1 君臨せし十天君
クルス・クライストの四女神とカナル帝国記
第五章 ベルゲルミル動乱
1 君臨せし十天君
ベルゲルミル連合王国の十天君は、連合国家の成立以来百年超続いている、特殊な士官制度に基づく存在であった。連合加盟諸国に籍を置く者であれば誰でもその地位への挑戦は可能で、厳しい登用試験と審問の末に、一時代十人に限って選任された。
選定の基準は単純明快であった。圧倒的な武力か、それに勝るとも劣らない価値を有する知力。たった二点において審査され、大陸に覇を唱えられるだけの逸材を多数輩出してきた。
他国との戦争に止まらず、稀ではあったが時に悪魔と闘い、時には内乱の鎮圧で強靭な力を振るい十天君は存在感を発揮し続けた。対外勢力との戦において連合諸国はしかと団結を見せ、虎の子の十天君が集結を見るとそれは勇壮であり、敵の目にはまさに恐怖の象徴として映った。
連合国家としての強大な軍事力に加え、大陸最高峰の魔法学院であるマジックアカデミーや隆盛を誇るディアネ神殿のネットワーク。商業・交通インフラは広く整備され、純血人間優遇政策の徹底したベルゲルミルは、アケナスで真っ先に大国として名が挙げられた。それを彩る一番の特長が十天君であり、武の象徴とも言える彼等はいつの時代も諸国から畏怖された。
ベルゲルミル公国は<天軍>ジットリスに<飛槍>ディロン・ガフロン。サイ・アデル皇国の<不死>モンデ・サイ・アデルと<烈女>レベッカ・スワンチカ。ファーロイ湖王国の<流水>ボードレール。ソフィア女王国の<慈航>ウィルヘルミナと<鬼道>アンフィスバエナ。ディアネ神殿は<福音>ラーマ。レイバートン王国の<翼将>ラファエル・ラグナロック。アルケミア伯爵国の<雨弓>イシュタル・アヴェンシス・アルケミア。
十人の勇者を一手に握る連合王国の国王は、名をグラウスと言った。四十を少し超えたばかりの中肉中背の男で、よく手入れのされた金髪を肩上で軽く巻いていた。横柄な態度が目鼻立ちに表れているとの悪評もあり、斜視気味な碧眼は頻繁に相手を睨み、見下した。
この日、グラウスは朝から機嫌が良かった。側近で腰巾着と陰口を叩かれている騎士団将軍のゲオルグ、近衛隊長オーリン、魔法局長ディートハの三者を前にして、玉座から高説をたれていた。
曰く、十天君揃い踏みで連合王国の全軍を率いたならば、カナル帝国のみならずアケナスの全土を平らげることも叶おうという主旨であった。ゲオルグは猪武者宜しく勇ましくも同意し、オーリンは卑屈な性格そのままに並外れてへりくだって見せた。万事及び腰なディートハは慎重に言葉を選んだ結果、「陛下のご威光は、あまねくアケナスの全域を照らしております故」と意味のない追従を溢した。
玉座から離れた位置に控えるベルゲルミル公国の文官・武官たちの関心は、自国で高位にある筈の三者に対して毛ほどもなく、ただ国王が前触れなしに突拍子もない命令を下さぬかと気を揉んでいた。
近くに予定された出陣の前祝いに、十天君全員を招集すべしとグラウスが言い出したのはつい五日前のことで、臣下たちはその君命に何の疑問も抱かずに揃って受諾した。ちょうど母国に滞在中であったアンフィスバエナがその無意味な指令を諫めに掛かったものの、グラウスは聞く耳を持たなかった。
癇癪を起こしたグラウスにより遠ざけられたアンフィスバエナをゲオルグらは嬉々として見送り、心ある廷臣は皆絶望を溜め息にのせて傍観した。果たして、十天君が続々と王都シリウスのクロスバイツェン城入りし、城下の威勢は高まるばかりであった。
酒場や広場など、人の集まる場所ではやれ十天君の誰それを見ただの、次の戦で誰が活躍するだの自国の勇将たちを肴に盛り上がっていた。ベルゲルミル公国が連合王国の盟主となってまだ数年ということもあり、グラウスの親征を待つシリウス市民の戦意は決して低くはなかった。それはグラウスを暗君とくさしつつも、傘下の十天君に羨望の目差しを向けているからに他ならなかった。
城内で上機嫌な君主を喜ばせる為でもなかろうが、新たに二組の隊列がシリウスの市街へと到着した。前もって知らされていた迎えの一団とその仰々しさから、十天君の来訪に気付いた多くの市民が歓喜の声をあげて街路の両端に集結した。
喧騒の中、目に見えてうんざりした様子で、水色の髪と濃紺の瞳を持った美しい顔立ちの青年が傍らの従者に愚痴を溢した。
「まるで見世物だ。ここがファーロイだったら、お前の魔法で群衆を散らせてやるところだ」
「これも御曹司への期待の表れでしょうから。御辛抱ください」
黒のローブに身を包んだ従者は、血の気の薄い唇から寛容を求める言葉を返した。従者の後ろには、さらに十を数える騎馬が付き従っていた。
「イグニソス。僕の、ではなくて彼女の人気だろう?美を外見でしか論じられない町人どもだ。流石に十天君の看板娘に、人気の面では敵わないさ」
「……聞き捨てならないですね、ボードレール卿。侮辱めいた物言いや、言葉の裏に隠された意味合いにも」
ファーロイ勢とは別のもう一隊を率いる麗人が、ボードレールへと抗議の意を示した。髪の毛はボードレールと同じ艶やかな水色であったが、女の氷青の瞳はいっそう冷たく彼を見返していた。
「言っておきますが、アルケミア王宮の流儀では侮蔑に対して剣でもって報いるが習わし。口の聞き方には気を付けられるが宜しいでしょう」
「アヴェンシス卿。生憎だが反省するつもりはないよ。何故かと言えば、剣なら僕が一番だからだ。自信があるから口にするのであって、偽りなどない」
「国土の大半が水に覆われた狭い世界で、何を粋がっているのです?田舎の剣達者が連合の筆頭だなどと、冗談も程々にしていただきたい。余人が勘違いでもしたら恥ずかしい限りです」
「……弓を取りな。僕は嘗められるのが嫌いだ。女風情が相手でも、容赦はしない」
手綱を引いて馬の足を止めた二人の間に、一触即発の空気が流れた。空かさずイグニソスが割って入った。
「御二方、それまでです!どうか冷静に。卑しくもそれぞれが一国の王族にあらせられる御大身。衆人環視の前で幼児の如く振る舞い、挙げ句他国の城下で狼藉に及んで、一体先祖に何と言い訳をするのです?」
各々の引き連れし騎士たちからも制止の声がかかった為、ボードレールとイシュタルは一先ず客気を収めなに食わぬ顔で行軍を再開した。十天君は何れ劣らぬ猛者であり、決して自尊心の低からぬ人格を有していたので、イグニソスならずともその揃い含みに波乱を予期せずにはいられなかった。
(正式に十天君の資格を得たレベッカ・スワンチカ殿も、気性の激しい女傑であると聞いている。御曹司と<雨弓>の二人でこうなのだから、先が思いやられるというもの……)
***
クロスバイツェン城の貴賓用サロンには、ベルゲルミルで至強を認められた特別な十人が集まり、バラバラに着席していた。ある者は長テーブルの席に、またある者はカウンターチェアやソファにと、床一面に敷き詰められた年代物の絨毯に足が着けど、協調の欠片もなく主の到着を待ちわびていた。
十天君への国王自らの訓辞・激励という名目であったので、ゲオルグやオーリンといった公国の重臣ですら列席を許されてはいなかった。沈黙に包まれた室内において、ただの挨拶以降ではじめて口を開いたのは以外な人物であった。
「フライマ殿。アムネリア・ファラウェイ卿と行動を共にしていた、クルス・クライストなる傭兵をどう思われたか?」
全ての視線が発言の主たるラファエル・ラグナロックへと集中した。ラファエルはビフレスト騒動の経緯をイシュタルから聞き終えており、当のイシュタルからして婚約者の発した質問には当惑させられた。
ラファエルの斜め向かい、長テーブルの端で独り所在無さげにしていたラーマ・フライマは驚きを露にした後、考え込む動作を見せた。そうしてゆっくりと私見を口にした。
「第一印象は、類い稀なる統率力を有する士であると見ました」
「その心は?」
「……アムネリア・ファラウェイ様や、便宜上と言えどイシュタル・アヴェンシス様までも率いていましたので。それに、猛々しい怒気の中にも計算された冷静な目を隠している……そんな性分に感じられました」
「ふむ。実は私も先般剣を交えている。イシュタルの感想もそれと一致を見るのだが、クライストはまだ実力を隠している」
「それはラグナロック卿の買い被りでは?」
ソファに座るボードレールが至極穏やかな表情で横槍を入れた。
「僕も奴とは斬り合いました。確かに腕は立つも、一流とひと括りに出来るレベルに思えましたよ。僕ら、ましてや卿が気にする位置の敵ではないと断言できます」
「果たしてそうかな?」
「……ガフロン卿。僕の意見に何か?」
「俺もカナルの地でクルス・クライストと闘り合った。技前に関してはボードレール卿と同じ考えを持っている」
長テーブルでジットリスと並んだ大柄のディロン・ガフロンがそう言うと、ボードレールはそれ見たことかと得意気に胸を張った。しかし、ディロンは顎髭を撫でつつ、ボードレールへの対論を続けた。
「だがな。妙なぎこちなさを感じたのも事実だ。一流の技量を持ちながらに、全体の運びに習熟の浅さが感じられた」
「報告は入れたと思うけど、奴は急造の剣士じゃあないよ。仲間のエルフから聞いた話では、ニナ・ヴィーキナの生き残りだと。だから修練が短いなんてこともない。ガフロン卿の検討違いもいいところさ」
「……杞憂ならば、それでいい」
そのやりとりを聞き、イシュタルははたと考え込んだ。自分の観察した限りにおいて、クルスは全力で剣を振るっているようであったが、確かに気に掛かる場面にも遭遇した。
(やろうとしていることに身体が付いていっていないというか。もどかしさを感じている節はあったように思える)
「かの勇者サラスヴァティ・レインの直弟子に、ニナ・ヴィーキナで守護騎士を務めしクリス・アディリスという者がいた。大戦の終結に一役買ったその者とクルス・クライストは、まず同一人物に違いあるまい」
ラファエルの宣告は一同に少なからず衝撃を与えた。チャーチドベルンの帝宮でもそこまでの事実に触れなかったボードレールは厳しい顔をし、因縁浅からぬディロンやイシュタルも刮目して記憶を反芻した。
ウィルヘルミナとアンフィスバエナの二人だけが動じることなく、ラファエルが何と言葉を続けるものかと注視を続けた。
「サラスヴァティ・レインはビフレストに達してしばらくの後、身を隠した。クルス・クライストが師の後を追ってビフレストに挑んだとして、それは奴に何をもたらしたであろうか」
「……ラグナロック卿は、クルス・クライストが我等の障害になるとお考えですか?」
ジットリスが努めて平静を装って問いを発した。
「ああ」
「カナルについたファラウェイ卿よりも?」
「そうだ」
ラファエルは変わらずラーマの瞳をじっと見詰めていた。ルガードに従いビフレストを目指したラーマであったが、そこは黙して語らなかった。クルスの脅威を断定したラファエルを睨み付けていたのは、カウンター席に腰掛けたレベッカ・スワンチカであった。緋色の長髪を背に垂らした彼女の怒れる様を、隣席のモンデが表情だけで窘めた。
(まあ、ファラウェイの後釜で十天君に昇格した娘だ。昔から競い合っていた宿敵を貶められた形で、気が気じゃないのも分かる。私とて、あのファラウェイよりも難敵を相手にしなければならない現実など、受け入れたくもない)
それでもモンデは連合王国全軍のリスクまで関知するところではないとして、深く考えることはしなかった。一方で、ジットリスは軍師宜しくラファエルの指摘を理解しようと試みた。
ニナ・ヴィーキナで悪魔の王を退けた騎士が、アムネリアを仲間としてカナルに付いた。勇者の弟子でもある彼は、カナルの内戦においてマリス家やベルゲルミル軍と戦い、ネメシス帝を勝利へと導いた。そして仲間であるエルフやドワーフを引き連れてビフレストを目指し、道中はイシュタルと同盟して悪魔教団の大幹部・オルファンを討伐した。更にはミスティンの<北将>すらも従え、ラーマを味方に引き入れし奸雄・ルガードの一味の撃破を達成。目的地であるビフレストへと無事に辿り着いて見せた。
(……なんということだ。勇者サラスヴァティや<翼将>にも匹敵する働きではないか。この男とアムネリア・ファラウェイが同時に敵に回るということ。これは、少しの計算違いも許されぬ難しい戦となるが必至)
ジットリスの焦りを助長させたい訳でもなかろうが、アンフィスバエナが捕捉を告げた。
「私のネットワークがクルス・クライストの北域騒乱への関与を捉えています。彼はイオニウムの前王を斬って逃亡を果たした由。対獣人でミスティンに協力し、<北将>と縁を持ったようですね」
クルス、ひいてはカナルが北域と繋がったことは、ジットリス以外の諸氏にも警戒心を芽生えさせた。二国に連動した意思があらば、ベルゲルミルを挟み撃ちにすることも叶うからであった。
「こうして見ると、ただの傭兵ではありませんね。中々の怪傑ぶりです」
「何を余裕ぶっているのです。剣を握らぬ貴方には、敵の戦力一つも推し量れませんか?」
イシュタルが皮肉をぶつけるも、アンフィスバエナは目を閉じたままで微笑を崩さなかった。
「フフ。こちらには<翼将>がいらっしゃるではありませんか。ラグナロック卿が顕在である以上、敵がどれだけ優秀であろうと何を怖がる必要もありません」
当人のいる前で堂々演説し、アンフィスバエナはどのように位置を特定してか、ウィルヘルミナの座す方向へと向き直った。
「そして、ここにはサラスヴァティ・レインの盟友にして魔法を極めしウィルヘルミナ陛下までもが控えていらっしゃるのですから。心配する方が不思議というもの」
アンフィスバエナの得意気な追従に辟易という空気が漂い始めるが、それでもディロンやモンデは話の内容それ自体には首肯した。ラファエル・ラグナロックとウィルヘルミナの二人は十天君でもやはり別格で、アケナス全土の武勇を代表する存在と言えた。アンフィスバエナを胡散臭いとして断固認めぬボードレールやレベッカにしても、<翼将>と<慈航>にだけは一目置いていた。
「……何も戦場で敵と相対するのが、ラファエル様やウィルヘルミナ陛下に決まったわけではありませんよ?政治にかまけている<鬼道>殿にはお分かりにならないかもしれませんが、戦は生き物です。ここにいる誰もが負けぬ算段が第一である以上、敵を甘く見るは禁物です」
「<雨弓>殿。肝に命じておきますよ」
「……フン。ラグナロック卿の側に引っ付いているだけの卿が、随分偉そうな口を叩く。そこまで警戒するのであれば、クライストやファラウェイの首の一つでも取ってくればよかったであろうに。何を仲良く旅して帰参している?」
同国の誼ということもあってか、アンフィスバエナに喧嘩腰なイシュタルに対してディロンが突っ掛かった。イシュタルが激昂する前に、そこにレベッカが別の角度から参戦した。
「……裏切者のファラウェイには私が引導を渡します。あの者の技は良く知っております故」
「生意気ィ!余計な口を挟むな、新参。ひよっこに奴は討てん」
ディロンに一喝されたレベッカは唇を噛むも反意をよく抑えた。彼女は十天君での席次が一番下で、誰からも軽く見られているとよく承知していた。見兼ねたジットリスが、「抑えろ。議論の場ではないのだぞ」と同僚を叱責した。
「ウィルヘルミナ陛下。クルス・クライストとやらにはご意見がありませんので?」
モンデの振りにも、ウィルヘルミナは沈黙を破らなかった。そもそもクルスの話を持ち出したラファエルが再びラーマへ声掛けしようとしたその時、部屋の扉が開かれグラウスが姿を現した。グラウスが常時纏う居丈高な雰囲気は薄れており、心なしか顔が青ざめているようだと一同は訝った。
開口一番に、グラウスは唇を震わせて言った。
「……不遜にも、カナル帝国が宣戦を布告してきた!既に我が連合王国の領内に侵攻を始めているとのことだ!この暴挙、許してはならんぞ!」




