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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第五章 ベルゲルミル動乱
77/132

  君臨せし十天君-2

***



「ラファエル様!」


「……イシュタルか。どうした?一刻も早くアルケミアへ戻った方が良い」


「ラファエル様こそ、帰路にもつかずこのようなところで何を?」


 イシュタルがラファエルを見掛けたのはシリウス城下のディアネ神殿で、他の十天君は対カナルの戦争行動を開始すべく国元へと帰って行った。


 グラウスがディートハ経由で持ち寄ったカナルからの書状には、先年の借りを返すとの主張に加えて既にベルゲルミル領へ布陣済みである旨が記されていた。ゲオルグが確認へと動いているものの依然カナル軍の動静は伝わって来なかった。


 夜明け前の神殿には人影はおろかまともな光源すら見当たらず、イシュタルは目線の高さに熱量を抑えた光球を浮かべて視界を確保していた。ラファエルはというと、窓から差し込む月明かりだけを頼りに石造りの廊下を歩いていた。


 光球に青白く照らされたラファエルの表情からは、婚約者たるイシュタルですら心中を推し量ることが叶わなかった。


「ラーマ・フライマに用があってな」


「……こんな夜更けに?そう言えば、先程もクルス・クライストの件でフライマ殿にお尋ねになっていましたね」


「人目を憚る話でな。そなたは聞かぬ方が良い」


「ラファエル様……」


 不満というより悲しみの気色を前面に出すイシュタルに対して、ラファエルは困り顔をして考え込んだ。そして直ぐに、身内であるイシュタルにまで隠す必要もあるまいと思い直した。


「連合王国の内部に巣食う、裏切り者を占って貰っていたのだ」


「裏切り者?」


 内容が内容だけに、イシュタルは声を潜めて返した。ラファエルはウィルヘルミナから釘を刺された件をかいつまんで説明した。イシュタルは真っ直ぐにラファエルの瞳を見据え、己が推測を口にした。


「……九分九厘、<鬼道>で間違いないように思えるのですが」


「<フォルトリウ>のことは教えていたな?」


 イシュタルは小さく頷いて見せた。


「種族の保持を至上の命題とする、旧くに成立を見たシンジケートですね。確か、連合王国の幹事は<鬼道>が務めているとお聞きしました」


「そうだ。私の把握している範囲では、奴は<フォルトリウ>の教えに忠実に動いている。それ故に、奴もまたウィルヘルミナ陛下の言う黒幕に謀られている可能性が高い」


「それは……種の衰退がアケナスの崩壊を招くという前提にこそ偽りがある。そういった趣旨の話ですね?」


「勿論断定は出来ない。四柱の存在と<フォルトリウ>の思想が個別バラバラに成立しているという可能性もある。ラーマ・フライマがディアネ神を知覚し、事実としてその声を聞くことが出来るというのであればすべての説明がつくかと思ってな」


「……フライマ殿は何と?」


「ここではまずい。聞いてしまったからには今宵の出発は諦めて夜明けを待ち、私と共にシリウスを発とう」

 自分を気遣ってくれるラファエルに親愛の情を募らせたイシュタルであったが、肩を寄せあい神殿の出入口まで辿り着いたところで妙な気配を感じ取った。それは背負う神弓を通じて伝わったもので、禍々しさを伴った敵意のように思われた。


「ラファエル様!近くに敵がいます!」


 後方に臨む寒々しい神殿の回廊と前方に開けた闇夜とを警戒するイシュタルに対し、ラファエルが涼しげな声音で慰めた。


「脅しすぎたか?心配せずとも、何者か潜んでいる気配はない。今は大丈夫だ」


「……左様ですか」


 イシュタルは勘違いなどではなく実感に自信を持っていたので、念入りに周囲を窺った。だがラファエル程の実力者が見誤うこともなかろうと、最後には彼女が折れた。


 イシュタルは気を抜かぬままラファエルの横顔を眺めるが、月光を受けて淡く浮き上がる彼の表情に緊張の色はなく、それをもって気分を一新することとした。


(折角一緒にいられるんですもの。戦は目前なのだから、ささやかな憩いの時間を楽しまなければ損と言うものだわ。裏切り者はきっと、ラファエル様が何とかしてくれる)



***



 サイ・アデル皇国皇子のモンデは、騎士団の詰所において軍備に余念のないレベッカを訪ねていた。十天君に任じられて二度目の大戦ということで気合い充分のレベッカに対し、モンデはその逸る気を宥めすかすかのように防衛主体の方針を告げた。


「既に守勢だからね。下手に騎士団を進発させてはここの防備が手薄となる。残念だが、敵が戦場を選択するまでは動けない」


「それは分かりますが。カナル軍を相手とするに個々の騎士団では、数で圧倒されませんか?」


「要は、サイ・アデルが戦場の一番手にならなければ良い。そもそもカナル軍に、こちらの諜報より速い行軍が可能だった点。そこに意味があるとは思わないかい?」


 黒瞳を思わせ振りに輝かせてモンデが尋ねた。レベッカは先のカナル戦にも従軍していたので、情報だけは必要十分に有していた。


「ひょっとして……大森林を通過するとでも?」


「既に通過したのだ、と私は理解している。幾らなんでもジットリス卿の手の者が、カナル軍の出撃それ自体を見逃すとは思えない。となれば、諜報報告に先んじて連合王国領内へ入ったと考えるのが自然だ」


「……連合は利用出来ず、カナルにのみ利用可能性がある最短経路。大森林のエルフとベルゲルミル公国騎士団は交戦実績もあるので、不思議ではありませんが……。エルフが人間に、それもカナルの騎士団に力を貸しましょうか?」


「さあね。でも問題はその点にない。もう素通りしたのだとすれば、考えても仕方ないのだから。寧ろ大森林経由であれば、行軍ルートは読み易い」


 地理を思い浮かべ、レベッカは首肯した。大森林の北はすなわちベルゲルミル公国の領内であった。


「十中八九、シリウスに奇襲を掛ける筈さ。それを確認してから駆け付ければ良い」


 モンデの柔和な表情に、レベッカは薄ら寒いものを感じた。サイ・アデルの皇子が連合王国盟主のベルゲルミル公国を盾にすると明言しておいて、良心に何の呵責も感じていないように思われたからだ。


 無論レベッカはサイ・アデルの騎士であり、自国の防衛を第一に考えていた。それでも連合諸国が外国と戦に及ぶ折は連合王国が一体となって臨むべしという思想は叩き込まれていたし、その点こそ連合王国がアケナスで最強と謳われる所以であると考えていた。


 モンデはレベッカの不審に気付いていたが、敢えて説得を試みたりはしなかった。


「公国の国力なら単独でも短期に敗れるようなことはない。それにエルフ族と密約を結んだとして、大森林を大規模な騎馬部隊が通過出来るわけもないのだから、敵部隊は歩兵が中心だろう。位置さえ明らかになれば、後は諸国の軍勢で包囲殲滅するだけのことさ」


 モンデの作戦における明白な弱点は、敵の攻撃目標がベルゲルミル公国以外の構成国家にある場合で、レベッカはそれに備えてしっかり守りを固めることを己の務めとした。そして、切磋琢磨して修行に励んだ敵との遭遇に想いを馳せた。


(アムネリア・ファラウェイ……来るなら来い。決着をつける舞台が変わっただけだ。敵同士なら話は早い。この剣で優劣をはっきりさせてやろう)


「時に、レベッカ。シリウスでラグナロック卿が話題にした傭兵のことだけれど」


「はい。<リーグ>のクルス・クライストですね?」


「戦場で奴を見掛けたら、息の根を止める前に私に話させて欲しい。ビフレストの伝承に興味があってね」


「承知しました。戦故に絶対の御約束は出来かねますが、善処します」


「頼んだよ。これで私もマジックマスターの端くれ。神話と現世とが通じていると言うのなら、是非とも調査してみたい。まあ……相見える機会が訪れるとは限らないけれど。それじゃあ私は指揮所に篭っているから」


 手を上げて挨拶をしたモンデが背を向け、レベッカは律儀にも彼の姿が視界から消えるまで敬礼の姿勢を保った。サイ・アデルは連合王国でも比較的規模の小さい国家であったが、モンデは若いながらに政治・軍事の双方に長じており、その働きはよく富国に貢献していた。


 国民のモンデに対する信任は厚く、レベッカもまた上司にして皇子である彼を崇拝していた。だが、事がサイ・アデルを超えた話に及ぶとレベッカには心配事があった。


(我が国はベルゲルミルやソフィアと比べて力弱い。権謀術数を駆使しなければ連合内の権威争いにも勝てぬことは分かるが、このところの皇子はそちらに偏っている風に思える。よからぬ災禍に巻き込まれねば良いが……)



***



 ボードレールはファーロイ騎士団の半数に当たる百五十騎を揃えると、城の前庭で車座に並ばせて作戦を申し伝えた。


「不遜にも、カナル軍が北上して連合王国領内に侵入してきた。我等はこれを迎え撃つ。大森林を東に回るルートであれば、レイバートン・ソフィア方面に。西回り、ないしは考え辛いが森を直進するルートをとった場合はベルゲルミル公国が攻勢に遭うだろう。僕とイグニソスの読みでは後者だ」


 騎士たちの間から小さくざわめきが起こった。ボードレールは凛々しくも右腕を掲げ、注目を集めたところで宣言した。


「どんな奇策を用いたところで、カナル軍など何するものぞ!こちらには十天君と十分な兵力がある。卿らには僕がついている。<流水>と冠せられし剣技、カナルの田舎者どもに体で確めさせてやる!そして、ファーロイの騎士に弱兵無しと見せつけてやろう。各員、出陣の支度だ!」


 ファーロイの公爵公子という天上人に鼓舞され、騎士たちは雄叫びを上げるようにして「応!」と唱和した。気合いのみなぎった騎士たちが散った後に、マジックマスター・イグニソスはひっそりと主の隣に顔を出した。


ボードレールは冷めた目付きで忠臣に目線をやった。


「言われた通りにやったよ。これで良いのだろう?」


「お見事です。先手を取られたからこそ形式が大事なのです。士気さえ保たれれば、戦線は如何様にも維持できます」


「本当に、ファーロイを空けて公国へと向かうのかい?」


「対外的に、連合王国国王が倒されればベルゲルミルはそれで終わりです。裏を返せば、構成国家の一つや二つ敗れようと大局的に影響は小さい。電撃戦を仕掛けてきたからには、カナル軍が諸国を一々占領出来るような重厚な布陣でないことは確かです。御曹司がファーロイ一国に固執するというのなら、それもまた善きかな。ここで出撃をお控えになさってください」


ボードレールは腕組みをして思案した。そうして自国のみの安寧と打算を捨てるや、一つ閃いた疑問を口にした。


「……ミスティンは動かないだろうか?」


「それは難問です。かの国にイオニウムの足を封じる秘策があったなら。その上でカナルに味方をする密約が存在した場合、ベルゲルミル北端に位置する我が国の立場は極端に危うくなります。背後から<北将>が押し寄せてくる確率は、今のところ五分としか言えません」


「そういうことだね。……まあこの戦い、こちらは連合の総力で勝れば良いのだから、後の無いカナルに比べてマシと言えるか。クルス・クライストにアムネリア・ファラウェイ。それにノエルも死ぬ気で掛かってくるだろうし」


「……共に悪魔と闘った勇者たちです。本音を言わせていただくと、剣によらない対話で収める術がないものかと思わずにいられません」


 そう言うと、イグニソスは軽く溜め息をついた。元来平和主義者で、マジックアカデミーで好成績を修めたことから母国において重宝されてはいたが、彼は紛れもなく学者肌の人物であった。


 ボードレールは苦笑を浮かべただけで話を収めると、庭の隅に控えたまま会話に加わろうともしない客人へ意識を向けた。イグニソスも追随し、かつての師へと視線を送った。


 ウィルヘルミナは旅装として厚手の外套を羽織り、ティアラに代わって三角防止を戴いていた。池の縁にそっと立ち、鑑賞用の淡水魚を静かに眺めていた。


 仕方無しに、ボードレールはイグニソスを連れてウィルヘルミナの傍へと近付いた。


「貴女から訪ねておいて、それきり黙り。軍議にすら興味がないのであれば、一体何をしにここへ足を運ばれたんです?」


「はじめに言った通りよ。裏切り者を捜している」


「……大陸を裏切っているとかいう、あの虚言のことですね。戦に及んで、表立ってベルゲルミルに背信行為をとらないのであれば、今は目を瞑るべきでしょう。例えそんな者が実在するのだとしてもね」


「此度の戦に干渉している可能性も考えられてよ?ジットリスのネットワークを遮断することくらい、神格にあるものなら造作もないはず」


「馬鹿な。カナルに味方をして、その魔神とやらに何の得がある」


 ウィルヘルミナはその問いには答えなかった。間を置かず、イグニソスがボードレールの後を継いだ。


「師匠。御曹司と私のこともお疑いですね。直に観察に来られたものと見えます」


「貴方みたいに猜疑心の強い人間は心配していないわ、イグニソス。霧の魔神はね、心に隙を見せたら入り込んでくる霊体のような存在と考えられる。かつてシュラク神を闇の側へ変貌させたように、内側から相手を侵食して性質を変容させる」


「神話が論拠というのは……」


「違うわ。論拠はサラスヴァティ・レインよ。ヴァティは魔神の類に拐かされたのだと、私は睨んでいる」


ウィルヘルミナの申告にボードレールとイグニソスは言葉を失った。魔境征伐に赴いて行方不明となっている勇者の動静に、そのような事変を予測した風潮は聞いたことがなかった。


「イーノや妖精メガリス、竜騎士ケルヴィン・ブリザードらを引き連れてビフレスト入りした後に、ヴァティは行方を眩ませた。クラナドへの道中かアケナス帰還後、魔神につけこまれたのではないかと思う。イーノだけを伴って魔境に挑戦するなんて彼女らしくない。イビナ・シュタイナーやネピドゥス、ペンドルトン兄弟。そして私もいた。ヴァティに共感する仲間など幾らでもいたのだから、自殺にも等しい決死行を選択する必然はどこにもなかった」


「師匠……魔神の存在を裏付ける証拠はあるのですか?先程も伺いましたが、あらゆる角度からアケナスの滅びが定義されているという解釈だけでは、その……」


 イグニソスは当たり前の指摘をしたまでであったが、これについてはウィルヘルミナと言えど場に提示する手札を持たなかった。これでは雲を掴むような話だと、ボードレールは一旦彼女の意見を保留とし、目先の戦支度に戻った。


 イグニソスはウィルヘルミナの台詞に執念と強靭な意思を感じ取ったが、宮廷魔術師という役目に対する責務が師への助勢を促す心理に打ち勝った。やがてファーロイの騎士団は、意気も高々にベルゲルミル公国方面へ向けて進発した。



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