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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第四章 マジックマスター(下)
75/132

エピローグ

***



「ラファエル様。それで、公王は何と?」


「かの大国王陛下は、全面戦争を決断なされた。我等が王の具申にはついぞ耳を貸されなかった」


「やはり」


 黒刀を背負った若き騎士は天井を仰ぎ見た。窓際に立つ髭面の偉丈夫も、目を瞑ると大きく息を吐いた。ラファエル・ラグナロックの宰相執務室にはレイバートン軍部の三巨頭が揃っていた。


「ライカーン、ウィグ。戦支度だ。国内の全戦力を動員する」


 その言葉に、ラファエルの副官たるウィグラフは首を傾げて遺憾の意を表明した。


「不戦の約定がまたしても反故にされるわけですか。これでは、レイバートンに独立した政体などあってなきが如しですね」


「ウィグラフ!口が過ぎるぞ。我らは騎士。王命には、逆らえん」


「ライカーン様。命を下したはベルゲルミルの公王であって、レイバートンの主上陛下ではありませんよ」


「現在の連合王国盟主はベルゲルミル公王であろう?屁理屈を捏ねるな!」


 銀翼騎士団の副将・ライカーンは、やや威圧的な口ぶりでウィグラフの反論を封じた。そこに私心の無いことを知っていたので、ラファエルも敢えて口を挟まなかった。


 ラファエルは黒の軍服姿で執務卓に着いており、政府・軍部の各部署へと通達する書類に筆を走らせていた。つい先程王宮から戻ったラファエルの下へと、凶報を察知したウィグラフとライカーンは自発的に訪れていた。


 レイバートン王は対カナル戦に反対の立場をとっており、先般意見表明のためソフィア女王と共にベルゲルミル公国が公都シリウスを詣でた。連合諸国にも檄文を飛ばしたが、アルケミア伯爵国の王からは、「あの男とは話すだけ時間の無駄だ」という趣旨の返答が寄越され、サイ・アデル皇国やファーロイ湖王国はレイバートン国王らの行動に与しなかった。


 果たしてベルゲルミルの公王は激昂し、レイバートン王とソフィア女王とを臣下の面前で叱責した。そして連合王国としての派兵に従わない場合、二人の王権を停止するという脅しまでかけた。


 ソフィア女王こと<慈航>のウィヘルミナはその場で抗弁し、近臣たちが慌てて制止に走る程に喧嘩腰な態度で応じた。<天軍>のジットリスやたまたま帰国していた<鬼道>のアンフィスバエナが仲裁へと入らなければ、王が二人取っ組み合うという珍騒動にも発展しかねなかった。


 普段ソフィアの宮中においては反目するウィヘルミナとアンフィスバエナであったが、それでも二者は連合王国の十天君として互いに敬意を払っていた。それ故ウィヘルミナも遂には怒りを収め、大国王へと頭を下げて謁見の場から辞した。


 善人で知られ、生来気性の穏やかなレイバートン王は萎縮するきりで、ベルゲルミル公国から逃げるようにして所領へと帰ってきた。


「……アムネリア・ファラウェイ卿とクルス・クライスト。カナルはこの二本柱を立ててくるのでしょうな」


 ライカーンがさも厄介事だと言わんばかりの渋面を形作った。ラファエルは黙って頷くに止めた。


 イシュタル・アヴェンシスがラーマ・フライマを連れ帰った件は、既に連合王国幹部に伝わっていた。しかし、<福音>失踪の真相は重要機密として、十天君や各国の王にしか明かされていなかった。対するに、イシュタルは銀翼騎士団の両輪たるウィグラフとライカーンにだけは、直接会って経緯の説明を済ませていた。


「ウィグラフ、お前はクルス・クライストと直接剣を交えていたな?」


「はい。力強い剣ではありましたが、正直あのルガード卿を抑えられたことに驚きです。イシュタル様の話では、最後は一騎打ちに及んだとか」


「……<戦乙女>はもういないそうだ。奴が一剣士であるならば、ファラウェイ以上に怖れる必要はあるまい。余程緑のエルフを警戒すべきであろう」


 ラファエルは語り、静かに筆を置いた。イシュタルは個人としてクルスやアムネリアに含むところなどなく、寧ろ彼と彼の仲間たちに共感すら覚えていた。だが、十天君としての公的な職分はきちんと果たした。つまり、将来に敵に回る可能性を孕んだクルス一味の戦力を、こと細かにラファエルへと報告したのであった。


 ライカーンが一歩前に出てラファエルへと問い掛けた。


「私がカナルの将であれば、間違っても連合王国との全面対決を避けます。強大な敵と対するに、時間差を利用した各個撃破を採る以外に有効な策はないかと存じますが、宰相閣下のご見識は如何でしょうか?」


「それであろう。こちらの足並みが揃わぬ内に、奇襲の連続で制する。十天君を始末出来るだけの武力があれば、十分に賭けは成立する」


「それでは立場を戻して考えるに、こちらは連合王国総体として、まとまった兵力の運用が叶いましょうや?」


「それは難しい話だ。ベルゲルミルとサイ・アデルには緩やかな主従関係が成立を見ているのでまだ良い。我々とイシュタルも連携こそ取れようが、それだけだ。連合王国が一枚岩となるには、信頼関係が損なわれ過ぎている」


 ライカーンとラファエルのやり取りは予定調和であり、連合諸国の連帯意識に端から期待を寄せていないウィグラフにとって、目新しい話でもなかった。そして連合の他国はいざ知らず、自分と銀翼騎士団が敗れる可能性など万に一つも考えていなかった。


(別に、ベルゲルミル公国の騎士団が大敗を喫しようと、離間策に嵌まって戦力が個別分散しようと構わない。ラファエル様と我々がカナルの新帝を打倒すれば良いだけの話なのだから)


「ウィグ。アルケミアへの使いを頼む」


「ハッ。イシュタル様の下へ向かえば宜しいのですか?」


「違う。アルケミア王へと、騎士団の作戦統合を打診する」


 ラファエルの真意を悟ったウィグラフとライカーンであるが、僅かな不信が表情に現れた。それもその筈、イシュタルの父・アルケミア伯爵国の王は傲岸・偏屈な人物として知られ、軋轢の歴史を盾に連合王国国王へ批判的な態度を貫いていた。


 アルケミアの雨騎士団が簡単に派兵に応じるとは思えず、おまけに王はラファエルとイシュタルの婚約に関しても否定的な意見を持つと噂された。


 ラファエルは自身が公的に動けば、それが拒否された瞬間にアルケミアを窮地に立たせると考え、敢えて右腕たるウィグラフに役目を譲った。イシュタルは公女であれど、アルケミアでの職位は次席将軍ないしはディアネの高位神官に過ぎず、一国の政治決定に占める力はたかが知れていた。


 銀翼騎士団と雨騎士団が同時に動けたならば将兵の質・量共に不足はなく、ラファエルの指揮においてカナル全軍にも勝るものとライカーンなどは確信した。


(だが、ウィグラフが幾ら説得したとて聞く耳を持たぬのではないか?イシュタル様の御父君の頑固さは聞きしに勝るもの……)


 疑念を抱きながらも、ライカーンは自身に課された任務ではない為ラファエルの提案に逆らいはしなかった。一方、打開策を持たないウィグラフは必死に困惑を抑え込み、アルケミア王を変心させる材料を探すべく思索に耽った。


 会話が途絶えた室内に、扉の外より美声がするりと入り込んできた。


「入っても宜しいか?」


 ラファエルの返事を待たずに、声の主は執務室へと身体を滑らせた。


「……これは、ウィルヘルミナ女王陛下。当国へお越しになるとは聞いておりませんでしたが?」


「なに。貴国の国王陛下と同じ道を辿ったまでですよ、ラグナロック将軍。失礼しますね」


 ソフィア女王の急な訪問は銀翼騎士団の三幹部に戸惑いをもたらした。思慮深い三者が一斉に、頭脳を限界まで回転させて女王来訪の意図を推測した。


 ウィルヘルミナは光沢のあるロングドレスの上に毛皮の外套を羽織っており、正装を窺わせる絹の手袋や金銀細工の装飾品を身に付けていた。レイバートン王と共にベルゲルミル公国の公都にして連合王国王都・シリウスを訪ねた帰りであることは間違いないように思われた。


 注目を一身に集める中、ウィルヘルミナは平静を装って来客用のソファに腰を下ろした。ラファエルは無言で執務席を立つと、彼女の向かいに座り直した。ウィグラフとライカーンはその場から動かず、主導権を主へと預けた。


「別に、とって喰おうというのではありません。警戒なさらずとも結構ですよ。不公平を是正……いえ、嫌味の一つでも言って帰ろうかと思っただけです。<翼将>」


「私個人に含むところがおありのようですね。<慈航>殿」


「貴方がレイバートン王の保護にうつつを抜かしている間に、アケナスは危機的な状況へと移行してしまった。力ある者がいつまでも怠けているものではなくてよ?」


「怠けているつもりはありませんが」


「陽の当たる仕事をしているだけが己の責務であるなどとは考えないことね」


「……それでは<鬼道>のように暗躍しろと?」


「知っているでしょう?彼と私は思想を異にするのよ。破滅を回避する為であれば邪道をも用いるのが彼のやり方。サラスヴァティの旧き友人として、私がそれを肯定するわけにはいかない」


「政は建前だけでは動かない。……今更そんな常識を説きにいらしたのではありますまい?」


「ええ。私が理想主義者なら、とうにベルゲルミルから離反しています。<翼将>、貴方も覚悟を決めなさい。今のアケナスには、世界を滅ぼしかねない火遊びに手を出す者たちがいる。そして、闇雲にそれに抗おうとする無知蒙昧な輩。真なる敵という分かりやすい対象がいないから、まるで戦国時代のように混沌とした情勢が導かれてしまったわ」


 ラファエルの眼光が一際鋭く光った。


「……何を言われようとしているのか私には分かりかねますが、壮大な戦略を語り、そして実行へと移すには地位と責任が伴います。ひとえに、<慈航>殿はそれを負うを良しとしなかったと聞き及んでおります」


 ラファエルの物言いは柔らかながらに辛辣で、連合王国の国王位を取らなかったウィルヘルミナを正面から責めていた。才覚を周囲に認められながら己が意思でレイバートン王を補佐する立場に留まるラファエルもウィルヘルミナと似たような立ち位置にあったが、彼が王位を継ぐことは制度上難しかった。


「それについては私の不明です。優秀な臣下から光をも奪ってしまい、確かな報いを受けました」


「何れにせよ、レイバートンの国土と民を守る為に、私はカナルと剣を交えます」


 ラファエルの突き放すような物言いにも、ウィルヘルミナは余裕を崩さずに淡々と先を続けた。


「このまま一人我関せずを貫けば、やがて取り返しのつかない事態に直面することも起こり得る。ミスティンのワーズワース王子が戦死を余儀無くされた時、貴方はどこで何をしていたの?世界と政治にもう一歩踏み込んで関与していたなら、或いは友人を援護することも出来たでしょうにね」


「それも政治……と言い切れる程に割り切れてはおりません。ですが、それをもって貴女は説得を試みておられるのですか?」


「いいえ。はじめに言った通り、貴方に嫌味を言いたいのが半分です」


「ではもう半分は、未だベルゲルミルに留まっておられることと関係があるのですね?」


 ウィルヘルミナが愉快そうに口の端を吊り上げた。


「勘が良くて助かるわ。神話の時代より、アケナスを滅ぼそうと諦めない邪悪なる四柱。四柱の顕現を押し止めているディアネ神。四柱を蘇らせんと蠢く悪魔ども。悪魔の封じ込めを図る対魔防衛ラインの構想。一方で、それら一連と一線を画した形でアケナスの延命を企てる旧き盟約の者たち。彼らはクラナドで神々が規定したシステムの護持を目的として、種族補完の為に歴史の裏で暗躍する。……可笑しいとは思わない?対立の構造と論点が微妙にずれていて、行き着く先がただの一つの未来に固定されている」


「アケナスの死。近い将来の死か、緩慢たる死のどちらかに帰結する」


「その通りよ。悪魔を滅すればシステムの崩壊を誘引し、放置すれば四柱により大陸は破壊され尽くす。手段を問うこと自体が無意味で、心ある者は短慮に対症療法へと走るか、無関心を装うことしか選びようもない」


 話の内容を完全に理解していたわけではなかったが、ウィグラフとライカーンの固唾を飲み込む音が聞こえた。ラファエルはウィルヘルミナから視線を外さず、彼女の真意が桜色の唇から紡がれるのを待った。


「アケナスを裏切りし者がいるわ。どこの誰かは分からない。一向に尻尾を掴ませないから。でも、神話から紐解けば正体は自ずと見えてくる。かつて聖神と敵対し、四柱を生み出す原因となりし策謀を巡らせた存在」


「……なるほど。それで貴女は連合王国の内に留まっている、と」


「霧の魔神ベルゲルミル。こいつの痕跡だけが、現世に影も形もない。そしてアケナスは巧妙に滅びへと引き込まれている。皆が誤った情報に踊らされ、志をあらぬ方角へと向けさせられた。もはや猶予はないのです。私は個人として、全霊を捧げて魔神の排除に務めます」


「ちょっと…待たれよ!」


 辛抱がいかず、ライカーンが首脳会談へと割り込んだ。止められなかったウィグラフはばつの悪そうな顔をして額に手を当てていた。


「今の話……この国が、魔神の名を冠していることに、まさか意味があるというのですか?」


「控えろ、ライカーン」


「構わないわよ、<翼将>」


 ウィルヘルミナはライカーンの目を見て講義を始めた。総ての固有名詞には語源があり、国名も例外に当たらないこと。聖神カナンの威光が強く及んだ地域はカナル帝国を形成し、ディアネ神の使徒の一人で多くの奇蹟を具現化したミストの没した北域には、やがてミスティン王国が興った。


 ベルゲルミル公国の起源に魔神が関係している事実こそ疑いようもなかったが、ウィルヘルミナとてあらゆる神話・歴史を網羅しているわけではなかった。


「……だから、どこに魔神の縁があるか分からないし、それが人なのか神具なのかも分からない。ラーマ・フライマを通じてディアネ神に質して貰ったのだけれど、返ってきたのは霧に包まれているという答えのみ」


「霧に……ということは、やはり魔神ベルゲルミルの化身は……」


「ディアネ神は存在を否定しなかった。つまりは、隠れているということなのでしょうね」


 ライカーンは絶句し、それきり難しい顔をして押し黙った。ウィグラフはライカーンの肩を叩き、主らに一礼してから二人して部屋を出た。


(ウィルヘルミナ女王は、私とライカーン将軍にも話を聞かせるつもりでここを訪れたのだ。カナル戦を前に動揺を誘う目的か?……いや、仮にも一国の王が身内に離間を仕掛けたりはするまい。真に魔神を相手にするつもりだとして、我々を味方に引き入れようとでも言うのか?それとも……)


 ウィグラフは廊下の先でライカーンと別れ、ウィルヘルミナのことを一時忘れてアルケミア伯爵国への使者たる任に没頭すると決めた。彼はラファエルの一番に信頼する騎士であり、実力的にもラファエルに近いものを持っていた。それ故に、彼に与えられる用件は常にレイバートンにとっての大事であった。


 心の片隅を靄が覆っていたものの、ウィグラフは背に感じる黒刀の重みでそれを意識して振り払い、旅装を調えに掛かった。


第三・四章 マジックマスター 完

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