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クルス・クライストの四女神とカナル帝国記  作者: 椋鳥
第四章 マジックマスター(下)
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1 魔人

クルス・クライストの四女神とカナル帝国記

第四章 マジックマスター(下)


1 魔人


 アケナス東部に広がる湿地帯は、オルトロス湿原と名付けられていた。ぬかるんで足場は悪く、毒性を有する魚や植物が多く群生していることから、東部の人間すらおいそれと立ち入らない秘境と化していた。


 黒衣の男は泥にまみれた足をまた一歩持ち上げ、湿気と汗とで重くなった全身を引きずるようにしてどうにか岩場へと乗り上げた。背後へ手を差し出し、汚れ放題のローブを着込んだ女を汚泥から引っ張り上げた。


「大丈夫か」


「はい……ありがとうございます」


「お頭、しばらくは足場に困らなそうですよ」


 巨漢の女戦士・ベルディナが足下の岩石を強く踏み締めて言った。その目が、ルガードに手を取られているラーマ・フライマを冷たく睨み付けていた。


 ラーマに続いて細い目をした陰気な顔付きのマジックマスター・エドメンドが岩場へと上り、さらにダークエルフのアイゼンが軽やかに跳躍して追い付いた。


「アイゼン。奴はどうした?」


「転移の魔法を使用したようです。いつの間にやら背後は無人に」


 アイゼンは褐色の肌に表情を隠し、ルガードへと恭しく応えた。左右の耳が尖って横に飛び出しており、くすんだ金髪と共にエルフ族の特徴を表していた。


 ラーマとエドメンドが肩で息をしている点を考慮し、ルガードはパーティーでの行軍を一時止めた。そしてアイゼンを偵察へと先行させ、湿原を遠くまで見渡した。体力充分といったベルディナがルガードの横に並んだ。


「気持ち悪い所ですね。灌木に岩場に泥。それしかない。これなら悪魔や幻獣とでも闘っている方が、まだすっきりする」


 ルガードは愚痴るベルディナへと視線をやった。彼も長身と呼べる部類にあったが、女であるベルディナに対して目線は高さを等しくした。


「心配せずとも、直に出てくる。先程来、こいつがびりびりと震えている。妖精どもの守護者・ニーズヘッグであろう」


 ルガードは信頼する女戦士へと、背負う長剣を指し示した。それは高名な魔剣・咎人の剣であった。


 神剣・魔剣には無限とも言える魔法力が秘められており、また周囲に展開する魔法力との同調性も高いことから感知器の役割を果たした。ルガードは会敵への準備として、体力で劣る二人のマジックマスターを振り返った。


「……ルガード様。急ぎ立て直します故、御容赦を」


「期待している。妖精どもの切り札たる化け物を殺すのに、お前たちの魔法は必要不可欠だ。後方支援は頼むぞ、エドメンド」


「はっ!有り難き御言葉」


「頼んだよ、もやし」


 ベルディナの揶揄には憎悪を込めた視線を返すに止め、エドメンドは息を整えることに集中した。ラーマも瞑想することで、自身の体力回復に全力を注いだ。マジックマスターがここまで消耗する程に、オルトロス湿原は踏破の困難な秘境であった。


 ダークエルフの住まう黒の森。巨人の王国。ドワーフの王国。アケナス東方には亜人種の根城が集結していて、オルトロス湿原こそ妖精族の本拠地たるアルヴヘイムへの入り口であった。


 ルガードらが湿原に足を踏み入れた理由は一つ。ルガードらが巨人の王国へと進入し古城を臨んだ際に、ラーマがそれに気付いた。強制転移の結界。


 無闇に古城へ踏み込むと、強制的に転移の魔法の対象となる厄介な結界が張られており、魔法の組成からラーマはそれを妖精の作為と断定した。更には、結界の解除に媒介物への干渉が不可欠という見解を披露し、これにはエドメンドやアイゼンも同意した。


 媒介物は、いま一人のルガードへの協力者が突き止めた。妖精の国を守護する魔法生物・ニーズヘッグこそが魔法結界の媒介物であった。


 件の協力者を通じて<フォルトリウ>における巨人と妖精の共生を知ったルガードは、それを鼻で笑い飛ばしてニーズヘッグの打倒へと動いた。彼に付き従うは、彼の強さと野望に心酔した何れ違わぬ猛者であり、強大な魔法力とベールに包まれた生態を持つ妖精族へ喧嘩を売ることに躊躇はなかった。


 湿原中に、耳をつんざく奇怪な雄叫びがこだました。それとほぼ時を同じくして、アイゼンが駆け足で戻ってきた。


「ルガード様、奴が出ました。岩場を削るようにして這い進んできます」


「よし。ベルディナは私と共に前衛で攻撃。アイゼンは中衛から援護に回れ。エドメンドとラーマは、後衛から臨機応変に魔法戦闘を仕掛けよ。行くぞ」


「そうこなくちゃね!ところでお頭、あいつはどうするんです?すっかり隠れちまったみたいだけど。まさか、臆病風に吹かれたんじゃありませんよね?」


「奴のことは放っておけ。あてにしているわけでもない」


 ルガードらが布陣を組んだそこに、岩場を跳ねるようにして全身をうねらせながらニーズヘッグが突進してきた。見た目には青光りのする鱗をびっしりと生やした鯰という姿で、決定的に異なる点は醜悪な大口から覗く剣山の如き危険な牙の群と、ヒレにあたる部分から生えたこれまた鋭利で硬質な鉤爪にあった。そして、ルガード十人前はあろうかという全長をした巨体は、尋常ならざる迫力と覇気に満ちていた。


 ルガードと対峙したニーズヘッグは、耳をつんざく咆哮を上げるや、重量を活かした体当たりを見舞った。ルガードは敏捷に跳んでよけ、反撃とばかりにアイゼンとエドメンドから攻撃魔法が飛んだ。


 ニーズヘッグは全身に強力な魔法抵抗を纏っており、アイゼンらの攻撃は全てそれに阻まれた。近接戦闘を挑んだベルディナが接触して湖沼まで吹き飛ばされた。しかしながらベルディナの剣は激突に際してニーズヘッグの腹を捉えており、鱗と共に青黒い体液が散った。


 アイゼンはニーズヘッグの動きを封じるべく、土の精霊や水の精霊をけしかけた。ルガードは咎人の剣で突っ掛かり、一太刀を浴びせてはステップで距離を置くヒットアンドウェイに徹した。


 エドメンドの放った魔法がやはり弾かれ、余波を受けてルガードの体勢が崩れた。ニーズヘッグはその隙を逃さず、鉤爪の猛攻により立て続けに黒衣を切り裂いた。


「ディアネよ!其は大地を司りし母なる神!その威光は遍くアケナスを照らし、ひと欠片を遣わして害獣の殻を悉く浄化し給へ!」


 ラーマの繰り出した極大魔法はニーズヘッグを閃光で包み、存在した魔法抵抗を跡形もなく揮発させた。岩場まで戻ったベルディナが再び大剣を手に突撃し、アイゼンは中距離から剣と魔法で巧みにニーズヘッグの注意を引いた。


 ラーマの成果により、エドメンドの爆裂魔法がニーズヘッグの体表を穿ち始めた。そして、いよいよルガードが本領を発揮した。


 背より漆黒の翼が突き出てかと思うと、ルガードは飛翔・滑空して上空からニーズヘッグへと剣閃を叩き込んだ。


 ニーズヘッグは度重なるダメージに焦慮を覚えたか、より俊敏かつ豪快に暴れ始め、ルガードやベルディナ、アイゼンらへの物理攻撃を激化させた。さらに口内からは酸のような液体を噴射し、広範囲を焼いて回った。


 ラーマは魔法による障壁を構築して酸を防ぎ、エドメンドは前衛二人の肉体強化を図った。アイゼンの召喚した幻獣・大蜘蛛<アラクネー>がニーズヘッグの動きを一時抑えると、ルガードとベルディナは疾風怒濤とばかりに斬り込んだ。


 それでもルガードやベルディナは打撲や裂傷を負わされて都度後退し、ラーマがそれを治癒して回った。アイゼンの体力に翳りが見え始めた頃、エドメンドが奥の手である雷霧を展開し、ニーズヘッグの全身へと稲妻を撃ちつけた。


 明らかに弱り目を見せているニーズヘッグの腹部に、ルガードの咎人の剣が深く突き刺さった。さらに、あらぬ方角から<戦乙女>が召喚され、投じられた神槍グングニルがニーズヘッグの頭部を貫いた。


 そこからは一方的な闘いとなった。剣に魔法にとルガードのパーティーはニーズヘッグを攻め続け、遂に息の根を止めた。


 皆流石に消耗し、ぼろぼろの様相でルガードの下に集った。


「よくやった。私が目をつけた英傑だけのことはある。妖精族の守護者を殺したのだ。お前たちの武は疑いようもなく、アケナスで最上位にあろう」


 ベルディナとアイゼンは血や痣だらけの顔に笑みを浮かべ、エドメンドやラーマは神妙な表情で頭を垂れた。ルガードはそんな仲間たちを見回した後、ニーズヘッグの遺骸の方へと視線を移した。


「……貴様が手を出すとは思わなかったぞ。<戦乙女>の召喚、見事であったな」


 絶命したニーズヘッグの背に突然姿を現したのは、釣鐘型の仮面を被りマントをはためかせた混沌の君であった。混沌の君こそがルガードの協力者であり、古城の罠がニーズヘッグを媒介とした大魔法であると看破したのもこの者であった。


「<パス>は消えた。古城への、妖精族からの魔法力供給は断たれた。これで侵入に不都合はあるまい」


「だが、鍵が足らぬ。まさか妖精どもに、我らと戦うだけの気概があろうとはな……忌々しい奴等め!」


 ルガードの一行には、当初他に戦士が二人とマジックマスターがもう二人いた。オルトロス湿原に入り込んだ時点で妖精族の奇襲を受け、三十以上を返り討ちにしたものの、その四者は還らぬ者となった。


 混沌の君とラーマの見立てでは、ルガード・エドメンド・アイゼン・ラーマの四人がビフレストへ至る鍵として相応しい魔法力を有していると思われた。加えて、ルガードの咎人の剣が神具としての充分な素質を認められ、鍵は五つを数えた。


 つまり、マジックマスターの二人が倒されたことで、あと二つが不足となった。


「奥まで進んで、妖精の一匹や二匹、首根っこを掴まえて拉致してきますか、お頭?」


「馬鹿を言う。ベルディナよ、先の戦いをもう忘れたのか?ガードナーら豪傑がああも簡単に命を落としたのだぞ。妖精の本拠地をこの数で落とすなど、妄想にも程がある。少しは頭を使え」


「エドメンド……もう一度でも、あたしに偉そうな口を聞いてみな。その細首をねじ切って、魔境の犬に食わせてやるよ」


「なんだと?貴様の単細胞さ加減には付き合ってられん。我が使い魔に寸銅を輪切りにされたくば、いつでも掛かってくるんだな」


「上等だよ!」


 ベルディナとエドメンドの争いはしかし、ルガードの制止により終息を迎えた。瞬く間に黒翼が霧状に広がり、気付いた時には二人の首はきつく締め上げられていた。


 中空から暗黒の霧に吊り上げられ、絞首によってこめかみに青筋を浮かべて苦悶する二人を見上げ、ルガードは冷厳な態度に加えて獰猛な声音で告げた。


「言った筈だ。手を煩わせるなら首を刎ねると。覚悟はいいな?」


 ルガードが咎人の剣を構えたところで、ラーマの仲裁が入った。


「お待ちを!いまここでお二方を失わば、妖精たちが好機と悶着を起こすやもしれません。また、不死の巨人と闘うにあたり、あたら練達の士を放逐しますれば苦戦は免れますまい。……これまでの働きに免じて、平に御容赦を」


 深々と頭を下げるラーマを尻目に、アイゼンと混沌の君は我関せずと事態を放置していた。皆ルガード個人に忠誠を誓えども、個々の強者たちは決して折り合いよく付き合っているわけではなかった。


 エドメンドとベルディナ双方が白目を向き口角に泡を噴き出したところで、ルガードは黒翼の戒めを解いてやった。霧状に変容した翼はそのまま消え失せ、ベルディナらは岩場に落下して嗚咽と咳を繰り返した。


「……次はない。ラーマ殿に感謝をするのだな。妖精どもの追撃がある前に、この不快な地から脱出する」


 ルガードが宣言して黒衣を翻すと、その背に混沌の君が事後策を問うた。


「レイバートンの宰相には同行を断られたのであろう?奴には、ここ東部は霊樹ユグドラシルに住まう大鷲フレスベルグを討伐した実績がある。神具アイギスをも所有し、鍵としては二人前で申し分なかったのだが」


「若い時分に冒険者を志したと聞いていたのでな。だが、取りつく島もなかった」


「ではここへ来て足止めか?なまじ結界を解いてやっただけに、横取りの心配もせねばならないぞ」


「……まだ協力者はいる。楽園クラナドへの架け橋・ビフレストを探究しようという輩は、それこそ冒険者連中に腐る程いるのだ。利害関係さえ調えば、鍵たる資格を保有した実力者を取り込むことなどそう難しくはあるまい」


「それは結構。その協力者とやらを、ただ座して待つのか?」


「いや。餌は巻く。余計な者も古城に招き寄せるかもしれんが、ベルゲルミルから追手がかかっている以上ゆっくりはしていられん」


 話は終わりとばかりにルガードが歩を進め、アイゼンが黙ってそれに続いた。エドメンドとベルディナを介抱していたラーマもそれに倣い、混沌の君を残して皆が再び汚泥に足を投じた。


 人間の一行がオルトロス湿原に進入し、妖精の迎撃を退けた上ニーズヘッグをも撃破したとの報は、大陸東部全域で意図的に広められた。そして、その者たちの目的がビフレスト踏破にあるという噂もついて回るのであった。



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