集う-2
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エレノア・ヴァンシュテルンは用意周到をもって事に当たる性分であった。彼女はリン・ラビオリが裏切ったことを未だ知らないが、それに備えて旗下の信頼ある騎士をクルスの側に付けていた。<パス>が途絶えたと気付いた時、無論エレノアにハイネルやレルシェを害した敵の正体までは分からなかったのだが、リンの関与した可能性も視野に入れていた。
それはエレノアがミスティンの実質的な総領として、国内の重要な組織・地位の高い人物に内偵を行った際に得た情報に因った。リン・ラビオリという人間の思想と背景にはそれだけの危険因子が見当たった。
リンの生家は、父方がラビオリ家といい、東部に広く勢力を持つマジックマスターの一門であった。徒弟制度がしっかりしており、集団で研究や儀式へ当たることに長け、リンの父は一門を束ねる大家としてアケナスでも名を馳せていた。
対して母方のシェンマ家はセントハイムの三賢と謳われる学者の家系で、政府重臣を多数輩出してきた名家中の名家と言えた。中でもリンの母親は古代遺跡とマジックアイテムの研究で多大な成果を挙げており、ベルゲルミルのマジックアカデミーから相応の地位でもって招聘の声が掛かる程に評価されていた。
リンは周囲からはエリート一家に生まれたサラブレッドと目されたが、エレノアが調べた限りでは現実は過酷を極めていた。戸籍上、リンには二人の兄に弟と妹が一人ずついたことになっているが、後継者は彼女一人と定められていた。それは、兄妹四人が全員鬼籍に入っていたことからも明らかであった。
ラビオリの直系血族に生まれし者は、男女の例外なく魔法力の拡張儀式へと挑戦させられた。先天的な素養が大を占める個人の潜在魔法力を無理矢理強化する類いの儀式で、古代ですら禁忌とされた秘術であった。これにより、リンの兄の一人と妹が命を落としたとの噂であった。
さらに、シェンマの生粋たる母や伯父伯母が牙を剥いた。兄妹は並の騎士やマジックマスターであれば尻尾を巻いて逃げ出すような秘境へと、訓練やフィールドワークと称して容赦なく連行された。三大禁区が一つである魔境で残る兄を、同じく竜の谷で弟を喪ったリンは、最後の直系血族として強く生きる他になかった。
極めつけは、減った後継者を補填する為に父母が近親血族と度重なる性交を設け、その結果生み出された人材が両家を支える土台になっているという非道徳な現実。これと直面したリンは、死んだ兄妹たちの為にも強くあろうと願い、一族の模範となり得る偉大な成果を希求し、そして同時に自身に流れる血を憎んだ。
ラビオリ家とシェンマ家では年若い子弟の変死事件が相次ぎ、それと時を近くしてリンは傭兵の世界へ身を投じていた。証拠こそ残されていなかったものの、変死した少年少女らには遺伝的な肉体欠陥が見られたに止まらず、魔法実験に晒された末の症状と思われる重度の脳障害が認められた。
リンは生家の惨劇に口を閉ざし、傭兵としてめきめきと頭角を現した。自らの目指す伝承に近付くべく邁進するだけでなく、アイドル傭兵として<リーグ>の発展にも大きく貢献した。
そんな彼女の境遇と、そこから辿り着いたビフレストへの妄執を、エレノアは同情の余地こそあれ危険なものと断定した。しかしながら、単独で<フォルトリウ>の事すら嗅ぎ付け、それで命を狙われようとも凶刃を尽く跳ね返して見せるリンの強さだけは、エレノアとて評価せざるを得ないものであった。
(カナルが北方面の軍備増強に舵を切ったというだけで、離れたイオニウムやオズメイまでもがあからさまに蠢動を止めた。まさに軍事大国の暴力というものだな。それで私が動けているのだから、クルスと新帝さまさまといったところか)
エレノアは、単騎魔境の北周を東へと進んでいた。それも終わりが近付き、アケナスの東部領域は直ぐそこまで迫っていた。
側仕えの騎士が工作員であったと知れた時点から、彼女は自分たちを取り巻く環境が激変を見ると予測し、旅支度を始めていた。その折にハイネル・レルシェとの<パス>が切れ、即座に行動を起こした。
エレノアの脳裏に、その思念は唐突に響いた。思念は、セントハイム北の小国・フロン連邦を訪ねるようエレノアへと迫るものであった。
思念の発信者が聖タイタニアを名乗ったことで、エレノアは大人しく要請に従った。それは彼女の身体に妖精族の血が流れていることと無縁でなく、妖精族は希少が故に血の結び付きを何より重んじた。同胞を導くことこそあれ、欺く可能性は少ないと考えられた。
フロン入りしたエレノアを、今度は思念が小村へと誘導した。二百人足らずが生活する狭い農耕の村落において、エレノアの如き器量良しが立派な白馬に跨るその壮麗な姿は目立ったが、村人は直ぐに彼女の来訪意図を察した。
齢六十を数える村長の案内で、エレノアは藁葺き屋根の素朴な家屋へと足を運んだ。聞けば賢神エリシオンの神殿出張所だそうで、ノエルは奥の座敷に匿われ、大事に寝かされていた。
村に一人しかいない魔法の使い手である、神殿出張所付の神官見習いが必死に手当てを施した跡が見られ、エレノアは丁重に礼を述べた。そして間を置かずに魔法治療を開始した。
いきなりエルフの娘が降ってきたことで村人は戦々恐々としたものの、大怪我を負っていると確認するや、村長の判断でここへ収容された。フロン連邦においては近隣を治める領主が存在したが、領内各所から若い女を拐って手込めにするような強欲者として知られていたので、村長は敢えてノエルの件を報告しなかった。
エレノアは村長にも感謝を示し、何れミスティン王国将軍の名において報償を贈ると約束した。目を覚ましたノエルは、視界に収まる麗人を記憶と照合し、言の葉に乗せた。
「……貴女は、確か……ヴァンシュテルン将軍?」
「ええ。あなた達の出立前に挨拶させて貰いましたね。ここは単刀直入に、顛末を聞かせて下さる?随分と手酷くやられたみたいですし、クルス・クライストはまだ無事なのかしら?」
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「……それで。ルガードの一味は<花剣>を加え、集めた冒険者やごろつきを従えて巨人国へと南下を始めた、と」
「そうだ」
「アルヴヘイムの件もありますし、ユミル王が知ったらあなたを引き裂くと言い出しかねませんね」
アンフィスバエナは、輪郭のぼやけた中でも笑みを絶やさなかった。両の目は終始閉じられていたが、混沌の君はそれが某かの魔法儀式かもしれないと邪推していた。
全員が出払いもぬけの殻となったメルビンの居館にて、混沌の君は幻体のアンフィスバエナと会見に臨んでいた。
「……ですが、あなたが我々を気にかけてくれていた事に驚きを禁じ得ません。エストさんなど、説明しても信じてくださらないでしょう」
「奴らがビフレストに足を踏み入れようが、<フォルトリウ>の活動の妨げにはならない。しかし、巨人の王国には迷惑をかける」
「ユミル王には配慮があるのに、どうしてオルトロスの守護獣や妖精族が倒されるのを黙認したのですか?」
「アルヴヘイムには事前警告していた。大人しく古城の封印を解けばよし、とな。妖精王の矜持がそれを許さなかった。或いは、ルガード一味の力を計り違えたのかも知れない」
仮面の下の表情は窺えず、抑揚なく語る混沌の君の心情は誰にも捉えられなかった。それでもアンフィスバエナは怒りはせず、辛抱強く説得を重ねた。
「私としては、今からでもルガードを除いていただきたいと思っています。彼の人となりはそれなりに知っているつもりです。あれだけの野心家にこれ以上危険な玩具を与えると、何れ種族の均衡に影響しかねない。賢者の石と神剣を手にしたウェリントンの例もあります」
「迂遠な言い回しだな。魔境の力が増す、と言いたいのであろう?」
「それも飛躍的に、です。所属は兎も角、あの二者がほとんど悪魔な点は確かなようです。イオニウム・オズメイ連合とミスティンが戦争途上にあり、ベルゲルミルとカナルの関係性が悪化を辿れば、人間勢力は急激に弱体化する。他の種族が押し並べて衰退の途にある以上、悪魔の伸長はバランスを損なうと思いませんか?」
「私に<フォルトリウ>を欺く気はない。全種族の均衡と永続は保障されるべきだ。神々の創りしこの世界を維持する以外に取り得る選択はない。そして、ルガード如きがどう動こうと、所詮は大河に泳ぐ小魚の群でしかない。波を打たせるだけの影響力などないのだ」
仮面により適当に調整の為されているであろう、男女とも判別のつきかねぬ声音で混沌の君は答えた。纏う法衣には少しの乱れもなく、幻体で向き合うアンフィスバエナにもこの者が果たして実体であるのかすら分からなかった。
「……かつて、古城の番人たる不死の巨人を制圧した勇者がいましたね。そう、サラスヴァティ・レインです。うちの女王陛下の知己でもありました。巷で語られているのは、専ら不死の巨人討伐のくだりまで。彼女はそこに何をしに行ったのでしょうか?腕試し?ビフレストの探究?それでは彼女はビフレストへと到達し得たのか?」
「ヘイムダルを御し得たのだとすれば、必然ビフレストには辿り着ける。天使は来る者を拒まぬし、出来る援助を惜しまない。楽園クラナドで神と邂逅を果たしていても何ら不思議はないな」
混沌の君の演説を受け、アンフィスバエナの口許からすっと笑みが消えた。
「その仮定において導き出される結論は一つです。クラナドで世界の成り立ちを知ったならば、まともな人間であれば<フォルトリウ>に接触を求めてくる筈。いくら英雄とは言え、個人に成せることはやはり少ない。目下全てを知り、それでいてアケナス全土で種族補完の活動が認められる組織は<フォルトリウ>を除いて他にない。しかし、サラスヴァティ・レインは来なかった。それどころか魔境の奥地、コキュートスと呼ばれしエリアに挑んで隠れたと言う。これが何を意味するか?私にはとある見解があります」
「聞こうか」
「はい。アケナスの種を補完しようと考えるに、獣人族のように好戦的ではあっても話の通じる余地があれば問題解決は成しようがあります。然れども、神より永劫の存在を義務付けられし八種族の中には、それがままならない種族もある。すなわち、人間・エルフ・ダークエルフ・ドワーフ・獣人・妖精・巨人に次ぐ最後の種族です。……そう、悪魔ですね。相手や場所を選ばず他種族を狙うこの者たちは、<フォルトリウ>にとり永く頭痛の種であり続けました。時には人間・その他種族混合の討伐作戦によって壊滅の危機に瀕し、時には強大な力を有する魔王の出現で一気に勢力を伸ばした。しかし、どの時期においても<フォルトリウ>が勝ちつつある勢力に歯止めをかけることで、双方の滅亡、すなわち世界の破滅は回避されてきました。私は幼少のみぎりに<フォルトリウ>と接し、記録を確かめた上で直ぐにある考えへと到達しました。それは、魔境に厳然たる支配力を擁する悪魔がいるのであれば、是非とも<フォルトリウ>に招いて協力を請うべきだと。この考えは、当事マジックアカデミーの先輩であったウィルヘルミナ陛下にだけ話しました。彼女からは、条件付きながら賛意をいただけたものです。……それから幾年かの後、魔境からあなたがやって来ました」
「それで?」
「魔境を統べる者などいない。ウィルヘルミナ陛下にはそう笑われたものです。だから私の考えは絵に描いた餅だと。後年、かの魔境大戦で猛威を振るった悪魔の王とて、あくまで魔境の一勢力を束ねているに過ぎませんでした。それを裏付ける調査結果もあります。では、私の意を汲むかのようにいきなり現れた混沌の君とは何者なのか。ヒントとなるのは、私の具申を聞いたウィルヘルミナ陛下。そして、クラナドへ足を踏み入れ、アケナスの理を理解したと思われる勇者サラスヴァティ。二人は盟友であり、サラスヴァティは魔境入りして死んだと目されている」
混沌の君は口を挟まず、アンフィスバエナの口舌をそのまま許した。アンフィスバエナの口調はマジックアカデミーで講義をする時のそれと酷似しており、推論の根拠となるべき点を一つ一つ並べて核心に迫る手法が取られていた。
アンフィスバエナはこの結論に自信を持っていた。
「突如魔境で一大勢力を築き上げた悪魔が、都合良くも<フォルトリウ>の理念に共感し恭順の意を示した。出来すぎな話です。混沌の君よ。あなたこそ、サラスヴァティ・レインその人ではないのですか?」




