをアンフィスバエナとエドメンドの攻撃魔法が追尾した。


 賢者の石が供給する魔法力で抗魔法の結界を張り巡らせたウェリントンは、それらを難なくいなした。そして自分へと不可視の攻撃を向けてくる相手を睨んだ。


 混沌の君は仮面の裏に一切の表情を隠したまま、指揮棒と思しき白色の細い棒を小さく振った。その度にウェリントンは巨人から鈍器で殴られたような重い衝撃を受けて態勢を崩した。


「アンフィスバエナ様!この男、魔法が通じませぬ」


「焦る必要はありません。魔法力の供給こそ無限に等しかろうと、防御手段を構築するのは生身です。混沌の君がダグザの棍棒で応戦している間に、我らであの魔法抵抗を破るのです」


 ウェリントンが立ち上がる度に混沌の君から目に見えぬ打撃が繰り出され、アンフィスバエナとエドメンドは嵐の如く地水火風の魔法で攻めた。


 遂にウェリントンの剣が透明の一撃を受け切ることに成功するも、剣に向いた意識は魔法防御に綻びをもたらせた。アンフィスバエナの放った二条の光線が狙いを外さずにウェリントンの胸と腹を貫いた。


 エドメンドが歓喜の声を上げようとしたのも束の間、ウェリントンの背から黒い翼が立ち上がり、まるで独自に生きているかのように大きく羽ばたき始めた。


「破滅の黒翼か……来るぞ。あれは闇属性の魔法武器に等しい」


 混沌の君は久しくない緊迫した声音でアンフィスバエナらに注意を促した。ウェリントンの背より生えし翼は霧状になって広がり、講堂内を荒れ狂うように飛び回ってから三者を襲った。


 混沌の君はイドの魔石をくくりつけたペンダントを取り出して、接近した闇の霧を消滅させた。そこへ魔剣ダーインスレイヴを手にしたウェリントン飛び込んできた。


 ウェリントンの強烈無比な斬撃は混沌の君の法衣を捉えることなくその寸前で弾かれた。さらに、その反動でウェリントンは大きく後退りさせられた。


「<白虎>と言えど、我が防御は破れまい。オハンの盾とイドの魔石。通常の攻撃でどうこうできる代物ではない」


「それはどうかな?……ダーインスレイヴよ、我が血肉を喰らい真なる力を発揮せよ」


 ウェリントンはおもむろに剣で己の腹を刺した。剣身の半分まで埋まり、背を貫いたところでダーインスレイヴに変化が生じた。


 腹から抜かれたダーインスレイヴは刃が赤黒く霞んで見えた。魔法に精通している者から見れば、それは余りに凶悪な魔法力を帯びていると一目で分かった。


 混沌の君は指揮棒を振ってダグザの棍棒による不可視の一撃を放った。ウェリントンは満身創痍に見えたがそれを剣のひと振りで跳ね返した。ダグザの棍棒がいとも簡単に防がれたことは混沌の君にも計算外で、次は万全の守備をと身構えた。


 人間離れした跳躍を見せて一気に接近したウェリントンが、ダーインスレイヴを上段から斬り落とした。空を斬り、邪気の奔流を撒き散らしたその一撃は、不可視のオハンの盾と物理接触を起こしたところで獰猛に圧力を増し、爆発を巻き起こしながら床まで叩き付けられた。


 ウェリントンが空かさず横薙ぎの一閃を繰り出すが、それは混沌の君の手にする短剣によって斬線を捻じ曲げられた。その代償により短剣はへし折られ、次なるダーインスレイヴの斬撃はダグザの棍棒と相打ちの形で分けた。両者はそこで距離をとった。


 傍目にはオハンの盾とソロモンの短剣を相次ぎ失った混沌の君の旗色が悪いようにも思えたが、ウェリントンこそ明らかに衰弱して見えた。アンフィスバエナより受けた傷に加え魔剣に身を削られた代償は大きいようで、ぎらつく瞳と傾いた姿勢の間に大きな差異が現れていた。


 破滅の黒翼を撃退したアンフィスバエナが魔法攻撃の連続で援護に入ると、ダグザの棍棒との連携でもってたちまちにウェリントンは追い込まれた。真価を見せたダーインスレイヴの一撃は重かったが、混沌の君のダグザの棍棒も神具としては上位にあるもので、ウェリントンの挽回出来る余地は少なく思われた。


「……待て。私は魔王アスタロトが側近の肉を憑り代としている故に、貴様らが知りたがっている存在についても感知している」


 床に膝を付き、今まさに二者に屈せんとするウェリントンの口から不穏な言葉が発せられた。エドメンドにも打ち返された破滅の黒翼は全て背に戻ってきており、見た目にウェリントンは満身創痍であった。


 混沌の君は攻撃の手を休め、アンフィスバエナへと主導権を渡した。駆け寄ったエドメンドも新たな主の反応に注目した。


「それは、我がソフィアの主上陛下が嗅ぎ回っている魔神のことですか?」


「そうだ。ここで鏡と引き換えに情報を渡しても良い。何なら、かの存在を打倒するに力を貸してもやろう」


「フフ。黒の森を焼いたかと思えば、次は鏡を手に万魔殿へ足を踏み入れようという。そうかと思えば魔神退治に協力すると?」


「悪い話ではあるまい?人の身では、奴には近付けんぞ」


「無価値ですね。私は魔神ベルゲルミルの居場所を把握していますから」


 アンフィスバエナの顔に影が差し、右手の指と左手の杖が別々に動かされた。床がせり上がって出現した土竜が、瞬く間にウェリントンを呑み込んだ。それを魔法抵抗でどうにか四散させたウェリントンであったが、次なる強烈な風が唸り声を上げ、千刃と化して襲い掛かった。


「ぬおおおおおおおおおおおおお!」


 ウェリントンは咆哮と共にダーインスレイヴを大きく振り抜いた。闇の力をまといし豪快な剣閃は、風の刃を多数弾き飛ばしてアンフィスバエナにまで達した。


 しかし、ウェリントンの全身もまた回復不能な程に切り刻まれていた。ざっくりと裂けた至るところの肌から流血し、土竜によって崩された床に血の海が作られた。


「アンフィスバエナ様!」


「……致命傷ではありません。エドメンド。混沌の君。彼に止めを」


 右手で懐を押さえ、杖に寄り掛かるようにして立つアンフィスバエナの頬を脂汗が伝った。


 エドメンドが袖から使い魔を射出し、無抵抗なウェリントンの胸元を深く裂いた。さらにはダグザの棍棒で頭部を強打され、ウェリントンは目を見開いて断末魔の声を漏らした。


「うおお……あと少し、というところで」


 混沌の君がもう一撃を加えると、ウェリントンは倒れ伏して動かなくなった。そして、悪魔の宿命か肉体は間を置かずして霧散した。


 混沌の君はウェリントンの遺体があった場所へと足を運び、周辺を入念に調べた。目当てのものが見付からないと知るや、場の二人に断りもなしに、転移の魔法を起動させた。


 消えた混沌の君を目で追っていたエドメンドは、主の容態よりも神具の存在に気を囚われていた。


「石は……賢者の石は、どこに?」



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