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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第四章 マジックマスター(下)
73/132

  夢の終わり-2

***



「同志ラビオリが逝きましたか……。彼女がクルス・クライストを助けたなら、或いはベルゲルミルとカナルのバランスがとれるのではないかと考えていたのですがね」


 サンク・キャストルの私邸に身内を招いた<脱兎>のエックスは、自ら手を振るった料理と高級酒を惜し気もなく提供していた。そこに集った面子は、傭兵総連盟においても頂点に立つと言われる上級幹部ばかりであった。


 エックスの意図するところを読めず、初老の幹部が早口に捲し立てた。


「あの娘が勝手をしたせいで、ミスティンにおける我らの政治的地位は甚だ不安定なものとなったのだぞ!その上反抗的な<疫病神>の心配をするなど、お前はどこまで楽天的なのだ?」


 幾人かの幹部がその意見を肯定するかのように頷き、手にした杯を置いてエックスの出方に注目した。さして広くない遊戯室の中がしんとし、立食形式をうたった晩餐は雰囲気を一気に暗くした。


 エックスは眼鏡の奥の瞳で相手を十分に値踏みしてから、柔らかい物腰を変えずに応じた。


「ミスティンの政権に食い込むより、対イオニウム戦で稼ぐことの方が堅実だと思っています。その点、報告の通りクルスや彼の取り巻きが<北将>に取り入った事実は評価に値するかと」


「奴はカナル新帝のシンパではないか!過剰に肩入れをして、ベルゲルミルの大王を刺激するのは得策でない」


「カナルには幹部傭兵の一人も派遣していませんよ?それに、ベルゲルミルの要求には高いレベルで応えているつもりです。どうです、アイオーン?」


 アイオーンと呼ばれた精悍な青年は、半眼でエックスを見返した。彼に話が向けられた瞬間、周りの人間たちはほとんど反射的に身構えた。


「暗君は気にもしておらん。部隊編成に関してのみ<天軍>の査察が入っているも、概ね好評だ」


「……ということです。大口顧客の意向に背くつもりはありません。<花剣>亡き今、<リーグ>最強のアイオーンを遣わせているのですから、文句を言われる筋合いもないのですが」


「カナルからはスコア800以上の傭兵を遠ざける。これは来る大戦において、我らの戦力を毀損しない為にも必要な措置だ。参謀、そこは良いな?」


 別の角度から、顎髭を蓄えた逞しい中年男性が言葉を発した。<リーグ>の会長であり、一同はアイオーンに対するのとはまた違った形で神妙に耳を傾けた。


「秘密通達は出しますが、強制は難しかろうと」


「ふむ。荒くれ共の頭を一方的に押さえ付けるは、骨が折れるか。だがアイオーンがベルゲルミルにいると分かって、それと敵対してまでカナルに雇われようなどという頑固者など、そうはいまい」


「……例え同志が相手でも、俺は手心を加えたりはせんぞ」


 <鉄の傭兵>ことアイオーンは言い切った。剣一本で<リーグ>の幹部に上り詰めた彼は己の実力に自信を持っており、かつてラファエル・ラグナロックや故ワーズワースらと共に怪鳥フレスベルクを討伐した実績がそれを助長させてもいた。


 アイオーンに思惑などないことはエックスも知っており、彼は<リーグ>の永続という観点から再び均衡政策を提言として持ち出した。


「万一ベルゲルミルが敗れるようなことにでもなれば、偏重政策の皺寄せは確実に<リーグ>を蝕みます。そうなった時への備えを忘れるとあってはあまりに怠慢です。運営を預かる身として、カナルの新帝にもある程度の手土産は差し出すべきと具申します」


「それは君に任せる。参謀の専権事項だからな」


「ありがとうございます」


 エックスは会長へと頭を下げ、自慢の料理によるもてなしを再開した。彼はこの場の誰よりもクルスに関する情報を集めていて、クルスの潜在能力や人脈を高く見積もっていた。それ故に、<リーグ>の幹部連中が大国ベルゲルミルの確固たる覇権を闇雲に信じている有り様は、エックスにとって滑稽とすら映った。


(リン・ラビオリは半ば彼に自分の夢を預けておきながら、土壇場で梯子を外した。良い線はいっていたのに、彼に対する評価が少しばかり辛かった。最後まで信を寄せていたなら……)


 戦力としてだけでなく、エックスはリンを<リーグ>統率に必要な人物であると認識していたので、彼女を喪った事で受けた打撃は決して軽くないと考えた。単純な剣の技量に限ってはアイオーンもリンにひけはとらぬであろうが、洞察力や蓄積された知性が比較にならないと見なしていた。


 エックスは慈善事業家ではなかったので、ベルゲルミルがカナルと戦端を開いた暁には、組織が前者に味方せざるを得ないと割り切っていた。それでも今日この場に集いし幹部連中は漏れなく彼の態度を怪しんでいたので、形の上は胸襟を開いて幹部会の決定に従う姿勢を示す必要に迫られていた。


「……<天軍>と<飛槍>から、クルス・クライストに関して尋問を受けた。スコア1000にも満たない一傭兵対して、何と大仰なことよ」


「アイオーン。彼はミスティンで前イオニウム公を倒し、神剣を取り戻しました。そればかりかセントハイムではベルゲルミルが取り逃がした悪魔教団の首領を討って、巨人国で<福音>の一党を退けてもいる。スコアで測れる力などたかが知れています。油断は禁物ですよ」


「フン。慎重なことは良い。だが、過ぎれば臆病とも謗られよう。案じなくとも、俺の剣に誓ってベルゲルミルを勝たせて見せる」


 アイオーンの言葉に、彼の左右を固める幹部たちが拍手喝采で応じた。彼の剣腕は<リーグ>の象徴でもあり、幹部傭兵たちとてアイオーンの言動は無視出来なかった。


 会長がふとした拍子にエックスへと耳打ちした。


「<フォルトリウ>とかいう胡散臭い連中が接触してきたらしいな。どうであった?」


「どうもしません。荒唐無稽な共生関係を唱って近付いてきたので、丁重にお引き取りいただきました」


「やはり我ら傭兵には相容れない輩だったか?」


「掲げる理想に口を挟むつもりはありません。ですが、自分達がアケナスを牛耳っているとの吹聴なぞ、聞いていて不快にしか感じませんでした」


 何度も頷く会長の顔を、エックスは念入りに観察した。<フォルトリウ>の使者を彼へと引き合わせたのは会長派の幹部傭兵に他ならず、目の前の狸が腹に抱えた一物を隠したまま同調している可能性も考慮に入れていた。


 傭兵ながらに武の空気を感じさせない老幹部が、アイオーンへとベルゲルミルの実情を訊ねた。


「アイオーン殿。実際のところ、ベルゲルミルとカナルの全面戦争は避けられぬ情勢なのか?局地的な戦なら、ここ十数年でも幾度となく起きておる。しかし、両国の首脳とて二大軍事大国の衝突が招く事態の危険性は承知していたから、結局はギリギリのところで手が引かれたものだ」


「政治の話など知らん。少なくともベルゲルミル王国の騎士団は今や臨戦態勢にある。俺の部隊も練度充分に仕上がった。これで戦がないと思う方が無理だな」


「むう………相次ぐ動乱でカナルの疲弊は目に余る。先の侵攻失敗の借りもあるあの大王が、やはり客気を抑えきれなんだか」


 老幹部は肩を落とした。彼は確かリンと並んでカナルの擁護派であったなと、エックスは盗み聞いた会話から思い起こした。


(殆ど傷のない騎士団に、将帥たる十天君の充実。ミスティン以外の近隣国家への根回しは済み、我ら傭兵総連盟からは一線級の人材を調達した。もはや戦略の上ではベルゲルミルの勝利を疑う方が難しいというもの。しかし、戦術における勝利が戦略の敗北を引っくり返した例など古来いくらでもある。カナルの新帝とクルス・クライストがどのように立ち回るのか、真価を見せて貰うとしよう)


 組織の論理とは別に、エックスの胸の内ではクルスへの個人的な興味と期待が高まる一方であった。彼はこの場にいない<花剣>へと手向けるかのように、酒の満ちた杯を無人の眼前へ高く掲げた。



***



 庭先に植えられた季節の花は咲き誇り、繁る木々の高枝には野鳥が留まり高らかに囀っていた。爽やかな風が一陣吹き付け、アンナの羽織る厚手のガウンを揺すった。


 アザートの市街から報せがあり、留守にしていたエレノアが神剣を携えギルヌ砦に帰還したとアンナは聞かされていた。


 療養中の第二王女を訪ねる者は少なく、それはアンナの身の安全に配慮したエレノアが、アザートの領主の館に滞在しているという情報に規制をかけたからであったが、アンナは当然に寂しさを覚えていた。エレノアの帰参を聞いてまずクルスのことを思い浮かべ、こうして連日のように庭を散策しては彼の顔出しを密かに期待していた。


 しかしやって来たのはアムネリアとフラニルで、アンナは多少落胆しつつも、久方ぶりの来訪者を歓迎した。館の応接室で二人に茶を振る舞い、そうして東部での出来事を根掘り葉掘りと尋ねた。


 アムネリアの口から悪魔教団の大幹部や上級悪魔の討伐、そしてルガード一味との激闘について聞かされたアンナは、その壮絶な旅路に表情を曇らせた。やがて、ダイノンのみならずクルスの相棒たる<戦乙女>までが喪われたと聞かされて慟哭した。


 元を辿れば、アンナを救出せんとしてダークエルフと戦い、そこで<戦乙女>は致命的な傷を負っていた。アンナはそれを知っていたからこそ、クルスに対して取り返しのつかない迷惑をかけてしまったと己を責めた。


 アンナの自責の念はあまりに強く、フラニルは慰めの言葉を掛けることすら出来なかった。アムネリアはしばらくの間、声を上げて泣くアンナの好きにさせた。


「……リン・ラビオリは、己が生存事由の確認作業としてビフレストを目指したのでしょう。彼女がより到達可能性の高いルガード一味へ移ったことは、何ら不思議ではありません」


 咽び泣くアンナの感情の高揚が一拍置かれた機を逃さず、アムネリアは独白を口にした。アンナだけでなくフラニルも、その言に見事に意識を向けさせられた。


「確かに、ダイノンやミスティンの騎士たちはルガード一味の狂気の犠牲となりました。リンの変節は彼らの死を冒涜するものと捉える向きもあります。しかしながら、彼女の死因はルガードに追い詰められたクルスへと助け船を出したこと。己が悲願を裏切ってまで目先の感情に従い、結果的にそれがクルスの命を救いました。それが分かるクルスはリンの心を丸々背負って、決して思い出の中に停滞することなく前を向いて歩き出しました」


 アムネリアはアンナの肩にそっと手をおき、優しく抱き寄せた。


「殿下を救い奉ったラクシュミは、最後までクルスの守護者をよく務めました。殿下にそれを御褒めいただけたならば、きっと彼女も本望でしょう。……今はお泣きになっても、誰も咎め立て致しません。ですが、殿下には為したいことがおありであったはず。それをただ悲観して諦めては、クルスやラクシュミの折角の働きが霞んでしまうと言うものです」


「私は……そうね。私だけが、無為に時間を費やして許されるわけがない。ヴァンシュテルン将軍と話して、出来ることをやろう!」


 途端にアンナの碧眼に輝きが戻り、フラニルの目にはアムネリアが彼女に魔法でもかけたかのように映った。生気の甦ったアンナの表情は気高く、王族本来の厳然たる雰囲気を色濃く纏っていた。


 差当たってアムネリアがアンナを動かそうと試みた理由は単純であった。イオニウムからアグスティを奪還する為には戦力増強が急務であり、イオス・グラサールと彼の抱える残存部隊をギルヌの第三軍に合流させることは、至極当たり前の考えと言えた。


 アムネリアからイオスの鼓舞を頼まれたアンナは、それを責任もって成し遂げると約した。イオスの惰弱した有り様を目の当たりにしていたフラニルが心配そうにアンナを窺うも、アムネリアは構うことなく彼女に全てを託した。


 アムネリアがエレノアより講釈を受けた戦略は基本に則ったもので、ミスティン国内の総力を挙げてアグスティに居座るイオニウム勢と対決するというもの。オズメイ北王国や黒の森、ベルゲルミル連合王国といった<フォルトリウ>勢の邪魔さえ入らなければ、エレノアの見立てで勝機は十分にあるとされた。


 カナル帝国がベルゲルミル連合王国と一戦交える事態になれば、<フォルトリウ>の注意は散漫となり、黒の森などにも付け入る隙はあろうとエレノアは語った。それには相違なかったものの、ミスティン援護の為とはいえ内戦明けのカナルを巻き込むことに対し、アムネリアの心中は複雑であった。


 セントハイムでの別れ際にフィニスから言われた言葉を、アムネリアはもう一度反芻した。


(内政に干渉されたばかりか、正規軍の侵攻をも許しておいて、ネメシス様がベルゲルミルを放置なさるとは思えません……フィニスはそう言った。今はその言葉に甘えて、アンナ王女を支援する他ない。クルスよ、ここから先は荊の道ぞ。誰に良い顔をするにせよ、世界を巻き込み血を流させることは避けられぬ)



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