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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第一章 賢者の石
6/132

  刺客-3

***



 アムネリアは闇夜に紛れて襲ってきた複数の賊を認めると、自身の活動限界を踏まえて逃げに徹した。十字路の先にある小路に上手く身を隠した結果、賊は彼女の気配を捉えきれず、足跡は徐々に遠ざかった。


(今のは……帝国兵なのか?それにしては、あまりに殺意が強いように思える)


 アムネリアは足音を殺し、今宵の宿から一定以上距離をとって周囲を警戒した。刺客たちの狙いがクルスなりアムネリアなりにある以上、二人の宿泊先が常時監視されていておかしくはなかった。たまたま外出していて難を免れたが、アムネリアに息をつく暇は当分来ないものと思われた。


 クルスが<リーグ>チャーチドベルン支部のつてを頼って帝宮へとアクセスを試みている間、ベルゲルミル出身のアムネリアは流石に留守番に回る他なかった。仮にもベルゲルミル連合王国はカナル帝国の敵性国家であったし、聖神カナンは神話の上では霧の魔神ベルゲルミルによって一度ならず封じられてもいた。


 アムネリアがベルゲルミルを出奔したとは言っても、なまじ高位にあったことから易々と信用はされにくく、クルスも帝国内で彼女を庇いきれる程に大きな発言力を持ち合わせているわけではなかった。


 そうして単独行動を強いられていた矢先に、彼女は賊に狙われたのであった。


 行くあても土地勘もないアムネリアがチャーチドベルンの市街で途方に暮れていると、案の定一度は離れた賊の発見を許した。再び逃げながら、街灯の少ない方少ない方へと追い込まれていくのを悟ったアムネリアは、乾坤一擲、反撃へと転じた。


「女が、向かってきたぞ!」


 そう仲間に警告をした賊は、アムネリアと剣を撃ち合わせることすらなく、一刀の下に首筋を斬り裂かれた。血流の溢れ出る喉を両手で押さえ前のめりに崩れ落ちる賊は無視して、アムネリアは駆けた。


(あと……五、六振りはいけるはずだ)


 街路の横合いから飛び掛かってきた剣と斬り結び、アムネリアは切り返して逆袈裟に斬撃を浴びせ、その敵を葬った。接近してきたもう一者には強烈な蹴りでその足を止め、生まれた間合いを瞬時に詰めて刺突の一発で絶命させた。


「……うっ!」


 おぞましい悪寒に襲われ、続けて堪えきれぬ激痛がアムネリアの全身を刺し貫いた。心身余すところなく鍛えられた彼女にとっても忍耐し得るものではなく、その場に跪いた。


 呪縛。アムネリアの身体には魔法による強力な封印がかけられており、戦闘において全力を出し続けると、代償として全身が堪え難い苦痛に苛まれる仕組みとなっていた。


 一般に、呪縛の効果は魔法使用者の力量に左右されると言えたが、対象に著しく苦痛心痛を与えるこの手のケースでは、互いの精神力も威力を左右した。例えば、使用者の怨念や執心。そして対象者の意思の薄弱などがそれに該当した。


 まるで身動きの取れぬアムネリアへと、依然複数伸びている影が殺到した。


「このアマ!」


 アムネリアは頭を掴まれて地面へと押し付けられ、四方八方から蹴りを入れられた。剣を遠くに蹴飛ばされたことで、反撃の糸口もなくなった。


 いまだ呪縛の痛みに苦しむアムネリアは、か細い呻き声を時折発し、されるがままに打撃を浴び続けた。


「賢者の石をどこへやった?エルフの女は、どこだ!」


「……知らぬな」


 賊の一人が凶悪にも、硬そうな軍靴でアムネリアの顔面を蹴り上げた。さらに背中にも重い一撃をくれた。


 血を吐き、アムネリアが悶絶した。


「どこだと聞いている」


「……私は、知らぬ」


 左手の甲に剣を突き立てられ、アムネリアは小さく悲鳴を上げた。賊の剣は手のひらを貫通して地面に刺さっていた。アムネリアの左手付近では、血の染みがじわじわと拡がっていった。


 アムネリアは積み重なる痛撃にも未だ屈しておらず、敵の隙を見出ださんと周囲に気を配ることを忘れてはいなかった。そして行き掛かり上知り合っただけのノエルや、カナル大森林の長が危惧する賢者の石の秘匿に、部外者たる自分がこれほどまで意固地になれるものかとある種の感動を覚えてもいた。


(カナルの支配層に悪魔……か。これは、やはり未練なのであろう。奴らが暗躍しているなどと聞かされては、どうにも邪魔をしたくて仕方がない。……たとえ私の命の灯が、奴らより先に燃え尽きたとしてもな)


「……喋らねば、腕の一本を貰う。それでも喋らねばもう一本だ。次は足の一本。最後には達磨となるが、易々とは殺さん。四肢を切断する度、そして舌を噛み切る度に魔法で止血の処置をしてやる」


 常人であれば聞くに堪えない、恐ろしい内容の脅しであった。アムネリアが反応を見せないと、賊は彼女を取り囲み、数人がかりで手足を地に押し付けて固めた。


「そうら!まずは右腕から行くか!」


 賊は剣を大きく振りかぶった。アムネリアはきつく瞼を閉じた。


(ルガード!)


「お前のな」


 闇夜に銀光が一閃し、賊は両の腕ごと剣を取り落とした。割り込んだのはクルスで、いつになく冷厳なる気配を漂わせ、吐き捨てた言葉にもふんだんに怒気を込めた。


「……やってくれたな。予告するが、お前たちはここで死ぬ!」


 半ばから腕を切断された賊は絶叫し、アムネリアの身体を押さえていた面々が立ち上がって得物を構えた。


 その時、闇間を貫いて飛来した光球が賊の一人を強打した。


「……マジックマスターがいるぞ!」


 クルスともう一名の騎士が賊へと挑み、直ぐ様相手を斬り伏せた。一人残った賊が身を翻したそこに、またも光球が炸裂した。


 鮮やかな奇襲で賊は掃討され、クルスは両腕を失った哀れな一人を蹴倒した。姿を見せたネメシスは、その賊の表情が不自然に歪んでいく様を観察した。


「フィニス!アムネリアさんの手当てを!」


「はい!姫様」


 フィニスと呼ばれた赤い髪の乙女がアムネリアの下へと駆け寄り、すかさず魔法で治癒を始めた。ネメシスの連れてきた騎士たちも周辺に散って残敵の確認に努めた。それを見届けると、ネメシスはクルスへと目配せした。


「駄目ですね。毒を嚥下しました。この気概では、延命させたところで何も吐かないでしょう」


「そうですか……。何か物証が出れば良いのですが。賢者の石を追う、第三の勢力が果たして何者なのか」


「……賊の剣筋は、ソロス流のものに間違いありませんでした。ネメシス様」


 半身を起こしたアムネリアが告げた。容態を気にしたクルスは歩み寄るや、屈んで彼女の顔色を窺った。遠くの街灯から僅かに届く光で、アムネリアの顔面が所々腫れ上がっているのが分かった。


「……よくもアムの顔を。奴らは殺す」


「馬鹿。もうやったろうに」


「背後にいる奴も、悪魔を含めて全員だ。報いは必ず受けさせる」


「……話を遮るな。ネメシス様、カナル白騎士団は動いていらっしゃらないのですよね?」


 アムネリアの質問にネメシスは頷いた。マジックマスター・フィニスも、「騎士団がチャーチドベルンから出撃したという報告はありません」と補足した。


「ですが、アムネリアさんの仰ったことは捨て置けません。流派ソロスの剣を学んでいるとあらば、それが正統な剣法なら間違いなく帝国兵ということになります」


 剣士ソロスの興した流派はカナル帝国軍の制式剣術で、白騎士団をはじめとした軍部に属する者は皆例外なく技を修めていた。だがネメシスとて、アムネリアを襲撃したこのサディスティックな一味が帝国軍の一員だなどとは信じたくなかった。


 怒れるクルスは無遠慮に断じた。


「であれば、話は単純だ。姫様も御存知ない非正規のルートで、チャーチドベルンの人間も石の捜索に動いている可能性がある。それがこいつらだ。エルフの長老が言っていたことを真に受けるのであれば、こいつらの黒幕は……」


「悪魔。それも大魔。帝宮へ忍び込んでいるというやつだな」


「クルス、アムネリアさん。滅多なことは申しますな。場所が場所です。……取り敢えず、今宵は私の邸宅へいらしてください。この者らは司法省に処理させます。フィニス」


 フィニスは敬礼で応じた。まだ齢二十かそこらであろうに、随分と所作が様になっているとクルスは感心した。


「お任せください。妨害のないよう監督します」


「よしなに。後から何人か向かわせますから。お二人とも、では参りましょうか」



***



 ネメシスはクルスの話を真摯に聞いた。帝国の国宝である賢者の石を取り戻すこと自体は彼女にとっても悲願であるが、帝政の中枢に悪魔が居座っているなどと、エルフの長老の警告はまさに悪夢でしかなかった。


 話を信じた証ではないが、ネメシスの持つネットワークが捉えたアムネリア襲撃の報にも、彼女は自ら剣を取り迅速に救援へと赴いた。クルスはそれをもって彼女への信頼を確固たるものに昇華させた。


「残念ながら白騎士団は此度も動かず、です。市街地での賊による暴挙は政治的に黙殺されました。ですが、私は私であなたたちと一緒に動きます


 白を基調とした明るめの配色で統一された家具や壁紙に囲まれた中で、ネメシスは勇壮な面持ちで宣言した。アムネリア襲撃から三日が経過し、クルスらは依然ネメシス邸で寝起きしていた。


 帝宮内に設けられたバレンダウン伯爵公女の屋敷は広く、客室だけで十を数えた。住環境は満足に過ぎるレベルで、クルスらは退屈なことを除けば何ら不自由なく暮らせていた。


 いまフィニスを加えた四名が顔を合わせているのはネメシスの私室であり、寝室を別としてさえ、バレンダウンでクルスとアムネリアが定宿としている二部屋を足し合わせたものより広かった。ネメシスのプライベートな空間ということで、クルスは興味を隠さずあちらこちらを観察していた。


「賢者の石を捜索している勢力に関しては?」


「軍部は動いていないと言い張りました。調べても、表立っては何も出てきておりません」


 ネメシスの答えに、クルスは顎に手をやり考え込んだ。治癒を終えて完全に快復を果たしたアムネリアが疑問を呈した。


「国宝を失ってなお動いていないことの方が不思議に思われますが」


「はい。軍ではなく、司法省が役人を動員しているそうです。しかし、そちらで捜索に当たっている者で犠牲者が一人でも出たという事実はありませんでした」


「そうですか。私やノエルを襲った者たちは、流派からカナルの者だったとしても、かなり暗部に属する集団のようですね」


「軍は白騎士団や戦士団以外にも、影の実動部隊を訓練しているという噂があります。政府の上層部でも一握りの者しか知らないとか……」


 アムネリアに続けてフィニスが語った。ネメシスは得心したのか、小さく頷いて見せた。彼女やバレンダウン総督の権力はそれこそ小さいものではなかったが、軍政に深く手を突っ込めるかというと筋が違った。


 アムネリアは非礼を承知で提案を試みた。


「ネメシス様の御父君、伯爵閣下には助力を頼めませんか?


「父は……総督の性格からして、帝宮に悪魔が侵入しているなどという話をまともに受け止めはしないでしょう。真面目な御方です。ノエルという娘が賢者の石を持ち出したことは紛れもない事実ですから、それを取り上げて返納する道を選ぶものと推察されます。私などの説得でチャーチドベルンと事を構える程に剛胆ではありませんし」


 ネメシスの物言いを鵜呑みにするならば、賢者の石を争奪せんとする悪魔や敵対勢力を相手に、自分たちは正規兵を味方に付けられず臨むことになるとアムネリアは憂慮した。フィニスをはじめとしたネメシス個人に仕える私兵の協力は得られるというが、アムネリアとてたかだか数十の戦力に過大な期待を寄せるわけにはいかなかった。


 フィニスがエルフの協力を取り付けられないものかと訊ねるが、アムネリアは静かに首を横に振った。エルフの性質上人間社会の特定勢力に肩入れをするとは思えず、彼女は長老の不干渉の姿勢を既に思い知らされてもいた。


「クルスの話では、ベルゲルミルの十天君までもが手出しをしてきているとか?」


「はい。私たちは大森林の外で一度遭遇し、その時はどうにか切り抜けました。かの国の介入を理由に、白騎士団を動かせぬものでしょうか?」


「アムネリアさん。宮中で十天君の名など出そうものなら、即座に戦争に発展しかねません。意思の統一がなされていない今のカナルにとって、ベルゲルミルとの早期決戦を招く流れは許容できないものと考えます。……逆に言えば、十天君をも放って挑発に出た以上、ベルゲルミルは臨戦態勢にあるとも言えます。とは言え、これらの話は私ごときの裁量を超えているのでしょうね」


「……ベルゲルミルも決して一枚岩な国家ではないと聞き及びます。ともすれば十天君単独の行動かもしれません。<流水>のボードレール。かの者の所属はファーロイ湖王国です。あの国は元来連合内でも独断専行が目立つとされていました」


 アムネリアの奥歯にものが挟まったような物言いを、ネメシスは何事もなく素通しさせた。


「そうですか。連合王国として腹を決めて干渉してきているのであれば、彼らの内に賢者の石の能力に通じた知恵者がいることになります。私が恐れていたのはその点に対してです」


 ネメシスは自身の危惧する内容を明らかにした。フィニスがそれを補足した。


「当国は古代の魔法知識や悪魔関係の伝承に疎いのです。騎士団偏重の姿勢がそうさせていると姫様はお考えです。バレンダウンの養成学校が国内随一の魔法関連施設だというのがその証左。賢者の石の如き高度なマジックアイテムを御するは、私を含め当国のマジックマスターでは不可能でしょう」


 アムネリアはベルゲルミルのマジックアカデミーをよく知っており、ネメシスやフィニスの言う理屈に納得できた。だが、それと賢者の石の保護に対する援護が不足することとは別の話であった。


(このままネメシス様を連れてノエルと合流したとして、果たして石を守りきれるであろうか?そもそも、ネメシス様や取り巻き連中をどこまで信用して良いものか。誰もがあの石の持つ超常の力に魅入られておかしくはない。どうするのが最善か……)


 アムネリアは美貌を曇らせ、そういえば議論に参加して来ないなと、傍らの相棒を見やった。クルスは心ここにあらずといった風情で、意味もなく深呼吸などしていた。


「……クルス、何をやっている?」


「ん?いや、別に」


「そなたまさか、ネメシス様の御部屋に汚らわしい想念を持ち込んではおらぬであろうな」


「……」


「貴様……」


「……」


 口を閉ざしたクルスの面に、アムネリアの氷の如く冷たい視線が突き刺さった。ネメシスがなんのことかと隣のフィニスに問い合わせた。


「この部屋に残る姫様の香りを吸引・吟味していたものと思われます。不敬・不躾には当たれど、性徴期を迎えて以降の殿方におかれては、致し方無い衝動的行為かと」


 この後しばらく、クルスがアムネリアとネメシスから無視されたことは言うまでもなかった。



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