魔人-3
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ルガードの下には、ビフレスト探査を志す冒険者や利益を享受したい資本家、一攫千金を狙う曰く付きの者たちが続々と集い始めた。ルガードが古城攻略のベースに選んだ場所は、セントハイムより東南に位置する都市国家・メルビンであった。
メルビンは人口数万という小国故に、正規の軍隊を持たなかった。自警団が武装し巡回こそしているものの、ルガード一行のような猛者を相手に出来よう筈もなく、彼らの逗留を黙って認めた。
ルガードはメルビンの国主に何を要求するでもなく、正当な対価を支払って居館を定めた。そこに腰を落ち着け、エドメンドとアイゼンが中心となって、方々への情報の流布や偵察を行った。
ラーマ・フライマの行方を追って一度、ベルゲルミルの騎士らがメルビンへと侵入を果たした。数は二十騎超と揃っていたが、館から出てきたルガード以下の実力は桁違いであった。
エドメンドとアイゼンに匹敵するマジックマスターなどおらず、ルガードやベルディナの剣は一振り毎に騎士の命を奪った。
数が半数を割ったところで、ラーマ捜索小隊の隊長は敗北を予期した。ルガードが彼に掛けた言葉は辛辣を極めた。
「この程度の戦力で、我等をどうこうできると判断したわけだ。ベルゲルミルは頭を働かせられる人材が涸渇したらしい。一人だけ生かしておいてやる。無能な連合国王の下へと帰り、私を倒しラーマ・フライマを取り戻したくば、十天君を率いて来いと伝えよ。我が名はルガード」
通告のまま、ベルゲルミルの騎士は一人だけが帰されて、残り全員は殺された。様子見に館を出てきたラーマは絶句するも、自らが招いた事態と唇を噛んで受け入れた。そして、ルガードについて来たことを後悔したりはしなかった。
人にあらぬ魔人の身ではあったが、ルガードの智勇は英雄の資質に足るとラーマには思えた。ディアネ神が手立てなく緩慢な死を迎えつつあると知るラーマだからこそ、彼が何事かを為すことで、澱みきったアケナスに変化のもたらされることを尊しとした。
ラーマは倒れた騎士たちの側でひざまずくと、ディアネの名の下に冥福を祈った。その姿を憎々しげに眺めるはアイゼンで、それもそのはずダークエルフたる彼は聖神カナンとその従神を崇めるどころか嫌悪していた。
死と夜を司るシュラク神の流れを汲む四柱が一柱・魔法王アークダイン。黒の森に眠るとされる闇の至高の存在を、アイゼンは純粋な武力の体現者として崇拝していた。それ故に四柱を封じているディアネ神などは完全なる敵であり、ルガードの客人でなければとっくにラーマの喉笛をかき切っていると思われた。
一族の維持の為に<フォルトリウ>へと肩入れをする黒の森の若き族長・エストとは、アイゼンは思想を完璧に異とした。彼は自らがアークダインの後継となり、力でもって種族の繁栄を願う者であり、神と同等の能力を得たいが為にルガードに協力していた。
例えばエドメンドなどは、禁断の魔法研究である使い魔の精製を成功させたことでマジックアカデミーを放逐され、その実力を買われてルガードの傘下に入った。マジックアカデミーからの刺客を幾度となく跳ね返したルガードに惚れ込んだ彼は、今では主の頭脳として活躍することを生き甲斐の一つとしていた。
ベルディナは人間ながらに魔境で生まれ育つという珍しい境遇にあった。腕力と体力に天賦の才があり、自身の腕一本で見事成人を迎えた。魔境に逃げ込んでくる人間社会の落伍者をまとめ、一大勢力を築き上げたところでルガードに見初められた。初めは勧誘してくるルガードに反発し闘いを仕掛けたものだが、その圧倒的な力の前に屈伏し、お頭と呼んで慕うようになった。
「悪魔教団の戦闘部隊がベルゲルミルを脱出したとのことです。道中<雨弓>と交戦し、これを退けたとか」
エドメンドが、ベルゲルミルの騎士に魔法で白状させた情報をルガードへと報告した。
「オルファンは視野狭窄と言えど、戦術面では十天君にも遅れをとるまい。テロリストどもをよく操ったのだな。奴が合流したなら、形だけは鍵にもなろうが……臭いな」
「はい。弟君に我等の情報を流した者がおりましょう。時期を逆算するに、ニーズヘッグ打倒の前になるかと思われますが」
「……アムネリアだな。あの時点で私の目的を知り、且つ私とオルファンの関係に通じている者。だが、あの者が今更こちらの援護射撃をすることはあるまい。オルファンの接近には、くれぐれも注意を払え」
「はっ。アイゼンを出しますか?」
エドメンドの提言に、ルガードは頭を振った。
「そこまでしなくていい。焦らずとも、放って置けば鍵はここに吸い寄せられて来よう」
エドメンドは恭しく一礼し、ローブの裾を翻して居館へと戻った。彼には集まった札付きたちの使い途を考えるという役目があり、例えばベルディナと違って暇の無い身であった。
他方、ラーマはルガードから行動に関してある程度の裁量を許されていた為、メルビンの市中でディアネの信仰を説いて回った。この小さな都市国家においては商売と海洋の神リヴァイプが広く信じられていて、ディアネの神官は存在そのものが珍しいとされた。
身綺麗にした年老いた白髪の男が、道端で子どもたち相手に説法をしていたラーマに尋ねた。
「あなた様は、丘上の館を宿としている連中のお仲間でしたかな?」
「はい。ベルゲルミルから旅をしてきました。巨人国の古城を目指しております」
「妖精と、妖精の守り神を討伐したと聞き及びました。何故にそのような酷い真似を?私の祖父の代から既に妖精はその数を減らし、近い滅びの避けられぬ運命にありました。あなた方の行為は、一つの種族を即刻滅ぼしたにも等しいのですよ」
「……是非もありません。非道へと加担したことに言い訳をする気はありませんが、私はディアネ神よりアケナスの破滅を予告されています。それを回避するために、荒療治が必要だというのもまた事実。粗暴さや残虐性に目を瞑り、敢えてルガード卿の下に身を寄せました。責め句は全て受け入れます」
「あなた様は聡明な御方のようだ。なれば忠告してしんぜよう。かつて、あなた方と同じように使命感に燃えて古城へと挑んだ冒険者たちがいました。その者らも、この都市で体を休めたものです」
ラーマは自らの知識から、老人の言う冒険者に当たりを付けた。それは古城の不死の巨人を封じたと伝わる、高名な勇者の一行であった。
「サラスヴァティ・レインと仲間たち、ですね?」
「はい。彼女たちは意気軒昂と巨人国入りし、目的を達して戻ったとされています。ですが、帰路この国を通りがかった一行の様子は、とても話に聞いた冒険譚を連想させるものではありませんでした」
「……それは、どういうことです?」
ラーマは怪訝さを表情に出して訊いた。緊迫した気配が伝わったのか、彼女にまとわりついていた子どもたちは自然と離れ散っていった。
老人はもったいつけるでもなく淡々と結論を述べた。
「勇者の人相は死人のように真っ青でした。目は血走り、虚空を睨んで、まるで世界そのものを憎んでいるかのような様相だったのですよ。……悪いことは言いません。あすこに向かうのは止めた方がいいです」
「成る程。不死の巨人を制してビフレストに到達したと思われる勇者たちが、帰路には不穏な様子であったと。彼の地には、あのサラスヴァティ・レインをして憔悴せしめる秘密が何事かあるのやもしれませんね」
老人の助言に対し、ラーマはビフレストへの志向をいっそう強くした。ディアネに誘われてここまで来たと疑わないラーマは、アケナスの未来を左右しかねない何かに近く自分が遭遇するのであろうと確信を抱いた。
(この話、ルガード卿にお伝えするべきかしら。あの方であれば、一笑に付すような気もしますが)
薄く微笑み謝意を告げるラーマの顔を、善意の老人は心配そうに眺めていた。
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「あの公女に追い込みを掛けなくてよかったんですか?囮部隊と合わせて掛かれば、いくら十天君と言ったって……」
「黙れ!貴様のような俗人が<雨弓>とフェイルノートを舐めれば痛い目を見る!相手は貴人。この通り従者を失わば足も鈍ろう。余計な犠牲を払うは兄者の戦力を毀損するも同じ。傷を最小に、直ぐにも合流を果たさねばならんのだ」
部下たる戦闘員の賢しげな催促に、オルファンは苛立った態度を隠さず激した。伸ばし放題の黒髪は腰まで垂れ、鼻の下と頬から顎にかけては雄々しくも髭がたくわえられていた。目だけが異様にぎらついており、よく見れば顔立ちは整っているのだが、一見して獰猛な性格と知れた。
悪魔を信奉するこの一隊はイシュタル旗下の騎士を皆殺しにし、彼女を無視して東進を続けていた。
ベルゲルミル国内の移動規制はオルファンの予想の上をいく統制でもってなされたが、所詮はいち神殿勢力の動員に過ぎず、彼らを捕縛するには戦力が不足した。流石にアルケミアとレイバートンは騎士をもけしかけてきたが、オルファンはそれらも上手いことやり過ごしてきた。
敬愛する兄が悪魔に身をやつし、ソフィアを出奔したことでオルファンの人生は暗転した。兄を裏切ったアムネリアに禁忌の魔法で呪いを仕掛け、彼も代償として全魔法力を差し出した。
マジックアカデミーを退院したオルファンは兄に近付くべく悪魔研究へと道を踏み外し、そして規格外の力を有する悪魔へと帰依した。持ち合わせた頭脳や行動力から、彼は悪魔を信奉する邪教を立ち上げ、ソフィアのみならずベルゲルミル各地に魔の手を広げた。
兄と等しく為政者たちへの不信に苛まれていたオルファンは、布教に際し手段としてのテロリズムを推奨した為、悪魔教団は諸国において弾圧の対象となった。政府・ディアネをはじめとした各神殿との闘争は激化を辿り、悪魔教団はその過程で戦闘に特化した実働部隊をも作り出した。
ここに至り、兄ルガードがビフレスト踏破を目指して動き出したと聞き付けたオルファンは歓喜した。行方の知れない兄を忘れたことなどなく、兄を補佐しようと動くは彼にとり必然であった。
(腹が立つのは、兄者の動向を伝えてきたのがアムネリアだと思われる点だ!あいつが、単にこの俺を兄者の下へと導く為だけに手なぞ貸すわけはない。狙いは……禁呪の解除か?そうはさせんぞ!)
アムネリアのことを思考して頭を沸騰させたオルファンへと、部下の一人が報告を持ち寄った。一味を複数集団に分散させたオルファンは、自身の率いる本隊を川の畔で休ませていた。
「先遣の者より、シスカバリの<リーグ>が傭兵を差し向けてきたようだとの連絡がありました」
オルファンは少し怒気を鎮め、アムネリアの残像を振り払って部下に訊ねた。
「……それで、セントハイムの騎士団に動きは?」
「はい。報告にありませんでした」
「ならば良い。傭兵どもの規模次第になるが、丁度こちらは三隊に分かれている。時間差の、三方迎撃を喰らわせてやろうではないか」
オルファンは嗜虐的な笑みを形作った。彼の育成した戦闘部隊は取り分け魔法攻撃に優れており、中距離戦での包囲殲滅を得意とした。例え正騎士隊を相手にしても劣らぬという自負が見え隠れした。
ルガードのみならず、オルファンも持ち前の機転や勤勉さから将来を嘱望された身であった。当人も何れ兄がソフィアの政務を司る時には片腕として奉仕したいと願っていたし、兄がアムネリアの如き多才の持ち主にして絶世の美女を恋人としたことは誇らしく思っていた。兄に対しては不思議と嫉妬心を育てる芽が見当たらず、無条件で憧憬を募らせた。
アムネリアを対象とした心理は複雑であった。現在のオルファンは深く考えることを止めており、兄を裏切ったアムネリアをただひたすらに憎み蔑んでいた。
差し向けられた傭兵がもしアムネリアの意図によるものであれば、決して容赦はせずに残酷な殺し方をしてやると、オルファンは脳内で執拗に想定を重ねた。




