妄執の彼方-3
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クルスはここが死地であるとはっきり悟った。草葉の影を走り、大木の裏に隠れては魔法や弓矢の狙撃を避けていたが、そこに敵の増援が確認された。
相手にしている七人が剣や魔法において水準以上の力量を有することから、剣一本のクルスは比較劣勢に立たされていた。それに加えて新たに五騎が乱入してきたことで、彼は選択を迫られた。
逃走或いは玉砕。敵が狂信的なテロリストである以上、降伏という手段は選択肢に挙げられなかった。
(ここでアムを置いて逃げるくらいなら、最初から作戦に乗っていない。一人でも多く斬り捨てて、アムの生存確率を上げてやろう)
覚悟を決めたクルスが被弾をいとわず敵中に飛び出そうとしたその時、戦場に駆け付けた五騎のうち一騎が突如崩れ落ちた。たちまちに、悪魔教団の隊列に動揺が伝播した。
クルスは訪れた機会を逃さぬようじっくり状況を見定めようとした。敵のもう一騎が落馬する様子を見て、何者かによる狙撃があったのだと確信した。
悪魔教団の騎士たちが続々と後方を振り返ったそこへ、クルスは素早く突進した。剣を二閃して一人を倒し、挑み掛かってきたいま一人を豪快に斬り伏せた。
その間にも謎の援護射撃は続いており、悪魔教団の戦闘員たちは対抗するべく魔法で障壁を展開した。形としては、クルスと謎の狙撃手による挟撃が成立を見た。
或いはオルファンが指揮をとっていれば、この場の全戦力をクルスにぶつけ、狙撃の被害に目を瞑ることで状況を打開出来たに相違なかった。クルスを好きにさせたことで、悪魔教団の部隊は瞬く間に蹂躙された。
クルスがまた一人を剣で沈めると、三人の戦闘員がいきりたってそちらに向かった。だが、その内一人の頭蓋が正確に貫かれたことで、残る二人は正常な判断力を失って右往左往している間にクルスの剣を受け、ついぞ果てた。
元いた七人に五人を加えた十二人の精鋭は、狙撃の開始からほんの僅かな時間で全滅の憂き目を見た。最後の一人を斬り飛ばしたクルスは、狙撃を警戒して射線の取れぬ丘陵の陰に身を置いた。
程なくして、毛並みの良い白馬に跨がる狙撃手が堂々姿を見せた。水色の髪を風になびかせた彼女の勇姿には、クルスも意表を突かれて息を飲んだ。
「協力に感謝します。悪魔教団の掃討こそが我が任務。貴方のお蔭で理想的な狩りとなりました」
その呼びかけに応じてクルスも顔を出した。
「おれは<リーグ>のクルス・クライスト。こちらこそ助けられた。あのまま突撃していたら、間違いなく命はなかった」
挨拶を交わしたクルスは、アムネリアの様子を気にして遠くを振り返った。
「……まだ残党が?」
「ああ。相棒が敵の親玉と一騎打ちの最中だ。別動隊はこちらの主力が抑えていると思うが」
「親玉?それはオルファンですね。では援護を!」
「ちょっと待った。オルファンとかいう輩とは、うちの相棒に因縁があってね。一対一で決着をつけさせてやりたい」
女騎士は氷青の瞳を鈍く光らせ、クルスの真意を推し量るように目を細めた。その背には弓が見え、彼女の狙撃手法がそれによるものと知れた。
「オルファンは悪魔教団の大幹部にして、戦闘部隊の創設者でもある。当然に腕が立つし、正面から奴に挑んで圧倒するのは至難の技です」
「彼女はまず負けんさ。おれは大陸で三番目に強いという自負があるが、二番は彼女だろう」
女騎士の形の良い眉がぴくりと反応した。
「女だてらに、オルファンと一騎打ち?……いいえ、貴方の法螺の方が気に障ります。大陸一番は誰だと?」
「決まっている。サラスヴァティ・レインだ。他に誰がいる?」
「……だとすれば、貴方はとんだ詐欺師ですね。それとも無知蒙昧の輩なのか。ベルゲルミル連合王国に十天君という強者が集いしはご存知?」
「知っている。実力の程度も、あの国の品性の欠如もな」
クルスは何も問題ではないとばかりにさらっと流した。女騎士の顔色が鮮やかに赤へと変わった。
「レイバートンの<翼将>であれば先のような雑兵相手に苦戦はせぬし、ラーマ・フライマ殿やウィルヘルミナ様の魔法は万夫不倒の域にある。如何なる角度から捉えても、貴方が上位に位置付けられるいわれはないわ!」
女騎士の変容にクルスは些かたじろいだものの、アムネリアへの心配がそれを上回り、ここは女騎士との口論を避けた。「気に障ったなら謝る。ほんの冗談だ」と応じ、ベースキャンプまで戻ることを提案した。
オルファンの動きを偵察すること自体に反論はなく、女騎士は馬を近くに留めてクルスの後についた。
***
オルファンの剣は一撃ごとにアムネリアの余力を削った。それは呪いをかけたオルファンがよく感じており、十合と撃ち合わない間に、アムネリアの顔に苦痛がありありと浮かんだ。
アムネリアの全身から異常な量の汗が噴き出し、土気色に変じた顔は死相を連想させた。肩を震わせ、剣がかたかたと音を鳴らせた。
オルファンは勝ち誇り、剣先をもう片手の指でつまんで刃を嘗める仕草を見せ付けた。
「馬鹿な女だ……。とはいえ、みすみすこの剣の錆にするのも惜しい。這いつくばり、もう一度兄者に従属することを誓わば、命だけは助けてやらんこともない。どうだ?」
「私は……既にルガードとの別れを済ませたのだ。あの者の野望を止めることに全力を傾ける。……オルファンよ。兄の名ではなく己の名で語ってみせよ。私を欲するのはルガードでなく、そなたではないのか?」
「なん……だと?」
「昔には戻れない。オルファンよ、現実を直視するのだ。もう、あの、素晴らしき日々は……還らない」
「黙れ!」
オルファン渾身の一振りは、速度や狙いに一分の隙もなかった。しかし、アムネリアは予期していたかのように斬線とすれ違い、舞うように優雅に剣を差し出した。
利き腕の肘を断たれたオルファンは、絶叫を上げて剣を取り落とした。そして、流血の収まらぬ肘を左手で必死に押さえた。
アムネリアは残された余力をただの一撃に込めて、オルファンの剣才を奪うことに成功した。
「右肘は……深く断った。例え治療を施したところで、それ以前と変わらぬ状態には戻らないであろう」
「うぐぅううううう……おああああああああああ!」
アムネリアは、オルファンが呪詛の行使にあたり己の魔法力を対価としたことに気付いており、致命的な傷を即座に治す術がないと睨んでいた。それは当たっていて、右腕を深く斬られた痛みと、己の剣腕への自信をズタズタに裂かれたことによるショックに苛まれしオルファンには、それでも打つ手がなかった。
否、限られていた。
オルファンは気が狂わんばかりの混乱状態において、血だらけの左手で懐をまさぐった。止血だけはしてやろうと足を踏み出しかけたアムネリアは、オルファンの挙動に不審を抱いた。
「……ぐぅぅおおおおおおおおお……アムネリア・ファラウェイ!……貴様だけは……殺すッ!」
胸中から取り出した黒曜石に似た結晶片を、オルファンは左手で握り潰した。同時に、彼の体表が漆黒の羽毛に侵食され、全身に回ったところで肉体が変容を見せた。
頭部からは一本の立派な角が飛び出し、顔の下半分は大きな嘴に占拠された。巨大な羽と、胴回りの太い羽毛に覆われた肉体は怪鳥を思わせた。
ぎょろりとアムネリアを見つめる瞳だけがオルファンの名残を留めていたが、そこに誕生したのは紛れもない悪魔であった。
「オルファン……そなた、ルガードの後を追っていたのか?」
アムネリアは、オルファンが悪魔信仰を推進する傍ら、自身を悪魔と合体させる研究にも手を染めていたのだと確信した。そうして、成れの果てがこの魔獣の如き姿なのだと思った。
(これは……オルファンは理性を残しているのか?)
魔獣ことオルファンは、急加速でアムネリアへと突っ込んだ。虚を突かれたアムネリアはまともに打撃を受け、その威力に宙を舞った。
盛大に落下して動けぬアムネリアへと、オルファンの咆哮が衝撃波となって襲い掛かった。超音波は激しい物理攻撃と化してアムネリアの全身を撃った。アムネリアの纏う軽装甲は砕け散り、衣服も千切れ飛んだ。
「……ごほっ。ごほ、ぐ……う……」
アムネリアは全裸に近い状態で地に伏せ、白い肌には惨たらしい打ち身や出血が点在していた。内蔵や骨にもダメージを負ったようで、咳をする度に喀血が窺えた。
(……最早、一歩も動けぬか。すまない、オルファン。すまない、ルガード。……クルス・クライスト、私は……)
「アム!すぐ助ける!」
クルスの力強い声が、意識を失いかけたアムネリアの鼓膜を叩いた。視界すらゼロに近い身であったが、アムネリアは相棒が助けに入ったのだと理解した。
オルファンは反射的にクルスの迎撃へと動いたが、ここからが彼の真骨頂であった。反撃を恐れぬ速度で接近すると、翼による殴打を軽妙に避け、オルファンの胸元に斬撃を叩き込んだ。そしてそのまま巨体を押し倒し、剣を腹へと突き刺した。
オルファンは暴れ、クルスはそれに激突して弾き飛ばされた。立ち上がるまでに数瞬を要したが、オルファンの追撃はなかった。それは女騎士の狙撃によるもので、白金の弓が引き絞られる度、オルファンの体に光の矢が吸い込まれていった。
女騎士の弓矢にオルファンの注意が向いている間に、クルスは痛みを堪えてアムネリアの下へと駆け寄った。そして優しく抱き抱えると、駆け足でオルファンから遠ざかった。
「クルス……」
「喋らないでいい。あれは悪魔だろう?……おれの領分だ。少しだけここで待っていてくれ」
クルスはアムネリアを木陰に寝かすと、居たたまれぬがそのままにして戦列に復帰した。女騎士の中距離攻撃は咆哮のようなオルファンの特殊攻撃をよくキャンセルさせた。そして、クルスは攻撃的に前へと出て剣を振るった。
勝負を決したのは、<リーグ>の別班の到着であった。
「クルス、加勢するわ!」
神剣クラウ・ソラスを抜いたリン・ラビオリが前衛に加わり、ゼロが精霊の力を借りてオルファンの動きを封じにかかった。
サルマンら<リーグ>の傭兵が参戦するまでもなく、クルスらの猛攻を受けてオルファンは羽毛と体液を散らせながら地面に倒れた。断末魔の声も叫びもなかった。
クルスはゼロの手を引き、アムネリアの下へと誘った。リンは手荷物から外套を取り出してアムネリアを包み込むと、ゼロに重ねる形で治癒の魔法を展開した。さらに、件の女騎士までもがその処置に加わった。
意識を取り戻したアムネリアの第一声は、視界にあった新顔に向けて放たれた。
「……イシュタル・アヴェンシス・アルケミア公女殿下では?何故こちらに……」
「久し振りですね。アムネリア・ファラウェイ卿。悪魔教団の幹部を追跡していた結果、こうして再び見えたと言うわけです」
アムネリアの口にした名は、少なくともクルスとリンを驚かせるに充分であった。
「<雨弓>のイシュタル・アヴェンシス……道理で」
クルスは、イシュタルの技量だけでなく、十天君への拘りを思い返して一人納得した。イシュタルはアムネリアが窮地を脱したと見るや、魔法を解除してクルスと向き合った。
「貴方の名はラファエル様やジットリス卿からも聞いています。カナル新帝に仕えるクルスという傭兵がいると。立場上馴れ合うことは憚られますが、先の働きは見事でした」
「十天君も色々だな。正直、貴女と話していて悪い気はしない。ボードレールやガフロンなどとは違った人種のように思える」
「……ベルゲルミル公国やファーロイ湖王国と、我がアルケミア伯爵国とでは気風が違います。傭兵の人格がさまざまなことと同じです」
「違いない」
多少ぎこちなくはあったが、二人は微笑を交わした。
リンはオルファンの死骸を窺い、「こうも簡単に、人間は悪魔に変態出来るというの?」と懸念を示した。アムネリアは上半身だけを起こし、それについて言及した。
「……オルファンの魔道は、マジックアカデミー所蔵の古文書からヒントを得たものと思われる。思い返せば、ベルゲルミル公国のディアネ神殿でルガードと遭遇した際、彼に従っていたマジックマスターの顔に覚えがあった。確証こそないが、魔道を研究したことで放逐されたエドメンドではないかと疑っている」
「それはどういう話?つまり、ソフィアのマジックアカデミーには悪魔に迎合する知識がごろごろしているとでも言うの?禁忌というのは建前でしかないのかしら」
リンの皮肉に、アムネリアは答える術を持たなかった。イシュタルとて連合内の他国の実情までは把握しておらず、アムネリアの話を聞いて一人の人物に思いを回らせた。
(マジックアカデミー首席のアンフィスバエナ。あの男がソフィア、引いてはベルゲルミルを良からぬ方向に導こうとしているのではあるまいな。確か、レイバートンやアルケミアが悪魔討伐へと乗り出す際に、やたら横槍を入れられて制約の課せられた記憶はあるが……)
標的の殲滅を確認したサルマンは、総員にシスカバリへの帰還を号令した。動けるまでに回復したアムネリアもそれに従い、クルスの馬に跨がった。
(オルファン……貴方やルガードと共に過ごした日々、忘れはしない。来世では、三人仲睦まじく暮らしたいものだな)
悪魔そのものとも見えるオルファンは焼かれ、弔いは祈りのみとなった。アムネリアはその地を離れてからも、しばらくはオルファンのことを思い出しては感傷に浸った。クルスは背にアムネリアのそんな様子を感じてはいたが、シスカバリへの道中声を掛けることを控えた。




