表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第四章 マジックマスター(下)
72/132

6 夢の終わり

6 夢の終わり


 ラクシュミ・レインは溌剌な女性であった。ニナ・ヴィーキナが亡んだ為に、今となっては彼女を知る者も少なくなったが、当時将軍位にありながら民草とも公正・無頼に接し、人気を博していた。


 騎士の正装で紫紺の長髪をなびかせたラクシュミの立ち姿は絵になったし、微笑の似合う柔らかな雰囲気がまた彼女の美貌を際立たせた。


 サラスヴァティの妹であれど、クルスの抱いた印象ではラクシュミの方が前向きで明るく、一緒にいて元気を分け与えてくれるような女性であった。剣に魔法に座学にと、クルスは少しだけ年長のラクシュミから多くを学び、そして二人して切磋琢磨したことをしみじみと思い返していた。


(ヴァティが優しくないというのは違うんだが……。ラクシといるといつも穏やかな心境でいられたな。あの姉妹に共通しているのは、人としての誠実さ。それにおれが、どれだけ救われたことか……)


 <戦乙女>へと化身したラクシュミは、クルスの為に戦ってアケナスから消えた。天使の老人にも言われたことだが、人間が魔法の力だけで神霊へ転生するには色々と無理があり、負傷をせずとも「遠からずこうなる運命」とのことであった。


 クルスは試しに、リンの提示した、天使を器として<戦乙女>の魂を降下させるという計画を披露してみた。天使の回答は簡潔で、「成功の可能性はゼロではない。が、我が同胞に見た目の若い女など存在しないぞ?」という納得のいくものであった。


「クルス!出発するわよ」


 ノエルの呼び声にクルスは手を振って応えた。古城を背に置くと、名残を断ち切る為にか目を瞑って歩き出した。


 山間の道を下ろうとしていた仲間たちが、ゆっくりと近付いて来るクルスを迎えた。


「クルスさん。いったんメルビンに入るので、よろしいんですよね?」


 フラニルが多少憔悴の見られる顔つきで確認した。隊列の中にはワルド・セルッティの姿も見当たり、彼等は城内に拘束・監禁されていたところをアイザックやマルチナらに助けられ、五体満足であった。


 フラニルは皆の足を引っ張ったという思い込みからか、帰路の先導役を買って出た。隊列に従い、アムネリアやフィニス、ノエルらも歩を進めた。


 エレノア・ヴァンシュテルンが重さの概念を否定するかのようなふわりとした足取りでクルスの傍についた。


「クルス・クライスト。あれで良かったのですか?」


 クルスは、エレノアの指す「あれ」の内容を承知していた。一つは、リン・ラビオリの遺体を魔法による氷柩へ閉じ込めて城内に残したこと。もう一つはルガードの咎人の剣を媒介にして古城を魔法封鎖したことであった。


「貴女の腕前を信用している、エレノア・ヴァンシュテルン。<北将>の技巧と神剣の魔法力でもってして抗いようのない輩には、元より対処のしようがないさ」


「リン・ラビオリのことは?」


「……移送する態勢にないおれたちがシスカバリまで運べば、彼女の尊厳を傷付けることになりかねない。遺族には悪いが、氷柩で眠っている間は腐敗も進まない。おれは<花剣>を美しいままに弔いたい」


「それは身勝手と言うものです」


「分かっているつもりだ」


 クルスはそう言うと、最後に一度だけ背後の古城を振り返った。


 クラナドへと到達出来なかった面々には、クルスとアムネリアから概況が申し渡されていた。エレノアもそれを聞き、<フォルトリウ>の思想の起こりに一人納得した。


 エレノアの目下の敵は獣人特区たるイオニウムであり、獣人種族の抹殺が禁忌に当たると聞かされては、心中穏やかではいられなかった。そうであるが故にエレノアは、クルスが神となり、新しいアケナスを創世する道を選ばなかったことへ恨み節を述べた。


 天使の老人はクルスへと言った。それは、「カナンたちの運用していたシステムをお主らが引き継ぐとして、問題は三つある。管理者権限を移行すれば、前代の神と呼ばれた者たちは力を失う。アケナスの大地で四柱を抑えているディアネも含めて、だ。そして、新たなシステムを構築するに天使の数が圧倒的に足りない。最後に、お主ら二人は人間としての生涯を終えることになる」というもので、クルスは一も二もなく却下した。神になれる権利を放棄したわけで、クルスの即断にはアムネリアも驚いた。


「神の器、か……」


「なんだ?」


 ゆっくりと馬を進めつつ溜め息を漏らしたエレノアを、馬に跨がったばかりのクルスが気に掛けた。


「いえ。楽園クラナドに足を踏み入れるに、もしかすると神の器となり得る厳しい資格制限があったのかも知れないと。だとすれば、私が引っ掛かった理由はおそらく、妖精族の出自という血統。純血なる人間種族には、何かしらの力が秘められているのか……」


 エレノアは余人に殆ど明かしていない自らの系譜を溢した。自分の身体に妖精の血が流れていることを欠点と見なせば、同様にエルフであるノエルやゼロもクラナド入りの出来ない理屈が成り立った。


「……考え過ぎだと思うが。それでは今度はフィニスのことが説明出来ないだろう?天使の爺は好き嫌いみたいなものと言っていた。楽園と言っても、その程度の曖昧な仕組みなのかも知れない」


「気楽な見方ですね。貴方はまだまだ戦えそうで、頼もしい」


「そうでもない。四柱を制御する手段が見付からないままだ。あれはシュラク神の力を承継しながらに日々変異しているらしい。次なる神が現行のシステムをリセットしても、四悪人の力には影響しない可能性もあるとか」


 クルスの言は、彼が神となって新しい秩序を開こうとしたとて、ディアネだけが力を喪失し、結果四柱がアケナスを蹂躙するという暗い未来を連想させた。


「それは然り。加えて、種族保持の原則論が残ります。貴方が支持するカナルの新帝にとっても、悪魔を滅しきれない真実は都合の良くない話なのでは?」


「耳が痛い。そこは暫く考えないようにする。……結局のところ、何一つ問題は解決していないというわけだ」


「四柱を物理的に圧倒出来れば、色々と話は早そうですが」


「それはそうだ。だが、人間同士で争っている内は夢物語だな。魔境しかり、四柱しかり。どれだけの戦力を投入すればましな戦いになるのか、皆目検討がつかない」


 ミスティンのホッジス大神官から四柱の居場所を聞き付けていたクルスであったが、カナル一柱の封印にすら対処できていない現状では、他の三柱など埒外と半ば諦めていた。


「南部の凍結湖には、一柱が竜王の封印されている大穴があると言います。湖の周り、氷の峡谷と呼ばれる地には竜が闊歩し、そこに近付くことは即、死を意味する。それは一般に、成竜を相手とするに最低でも騎士の一軍二百騎以上を必要とすることに因るのだとか」


「……知っている。竜が十頭いるとすれば、二千の戦力をかき集めなければならない計算だ。それでようやく竜王とやらに出逢えたとして、いったい幾千の騎士を生け贄に捧げることになる?これでは気も萎える……」


 自分で言っていて、クルスの絶望は広がるばかりであった。人の身で神をも堕とさんとする災厄と敵対することなど、所詮は口先だけの遊戯に過ぎないのではないかという疑念に支配され掛けた。


 項垂れるクルスに釘を刺したのは、あろうことか隣を行く<北将>その女であった。


「存外感傷的なのですね。イオニウムに乗り込んだ勇気は何だったのです?」


「それは話の次元が……」


「違うでしょうね。ですが、危ない橋になどとっくに足を踏み入れていて、既に犠牲も出ているのでしょう?森の娘はドワーフの死で心に傷を負っていると見ました。アムネリア・ファラウェイとて奇しくも家族同然の者たちを喪失し、カナルの新帝も境遇は同じです。では貴方は?<戦乙女>のことは?<花剣>のことは?」


「……そう、だな」


「そういうことです。駄目で元々。神になる選択肢を捨てるにせよ、四柱をどうにかしようと始めた旅の初志は貫徹するべきです。それが死者への弔いにもなる筈です。」


「つまらん弱気を吐いた。忘れてくれ」


「はい。貴方に覇軍の素質有りと見て苦言を呈しました。平に」


 言って、エレノアは馬足を早めた。クルスはこの地に再び戻ることを予見しており、心中でリンへと一時的な別れの言葉を贈った。



***



 メルビンに立ち寄った後にセントハイム伯国の首都シスカバリへと戻ったクルス一行は、そこで以降の方針を話し合った。クルスの主張した通り、ミスティンに帰還して対イオニウム戦の準備を進めること。それに加えてオズメイ北王国への対応に乗り出すことが速やかに決められた。


 オズメイが<フォルトリウ>の意向に沿った形でイオニウムウム寄りに動いている点は疑い無く、そこに楔を打ち込む必要性は容易に共有出来た。先だって逗留していた宿で荷を下ろし、夜の食堂に揃った面々は幾分落ち着いた様子で議論を続けた。


 ワルドは眉をひそめて難点を提示した。


「オズメイをどうにかするったって、あのやり手の宰相だろう?聞いてる限り、正攻法で交渉のテーブルに着くような奴じゃあないぜ。重商政策であすこを強国に育て上げただけあって、大層根性のある政治家らしいじゃねえか」


「驚いた。あなた、政治なんて知ってたのね」


「どんだけ俺を下に見てるんだ?……ったくよう」


 ノエルとワルドのやり取りに、ゼロやマルチナが小さく吹き出した。アムネリアは努めて冷静に、現実的な手立てを提示した。


「ヴァンシュテルン将軍かフィニスにオズメイ高官へのパイプでもあれば、そこを突破口と出来るかもしれんが」


「申し訳ありません。私個人には心当りがなく。旧体制で外交に携わっていた人間をしらみ潰しに当たれば、何かしら縁はありましょうが」


「群狼騎士団のブルワーズという将軍を起点とすると良いでしょう」


 フィニスの回答に被せる形でエレノアが申告した。敵対して剣を交えておきながら、自国の政策に疑問を抱いている節があったとエレノアは解説した。


 続けてクルスも一人の騎士の名を口にした。ノエルがそれに反応し、訝しげな視線をクルスへと投じたが、目下のところ手掛かりになりそうな人物はその二人に限られた。


「それで、具体的にはオズメイをどうしようと?」


 アイザックが常と変わらぬ無愛想な態度で質問した。それにアムネリアが目指す終着点を教示した。


「まずは<フォルトリウ>との断絶を狙うべきだな。それが無理であれば、せめてミスティン対イオニウムにおいて中立の立場をとって貰う。最悪、政府や騎士団に混乱をもたらして出兵どころではない事態を演出する。……どれも手段はこれから考えるのだが」


「こちらの手札は?」


「秘匿されている<フォルトリウ>に関する情報。そして、世界に災厄をもたらさんとする四柱の危機。<リーグ>の支援が望めるならそれも数えたいところだが……」


「……ありえないだろうな。損得勘定が複雑に過ぎる」


 アイザックの否定にマルチナも、「オズメイのビスコンシンにも<リーグ>の支部はあるしね」と補足した。


「クルスさん。それで、パーティーはどう組むんです?」


 フラニルの質問にすぐには答えず、クルスは黙ったままで何事か考えに没頭していた。アムネリアやノエルがその表情を覗き込むと、クルスの瞳はだんだんと焦点を結び始めた。


「おれはセントハイムを味方につけられないものか、動いてみる」


「……それは、どういうことですか?」


 クルスの突然の提案に、ゼロが疑問を呈した。クルスはセントハイムの政府筋から持ち込まれた悪魔退治の件を引き合いに出し、その一連にサラスヴァティ・レインの片腕・イーノ・ドルチェの指図があったのだと皆に伝えた。


 かつて共に戦った先達の干渉は、何かしら交渉の材料になるのではという期待をクルスに呼び起こさせた。しかし、エレノアが直ぐにそれを打ち消す題材を示した。


「<幻魔騎士>とはもう接触しました。……というより我が部隊への潜入を許し、イオニウムやオズメイへの情報漏洩を招いたのです。彼の者は<フォルトリウ>の側に立つとはっきり表明しましたから、セントハイムに留まること自体がもはやリスクと言えましょう」


「なに?イーノが……」


「よりにもよって、私の従卒に化けていました。内部にスパイがいるとは推測していたものの、私の目が節穴だったばかりに好き放題やられたようです」


 クルスは旧友のやり口に合点がいかなかった。口をつぐんだクルスに代わり、フィニスが議論を建設的な方向へ導かんと試みた。


「可能性に賭けてセントハイムにも働きかけを行うのだとすれば、一旦はここに留まるチームを設けることになりましょうか。ミスティン帰還組、オズメイ工作組と合わせて都合三隊に分けます」


「フィニスの言う通りであろうな。必然、<幻魔騎士>に誼のあるクルスは居残り組に。<北将>はミスティンへの帰還が必須であろうし、件のオズメイ騎士に顔が利くのは先の話ではクルスを除けばノエルのみ。この三者がそれぞれを統率する形でよかろう」


 アムネリアの差配に皆が顔を見合わせ、そして納得の頷きでもって受け入れた。ワルドはノエルへの同行を希望し、エレノアの頼みでアムネリアのミスティン入りも決まった。


「アムネリアさんが行くなら、僕も帰還組に入れて貰います」


 フラニルの言うが早いか、負けじとフィニスもクルスに同行する旨を発した。雇い主の決定により、アイザックとマルチナのセントハイム残留が自然と導かれた。


 ゼロがバランスを取ってオズメイ行きを選んだことで、三つの暫定パーティーが出来上がった。それは何れも、イオニウムからの王都アグスティ奪回を目的としており、引いてはアンナの復権を目指す道に他ならなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ