3 盟約
3 盟約
クルスの一行がカナル帝国の副都バレンダウンへと戻る過程において、邪魔は一切入らなかった。七人一組での移動は速度に重きを置いた結果馬でなされ、往路の半分程度の日数でチャーチドベルンからの旅程を終えた。
<銀の蹄亭>に匿われていたノエルは、約二十日ぶりの再会にもそれほど心を動かされた様子はなかった。クルスから長老の意図や聖都での災難を一通り聞かされると、その時ばかりは僅かに動揺を見せたものの、それきり元の強気な態度に戻った。
「それで、どうするの?」
「石を手元に置く。ベルゲルミルの連中は精度の高い魔法探知をかけているようだからな」
「その次は?」
「バレンダウンを離れる。ネメシス様が力になってくれるとは言え、総督一派がチャーチドベルンからの命令で牙を剥く可能性は大いにある。ここに留まるのは安全じゃない」
「バレンダウンを出た先は?」
ノエルの追及に、アムネリアやネメシスもクルスに注目した。結局仲間内の議論では結論に至っておらず、一同は戦歴を立ててクルスに行動方針を一任していた。
クルスは「これは消去法による選択だ」と前置きをした上で、次のように続けた。
「サンク・キャストルを目指す」
「ほぅ。城塞都市か。あてはあるのであろうな、クルス?」
「アム。おれは傭兵なんだ。サンク・キャストルを知らなきゃ、そいつはモグリさ」
サンク・キャストルは大陸中南部に位置する大都市で、どこの国家に所属するでもなく中立を宣して独立した行政を営んでいた。それを可能にしている旗印が、傭兵総連盟こと<リーグ>本部の存在であった。
「では<リーグ>に協力を要請するのですか」
「ネメシス様、それは望み薄でしょう。いくら<リーグ>の本部とはいっても、カナルとベルゲルミルの両大国を敵に回してまで中立の立場を守ろうとはしない道理。帝宮からの圧力やボードレールの攻勢が予期されますから、あくまでこれ以上敵を増やさない為の措置です」
サンク・キャストルは大陸西南部のカナル帝国や西部一帯を治めるベルゲルミル連合王国からそこそこに距離があり、クルスも知らない土地ではないことから防御に適していると判断した。ネメシスが一度訪れたことのある他は、一行の中でかの地へ滞在経験のある者はなかった。
クルスはサンク・キャストルへの同行者を絞るべきだと主張した。これには戦力の精鋭化や機動力の向上を図る狙いと、バレンダウンに残り情報収集へ当たる者が必要になるという意味があった。
「賢者の石を所持するのは私。悪いけど、帝国のお姫様や傭兵には渡せないわ。持ち逃げされたら長老に向ける顔がないもの」
「私の剣無くして、悪魔やボードレールの威勢は抑えられまい?仕方ないから行ってやろう」
「御供致します。賢者の石はカナルの財。賤しくも伯爵公女たる私には、相応の責任と義務があるのです。扱いは傭兵と同等で結構ですから」
ノエル、アムネリア、ネメシスが相次いで力説し、フィニスは最後まで主人の旅路を嫌ったものだが、遂には説得を諦めて残留組の指揮をとることに合意した。
「だがこちらが移動したと分かれば、どの勢力も好機とばかりに仕掛けてくるであろうな」
「人目を気にしなくて良くなるのだから、それはそうだ。こちらも黙っているいわれはない。無論、迎撃する」
クルスは意識せずに腰の剣を指でなぞっていた。アムネリアはクルスの堂々たる発言を前に、それ以上の反論を差し控えた。
クルスの自信の源は四人の編成の妙にあった。前衛を務められる人材が自分の他にネメシス・アムネリアと二人いて、後衛にマジックマスターのノエルを置くと、陣形としては必要最低限の効果が認められた。
ノエルはエルフであり、マジックマスターとしての素質は人間とは比較にならないと、一度見ただけでクルスは勘定していた。
(アムが本調子ならマジックマスターが二枚なるのだから、フォーマンセルのパーティーとしては最高のバランスだ。それをあてにせずとも、彼女をサポート役として中央に配しているだけで前衛に余裕が出る。ネメシス様がソロス流の実力者というのも事実。これなら大方の相手には引けをとるまい)
クルスは各人に固まって動くことを厳命し、揃って旅支度を始めた。ネメシスは既にフルカウル城に立ち寄って装備を整えていたので、四人は<銀の蹄亭>を出て市内に食糧や生活必需品を求めた。そしてその足でバレンダウン中央魔法学校へと立ち寄り、賢者の石も回収した。
サンク・キャストルまでは徒歩で二十日以上の道程であり、クルスやネメシスは旅の無事を聖神カナンへと祈った。
***
クルス・クライストは大陸北東の寒村に育った。十歳を迎えた頃に村が大飢饉で失われ、偶然通り掛かった冒険者の一行に拾われた。
クルスがニナ・ヴィーキナという小国に仕官したのは齢十八の頃であった。当時の採用担当者は、赤茶色の癖毛を無造作に伸ばしあどけなさをすら残した彼の剣と魔法の試技を見て絶句した。そして思わず、「……どうしてこんな小国に?君の力なら、あのカナル帝国やベルゲルミル連合王国でも重用してくれると思うが」と口にした。
彼は、「サラスヴァティ・レインに世話になりました」とだけ答え、その名はニナ・ヴィーキナの上層部を騒がせた。サラスヴァティ・レインは、ニナ・ヴィーキナの名士にして有力な女騎士、ラクシュミ・レインの実姉であった。
国で一番の騎士であるラクシュミは、旅に出ている長姉の縁者と自称するクルスを手元に置いて懇意にし、剣術や軍略を指南してやった。実戦レベルとしては完成されていたクルスの戦型に、ラクシュミによって騎士の制式な剣術が加えられた。
こうして二十歳を過ぎた時分には、クルスはニナ・ヴィーキナの守護騎士へと任じられ、将軍に就任していたラクシュミと合わせて二枚看板として、大陸北東部一帯ではそこそこに名が知られた。この時はまだ、クルスは今とは異なる名を名乗っていた。
クルスの守護騎士拝命から四年が経過した。その間ニナ・ヴィーキナは隣国との小競り合いや、比較的規模の大きい戦に同盟国への援軍という形で参戦したりと忙しく、クルスやラクシュミはよく戦地で共に過ごした。二人の間に愛情が萌芽したのも順当と言えた。
アケナス全土を震撼させる事件が起こったのはこの頃で、大陸の中央部にカナル帝国と同程度の支配面積を持つ魔境と呼ばれる一帯から、悪魔が全方位に向けて解き放たれた。突然の非常事態にも、環状に対魔防衛ラインを構築する諸国は必死に防戦し、南部ではカナルやベルゲルミルといった軍事大国が義勇軍を募って悪魔の群に抗った。
対魔防衛ラインの環の内、北東部の一角が激闘の末切り崩された。大陸北東部は広く悪魔との戦いに巻き込まれ、やがて決戦の地がニナ・ヴィーキナに定まった。
魔境から出撃した悪魔の中に、王者がいるとの報が人間社会に伝わっていた。対魔防衛ラインを突破して見せたのはその悪魔の仕業に違いないという説も広まった。そして、噂の悪魔の王が実際に姿を現した。
アケナスの東部から北東部にかけては小国の連なる群雄割拠が全盛であり、悪魔の王は二つの国家を簡単に平らげた。北部の雄、ミスティン王国が王太子の英断により騎士団の遠征を敢行するも、これすら悪魔の王に跳ね返された。悪魔の王を前にして、大陸北東部に住まう人々の心は絶望一色に染められた。
「……悪魔の王はニナ・ヴィーキナで北東部諸国の決死隊と闘って、そこでようやく退けられた。これが魔境大戦の終焉だ。ニナ・ヴィーキナ自体は激戦の過程で城も街も崩壊し、国土は荒れ果て、国家が亡びを迎えた。決死隊に生き残りはないと言われ、悪魔の王の最期は不明なままとされている」
アムネリアはノエルへと語って聞かせた。ネメシスにとっては既知の話であったが、アムネリアの説明をとても分かりやすいものと感心し、一々相槌を打っていた。
ニナ・ヴィーキナと悪魔の王の話題が持ち出されたことには理由があった。賢者の石を手に何事か企むカナルの大魔というのが、悪魔の王に匹敵する強敵なのではないかとネメシスが提起したのであった。
「私たちは殆ど森から出ないから、悪魔の王のことは知らなかった。それって、強力な<人喰い>みたいなもの?」
「どうであろうな。長老ならば悪魔の王についても知識があるのではないか?」
「聞いたこともないわ。あの里は閉鎖的で……。百年くらい前に森を出たきりの同胞がいるらしいから、彼ならニナ・ヴィーキナの戦いについて知っているかもしれない」
四人は街道筋から少し離れたところで渓流を背に休憩していた。ノエルもネメシスも悪魔との交戦経験が少なく、実戦に裏付けされたアムネリアの語り口は新鮮に感じられた。
「クルス。そなた、四年前の魔境大戦には傭兵として参加してはおらぬのか?」
女三人と距離をとって岩場に腰掛けていたクルスは、アムネリアの問いに曖昧に微笑んで見せた。アムネリア自身は当時まだベルゲルミル十天君の新顔で、義勇軍への参加は見合せさせられていた。
「悪魔の王のような強大無比な敵を相手にして、私たちはこの賢者の石を守らねばならない。それこそ責任は重大です」
ネメシスは気丈に言って、答えにくそうにしているクルスから話題を取り上げてやった。アムネリアは目だけでクルスを問い詰めていたが、その鋭敏な聴覚は別の異変を捉えていた。
「来たぞ!皆、岩場から降りよ!」
アムネリアの合図と指差しで全員が草地へと降り立ち、まずは安定した足場を確保した。大気に煙る黒翼の力で中空より飛来したのは、白の無機質な仮面を被りぼろぼろの黒装束に身を包んだ悪魔・ゲヘナであった。
その手には前回見られなかった漆黒の長槍が握られていて、飛翔してくるままに戦闘が開始されそうな勢いだとアムネリアは判断した。
「クルス!どうする?」
「アムは必中の時まで回避に専念してくれ!ノエルは魔法で牽制を頼む。姫様、決して前に出過ぎないようお願いします」
「承知しております」
ネメシスが絢爛豪華な金の剣を抜き、クルスの横でそれを正中に構えた。ノエルは緊張した面持ちで、アムネリアは静かに闘志を燃やしてゲヘナとの衝突を待った。
ゲヘナの空からの突撃をクルスは正面から受け止めたが、威力を殺すことまでは出来ずに弾き飛ばされた。ネメシスは狙い澄ました一撃を見舞うも、ゲヘナは長槍でそれをいなし、向きを変えるやノエルを襲った。
咄嗟にアムネリアが間へ入ったところ、不可解にもゲヘナの前進はピタリと止んだ。それがノエルの構築した不可視の壁に因るものだと、アムネリアは直ぐに了解した。
(やはり!ノエルの魔法力はマジックマスターとして相当上位にある。これほど強力な悪魔をも物理的に阻めてしまうとは)
ネメシスが背後から斬り掛かり、ゲヘナはその場から飛び上がった。攻守を切り替えたノエルは風の刃を射出して狙撃を試みた。魔法の防壁で対処しつつも、ゲヘナはそれを嫌って再び地に降り立った。起き上がったクルスが迷わずそこへと詰めた。
ゲヘナはネメシスの剣を無視し、クルスへと長槍を繰り出した。力勝負にならぬよう、クルスは間合いを選んで慎重に斬り結んだ。
その時、ゲヘナの黒翼が大きく広がり羽ばたいて見せ、風の刃によるノエルの追撃や背後からのネメシスの攻撃を振り払った。戦況を見定めるアムネリアは、クルスからの指示を待ち続けた。
息もつかせぬクルスの連撃がゲヘナを後退させつつあったが、不意に長槍から黒炎が発せられ、警戒したクルスは距離をとらざるを得なかった。
(これは……どんな炎だ?)
黒炎は三又に分かれると、蛇のようにうねりながらクルスらへと殺到した。クルスは剣で受け止め、アムネリアはステップを踏んで回避をし、そしてノエルは魔法の障壁で直撃を凌いだ。
黒炎の熱量よりも圧力にこそ危険を感じたクルスは、受け切るのを諦めて剣で流し、アムネリアを真似て体術でかわしに掛かった。
ゲヘナはその隙をついて強襲した。体当りを浴びせられたクルスは倒され、黒翼による追撃を叩き込まれた。
「あはは!見応えのある闘いをしているね、ファラウェイ卿!」
若い美声が辺りに響き、七つの人影が先程までクルスらのいた高所の岩場から差し込んだ。ボードレールとベルゲルミルの騎士たちであった。
「イグニソス!空戦だけは任せた」
「お任せを、御曹司」
「先ずは悪魔を制する!」
ボードレールは岩場から飛び降りると、騎士を引き連れてゲヘナへと迫った。クルスに止めを刺そうとしていたゲヘナは、黒炎の攻撃対象を新手の連中に移した。
ボードレールは身を屈めて走りながらに炎をやり過ごした。そして、流れるような動作でゲヘナへと接近すると、見るも鮮やかな斬撃を見舞った。
ゲヘナの黒装束は裂け、赤黒い体液が飛び散った。ボードレールは手を休めずに剣を返してもう一撃を加え、その場から飛び退いて黒翼の反撃から逃れた。
ゲヘナが長槍を掲げると、黒炎が一挙に広範囲へと放射された。クルスやネメシスらが慌てて下がる中ボードレールは易々と炎を斬り分け、滑るようにして地を駆けてゲヘナへと高速の剣を撃ち込んだ。堪らず飛翔して避けたゲヘナに、イグニソスの具象化した光弾が連射された。
「クルス・クライスト!悪魔を相手に、情けなくも寝ているだけかい?」
ボードレールはそう二人を挑発すると、黒翼でイグニソスの魔法を防いだゲヘナが降りてくるのを待った。どうにか黒炎に耐えた五人の騎士が彼の下へと駆け寄って来た。
「……人間。蛆虫如きが何匹集おうと所詮は蛆虫。このケルベロスの焔で焼き付くし、賢者の石はここで回収させて貰うぞ」
「下郎!悪魔の分際で無礼をぬかすな!僕はファーロイ湖王国が公爵公子ボードレール。多少なりとも剣を知る者は皆、僕の技を<流水>と称え畏怖したもう。その卑賤な身でとくと味わってみろ!」
ボードレールが勇ましくも剣を水平に構えると、クルスとアムネリアがその両隣に進み出た。ネメシスは少し離れた場所でゲヘナの中距離攻撃を警戒しており、ノエルとイグニソスも遠距離から魔法で支援をすべく集中していた。
ゲヘナが黒炎を暴れさせ、槍と黒翼を用いて全力の攻勢に出た。炎はノエルの風の障壁が威力を散らし、近接戦闘はクルスとボードレールが二人掛かりでゲヘナを抑えた。ベルゲルミルの騎士らは黒翼に弾き出されつつあったが、直ぐにもボードレールの剣がゲヘナの身体を捉えた。
クルスの猛追から中空へと待避したゲヘナに、機会を待っていたイグニソスの放てし光の矢が突き刺さった。傷を負ったゲヘナが高度を下げると、満を持してアムネリアが動いた。
「朽ちよ!」
高速移動からの豪快な一閃はゲヘナの胸元を薙ぎ、勢いは止まるところを知らず左腕をも斬り飛ばした。黒槍が音を立てて地に突き刺さった。
「ぐおおおおおおおお?貴様ら……許さん……ぞッ!」
ゲヘナは咆哮し、天高くまで飛び上がると、ノエルやイグニソスの遠距離魔法に抵抗しつつ去っていった。またも上位悪魔を撃退したと分かり、ネメシスは破顔した。
「皆さん、御苦労様です」
「……ネメシス様、それにはまだ早いです」
クルスは額に汗したアムネリアと共に、ネメシスの傍らへと移った。戦意の継続を隠すでもなく、それこそネメシスを護衛するという意思表示に他ならなかった。
継戦を態度で示された側のボードレールは、不満の一つも覗かせずに無邪気そうな笑顔を形作った。