魔人-2
***
「悪魔教団の戦闘部隊?」
クルスは素っ頓狂な声を上げて聞き返した。
「そうだ。ベルゲルミルで悪さをしでかしている連中でな。中でもお尋ね者になっている大幹部が、腕利きの信徒を引き連れて東進してきたようだ。ヤバい相手で、あんたらみたいなスコアの高い傭兵の協力が不可欠だろう」
「テロリズムに走る悪魔信奉者たちか……。リン、どうする?」
セントハイム伯国の首都・シスカバリの<リーグ>庁舎に顔を出したクルスとリンは、身分を開示して早々に仕事を依頼されていた。東部には異境・難所が多く、冒険者の数こそ充実していたが、逆に傭兵業は人気がなかった。それ故にセントハイムからの要請に対して派遣すべき戦力が足りず、スコア900オーバーのクルスと1000オーバーのリンの登場は、シスカバリ支部にとって渡りに舟と言えた。
「支部違いだから要請に従う義務はないのだけれど……気になるわね」
「ちなみに、その幹部というのは何者だ?」
クルスのその質問に、副支部長が資料を見ながら答えた。
「ソフィア女王国レイ・フェニックス支部からの通達だと、オルファンとかいうマジックマスターのようだ。元はあのマジックアカデミーに籍があったらしい。ソフィアのみならず、ベルゲルミルの諸国で懸賞金がかけられているな。補足だが、兄が政治犯としてソフィアを追われているとある。ルガードという名だ」
「……そうか」
「依頼、引き受けるわ。いいわね、クルス?」
沈黙するクルスを差し置いて、リンは副支部長へと依頼の受諾を告げた。任務の詳細説明もリンが率先して受け、一行がねぐらと定めた宿へ帰るなり仲間に申し伝えた。
オルファンの誘引はクルスとアムネリアの仕掛けが成功した結果であったが、喜ぶ者は少なかった。というのも、オルファンとの対決はあくまでアムネリアの私怨から来るものであり、ビフレストを目指す別の一派の活躍が聞こえてくる以上、そうは足踏みをしていられないと考えられた。そして、ニーズヘッグを倒した一派がルガードやラーマの一味であることを、クルスらは承知していた。
東部に進出してきた悪魔教団征伐に反対を表明したのは、まずは同行のミスティン騎士であった。一騎がディアネ神殿に隠れるホッジスのところへ使いに出たままで、残るハイネル大尉とレルシェは非協力を明言した。
続けてワルド・セルッティが、「それは俺の技能を生かせる任務じゃあないな」と表明するなり、腕組みをして居眠りを決め込んだ。
「ルガードとやらの一味に先を越されていいのか?」
暗い雰囲気に包まれた場の空気を一掃しようとしてか、ダイノンが核心に迫る言葉を発した。元々クルスの願いを叶えてやるべく東征に参加した面々であり、第一の目的は当然にビフレストへの到達にあった。
シスカバリの繁華街から少し逸れたところで借りた宿は、木製二階建ての質素な建屋で、男女に分かれて複数の部屋に陣取っていた。集まって会議をしているこの場は一階の飲食スペースで、十人もの大人がテーブルに揃うと、いかにも手狭に感じられた。
クルスは皆を見回してゆっくりとした口調で心境を吐露した。
「アムの全力を取り戻すことは、おれたちの戦力を倍増させるに等しいと思っている。悪魔教団の討伐任務は<リーグ>の依頼でもあるし、任意参加で問題ないと思う。ダイノンの言う件だが、正直なところ別口に先を越されるのは望ましくない」
「誰かが先行してビフレストに辿り着くと、何か起こるんですか?」
「フラニル君、それは行った人間にしか分からないわ。何せ満足な記録が残されていないのだから。ただし、天上の楽園クラナドが存在するとしたら、ビフレストからそこへ渡った者が世界の構造を変革出来てもおかしくない。神々が住まうとされている以上、超常の力を得られる可能性は決して低く見積もれない。わかるわね?」
リンの発言に皆が息を飲んだ。ビフレスト界隈に住むとされる、天使という種族への<戦乙女>降臨の計画を提言した彼女が言うことには、誰の考えよりも現実味があった。
ゼロがおずおずと挙手して意見を述べた。
「……仲間がこれだけいますから、二手に別れてはどうでしょうか?悪魔教団と戦うのは<リーグ>の傭兵が主体でしょうし、私たちの戦力は対ルガード一味に傾注させる方向で良いかと思うのですが……」
「その場合、スコア800オーバーの貴女にも、オルファン討伐任務に着いて貰いたいのだけれど?」
リンの確認に、ゼロはこくりと頷いて肯定の意を表した。
「……仕方ないわね。ラクシュミの依代を他人にどうこうされたんじゃ敵わないわ。対ルガードは私に任せて、クルス」
「ノエル……」
クルスの心配顔に、ノエルは屈託のない笑みで応じた。隣でダイノンが軽く鼻を鳴らした。
「フン。嬢ちゃんだけではお前さんも不安だろう。ワシが同行するから安心せい。王からも厳命されておるでな」
「何保護者ぶってるのよ!鈍重なあなたの方が、私の魔法で護られる側でしょう?」
「やれやれ。口の悪さだけはちっとも変わらんな」
「何ですって!」
エルフとドワーフの口論はクルスの要請で一先ず収まり、ダイノンに続いてミスティンの二人もノエルに同行することを決めた。次に、クルスは真面目な顔付きでフラニルと向き合った。
「フラニル。お前もノエルに付いて行ってくれ。それで、そっちの組のリーダー役を頼む」
「えっ?僕が、ですか?僕も<リーグ>の傭兵ですけど……」
「ニーズヘッグを倒すような競争相手と対するに、マジックマスターの数は優劣を決しかねない。悪魔教団の側はおれたち四人で何とかする」
「でも、僕の腕でルガード一味にどれだけ通用しますかね?」
「奴等には手を出さなくていい。動向を探って、出し抜く余地があるならそうすればいいんだ」
「はあ。僕が、リーダー……」
ノエルやダイノンはフラニルがリーダーを務めることに不服はないようで、ハイネルとレルシェもエルフやドワーフに統率されるよりかはましと、消極的な理由から賛成に回った。
リンが一つだけつけ加えた。
「ノエルさんがイビナ・シュタイナー博士へと取材して判明した、ビフレスト入りの鍵。それが七つの巨大な魔法力という以上、ルガード一味が高位のマジックマスターなり神具なりをどこまで揃えているのか。そのあたりは取材しておいて欲しいわね」
「……そういう任務なら、俺様の出番だな。お嬢ちゃんだけを行かせたんじゃ、危なっかしいったらねえ」
ワルドが都合よく目を開き、頭をかきながらフラニル組への参加を匂わせた。ダイノンが「嬢ちゃんだけではないぞ。ワシもいる」と念押しするが、ワルドは聞こえないふりをしてやり過ごした。フラニルはミスティンの二人に改めて握手を求め、ここに六人組のパーティーが結成された。
残された四人のうち、リンはクルスへと体を寄せて耳打ちした。クルスは間近から香るリンの体臭と耳をくすぐる吐息とに瞬時に悩殺された。
「彼女、人気者ね。エルフの美女相手だと私も分が悪いみたい」
「……<花剣>が今更それを言うのか?君の美貌は、万人がお墨付きを与えたものだろうに」
「少しは自信があったのだけれど。貴方の側に、ひっきりなしに美女が集まるものだから」
「前世の行いが善かったのだろうな。言われてみれば、愛でて目を楽しませてくれる女には困ったためしがない。勿論、君もその一人だ」
「目だけで満足?……言ったわよね、クルス。ビフレストの探究は、私の人生そのものにも等しいって。家を出て傭兵として身を立てて十年。それが、ようやく身を結ぶ」
「期待するような発見にはならないかもしれないぞ?」
「それでもいい。私を古代遺跡の発掘に駆り立てた血は、この分野で歴史に名を残すことだけを求めているの。それが済めば、解放される。私は自由よ」
「……そうか」
「私をビフレストに導いてくれたあなたには、きちんと恩返しをするから。当然、目だけなんて吝嗇なことは言わないわ」
クルスが何事か応じようとした拍子に、アムネリアがわざとらしく咳払いをして、皆の注目を一身に集めた。ここまで口を開くことなく議論を流れに任せてきた彼女の一声は、誠意の込められた謝罪であった。
「……皆の者。此度は私の我が儘を通させてもらって、誠に申し開きもない。この通りだ」
アムネリアはいきなり膝を着き、床に額を擦り付けんばかりに深く頭を下げた。その場の誰よりも低い位置に頭が置かれ、艶やかな黒髪が無造作に床に投げ出された。クルスは光もかくやという速度でアムネリアの肩を掴んで立たせた。
「……アムがそんなことをする必要はない。おれのやり方が気に入らない奴は、ここまで付いて来ていない」
「そうよ。アムネリアの実力はみんな知ってるんだから。呪いが解けたら、私とクルスの二人分くらい働いてもらいましょ」
「うむ。総勢十人ともなると、ワシは食事の取り分の方が心配だ。二手に別れることは、何もお前さんの事情だけによるものではないぞ」
アムネリアの謝意は古参の三者以外にも伝わっていて、それと分かった彼女は黙って黒瞳を伏せた。
その後、日暮れまで翌日以降の段取りを打ち合わせし、やがて自炊による夕食の準備が進められた。と言っても調理の出来る人材はアムネリアとレルシェ、ワルドに限られ、残りの面子は食材や生活用品の調達へと散った。
「クルス。私、今夜は実家のシェンマ家に顔を出してくるから。……ビフレストの件も報告したいし」
「ああ。胸を張るといい。明日は支部に集合でいいんだな?」
「ええ。おやすみなさい。良い夢を」
リンを見送ったクルスは、彼女の見せる笑顔の内に、ビフレストを目前にして昂る心の発露を察知した。そして、ラクシュミを救えるかもしれないという祈念に近い水準でリンの願望成就を喜んでいる自分がいることに、驚きを禁じ得なかった。
***
氷青色の甲冑に身を包む八騎の進む先には、標的の影も形も見られなかった。白馬を飛ばす先頭の麗人は夜叉の如く目を怒らせ、背負う白金の弓は朝陽を反射してちらちらと輝いていた。
一行はイシュタル・アヴェンシスとアルケミアの騎士たちで、ベルゲルミル領内で取り逃がしたオルファンらを追い、大陸中南部から東部へと向かっていた。イシュタルは己の浅知恵を恥じていた。ルガードこそその才幹が聞こえていたものの、実弟など愚かな扇動者に過ぎないとしか認識していなかった。
(まさか……ディアネ神殿が総力を挙げて張り巡らせた規制線が、全て正面から突破されるなんて!悪魔教団の実働部隊に、かくも強者が揃えられていようとは……不甲斐ない!)
しかし、イシュタルもベルゲルミル十天君の一人に挙げられるだけのことはあり、オルファンらを取り逃がしたと知るや、祖国アルケミアの騎士団から精鋭七騎を見繕って即座に追撃を敢行した。敵はマジックマスターを含んで二十にも上ったが、イシュタルの動員した戦力はその半分を下回った。
それでも、イシュタルは自身の力を過信したわけでも敵を侮ったわけでもなかった。なぜなら彼女には天弓フェイルノートがあった。彼女の武勇とフェイルノートの力を知るからこそ、七人の騎士は文句を言わずに主上の姫に付き従っていた。
ラファエル・ラグナロックからの返信により、イシュタルはルガードの目的が楽園クラナドに眠る神々の力にあると知り得ていた。そして、オルファンのような悪魔信奉者が兄を追うとすれば、力の分け前を貰うつもりであろうと推測した。
ラファエルが久方ぶりに訪ねて来るというのに、イシュタルはオルファン一味の追跡を優先させた。彼が自分の立場にあっても同じように恋人より任務を選んだであろうことは疑い無く、彼女の士気が下がることはなかった。
「殿下。この進路、どうやらセントハイムの南端をかすめてそのまま巨人国を目指すようですね」
騎士の内、優れた魔法の使い手でもある者が、馬をイシュタルに並走させて注進した。彼女らの視界にオルファンらは映っていないが、魔法感知は正常に働いていた。
「よし。セントハイムや近隣諸国の<リーグ>には、先だって神殿から使者を出してあるわ。タイミングを計れば挟撃出来るかもしれない」
騎士は首肯し、仲間にもその旨を伝達しようとした。
しかし、それは永遠に叶わなかった。
「避けて!」
イシュタルの悲鳴に近い警告の声は、騎士たちに届いたとは言え無意味であった。対象となりし者たちが肉片と鮮血を散らして続々と落命していった。
(これは、爆裂の魔法!)
馬上にて弓を構えたイシュタルの周囲には、目に見えぬ魔法の障壁が展開されていた。右辺遠方から連射されている爆裂の魔法がイシュタルを捉えることはなく、全てが障壁に阻まれて爆散した。
だが、イシュタルの連れていた騎士は一人残らず奇襲の餌食となり、顔面や上半身を吹き飛ばされて全滅の憂き目にあった。
イシュタルは自分たちが囮の部隊を追わされていたことを悟った。そして、残念ながら敵が一枚上手であると認めざるを得なかった。
ひっきりなしに降り注いだ魔法攻撃は、イシュタル以外が倒された時点でぴたりと止んだ。そして、集団による接近戦が挑まれる空気が微塵も感じられなかった。それはつまり、天弓フェイルノートの持つ強力な魔法抵抗を熟知するだけでなく、<雨弓>と冠されるイシュタルの特殊技能をも意識していることに他ならなかった。
部下の命を根刮ぎ奪われたイシュタルは、その場に佇んで一向に打たれぬ次の一手を待ち続けた。
半ば予想した通りに、彼女がここで敵と闘う機会は訪れなかった。




