3 百花繚乱
3 百花繚乱
メルビンの旅亭に揃ったフラニルの一行は、集めたルガード一味の情報を整理していた。ここも余所と似た構造で一階部分に食堂兼酒場が鎮座し、吹き抜けとなっているため二階に並ぶ客間の扉が階下からも一望出来た。
十室の内三室をフラニルらが押さえていて、今は一階の端のテーブルに相席していた。
珍しくダイノンが麦酒を所望せず、ワルドを除いては皆素面で謀議へと臨んだ。
「奴等は館を出て東に向かった、と。回り道をして巨人国入りをするつもりか、それとも真っ直ぐ先にある湿地帯に用向きがあるのか……」
考え込む皆を代表し、意見を整理するつもりでレルシェが言った。ルガード一味の主たる構成員は、フラニルの前知識とワルドやゼロの調査によりほぼ明らかとなっていた。
リーダーのルガードに参謀役のマジックマスター・エドメンド。女戦士ベルディナ、<福音>のラーマ。そして、館に出入りしているダークエルフと思しき長身痩躯の男。
フラニルは禍々しい魔法力を秘めたルガードの剣を目撃していたので、それを含めて四つないしは五つの鍵が一味に揃っていると考えられた。この情報は街の電報屋を通じてシスカバリへ送ることとし、差し迫っては彼らの対応を決めねばならなかった。
ルガード一味が未だ古城を目指していないのだから、ここは待機かクルスらとの合流を図るべきというのが保守的な意見であった。ダイノンやハイネル大尉、レルシェらがそれを主張していた。
対して、先に古城を偵察するなり、ルガード一味が妖精族を相手どって何を狙っているのか探るなりするべき、というのがノエルやワルドといった積極派の意見となった。ノエルはクルスの切望する<戦乙女>救済の為の手段へと、先にルガードが接することへ焦慮を募らせていた。ワルドはそれを察し、またビフレストに某かの財宝が隠されているものと信じて先行の利益を取りたがった。
どちらの意見にも納得のいく根拠があり、フラニルは迷った。しかし、この場の誰一人としてルガード一味と直接対決するつもりはなく、不用意に近付くことだけは避けねばならなかった。
「鍵が揃っているのなら、奴らが巨人国入りを回避するいわれはない筈だ。もしかすると、妖精国に何かしら鍵の当てがあるのかもしれない。……何れにせよ、奴らと同様に鍵の不足している僕らが古城に足を踏み入れても、得られるものはないと思われる。ここは、向かうなら湿原だ」
フラニルの意向が積極派に寄ったことで、レルシェは首を傾げて楯突いた。
「わざわざ危うきに近寄る理由は何です?不戦を約した偵察など、大した成果は見込めないでしょうに」
「すみません、レルシェさん。これはあくまで僕の独断です。奴らが湿原に何を求めているにせよ、それを見届けないわけにはいかないと思ったのです」
「そういうことよ。クルスやネメシス様のやろうとしていることに、ルガードたちは絶対邪魔になる。将来の禍根をここで絶つの。あいつらが妖精族にかまけて隙を見せたなら、こちらから仕掛けて一掃するつもりで追わなきゃ」
ノエルの援護射撃は意見を同じくするワルドを高揚させたに止まらず、保守派のダイノンにも宗旨代えを促した。ダイノンは腕を組むと重々しく頷いてフラニルを見た。
「よし。オルトロスを目指します。……ただし、敵が進行方向を変えたなら、こちらは直ぐにメルビンへ引き返すということで。重ね重ね、無理はしないようにしましょう」
リーダーがそう決したことで、一同は反論をも飲み込んで従う素振りを見せた。ハイネルに優しく肩を叩かれたレルシェは、軽く溜め息をついて気持ちに一定の区切りをつけた。
ハイネルとレルシェは<北将>が派遣しただけのことはあり、相応の実力を有していた。剣と魔法の腕前はミスティン騎士団でも上位に位置した。ダイノンやワルドは二人の所作からその片鱗を感じており、確かに好機に恵まれたならば、ルガードを討つに足る戦力が揃っていると自負するに至った。
そうと決まれば話は早く、翌朝にはフラニル一行もメルビンを発った。ノエルが魔法で入念に気配を断ち、六人一塊となって静かに湿原を目指した。フラニルは先日ベルディナに圧倒されつつも、陰ながら<パス>を繋げていたので、ルガード一味を見失うことはなかった。
湿原の歩行は評判通りに困難で、フィールドワークを苦にしないノエルや、潜入工作に長じたワルドでさえも難儀した。
ニーズヘッグが討伐されたとはいえ、湿原には妖精族の放った魔法生物や、少数の悪魔が未だ徘徊していた。ルガードらと距離こそあったものの、それら湿原の異形のものと会敵した際には、六人が迅速かつ正確に連携して戦闘行動をとった。
ワルドが熟練の技で牽制し、ノエルとフラニルの魔法が敵を穿った。そしてダイノン、ハイネル、レルシェの前衛要員が近接戦を仕掛ければ、意思を持たぬ魔法生物など苦もなく撃退して見せた。
数度戦闘をこなす内、一行の心に手応えのようなものが生まれた。前・中・後衛の役割分担が良く機能し、個々の戦闘力も申し分なかった。リーダーとして指揮をとるフラニルが一番にそれを実感しており、この仲間たちと一緒であれば上位悪魔にも対抗出来るという感触を得た。
ダイノンは、やや気負いの見られるフラニルに釘を刺そうかと黙考し、しかしそれを改めた。
(まだ若い。老獪さや抜け目のなさを言って聞かせるより、周りがサポートして度胸をつけさせる方が伸びしろもあろうて)
ノエルはクルスとアムネリアのことを気にかけ、さかんにワルドへと話を振った。ワルドは短い付き合いの中からクルスの引きの強さを感じていたので、今回もどうにか切り抜けるであろうと、気休めでなく本心からそう返した。
「……アムネリアって女のことは全然知らねえからな。あのベルゲルミル十天君の出だっていうのが本当なら、少なくとも腕前だけは折り紙付きさ。心配いらないのと違うか?」
ワルドはミスティンからセントハイム迄の道中、アムネリアと口を利いた記憶がなかった。生身で最高峰の美貌の持ち主とはいえ、武力もそれに類するとあらば触らぬ神に祟りなしと彼は考えていた。
ノエルがもじもじと言いにくそうにしているのを見て、ワルドの直感が、自身の回答の筋が違ったのだと訴えた。
「ああ、あの二人がベタベタしてないかっつう心配だな?……こればかりは何とも言えねえ。若くて見栄えのする女を連れて旅に出れば、健康的な男はそれなりに苦労するもんだ」
「苦労ってなに?」
「いや、それはだな……。四六時中一緒にいて寝食も共にするわけだから、溜まるものが……。まあ、<花剣>が見張りに付いてるんだし、余程のことはなかろうよ」
「……余程のことって?」
ノエルの紫紺の瞳にじろりと睨まれたワルドは、ばつが悪いといった体で頭をかきながら視線を逸らした。
ハイネル大尉とレルシェが驚いたのは、共に武器戦闘へ従事するダイノンやワルドの高い技量に対してであった。行軍時に最後尾を行く二人は、自分達が過度に自信を持たぬよう気を引き締めた。
「ダイノン殿のあの力強い斧さばき。我ら第三軍では、バイ・ラバイ殿以外歯が立つまい」
「はい。セルッティの身のこなしも久しく見ないレベルでした。これ程の使い手が一介の傭兵に収まっているとは……」
「レルシェよ。ヴァンシュテルン将軍は、我らに己の殻を破らせるようクルス殿への同行を命じられたのかもしれんな」
「監視ではなく鏡とするように、ですね。……分かります。所属する組織の為にではなく、友人個人を助けて戦うかと思えば、アケナスの大事を聞き付けて何を喧伝せずとも立ち上がる。そんな破天荒な生き方に強さが伴うだなんて、考えたこともありませんでした」
先程まで剣を握っていた手のひらを見詰め、レルシェは自分のこれまでの鍛練が何に活かせようものかとぼんやり考えた。
(ヴァンシュテルン将軍は、クルス・クライストの派手な人脈や勝利を手繰り寄せる戦運が、数奇な経験と柔軟な思考回路によってもたらされていると言われた。聞けば元冒険者で、元騎士。出自とは無関係に各地を巡り見聞を広めたらしい。私も……このように方々に付いて回れば、騎士として一皮剥けることが叶うのでであろうか)
***
湿原の東端、奥地にあたる場所に、妖精たちの暮らす秘境・アルヴヘイムがあった。幾つもの尖塔が重なり合って形成された複合建築の粋たるブラーニー城。城を中心として、円柱型の居住地や巨大な草花、石膏像や精霊が象る水や火の混在する集落がアルヴヘイムの全容で、妖精たちが思い思いの姿で生活していた。
妖精と一口に言ってもその存在は多様であり、民族学的にはエルフよりも精霊や幻獣に近い高位の種族と見なされていた。古代史を紐解けば、神々の集いし楽園や、魔神・神獣の跋扈する異界にすら祖先が登場を見た。大多数の妖精は身体の伸縮を変じることが出来、羽の収納と併せることで人間と違わぬ外見を維持することもできた。
成人の顔面程度の背丈で透明な羽を広げている姿が連想され易いが、アルヴヘイムを歩く妖精たちは一見して人間の女性と区別がつかなかった。
「……妖精ってのは、女しかいないのかい?味気ない世界だね」
妖精たちから遠巻きにして避けられるも、攻撃まではしてこないと見切ったベルディナが鼻で笑った。エドメンドは「お前が女を語るな」と口にしそうになったところで、よく自制した。
「女系制約は種族の特質だ。そして妖精は我々以上に繁殖力が弱い。巨人族と並び、最も滅びに近い種族とされる」
ダークエルフであるアイゼンが無表情に語った。アルヴヘイムに侵入したルガードの一行に、妖精たちは闘争を仕掛けては来なかった。アイゼンやエドメンドにいつでも魔法抵抗を展開出来るよう指図し、ルガードはラーマを伴い手近な妖精に詰問した。
ルガードの迫力を前にしてさえ物言わぬ妖精も、ラーマにこんこんと説かれたことでぽつぽつと話し始めた。天に向けて林立する柱のような居住区域に設けられた丸窓からは、住人たる妖精たちがルガード一行に視線を落としていた。
「……聖王陛下が、外界から入り込む人間たちには手を出すなと。ブラーニー城にて陛下が直接応対なさると……」
「フン。守護獣と戦闘要員を伐たれて怖じ気付いたか。……まあいい。城とはあの薄気味悪い塔の集合体だな?」
妖精が頷くのを待たずに、ルガードはさっさと歩を進めた。一行は誰に邪魔をされることなく城へと辿り着いた。薄暗く入り組んだ城内の、特定の方向だけ壁の灯火が自然に点され、道案内がなされた。
「至れり尽くせりだねえ。これで晩餐でも出てきたら言うことないんだけど。ねえ、フライマ?」
「あ、はい。妖精王が催す晩餐の宴……あったら素敵です」
ラーマは慌てて話を合わせたが、言ったベルディナとてたいした反応を期待していたわけでもなし、それ以降はルガード以下玉座まで無言を貫いた。
玉座の間は、霞む程の高所に天井がある抜けた造りで、壁面の広範囲に嵌め込まれたステンドガラスからはふんだんに光が採り入れられていた。清廉明媚で開放的な印象の空間はしかし、現れた黒衣のルガードが放つ不穏な圧力によって緊張状態へと一変させられた。
玉座に座すは、水色の髪を背に流した目付きの鋭い美女で、双眸もまた澱みのない綺麗な水色をしていた。白を基調とした透明感のある長衣姿で、頭には白金のティアラが飾られていた。アルヴヘイムを司る、聖タイタニアその人であった。
聖タイタニアには先客があり、白い甲冑の上に洒落た緋色のマントを羽織った威圧感充分の騎士がそこにいた。
「予定通りに集まってくれたようだな」
ルガードはそう口にして、有無を言わさず咎人の剣を抜いた。そして、エドメンド以下に手を出さぬよう目で合図した。
ルガードは真白い石材の敷き詰められた床を力強く蹴った。突進する先には甲冑の騎士・ウェリントンがおり、彼もまた神剣の鞘を払っていた。
ルガードの斬撃を、ウェリントンは正面から受けきった。そこから繰り出されるルガードの剣は超絶の技で、ウェリントンですら一撃一撃の対処に追われた。
斬り合いは一手一手に凄みが溢れた達人の妙技であった。闘いは果てなく続くかと思われたが、聖タイタニアの不意に立ち上がったことで、二人が共に距離をとった。
「……他人の城で、いつまで力比べを続けるつもりかしら?招かれざる客人たちよ」
澄んだその声には明らかな不快感が込められており、聖タイタニアの冷たい視線は二人に均等に分けられた。ウェリントンとルガードは足を止め、玉座へと向き直った。
「……それと、出てきなさい。アルヴヘイムで私の目を欺くことは叶わなくてよ、混沌の君?」
名を呼ばわれた混沌の君は無視するでもなく、ベルディナたちの背後にそっとその身を現した。ここまで気配に気付けなかったアイゼンが表情を硬くした。
「さて、迷惑な来訪者たちは一体何を目的に集ったのかしら?大方万魔鏡を求めて来たのでしょうが、使い途には千里の開きがあるようね」
「鏡自体は必要としない。私の関心は、万魔殿の封印にしかないのだから」
それは聖タイタニアに対してというよりも、ルガードに聞かせるようにしてウェリントンの口から発せられた。万魔鏡を所有する妖精王を前にして潰し合いをしたくないという申し出が透けて見え、エドメンドはそれを渡りに船と捉えた。
聖タイタニアは瞬きを一つして、ウェリントンへと言葉を投げ掛けた。
「背徳の魔人ウェリントンよ。封印が時空干渉だけだと思って?鏡を手にすれば、あなたの目的は達成されるのかしら」
「いいや。妖精族以外は万魔殿に近寄ることも叶わない制約が課されていると知っている。それが現代の魔法ではおいそれと解除の出来ない代物だということも。そして、不死の巨人の心臓が安置されていることもだ」
「……あなたにそれを伝えたのはどこの誰かしら?私の可愛い子どもたちは皆、万魔殿に関する記憶へのアクセス権限を剥奪されている。そこまでの詳細を知る者など、殆どいない筈」
言って、聖タイタニアは混沌の君を盗み見た。混沌の君の仮面は何も映し出さず、黙って妖精王と<白虎>のやり取りを見守っていた。
「フフ……それを知る必要があるのか?そこな黒衣の騎士が万魔鏡を手に入れれば、貴様はもはや世界にとって用済みなのだぞ」
「あなたは四柱を顕現せしめた世界に何を望むというの?一切の破滅?人間であろうと悪魔であろうと、全てを無に帰すことを願うはただの自殺願望に過ぎないと知りなさい」
「世界のシステムに毒された者の言葉なぞ、我には響かぬ。従わぬようであれば、邪魔をする者ごとこのダーインスレイヴの錆とするまで」
ウェリントンの全身から再び闘気が立ち上りかけた。
「その言い草……成る程。あなたという魔人の構成要素に、確かに悪魔の王も含まれてはいるようね。先に言っておきましょう。我が妖精魔法の秘奥は必ず相手の息の根を止めます。死ぬ覚悟があるなら、迷わず掛かってきなさい」
聖タイタニアの煽り文句に、ウェリントンもルガードも怪訝な表情を浮かべた。
「妖精王の言葉は脅しではない。秘法<双頭の蛇>。自らの生命力と引き換えに、敵対者の魂を砕く。永遠に近い寿命を持つ妖精の、さらに神性が高い王にのみ使用可能な究極の魔法だ」
混沌の君の解説に、妖精王を除いた場の全員が身構えた。
「……とは言え、あれが発動されればアケナスのバランスは崩れる。妖精族を亡ぼしかねない闘いに私は加担しないし、聖タイタニアの生命を脅かすのであれば、全力で阻止させて貰う」
混沌の君の不気味な離反宣言にもルガードは特に反応を見せなかったが、側にいたエドメンドやベルディナは間合いをとった。アイゼン然り、この正体不明の仲間の力を警戒こそすれ、ルガードの配下は各々の熟練から決して恐怖を覚えたりはしなかった。
ラーマは即刻戦闘行動をとるべきかルガードの横顔を窺うが、依然彼とウェリントンに動きは見られなかった。
「……混沌の君よ。私やあなたがこの魔人たちとぶつかれば、アルヴヘイムは破壊し尽くされかねません。それ故、一計を案じてあります」
聖タイタニアの言葉と共に、玉座の間に新たな一団が顔を出した。それは言わずと知れた、フラニル・フランのパーティーであった。




