百花繚乱-3
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咎人の剣を右手に下げたルガードが前へ出ると、ベルディナやアイゼンといった配下の陣列が無音で割れた。直接対峙することになり、フラニルは無言の圧力を痛い程に感じさせられた。
戦力分析は瞬時に済ませていた。敵のマジックマスターはノエルに任せ、自分はラーマ・フライマを相手にすると決めた。フラニルは自身の魔法技術を過大評価しておらず、味方の最高戦力を当てて敵の中核を封じる策を採用した。
パーティーバトルにおいては、強力なマジックマスターの存在こそが脅威であった。
(僕が十天君をそう足止めできるとは思っていない。あの痩身のマジックマスターは雰囲気が異質だ。それでもノエルさんなら圧倒出来る筈。奴を制しさえすれば、戦局は一気にこちらへ傾く!)
「ダイノンさん、あの大女を頼みます。セルッティさんはダークエルフを。ハイネル大尉とレルシェさんは申し訳ありませんが、一時的に黒衣の魔人の相手をお願いします。ノエルさんと僕とで早めにマジックマスターを抑えますから」
「……ちょっと待て。ダークエルフだって、強力なマジックマスターだろうが?」
「そこはセルッティさんの歴戦の力に頼らせてください。ノエルさんやダイノンさんがすぐに皆を助けに回ってくださいますよ」
フラニルの優しいながらも有無を言わさぬ口調に満更でもない高揚を覚え、ワルドは懐に手を差し入れて短剣の感触を確かめた。
「レルシェ、相手は強敵だ。二対一という数的優位を活かした戦法で行くぞ!」
「了解であります!」
ハイネルとレルシェは前に出てきたルガードへと走った。それを起点にしてダイノンとワルドも動いた。
「お頭!全員殺しちゃってもいいのかい?」
「鍵となる可能性がある、エルフとマジックマスターは殺すな。後は好きにしろ」
ルガードはベルディナに答えて、向かってきた騎士二人と相対した。
フラニルはラーマの挙動に着目していた。彼は魔法展開の速度に高い技術を有しており、相手の動きに合わせてカウンターをとる戦い方を得意としていた。
(<福音>のラーマ。ディアネ神と心を通わす程に高位の司祭。まともに闘えば僕に勝ち目はないのだろうけど……これは集団戦だ。こちらにはノエルさんやダイノンさんみたいな絶対的信頼を寄せられる強者が揃う。僕は、こいつの手数を封じて時間を稼ぐことに徹する!)
ラーマがまず手をつけたのは味方に対する魔法抵抗力の強化で、それを捉えたフラニルも同様の措置を講じた。続いて中距離からの狙撃に移ると見て、フラニルはラーマの繰り出してくる魔法に反対属性の魔法をぶつけんと集中した。
その時、ラーマの表情が曇ったように感じられた。何らかの逡巡があったことは確かで、撃てるタイミングで動作を躊躇したとフラニルは見抜いた。
カウンターを放棄し先制攻撃を見舞おうかと迷い始めたそこに、ラーマから一条の光線が発射された。
(光!ならば……闇だ)
暗闇が凝縮された魔法の矢を作り出し、フラニルはそれを連続して放った。目標はラーマの撃ち出した光線そのものであった。
一本目の矢は光と接触するや瞬時に砕かれて霧散した。二本目、三本目もあっさりと貫かれたことで、フラニルの表情に焦りが浮かんだ。迎撃に出した魔法の矢は都合五本であり、全滅は目前であった。
新たな魔法による相殺は難しいとの判断により、フラニルは闇の盾を前方に展開した。五本の矢を打ち破った光線が盾と衝突し、爆発に近い衝撃と轟音が広がった。空気は震え、城の床が鳴動した。
フラニルの盾は光線ごと爆散した。そして、彼から次の抗手を打つ余裕が失われつつあった。
(魔法の矢を全て貫通しておいて、全力で構築した盾をも持っていくというのか!……たかが光線一つに込められた魔法力が桁違いじゃないか!)
フラニルはラーマの動きと漏れ伝わる魔法力から、続く攻撃がこちらの行動を封じる類いの魔法と看破した。戦闘開始時に仲間全体の魔法抵抗を上昇させていたので、敢えて防御姿勢をとらずに反撃に移ることとした。
フラニルとラーマの魔法を放つタイミングは同時であった。
フラニルが右手から飛ばした炎弾は、ラーマの左手が軽く振られただけで四散させられた。一方フラニルに殺到した魔法の霧は、彼に抗うことを許さず真っ直ぐに眠りの深淵へと誘った。
(……そんな、馬鹿な!こんな……強力な……睡魔、が……みんな、ご……め……)
フラニルが崩れ落ちる様を横目に見たワルドは舌打ちし、それでも小剣と短剣の投射を駆使してアイゼンと渡り合っていた。接近戦に持ち込まれたアイゼンはワルドの手数により魔法の発動を阻止され、互いに小剣や体術、小技を織り混ぜた応酬に終始していた。
ダイノンは戦斧による猛攻を仕掛けていて、ベルディナが大剣を振り回してそれと正面からぶつかった。剛力で鳴る二人の闘いは迫力に満ち、重い一撃から察するに、攻撃が命中した瞬間に決着の訪れることを予感させた。
ハイネルとレルシェの闘いは、フラニルの惨事を思えば健闘に値した。レルシェが牽制に特化し、ハイネルはルガードの剛剣をよく防いでいた。
しかし、ルガードの技は生半可なものでなく、引くと見せ掛けてレルシェの勇み足を誘った。
「レルシェ、待て!」
「あ……」
咎人の剣による高速の突きは、無情にもレルシェの胸を装甲ごと刺し貫いた。剣が引き抜かれると、傷口と口中から血液を溢れさせたレルシェは急速に傾いて床に倒れ込んだ。
ハイネルに部下を助ける余力はなかった。ルガードの剣を一手に引き受ける羽目となり、明らかに役目が重くなった。ルガードの威力ある上段斬りがハイネルの剣を真っ二つに叩き折った。止まらぬ剣閃はハイネルの額、首、腰部と続けざまに撫で斬りにし、彼を血の海に沈めた。
エドメンドと魔法を撃ち合っていたノエルだけが、はっきりと優勢に闘いを進めていた。カナル大森林の長老の娘であり、クルスと共に戦闘経験を積んだノエルに死角は少なく、異才・エドメンドをしても分が悪かった。
ノエルは不利になっていく周囲の戦況を認識していたので、勝利を確定させるべく攻め手を急いだ。そこに隙が生まれた。
ノエルの召喚した精霊とエドメンドの召喚した魔法生物ががっぷり四つに組み合っていて、細剣を手にしたノエルはここで近接戦闘へと舵を切った。敵は痩せこけたマジックマスター一人であり、自身は細剣の使い手としてクルスやアムネリアからも御墨付きを得るだけの技前であった。まさに必勝を期していた。
「馬鹿め!奥の手は最後まで隠し持つものだ!」
エドメンドは汗にまみれた顔面に、歓喜と嗜虐の入り交じった笑みを形作った。エドメンドのローブの袖内より、奇っ怪な風貌をした獣が飛び出した。
猫にも似た、毛むくじゃらの小さな生き物は四肢が剣身のような刃と化しており、近付いてきたノエルの左脇下を瞬時に抜けた。
完璧に不意を突かれた形のノエルは、左腕と脇腹をざっくりと抉られ、出血と痛みでバランスを崩して盛大に転んだ。刃の仕込まれた生物は小さいながらも翼をばたつかせ、旋回してエドメンドの手元に戻った。
これこそが魔法力の供給を必要としない常駐の魔法生物、エドメンドが研究により復活させた使い魔に他ならなかった。
「フハハッ!エルフの血肉は良い研究材料となる!殺すなと命じられているのでな。腕や足の一本で我慢してやろう」
ノエルは倒れ伏しながらも、顔だけは上げてエドメンドを眼光鋭く睨み付けた。傷の状態から、魔法攻撃どころでないことはエドメンドならずとも見てとれた。
エドメンドは再び袖口から使い魔を放とうとしたが、その場に雄叫びを上げたダイノンが飛び込んで来たことで状況が変わった。
「ノエル!死ぬんじゃないぞ!」
***
ベルディナと激しい闘いを繰り広げていたダイノンは、ノエルの危機を知り、些かも迷うことなく目の前の敵を倒すことを放棄した。無論、敵がみすみすそれを許すとは思っておらず、ベルディナに背を向けた瞬間に左肩へと大剣を叩き込まれた。
刃は骨をも断ち、紛うことなき重傷となった。
「余所見してんじゃないよ!折角愉しいところだったのにさ」
「……フン。お主程度に構ってはおれんのだ」
ダイノンは大剣の刃をグローブ越しに掴むや、一気に振り上げてベルディナの手から剣をむしりとった。肩や手先からは血が溢れ出ていたが、気にするでもなくノエルの下へと走った。ベルディナは呆気にとられ、ただそれを見送った。
叫び声と共に自分に向かってきたドワーフへ恐怖を覚えたエドメンドは、使い魔の標的を即座に変更した。ダイノンの胸元は使い魔によって鋭利に裂かれ、断たれた装甲がごとりと音を立てて床に落ちた。
その一撃でもダイノンは怯まず、倒れるノエルを庇う形で仁王立ちとなった。
「ダイ……ノン?何を……!」
「フン。黙っておれ。お前さんを護るは、王から授かったワシの務め。……この程度、我が鋼の肉体には何ともないぞ」
ダイノンの形相に気圧されたエドメンドが、またも使い魔で襲撃を試みた。今度はダイノンの左腕を断ち切って見せたが、それでもドワーフの戦士はノエルを背にして動かなかった。
ダイノンは大きく息を吸って、腹の底から声を発した。
「妖精王よ!ドワーフ王の片腕がダイノンの名によって依頼する!このエルフはカナル大森林の長老・ネピドゥスが娘なり!どうかこの者を安全な場所まで送り届けたし!貴国が危機に瀕した折、ドワーフ王がそれを救わんと誓う。この約定、クルス・クライストなる勇者を通じ、ドワーフ王に遵守させようぞ!」
「……ダイノン、もういいの……逃げて……」
「……クルスの心、放さんようにな」
エドメンドが三度目の正直と、雷撃の魔法をダイノンに見舞った。それをまともに浴びて全身を焼かれたダイノンは、エドメンドの前に立ちはだかったままの体勢で事切れた。
「……なにッ?」
エドメンドがダイノンの背後を窺うと、そこに伏していた筈のノエルの姿は消えていた。はっとして妖精王の方へ振り向くと、聖タイタニアが指で結んでいた印を解く様子が視界に映った。
地団駄を踏むエドメンドに反応することなく、聖タイタニアは混沌の君と向き合って動かぬウェリントンに同意を求めた。
「エルフの一人くらい、良いでしょう?妖精がドワーフに貸しを作るなんて、伝説にも存在した試しがないのだから」
「妖精の思惑など知らぬ。それより決着がつきそうだが?」
ウェリントンは顎で最後の戦いを指し示した。
「参った!降参だ、降参!俺はただの雇われだからな。こいつらに付き合って心中する気はないぜ」
ワルドは剣を捨て、アイゼンのみならずルガードにも聞こえるよう声を上げて万歳して見せた。彼以外の皆が破れ去り、こうする以外に助かる道はなかった。
致命傷とは程遠いながらも細かな傷を幾つも負わされたアイゼンが、ルガードへ生殺の確認をと視線を送った。ルガードは頷きをもってアイゼンを下がらせ、自ら近付いて尋問を始めた。その手には抜き身の神剣が握られていて、ワルドは答えを誤れば殺される者と理解した。
「答えろ。貴様は<リーグ>の傭兵か?」
「いや。任務で提携はしているが、俺は一匹狼のフリーランスだ」
「ではそこで寝ている未熟者が、貴様の雇い主か?」
「違う。そいつは<リーグ>の傭兵、フラニル・フランだ。俺の雇い主はクルス・クライストという、これまた<リーグ>の一員だよ」
「その者は今どこにいる?」
「<リーグ>シスカバリ支部の依頼で、悪魔教団の討伐に向かったよ。ここには来ていない」
悪魔教団という言葉にエドメンドやラーマが身動ぎした。ルガードの弟であるオルファンがベルゲルミルを脱し、彼らとの合流を企図しているは明白で、事によると鍵がまた一つ補完されると考えられた。
ルガードは尚もワルドを追及した。
「他に仲間は?」
「クルスの側に、アムネリアとかいう別嬪の神官がいる。何でも悪魔教団の幹部に恨みがあるとかで、向こうに行った。後は、<リーグ>幹部のリン・ラビオリが付いている」
ワルドは敢えてアムネリアの名を出して、自分がクルスらとは縁遠い他人であると強調した。ルガードとアムネリアの経緯は多少なりとも聞かされていたので、これは博打であった。
しかし、ルガードが反応を見せたのは別の名に対してであった。
「<花剣>が東部に?さては……奴め、神剣を入手したか。クラウ・ソラスはラビオリの手にあるのだな?」
「……そうだ」
「それで。その連中とはどこで合流する予定だった?」
ワルドは、こちらの行動が予定外故に明確な合流地点は定まっておらず、流れで古城に集まる手筈であったと多少の嘘を散りばめた。ここまで白状したことは何も保身の為だけでなく、ルガードらにメルビンで強襲されてクルスらが一網打尽にされぬよう、細心の注意を払って偽証の機会を探っていた。
エドメンドやアイゼンですら、ワルドの芝居は見抜けなかった。ルガードは情報が得られたことでワルドに対する興味をすっかりなくした様で、アイゼンらにワルドとフラニルの二人を縛り上げるよう命じた。そして、自分はウェリントンや聖タイタニアと向き合った。
「これで鍵の入手目処はついた。ラビオリを呼び寄せ、オルファンが辿り着けば仕舞いだ。もう貴様らに用はない」
(なんだ?奴はリン・ラビオリと旧知の間柄なのか……?)
ワルドは縛られながらに耳を澄ませてルガードの言葉を収集し続けた。
「混沌の君よ。聖タイタニアを害する目的でなければ、元の通りに我をビフレストへと導くか?」
「問題ない。妖精王の身の安全さえ安堵されれば」
「……そういうことだな」
咎人の剣の切っ先がウェリントンへと向けられ、捕縛を終えたアイゼンらがルガードの傍に集結した。ウェリントンはそれにも動じず、真っ直ぐにルガードの目を見て言った。
「これだけの勇者を集められては、流石に退く他ないな。……だが、惜しい」
「……なに?」
「それだけの力を揃えていながら、敢えてクルス・クライストを呼び込むとは。あれは貴様にとっての鬼門となるやも知れんぞ?魔人ルガードよ」
ルガードは問答を避け、剣で応じた。鋭い横一閃の剣は飛び退いたウェリントンにかわされ、それを皮切りにエドメンドらも攻撃の姿勢を見せた。
しかし、ウェリントンは自身の周囲に魔方陣を形成するや、たちどころに姿を消した。
「賢者の石の魔法力を使いこなしていますね。あれは……魔人ならぬ魔神とでも呼ぶべき稀有な存在かも知れない」
転移の済まされた何もない空間を眺めて、聖タイタニアは独り言ちた。ルガードにそれほどの感傷はなく、配下の者たちに短い言葉でメルビン帰還を告げた。
縄で全身を縛られたフラニルは眠ったままの姿勢でベルディナに担がれ、ワルドは腕を封じられた格好でアイゼンに連行された。エドメンドとラーマには、捕虜二人がおかしな動きを見せたら直ぐに殺すよう指示があった。
去り際に、ワルドの視線が血溜まりを作るダイノンやハイネル、レルシェらをひと撫でした。
(悪く思うなよ。生き延びりゃあ、お前らの仇をとってやれる可能性もゼロじゃない。……ま、それは俺の役目じゃねえがな)
ブラーニー城から魔人の一行が出て行き、残った混沌の君は妖精王へと探りを入れた。
「……エルフの娘をどこに匿った?」
「さあ。あなたが気にする筋の話ではないでしょう?」
「あの娘を渡していれば、ルガードは苦もなくビフレストへ到達出来た」
「あなたは何を考えているのかしら?ラーマ・フライマのように、あの男の覇気に惚れたというわけではないのでしょう?今更神の一人や二人増えたところで、アケナスのシステムに影響などありません」
「人と悪魔の融合体とはいえ、起源は同質の存在。誰がビフレストに足を踏み入れるにせよ、大事は力を得ることにあらず。現実とどう向き合い、アケナスを維持する為に何を成し得るかだ」
混沌の君の迂遠な言い様に、聖タイタニアは眉根を寄せて不快を露にした。
「ですから、あの魔人には何も出来ぬと言っています。四柱の再臨などというウェリントンほどの無謀ではないにせよ、あの手の野心家が力を手にして招く結末はろくでもないものでしょう」
「だとしても。目的なくアケナスを彷徨かれるよりは一つ事に集中させた方が良い。<白虎>が好例だ。わざと逃がしたのであろう?」
「……ここで奴に暴れられては迷惑ですからね」
混沌の君の指摘は、聖タイタニアほどの実力者が、自らの本拠地であるブラーニー城において易々と転移の魔法など許す筈がないということを意味した。事実、彼女はウェリントンが決死の覚悟で戦闘へ臨んでくるを良しとはしなかった。
やがて混沌の君もブラーニー城を辞し、聖タイタニアは一人になると、軽く息を吐いて玉座の背凭れに寄り掛かった。視界にはドワーフや人間の遺体が認められ、それらを等分に眺めやった。
「世界の秩序を維持するのももう限界。然りとて滅びに抗えし勇者は不在なれば、当然に新たな潮流も起こり得ず。かくて視界は霞み、晴れることのない霧で満ち満ちて行く……」




